それは、王さまの何気ない一言から始まった。


「ヒウンアイスか…」


小鳥以下、その場にいた全員の肩がピクリと震える。蘇芳の、そのたった一言には、全ての意味が込められていた。

誰でもいいから買ってこい。今すぐに――。


「あ、あのね。アイスって、あんまりたくさん食べるとお腹痛くなったり――」

「なら俺の腹が痛くならない量を見極めて買ってこい。小鳥、お前と……そこの、図体ばかりの木偶の坊、貴様が行け」


ついには名指しで。余計なことを言ってしまった小鳥と、体が大きいばかりに目についた王牙が、晴れてこの名誉な大役を押し付けられることになったのである。
勿論、王牙はこれ以上ない不満顔を見せたし、魁斗は「小鳥様の代わりにわたしが」と言い出した。けれど蘇芳は一度決めたことは頑として譲らない。そういう男だ。

斯くして、小鳥と王牙、この凹凸の激しいふたり組はまだ見ぬヒウンアイスを求めて、見も知らぬ土地へと降り立ったのである。




********


蘇芳から預かった観光ガイド雑誌を食い入るように見つめ、小鳥はうんうんと、首を傾げて眉間に皺を寄せながら、唸っていた。どれぐらいの時間かそうしていると、隣の王牙が、大あくびと伸びと、シャツの胸あたりをぼりぼり引っかくのと、一度にみっつの動作をしながら地面に座り込んだ。


「王牙も、少しは手伝ってよ」

「あん?」

「蘇芳ってそんなに気の長い方じゃないのよ?二、三日中に戻らないと大目玉を食うんだから」

「んな事言ってもなぁ。大体その雑誌にゃあ、"ヒウンシティのモードストリートで大人気!ヒウンアイス!"、としか書いてないじゃろ。土地勘も何もないワシらに、それでどうしろっちゅうんじゃ」

「まあ、そうなんだけど…」


ため息と共に雑誌を閉じた小鳥は、それを鞄にしまい込むと、王牙と同じように地面に腰を降ろした。

夕方の往来は、行き交う人々でごった返している。顔に疲労の色を浮かべ、土産袋を下げた仕事帰りの男が早足で過ぎてゆき、買い出しの帰りにも関わらず、主婦連中は井戸端会議に余念がない。こなたでは、泥だらけの子どもが友人たちに別れをつげ、駆け足で家路を急ぎ、あちらでは、初めてこの街を訪れたらしい旅のポケモントレーナーが、地図を片手にキョロキョロと歩いている。賑やかに過ぎ行くそれらをぼうっと見おくる、全くと言っていいほど景色に溶け合わないふたりは多分に人目を引いたが、わざわざ足を止めて声をかける者もなく、人の流れは川のそれと同じ、一定で滞ることはない。
見知らぬ土地、見知らぬ街で、ふたりはただ途方にくれていた。


「埒が明かんのぉ、こりゃ。誰かに聞いた方が早いわ」

「うん、そうよね。じゃあポケモンセンターを探してジョーイさんにでも…」

「別にわざわざ、んなことしなくてもなぁ――」


そう言いながら、王牙はおもむろに立ち上がった。そして、


「おーい。そこの、赤毛の兄ちゃんよー!」


取り敢えず目についた人物を、そう馴れ馴れしく呼び止めたのである。


「あぁ?」


振り返ったのは、前の部分だけが黄白色の、真っ赤な髪をした青年だった。しかしその顔を見た途端、小鳥はギクリとたじろいだ。恐ろしく凶悪な目付きでこちらを睨み付ける、人相の悪さは王牙と同等か。否、なまじ整った面をしている分、王牙とはまた違った恐ろしさが感じられる。よほど虫の居所が悪かったのか、彼は突然声をかけてきた見知らぬ男――王牙に、い抜くような視線をおくり、それはもう、それだけで殺人でも起こしかねない迫力だ。
小鳥は無言で、王牙のシャツの裾を引いた。しかし、この程度では一歩も退かないのが王牙である。


「呼び止めて悪いのぉ。実はちょーっと聞きたい事が――」


と、そこまで言った王牙の視線が、彼の隣に向けられた。


「はい?」


小さな頭がちょこんと傾き、少女のオレンジ色の髪が揺れる。
先ほどまで赤毛の青年の影で見えなかったが、どうやら連れが居たらしい。琥珀色の大きな瞳を無邪気に瞬かせる、健康的で愛らしい容姿のその少女は、自分よりもずいぶんと背の高い王牙を見上げ、にっこりと笑顔を見せた。
ああ、これはまずい。
小鳥はそう瞬時に察し、王牙の腕を引こうとしたが、惜しくも一歩遅かった。


「まずは名前とスリーサイズからっっ!!!」


目にも止まらぬ俊敏さで、王牙はサッと少女の手を取っていた。
目を丸くして呆気にとられる少女。
まるで、「私は変質者です」と自己紹介しているかのような形相は、彼女をドン引きさせるには十分すぎるほどだ。
が、次の瞬間、


「テメェ!!この糞オヤジがぁ!馴れ馴れしくヒナタに触るんじゃねぇぇ!!!」


ドスッ――、と低くて重い音を響かせ、王牙の鳩尾に拳がめり込んだ。
巨体がくの字に曲がり、はらりと手が離れた瞬間、少女と王牙の間に体を割り込ませる。赤毛の青年の顔つきは先ほどより更に鋭く、凶悪さが増している。


「あ、あのっ、すみませ――」
「っにすんじゃあぁ!この糞ガキぃぃっ!!!」


割って入ろうとする小鳥を押し退け、恐ろしく目をつり上げて青筋を浮かべた王牙が、凶悪に青年を睨み付けた。しかし彼も負けず劣らず。何の因果か、ふたりの男は額を突き合わせ、互いに睨みあう格好となったのである。


「ちょっ、紅矢!」
「王牙、やめて!」


少女ふたりの声が重なる。
しかし、一足触発の男たちはお互いから目を逸らさなかった。
気がつくと、四人を囲んだ周囲には人垣ができており、喧嘩か?決闘か?と、好奇の目をした野次馬がわらわらと、どこからともなく集まり、やがては押すな踏むなの騒ぎとなっていた。

がつんっ!闘牛のような頭突き合いに歓声が上がる。王牙が両手を合わせてポキポキと鳴らし、かと思うと、目にも止まらぬ早さで殴りかかった。まともに食らって背中から倒れ込む青年を、先頭の野次馬連中が受け止め、負けるな!やり返せ!と囃し立てる。
「チッ!」と血泡を吐き捨て、手の甲で口元を拭う青年に、再び王牙が襲いかかった。わあっ、と周囲が活気づく。大男の突進をひらりとかわし、隙だらけの後頭部に飛び蹴り一発。鈴なりにかたまった街娘たちが、黄色い悲鳴を上げた。あの人、超かっこいい!モデルかな?俳優かもよ?と、彼が赤毛を払っただけでもきゃあきゃあと騒ぎたてる始末だ。

その一方で、連れの少女ふたりは、この騒ぎをなんとかしなければと顔を見合わせていた。がつん、どすん、と殴りあう男たちの力は拮抗しているのか、いつまでたっても決着はつかない。
ふたりはうんと頷きあい、そして同時に、大きく息を吸い込んだ。


「「ふたりともっ、やめなさぁぁぁいっ!!!」」


********


「それじゃ、小鳥ちゃんたちはヒウンシティに行きたいんだね」

「そうなの…」


それでただ、ヒウンシティはどこですか?と尋ねようとして――あの騒ぎである。
あの後、頭に血ののぼった男たちを何とか宥め、人垣を掻き分けて手近な路地に身を寄せた四人は、そこで軽く自己紹介を交わし、そして話はようやく本題となったのだった。


「ヒウンアイスを買って帰らないといけなくて。それも、一刻も早く」

「何だかよく解んないけど、大変なんだね。
でも、ヒウンシティかぁ……」


ヒナタと名乗った少女は腕を組み、頭を傾けた。
ちょうど小鳥と同じくらいの年頃だろうか。背丈もそう変わらない、しかし、小鳥のそれとはまるで違う、華やかなオレンジ色の髪と琥珀色の眸はやたらと魅力的に見える。くるくる変わるその表情と相俟って、ヒナタはとても可愛らしい女の子だった。


「もしかして、ここから遠いとか?」

「うん、ちょっぴりね。でも全然、行けないとかじゃないから!
あっ、良かったら後で地図見ながら道とか教えるけど――小鳥ちゃんたちも今日はポケモンセンター?」

「え?あー、そうね…」


小鳥は空を見上げた。すっかり夕焼け色に染まった上空を、鳥ポケモンの群れが過ぎていく。じきに日も沈み、雲ひとつない空には、満天の星が煌めきはじめるだろう。どうやら、今夜はこの街で宿をとるしかないようだ。が、
小鳥は隣の王牙を見た。


「王牙は、ひとりで野宿とか全然へいきよね?」

「いやいや、せっかくの機会じゃ。ここはふたりっきりでじーっくり、親交を深めるしかないじゃろ」


王牙はすぐ顔に出る。そのにやけ面を見れば、何を考えているかは一目瞭然だ。ふたりきりで一夜を明かすなど危険極まりない上に、あの蘇芳に知られでもしたら、それこそふたりとも無事ではすまない。


「だめだめ!一緒なんて絶対にだめよ!野宿がイヤっていうなら別々に部屋をとりましょ!」

「つっても、そんな金は持っとらんじゃろ」

「うっ……」


確かに。たかだかお使いと高を括って出てきたため、現在の懐事情はかなり寂しいものがあった。


「じゃあ悪いけど、やっぱり王牙は野宿で――」

「なら、あたしたちと相部屋っていうのはどうかな?もちろん、良かったらだけど」


小鳥はキョトンとして振り返った。すると、にっこりと笑顔のヒナタが、「ね?」と肩を弾ませた。


「相部屋?」

「うん。あたしたちの部屋、大部屋で広いし、ふたり増えるぐらい全然へいきだよ!」

「テメェ!コラッ、ヒナタ!なに勝手に誘ってんだよ!」

「えー。だって困った時はお互い様っていうでしょ?人は持ちつ持たれつってさ。
いいですか?紅矢くん。そもそも人という字はですねぇ――」


なにやら語りだそうとするヒナタを、新品の刃のような眸がギロリとひと睨み。瞬間、オレンジ色の髪がぞわりと逆立った。


「あー、あー、暴力はんたーい。
ちなみに暴力というのは言葉の方も含みまーす」

「あのっ、でも悪いから…」


頭頂部を涙目で擦るヒナタに、小鳥は言った。


「彼氏さん――、紅矢さんにも悪いし」


するとその単語に、紅矢がピクリと反応する。
もちろん、彼氏云々は小鳥の勘違いなのだが、成る程、そういうことなのだ。


「チッ…、仕方ねぇな」

「え?」

「仕方ねぇって言ってんだよ!ほら、さっさと行くぞ!」


それだけ言って、紅矢はずんずんと、先ほどの大通の方へと歩いて行ってしまった。――いったい何が彼の心を動かしたのか?しかし、どうやら話は決まったようだ。


「あたしたちも行こ?」


そうヒナタに促され、成り行き上、小鳥たちは彼らと一晩を過ごす事となったのである。


********


もともと、ヒナタと紅矢は、夕食の材料の買い出しに行くところだったのだという。
年も近いことから、さっそく意気投合したふたりの少女が並んで歩く、それとは対称的に、極力距離をとって歩くふたりの男。四人が向かった先は、おもに女性客で込み合う、小さなスーパーマーケットだった。
入店すると同時、その客層とはだいぶかけ離れた四人連れは、ひときわ目立つ存在だった。特に、スマートで不良的な雰囲気が女性の目を惹き付ける美男子、紅矢と、人相の悪い、熊のような大男の王牙が脇を過ぎるたび、女性たちはときめいたり目を逸らしたりと忙しい。


「小鳥ちゃん。そこのジャガイモの袋とってくれる?」

「はい。えっと、あとは…」

「ニンジンとタマネギと。あっ、お肉は鳥にしようと思ってたんだけど、大丈夫?」

「うん、全然」


カートに乗せたかごに次々と商品を入れていく。少女ふたりは慣れたもので、人混みの間をすいすいと縫いながら店内を移動していた。
今夜の献立はカレーライス。ヒナタたちが出てくる前に、あみだで決めたらしい。


「それにしても紅矢さんと王牙、大丈夫かしら…」

「うーん…。さすがに、カレーのルーを探してくるぐらいは大丈夫だと思うけどね。まさかお店の中で殴りあいはしないだろうし」

「そうよね。ふたりとも、子どもじゃないものね」


とは言うものの、ふたりとも心のどこかで、彼らにそこはかとない不信感を抱いているのだが…。

一方、当の男ふたりはというと。

迷うこともなくアッサリと見つかった、各種ルーの並ぶ商品棚の前でやはり、睨みあっていた。


「なんじゃあそりゃぁ!!」

「あぁ!?カレーのルーだろうが!テメェの目は節穴かっ!ボケが!!」

「ボケはキサマじゃ!!
それ、アレじゃろ!?リンゴとかハチミツとか入った、クソほど甘いお子さま向けカレーじゃろ!!」

「カレーと言えばコレだろが!!テメェの方こそそれ!香辛料バリッバリの、辛いばっかで味もクソもねえやつだろ!!」

「カレーなんぞ辛くてナンボじゃろうがぁぁ!!!」


それぞれ両極端な商品を手にとり、今にも殴りかからんばかりに罵りあう。そして、ふたり同時に、それぞれの商品を棚からごっそりと抜き出した。


「いや、そんなにたくさん要らないんだけど…」


ふたり競いあいながら戻って来るなり、両手いっぱいのルーの箱を、買い物かごに無理くり押し込む。どっちもどっちなふたりに、ヒナタも小鳥も呆れるしかない。しかし、「「うるせぇぇ!!!」」と同時に凄まれては何も言えず、仕方なく気をとりなおして、


「ヒナタちゃん。これもいい?」

「卵?うん、もちろん。小鳥ちゃんはカレーに卵乗せる派なんだ?
あっ、じゃあデザートはプリンでも作ろっかな。特別に、紅矢が好きな甘ーいやつ」

「王牙は甘いの苦手だし、デザートじゃなくて焼酎よね。それと、お摘まみの貝柱」


と、何ていうことのないそんな些細なことまで、またまた火種となってしまうのだから面倒臭い。


「ガキか」
「オヤジくせぇ」


そう言ったのはほぼ同時。もしかしたら、ふたりは案外、気が合うのかもしれない。


それから、どうにかこうにか店を出た四人だったが、ポケモンセンターへと向かう道中でも、紅矢と王牙は何だかんだと喧嘩をはじめた。両手にぶら下げた買物袋をさせば、絶対に自分の袋の方が重いだの、お互いの原型の話になれば、やれ犬だ鯨だと罵りあい、胸ぐらを掴み合う。


「何だかごめんね」

「ううん、こっちこそ。紅矢って普段からホントに気が短くて」

「そうなんだ?王牙はそれほどでもないと思うんだけど…」

「ならやっぱりアレかも。喧嘩するほどなんとやら、ってやつ」

「かもしれないわね」


振り返れば、ふたりは再び喧嘩のまっ最中。買物袋を振り回し、周囲の目も何のその。ただでさえ目立つふたりが更に注目を集め、本日二度めの人だかり。恐ろしく腕のたつ両者に、みな、やんややんやと大喜び。どうやら芸人の見せ物と勘違いした人々が、次々と心付けを投げてよこし、女性は紅矢に、男性は王牙に、それぞれ熱い声援を送っている。
これは長くなりそうだと、ヒナタと小鳥は揃って歩道の脇に腰を降ろした。空を見上げれば満天の星空。すると、お互いの腹がぐうっと鳴り、笑いあう。


「お腹すいたねー」

「ふふ、ほんとにね」


さて夕食にありつけるのは、いつになることやら。




そして、小鳥たちが無事にヒウンアイスを買えたかどうかは、また別のお話―――。


end

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