3万打 | ナノ

※視点が都度変わります。





今思えば、その日の彼女は確かに様子が変だった。





「姫さん!見ろよコレ!」


買い物から帰ってきた嵐志が嬉しそうにピンクの紙袋を差し出す。それにいち早く反応したのは鼻が利く紅矢だったから、きっと中身は甘い物に違いない。

勿論嵐志はヒナタちゃんの為に買ってきたわけで、ヒナタちゃんも甘い物大好きだから喜んで飛び付く筈、だった。


「…あり?姫さーん、どーした?」


中々反応を返さないヒナタちゃんに近寄って嵐志が顔を覗き見る。僕も不審に思い様子を窺うと、彼女はどこかボーッとした表情を浮かべていた。


〈…ヒナタちゃん?〉

『…あれ、雷士…?』

「姫さんオレ!オレもいる!」

『あ…嵐志ゴメン、おかえり』


声をかけてやっと存在に気付いたらしい…珍しいね、ヒナタちゃんがここまでボーッとしてるなんて。


「なぁなぁ姫さん、コレ買ってきたんだ!姫さんここのチョコ好きなんだろ?」


やっぱり中身は甘い物だったね。おまけに確かにそれはヒナタちゃんの大好物だ。きっと考え事なんか綺麗サッパリ忘れてチョコまっしぐらになるだろう。


『…っあ、ありがとね嵐志。でも今はお腹いっぱいだから…後で貰うよ』

「…へ?」


そう言ってゆっくり立ち上がった彼女は、どことなく覚束ない足取りでリビングを出て行こうとした。

明らかにおかしい、だってあのヒナタちゃんがいくらお腹いっぱいとは言えその場で大好物のチョコを食べないなんて有り得ない。

きっとその後の僕達の考えは一致していただろう。すぐさま代表して歩き出そうとしていた彼女の腕を掴んだのは、ヒナタちゃんの変化には人一倍敏感な蒼刃だった。


「お待ち下さいヒナタ様!少々失礼致します」

『ふぇ?』


すかさず彼女の額と自分の額を合わせた蒼刃。…ちょっと何あれ天然でやっているのだろうけどムカつく。

まぁそれは置いておいて、蒼刃のあの険しい顔を見る限りやっぱりヒナタちゃんは…


「…熱がある」


うん、だろうね。


『熱…?あはー、だからクラクラしたのかぁ』

〈クラクラじゃないよ何でもっと早く言わないのバカだねとりあえず冷えピタでも貼って大人しく寝てなよ〉

『の、ノンブレスでも無表情で冷たい…!』


ひとまず蒼刃にヒナタちゃんを寝室へ強制連行させた。はぁ…でも、あの子の異変に気付けなかった僕自身もムカつく。


「やれやれ…昨日の積雪に釣られて長時間雪遊びなんかしているから風邪を引いたのでしょう。全く世話の焼ける子です」

「ま、マスター大丈夫かな…ボク達で看病してあげないと、ね?」

「ちっ…面倒くせぇ」

「こーちゃんも心配してる癖に、いでっ!?な、殴んなよ!」

「くぅ…っヒナタ様の体調不良を見抜き切れなかったとは不覚…!普段より入浴のお時間が10分長かった事や頬の赤みが微妙に濃かった事をもっと不審に思うべきだった!」

〈ヤンデレとストーカーも程々にしないと通報するよ〉


蒼刃の場合無自覚だから余計質が悪いのだけど、そのことの対処はまた今度にしよう。今何よりも優先すべきはヒナタちゃんだ。

いつも看病していたハルマや斉はここにいない。疾風の言う通り僕達で何とかしなきゃね。


〈じゃあまずは…熱を計らせようか。あんまりにも高かったら病院に連れて行かなきゃいけないし〉

「そうですね、大した熱でなければ消化にいい物を用意して食べさせましょう。あとは薬を飲んで寝れば熱も下がるでしょうしね」


氷雨の言葉に僕達は小さく頷いた。こうしてヒナタちゃんを看病する1日が始まったのだ。







〜蒼刃の場合〜


「ヒナタ様、失礼致します」


彼女がお眠りになっている部屋のドアを軽くノックし声をかけると、微かだが返事が聞こえた。お言葉に甘え部屋に入り、ベッドを覗くと赤い顔をして辛そうなヒナタ様が。

う…っな、何と痛々しいお姿…!今すぐ俺が代わって差し上げたいです…っ


『…そー、は?どうしたの…?』

「!お、お休みの所申し訳ありません!ヒナタ様に熱を計って頂きたく…、」

『あ…そっか。うん、分かった』


ゆっくりと体を起こし俺の手から体温計を受け取ったヒナタ様。通常の脇に挟むタイプなので、襟元を開けて計る際彼女の白い肌が見えてしまい慌てて目を逸らした。いいか、今のは断じて故意的ではない!


『…ゴメン、ね。あたし皆に迷惑かけてる…』

「…!な、何を仰いますかヒナタ様!迷惑だなんてとんでもありません!むしろ貴女を風邪からお守り出来なかった俺自身が情けなく、申し訳ない思いで…!」

『っぷ、あははっ!風邪から守るって…それ凄すぎだよ蒼刃ー』

「そ、そうでしょうか…?」


クスクスと楽しそうに笑うヒナタ様に内心ホッとする。まだ気は抜けないが…このご様子であれば吐き気などはなさそうだ。

彼女の笑顔に癒されていたら体温計の電子音が鳴った。ヒナタ様から受け取り表示された数値を見ると37度8分…低くもないが極端に高くもないな。やはり無理に病院へ連れ出すよりもゆっくりお休み頂くべきだろう。


「ヒナタ様、すぐにお体にいい物をご用意します。貴女は何も心配なさらず養生して下さい」

『…うん、ありがとう蒼刃』


再び彼女をベッドへ寝かせ、一礼して立ち上がった時。ヒナタ様が小さく俺の名を呼んだ。


『蒼刃、また…来てくれる?』


と、頬を紅潮させ潤んだ瞳で仰った彼女を見て目眩がしたのは言うまでもない。とにかくヒナタ様から離れなければと大声で勿論ですと叫んで部屋を出た。

な、何て危険なんだお風邪を召されたヒナタ様は…!普段からこの世に舞い降りた天使の如く美しく可憐であると言うのに、体調を崩されている時は色香を漂わせ艶めかしくなられるとは!

危うく俺の中の何かが暴れ出す所だった…抑えられたのは常日頃から心身共に鍛えておいたからだろうな。やはり修行は怠るべきではない、疾風にもそう教えてやらなければ。

体温計を持って皆が待つリビングへ戻ると、赤い顔をした俺を見て雷士が一言こう言った。


〈…蒼刃のムッツリ〉


…雷士はヒナタ様のことになるとやたら勘がいい。とりあえず俺はこの高ぶりを鎮める為、氷雨に頼んで水を出してもらい滝に打たれようと決心した。






〜紅矢の場合〜


ったく…何で俺があのバカ女の為に毛布なんざ運んでやらなきゃならねぇんだ。

大体アイツの自業自得だろうが。炎タイプの俺からしたら何てことねぇが、ひ弱な人間の女が大した防寒もしねぇでいつまでも雪遊びしてるのが悪ぃんだろ。

…そういやあの時ヒナタが作った雪だるまを邪魔だって燃やしたら怒ってピーピー喚いてたな。まぁその後耳に噛み付いて黙らせてやったが。


(…何にせよ、この俺を使いっパシリにしやがったんだ。完治したら礼はたっぷり頂くぜ)


何をしてもらおうかと考えながら歩いていたらアイツが寝ている部屋に辿り着いた。蒼刃がちゃんとノックしろだなんだと言っていたがそんなモンどうでもいい。

うるせぇ忠犬の言葉を無視して部屋に入ると、突然ドアが開いた音に驚いたのかヒナタが小さく声を漏らした。


『っ!?こ、紅矢…?』

「あ?何だテメェ寝てねぇのか」

『う、うん…中々寝付けなくて…けほっ!』


ゴホゴホと渇いた咳をするヒナタの顔はさっきよりも赤い。微かに震えてもいやがるから寒ぃんだろうな。はっ、本当に人間ってのは軟弱だ。


「おら、毛布だ。もう1枚被りゃ少しは寒さもマシになんだろ」

『え…も、持ってきてくれたの?』

「不本意だがな、テメェが治らねぇと俺らはここに縛られっぱなしになるんだよ。どっかのアホのせいで余計な労力使わせられてこの落とし前はしっかりつけねぇとなぁ…?」

『っや、ゴメンってゴメンなさい!』


いつものように頭を鷲掴みにしようとした手が赤い顔で涙ぐむヒナタを見てピタリと止まる。

…ちっ、この顔も悪かねぇが…弱ってるコイツを虐めてもつまらねぇ。俺に言い返して墓穴を掘るコイツを見るのが楽しいってのによ。

何となく調子が狂ってしまった俺はヒナタの掛け布団を剥ぎ、手に持っていた毛布をバサリとかけた。その上から掛け布団を戻すとさっきよりも暖かくなったのかヒナタが息を吐く。


『…あは、ありがとうね紅矢』

「…ふん、大人しいテメェが気に入らねぇだけだ」


何となく、どんくらい熱いのかとコイツのリンゴみてぇな頬に触れた。…相変わらずマシュマロみてーな感触だな、またかじってやろうか。


『…紅矢の手、暖かくて気持ち良い…』

「あ?」


熱がある時ってのは普通冷たくて気持ち良いって言うモンじゃねぇのか、そう思ったが。俺の手にすり寄ってきたヒナタを見て一瞬喉が鳴った。

思わず食らいつきそうになる牙を抑え冷静を保つ。つーかコイツ…暖を求めるってことはまだ寒いんじゃねぇか。

俺が舌打ちをするとヒナタがビクリと反応する。大方俺がキレたとでも思ったんだろうな。そんなことを頭の片隅で考えながら、今度はヒナタの布団を毛布ごと剥いだ。


『え、な、何…何で入ってくるの?』

「添い寝」

『へ…わっ!?』

「うるせぇ、大人しくしろ」


ベッドに乗り上がり横に寝そべった俺を見てヒナタが目を白黒させてやがる。混乱しているコイツに構うことなく俺はその小せぇ体を抱き締めた。


『こ、こ、紅矢…!?』

「寒いんだろ、仕方ねぇから俺の体温分けてやる」

『あ、有り得ない…!紅矢様が優しすぎる…!』

「テメェこのまま抱き潰してやろうか」

『ひぇ!?ご、ゴメンなさい』


ギリリと力を込め抱き締めると本気で潰されると思ったのか情けねぇ悲鳴を上げやがった。嘘に決まってんだろアホか、それよりテメェは抱き締められた時にさり気なく尻を触られたことに気付け。


『…っ暖かい…』

「炎タイプなんだ、当たり前だろ」

『…ありがと、紅矢。風邪…移っちゃったらゴメンね…?』

「あ?俺はそんな軟弱じゃ、」


ねぇ、そう言い終わる前にヒナタが俺の胸に頭を寄せた。微かに寝息が聞こえてくるから寝ちまったんだろう。


「…テメェ、病人でよかったな」


じゃなけりゃ今頃俺に食われてる所だ。






〜疾風の場合〜


火をかけた小さな鍋がグツグツと音を立てている。うん、ボクなりには成功…かな。マスターの為に作った、野菜たっぷりの卵粥。

火を止めて器に移し、マスターに食べてもらう準備をする。するとガチャリとドアが開き紅矢が戻ってきた。


「お、おかえりこーちゃん!何か長かったけどどーした?」

「あ?少しヒナタと寝てただけだ」

「な、何だと!?見損なったぞ紅矢…!碌で無しだとは思っていたが病人のヒナタ様に手を出すとは許さん!!表に出ろ!俺が成敗してやる!!」

「はっ、何を想像してんだ蒼刃。そういう意味の寝たじゃねぇよ。そんな単語で邪推するたぁ俺よりよっぽどテメェの方がヒナタにとって危険じゃねぇのか?」

「紅矢…!!」

「ま、待って蒼刃!落ち着いて、ね?マスターなら大丈夫だよ」

「く…っ」


…よ、よかった、蒼刃今にも殴りかかりそうだった…。ま、マスターがここにいたら絶対心配してるよね。


「ね、ねぇ氷雨、どうして紅矢と蒼刃は仲良くしないのかな?本当はお互い心の中で認め合ってるのに…」

「あぁ…あの2人はあれくらいの距離感で丁度いいんですよ。ヒナタ君もそれを分かっているから無理に仲良くさせようとはしないでしょう?」

「あ…た、確かに」

「ね?心配せずとも問題ありません。そんなことよりも、疾風はヒナタ君の為にそのお粥を持って行ってあげなさい」

「う、うん!」


そうだ、今ボクのやるべきことはマスターにお粥を運んであげることだった。氷雨の言葉にハッとし、慌ててお粥を乗せたお盆を持って部屋を出る。

それにしても…やっぱり氷雨は凄いなぁ。何もかも、見透かしているって感じがする。嵐志もそういうの得意だけど、何だろう…氷雨は一歩引いて冷静にボク達を見ているんだよね。


(蒼刃のことも氷雨のことも…もっと見習わなきゃ)


ボクが蒼刃みたいに強く勇敢で、氷雨みたいに冷静で頭が良かったら…きっと、もっとマスターを守れるから。


「ま、マスター、入るね?」


もしかしたら寝ているかもしれないと思って遠慮がちにノックをした。…や、やっぱり返事がない…でも仕方ないか。

ソッと部屋に入ってマスターの顔を覗くと、気配に気付いたのかゆっくりと目を開けた。最初よりも顔の赤みは薄れたような気がするけれど…でもまだ辛そうだし、熱自体は引いてないんだろうな…。


『…はや、て…?』

「ご、ゴメンねマスター、起こしちゃったね」

『う、ううん…大丈夫。丁度目が覚めただけだよ』

「そっか…体はどう?」

『んー…少しマシになったかな…。でもボーッとしてるかも』

「…ちょっと、ゴメンね?」


もぞもぞと起き上がったマスターの髪を掻き分け、現れたおでこにボクの手を当てる。…うーん、やっぱりまだ熱い…後で薬も飲んで貰わないとね。


『…あれ、それ…お粥?』

「!う、うん!マスターお腹空いてるかもと思って、卵粥!」


マスターにホカホカと湯気を立てる卵粥を見せると途端に目を輝かせた。…あはは、この様子だと図星、かな?


『すごーい美味しそう…!え、疾風が作ったの?』

「うん!本を見ながらだから、作り方は間違っていないと思うけど…。あ、それとね、材料は蒼刃と買いに行ったよ」

『ありがとう我が家の良心コンビ…!』

「あ、あはは…大袈裟だよマスター」

『そんなことないよー!それじゃ有り難く、頂きます』


よかった、マスター喜んでくれたみたい。早速器を手に取っ…あ!


「ま、マスター!熱いから気を付け、」

『熱っ!!』

「…遅かった、ね」


う…どうしよう、マスターに火傷させたって蒼刃にバレたら怒られる…。と、とにかくこれ以上被害を広げないようにしないと。

マスターが慌てて手を離した器を取り、掬ったお粥に息をかけて軽く冷ます。そしてスプーンに乗ったソレをマスターの口元に差し出した。


『…え?』

「はいマスター、口開けて?」

『へ、い、いやいやいや!!疾風にそんなことさせるなんて申し訳ないって言うか正直恥ずかしいからゴメ、げほっ!』

「ほ、ほらマスターあんまり大きな声で喋っちゃダメだよ、喉痛めてるんだから…。それに熱くて器持てないでしょ?ボクならこれくらいの平気だし、遠慮しないで」

『う、うぅ…疾風くんがいつの間にか天然タラシに成長した…そんな所まで蒼刃に似なくていいのに…』

(天然タラシ…?)


それって何だろう?今度氷雨に聞いてみようかな。

マスターはちょっと渋っていたみたいだけれど、観念したのかもう一度ボクに向き直ってパクリとお粥を食べた。


『…んーっ!美味しい…!これなら食べやすいし体も温まるよー。さすが疾風ってば天才!ベストオブ器用!』

「そ、それは言い過ぎだと思うけど…。でもボクね、マスターが早く元気になりますようにってお願いしながら作ったから、だから少しは効き目があるといいなぁ」


そう言っていつもボクにしてくれるようにマスターの頭を撫でたら、何故かマスターの顔が更に真っ赤になった。

何か悪いことをしてしまったのかと焦ったけれど、マスターは違うって否定して一生懸命お粥食べているし…大丈夫、なのかな?

その後マスターが自分で食べられるくらいお粥が冷めるのを待って部屋を出た。…あ、薬も後で持ってこないとね。

皆が待つリビングへ向かいながら、マスターにお粥を食べさせた光景を思い出す。最初は目を泳がせながらワタワタしていたけれど、すぐに美味しそうに食べてくれて嬉しかった。

…それに、


(恥ずかしがるマスター…可愛かったなぁ)






〜嵐志の場合〜



「そろそろヒナタ様がお食事を終えられる頃合だな…よし、次は薬をお持ちするか」

「あ、はいはいオレ!次オレが行く!いーだろそーくん!?」

「…仕方ないな。ただし、くれぐれもヒナタ様に不埒な真似はするな!」

〈ていうかヒナタちゃんの食べるスピードまで把握してる蒼刃が本気で気持ち悪いんだけど〉


ホントらいとんって可愛い顔してサラッと毒吐くよなー、まぁ確かにそーくんはちょっとやり過ぎだと思うし指摘はしねーけど。

さて、そんじゃ次はオレの番!待ってろよ姫さん!

オレはそーくんから薬と水を受け取り姫さんが待つ部屋へと向かった。




「ひーめさん!生きてるかー?」

『…あは、嵐志を見るだけで元気になりそうだよ…』


あれ、それって褒めてんのか?まーいーや!

オレが勢いよく部屋に入ると姫さんはまさに今お粥を食べ終わったらしい所だった。うわ、さすが姫さんのストーk…保護者のそーくん!ちょっと引くけどちょっと尊敬するぜ!


「どーだ姫さん、てっちゃんのお粥美味かったか?」

『うん、すっごく!もー疾風って本当に良い子だよね…!疾風のお嫁さんになれる子は幸せだよー』

(今のてっちゃんが聞いたらある意味落ち込むな…)


敵に塩を贈るマネはしたくねーけど、可哀相だし黙っとくか。ってんなことより薬!


「ほら姫さん!腹いっぱいになった所で薬!」

『う…!う、うん…仕方ないよね…』


…お、この感じは姫さん薬苦手だな?ぶはっ、何かガキっぽくてかわいーな!

渋々ながらもオレの手から薬を受け取って、意を決したように口に放り込んだ姫さん。錠剤だから呑みやすいとは思うんだけどなー。ま、確かにソレ苦めのヤツだけど。

早く流し込みたい一心で勢いよく水を飲んだ為、口の端からラインに沿うように垂れちまってる。オレがその雫を指で拭ってやると、姫さんはありがとうと言って笑った。


(ホントは舐め取ってやりてーし薬だって口移しで飲ませてー所だけど…んなことしたってバレたらそーくんとらいとんに殺されちまうしな)


それに口移しが原因でオレまで風邪引いちまったら姫さんがすげー心配するだろーし。いやまぁ姫さんの風邪がそれで治るならオレは大歓迎だしつーかただ姫さんとキスしてーだけなんだけど!


『…嵐志?どうかした?』

「!いや、何でもねーよ。それより姫さんは寝た寝た!メシも食って薬も飲んだら後は寝りゃ治る!」

『わ…っ』


不思議そうな顔をしてる姫さんを丸め込んで、ゆっくりとベッドへ寝かす。あークソ、ホント最高のシチュエーションなのに手ぇ出せねーとか生殺しだろ!


『…ねぇ嵐志、嵐志は風邪引いたことある?』

「あ、あのなー姫さん、オレだってそんくらいあるっての…まぁほんの1、2回ではあるけどな。そーいやNはガキの頃よく風邪引いて寝込んでたぜ!」

『あー…確かにNさんちょっと儚げだし丈夫そうには見えないかも…』


クスリ、赤い顔で微笑む姫さんにオレの口元も弛む。…あぁ、昔はよく風邪引いてたNの看病もしたっけな。んで確かオレの技使って…あ!


「なー姫さん!ちょっと見てろよ!」

『へ…?』


擬人化を解き原型に戻るオレを見て目を丸くする。オレはそんな姫さんにニッと笑って大きく両手を広げた。


『…え…!?』


オレの瞳が光った瞬間ベッドを囲む室内の景色がみるみる変わっていき、一瞬の内にそこは色とりどりの花が咲く花畑へと変貌した。


〈へへっ、どーだ姫さん!ちなみにモデルは昔オレが住んでた森の中にあった花畑な!〉

『す、すごい…!ゾロアークのイリュージョンすごい!』


キョロキョロと辺りを見渡してハシャぐ姫さんに内心ホッとする。良かった、風邪はだいぶ平気そーだな。それにあーんな喜んでくれて…ははっ、ホント可愛すぎ!


「Nもさ、昔こーやって幻を見せてやったら喜んでたんだ。花に囲まれてるから寂しくないってな」

『そっかー…うん、そうだね。何か暖かくて癒されるよ!』


にしても姫さんが花好きで良かった、こんなに嬉しそうな顔してくれたらやった甲斐があるってモンだよな!

人型に戻ったオレは足元の花を数本摘み、小さな花束を作って姫さんに差し出した。


「オレ、てっちゃん程器用じゃねーからな。これくらいしか出来ねーけど…早く元気になってくれよ、姫さん」

『…っう、ううん、そんなことない!こんなこと嵐志にしか出来ないもん。ありがとうね、すごく嬉しい!』


そう言って花束を抱えながらニッコリ笑った姫さんが愛し過ぎて、思わず強く抱き締めちまった。

風邪移るよと彼女は言ってたがそんなことはさして気にならない。せめて…姫さんが眠るまでは、この景色を維持しなきゃならねーよな。

オレの合図1つで消えてしまう儚い花畑でも、姫さんの笑顔のお陰でとても尊いモノに思えた。






〜氷雨の場合〜


「…嵐志、何いつも以上のアホ面を晒してるんですか見苦しいですよ」

「だーってよさめっち!姫さんが可愛すぎて…!あーもー手ぇ出さなかったオレの鋼の理性を褒めてくれ!」

「当たり前だ馬鹿者!ヒナタ様に手を出していたら命は無かったと思え!」

〈やれやれ…〉


ヒナタ君の部屋から戻ってきた嵐志が妙に惚けた顔をしているから何かと思えば…全く予想通りです。

さて、薬も飲ませたことですし…今は眠っているようですから今の内に冷えピタを替えてあげましょうか。


「蒼刃、そろそろ冷えピタも温くなってしまった頃でしょう。僕が新しい物を持って行きます」

「そうだな…頼む。ただし!くれぐれもヒナタ様に不埒な真似は、」

「はいはい分かっていますよ、僕だって弱ったあの子に手を出す程外道ではありません。第一僕は元気いっぱいで強がっているヒナタ君をあの手この手で墓穴を掘らせて弄るのが好きなんです」

「氷雨ぇええええ!!」

「お、落ち着いて、蒼刃!」


ギャーギャーと煩い蒼刃を軽くあしらい、冷蔵庫から新しい冷えピタを取り出した。

本当は僕の氷で氷嚢を作ってあげてもいいんですがね…ただ極端な高熱でもないので今回は見送りました。僕の氷は余程の熱でない限り冷た過ぎますからね。

さて…部屋に着きましたがヒナタ君は眠ってしまったと嵐志も言っていたのでノックは必要ないでしょう。

けれど出来るだけ音を立てないよう、ゆっくりとドアを開けた。するとヒナタ君は案の定寝息を立てて眠っている。


(まだ微熱は残っているかもしれませんが…まぁ今晩よく眠れば問題はないでしょう)


あどけない顔をして眠るヒナタ君の額からソッと冷えピタを剥がし取り替える。普通僕ならこんなことされたら起きますがね…全く無防備な子です。

それにしても嵐志も紅矢もよく我慢したと思います。それだけこの子が大切、ということでしょうね。


(それはまぁ…僕も同じですけど)


柔らかそうな頬に手を伸ばそうとした瞬間、それまで緩やかな寝息を立てていた彼女の表情が少しだけ険しくなっていることに気付いた。

それに何か譫言のように呟いている…一体何を、そう思い僕の顔を近付けた時。彼女の固く閉じられた瞼から一筋涙が零れ落ち、小さな口の動きでこう言った。


『…っおと、さ…おか…さん…、』

「…!」


今のは…お父さん、お母さんで間違いないでしょうか。

そうか、この子は確か僕と初めて出会った時…両親を幼い頃に亡くしていると言っていた。恐らく発熱の作用で悪夢…と言っては失礼ですが、良し悪しは別に両親の夢を見ているのでしょうね。

僕と対峙した時は気丈に振る舞っていましたが…やはり心の奥底には両親の面影が根強く残っているのでしょう。


(…そうだ、この子も同じように辛い思いをした。その上で、僕にこれ以上自分自身を苦しめるようなことをしないでほしいと言ったんだ)


僕を強く抱き締めてくれた時のヒナタ君を思い出す。あんな細腕なのに…僕は酷く安心して、泣きたくなった。誰かに許されたい、初めてそう思ったのだ。

僕はヒナタ君の頬に残る涙の痕を辿り、そのまま彼女の太陽に光る髪を撫でた。

この子は僕と自分が似ていると言っていましたが、果たしてどこまでそうなのでしょうね。君と違って僕は…ごく限られた者の幸せしか願えないというのに。


「…僕はもう、寂しくないですよ。君のお陰で毎日騒がしいくらいです。だから…君も無理をせず、僕に心の内を話して下さい」


ですがとりあえずは、早くその風邪を治しなさい。今のように儚げな君も可愛いですが…やはり、僕はいつものよく笑う君の方が好きですよ。

寂しければ傍にいます。怖ければ抱き締めます。愛が欲しければ、望むままにいくらでも差し上げます。


「君のことは、僕が命に替えても守ります」


…この子が眠っていてくれてよかった。さすがに少々気恥ずかしい告白でしたね。


(どうか今は、少しでも良い夢を)


髪に手を添えたまま頬にキスをすると、心なしかヒナタ君の表情が穏やかになった気がした。






〜雷士の場合〜


〈氷雨、ヒナタちゃんどうだった?〉

「よく眠っていますよ、熱もほとんど下がったようですしね」

「ま、オレらの看病の賜物だな!なーてっちゃん、腹減ったしオレらにも何か作ってくれよー!」

「い、いいけど…でも、人数多いしちょっと時間かかるよ?」

「構わない、俺も出来ることは手伝う。ヒナタ様を置いて外食する訳にはいかないからな」

「なら俺は先に風呂入るぜ。出るまでに作っとけ」

(俺様…烏の行水の癖にね)


とは面倒くさいから声に出しては言わないけれど。それにしても…風呂、か。ヒナタちゃん汗かいて気持ち悪がってるかもしれないし…濡れタオルでも持っていってあげようかな。

僕は料理組を見送った後人の姿をとり、電子レンジで蒸しタオルを作ってヒナタちゃんの元へと向かった。


(まだ寝てるかな…可哀相だけど寝苦しそうだったら一度起こしてあげないと)


一応ノックをしたら意外にも返事が返って来て驚いた。何だ、ヒナタちゃん起きてたのか。

じゃあ遠慮なく、そう思いドアを開けて…………とりあえず、ヒナタちゃんに向かって蒸しタオルを投げつけた。


『ちょ、ちょっと雷士くん!?何事何事!?』

「…何事はこっちのセリフだよ。何その格好、何でそんなことになってるの」

『へ?あ、あー…だって暑くなっちゃったんだもん…』


バツの悪そうな顔をしたこの子にわざとらしく溜め息を吐く。本当に…何で仮にも病人がタンクトップ姿でいる訳?


「何かもうアホだよね、心配した僕が損したよアホっ子ヒナタちゃん。とりあえず君はもう一回くらい熱出してうなされるべきだと思うね」

『アホ2回の上に何か超辛辣なこと言われた…!だ、大丈夫だよもう!頭ボーッとしないし怠くもない!』

「病み上がりで騒ぐつもりならアイアンテールで強制的に眠らせるけどどうする?」

『永遠に目覚められない気がするので黙ります』


そう言って大人しくベッドに座ったヒナタちゃん。やれやれ…でもまぁ熱が下がったのは本当みたいだし、具合も良さそうだね。


「…ヒナタちゃん、暑いってことは…汗かいてたりする?」

『うん、実は…寝汗なのかな?ベタベタして気持ち悪いんだー』

「じゃあそれ使いなよ。元々そう言うかもと思って持ってきたヤツだし」

『それをあたしの顔面にブン投げた訳だね鬼畜ピカチュウくん』


引きつった笑みを浮かべつつ、手に握り締めていた蒸しタオルで顔や腕を拭き始める。…うわ、ちょっとまだ僕がいるのに際どい所拭かないでよ。お腹丸見えなんだけど分かってるの。


「…ヒナタちゃん、僕出ていくからそれからゆっくり…、」

『あ、待って雷士!』

「?」

『お願い、背中拭いて!』

「…!?」





…断れなかった。いや、まぁ…そんなに困る訳でもないし嫌でもないから別にいいんだけど。でも…、


『んー…そういえば昔も風邪引いた時に澪姐さんがこうやってくれたなぁ。やっぱタオルの肌触りって気持ち良いねー』

「そう、だね…」


彼女の肌を傷付けないように出来るだけ優しく、タオルで背中を拭いていく。確かに自分で出来ない部位であるのは認めるし、服が邪魔になるから肩まで捲ってしまうのもこの際仕方がないけれど。

…それでも、


(ブラのホックまで外す必要は、無いんじゃないの…)


彼女の言い分としては『だってあったら動きが遮られて邪魔でしょ?』とのこと。何なのこの子、無自覚だから余計ムカつくんだけど。

そりゃさすがに完全に取り外してはいないから見えないけど、見えないけどさ。好きな女の子にここまで意識してもらえないのって屈辱過ぎる。


(…紅矢や氷雨だったら、絶対こんなことさせないだろうね)


勿論してもらっちゃ困るし、むしろ僕だからこそこういうのも許せる…とか思ってるのかもしれないけれど。でもそれって男として見られていないような気がして悔しい。

段々悶々としてきて、一度思い知らせてやろうかと危険な思考が出てきた時。ヒナタちゃんがポツリと話し始めた。


『ねぇ雷士、雷士も心配してくれた?』

「は?当たり前でしょ…それに僕だけじゃないよ。あの紅矢でさえ顔には出さないけど心配してた」

『あは、そっか。不謹慎だけど嬉しいな…紅矢様が心配してくれるとか槍でも降ったりして!』

「それ紅矢に言ったら殴られるよ」

『うん知ってる!』


…元気、みたいだね。やれやれ…人騒がせな子なんだから。


「…君が調子悪いと、皆ダメだね。特に蒼刃なんか目も当てられないよ。だから早く良くなってくれてホッとした」

『え、どうしたの雷士!?何かいつもより優しい…!』

「うるさい」

『うひゃあっ!?』


まるで僕がいつも冷たいみたいな言い方をしたからちょっとだけムッとして、無防備に晒されている腰を思い切りわし掴んでやった。

すると大袈裟に跳ねて上擦った声を出すもんだから…ちょっと、変な気分になってしまって。もっとその高い声を聞こうと至る所を擽ってみた。


『っあ、あはははっ!や、ちょ、だ、ダメ!ダメだってば…!』

「…襲われたいの君」


本人はただ擽ったがっているだけだけど…僕から見たら本当に目の毒。蒼刃なら鼻血吹いてるだろうし、嵐志や紅矢なら間違いなくヤられている所だよ。


『はっ…もー笑い疲れた…!ぶり返したらどうしてくれるの雷士…』

「ヒナタちゃんはやっぱりアホだねって笑うだけだよ」

『ひどっ!期待はしてなかったけど!』


肩を落としてむくれてしまったヒナタちゃんを見て口元が少しだけ緩む。そして目線は白い項へと移り、僕は自分でも分かるくらい意地の悪い顔をした。


(…僕なら大丈夫、なんて。思わせてなんかやらないよ)


そっと彼女の項に口付け、キツく吸い上げた。途端ビクリと揺れた体に内心してやったりと口角を吊り上げる。


『っ!?ら、雷士?』

「ん?」

『な、何か一瞬チクッとした気がしたんだけど…何?』

「さぁ?気のせいでしょ」

『そ、そう…なの?まぁいいけど…』


首を傾げつつもモソモソとトレーナーを着始めたヒナタちゃん。その瞬間目に入った項の赤いキスマークに僕の心は酷く満たされた。


(さて…アレに最初に気付くのは誰かな。鼻の利く紅矢だったら無言の睨み合いをすることになるだろうね)


面倒くさいのは嫌いだけど、ヒナタちゃんに関することは望む所だよ。

けれど今はとりあえず、彼女の体調が回復したことを皆に伝えるとしようか。





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「ご無事で何よりですヒナタ様…!もうあのような苦しみを貴女に決して味わわせないと俺は誓います!!」

『いやいやいやただの風邪だから!だからそんな気に病まないで蒼刃くんお願い!そして近い近い!!』

「ま、マスター元気そうで良かったね!」

「ですが馬鹿は風邪引かないというのは嘘だったんですね…1つ学びました」

『サラリと毒吐かないでドSラプラス!』

「おや、看病して差し上げた者に向かってその物言いですか。れいとうビームを浴びてもう一度頭を冷やして来たら如何ですヒナタ君?」

『ゴメンなさい氷雨様ありがとうございます!!』

「姫さんの土下座も絶好調だな!いやー安心したぜ!」

「バカかコイツ」

「本当にね」


あれ、あたし一応病み上がりなんだけどな…早速何この扱い。

…でも、ちゃんと覚えているよ。皆があたしにたくさんの物をくれたこと。暖かくて、優しくて…改めて皆が傍にいてくれる有り難みを知った。

もし皆が体調崩したら、あたしがしてもらった以上に精一杯看病するからね!本当にありがとう、皆大好き!


ふと外を見たら辺り一面白銀の雪が積もっていて、快気祝いに一発ダイブを決め込もうと外に出ようとしたら雷士に「学習しなよ」と言って叩かれた。

…あれ、何度も言うけど何この扱い。



end


  
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