捧げ物 | ナノ





『ん…、』


ぼんやりと霞む頭のまま、何やら騒々しく響く音で重い瞼を開ける。ヒナタは漂う埃臭さや日の差し込まない暗さに、ここが見知らぬ場所であることに気付いた。


(…?あたし、何でこんなとこ…確かダイゴさんとパンケーキを食べてた筈なのに…)

「丁度良い、目が覚めたか」

『!?』


状況を整理していたヒナタの頭上から降ってきたのは低い男の声。恐る恐る顔を上げると、忌々しそうに表情を歪めた中年男性が立っていた。


「お前を囮にダイゴをおびき寄せ復讐する手筈だったのだがな…どうやらそれは失敗したようだ」

『おと、り…?』


ヒナタはハッと思い出した。そうだ、自分は確かあの店で2人組の男に妙な物を香がされ気を失ったのだ。

この男の言葉からしてダイゴに恨みを持った者達の犯行に間違いない。たまたま一緒にいた自分をダイゴの身内だとでも思い脅しの為に人質にしたのだろう。

だが今言った失敗とは、ダイゴが脅しには乗らなかったということなのだろうか。


『…失敗って、どういう…』

「ダイゴが誘いに乗ったのは間違いない。…が、今このビルで暴れているのは奴ではなくポケモン達だそうだ」

『ポケモン…?』


先程感じた大きな音はポケモンが発した物だったらしい。ということは…ダイゴのポケモン達がここで彼の指示を受けて動いているのかもしれない、ヒナタはそう思った。


「情報によれば確認しているのはゾロアーク、ルカリオ、ウインディの3体だ。ダイゴの手持ちにこのポケモン達はいない筈…だとすれば他の誰かのポケモンということになる。クソ…っ協力者を呼ぶとは我等を舐めてかかっているな!」


男は握り締めた拳を壁に叩き付け苛立ちを露わにしている。だがヒナタの思考は男の言った3体のポケモンで占められていた。


(…ダイゴさんの手持ちじゃないゾロアークとルカリオとウインディ、って…まさか皆がここに…!?)


きっとそうだ、ダイゴが皆に事の次第を話したに違いない。助けに来てくれたのはとても嬉しいが、ヒナタはそれ以上に皆が無茶をしたり怪我をしていないかが心配でたまらなかった。


「…だがまぁ、お前が奴等にとって大切な存在であるのは間違いない。つまり利用価値はある…来い!」

『きゃ…!?』


荒々しく腕を掴まれ無理矢理立たされる。後ろで縛られており自由が利かない両手が酷く痛む。

そしてそのままズルズルと引きずられるように屋上へと連れ出された。



−−−−−−−−−−



ビルの屋上なだけあって吹き荒ぶ風が強く、全身を冷たく刺す。だがヒナタは寒さよりも自身のこめかみに突き付けられた銃口への恐怖が勝っていた。


(…っこ、こんな状況ドラマでしか見たことないけど…怖いよ…!)

「ふ…そう怯えるな。ダイゴへの見せしめにお前を始末した後、すぐにポケモン諸共奴も同じ場所へ送ってやる」

『!?』


自分はおろかダイゴや皆まで殺すつもりなんて、とヒナタは体を震わせた。捕まったのは自分の責任だと感じているだけに、ダイゴや雷士達にまでもしものことがあったらそれこそやり切れない。


「おいダイゴ!!ここに来ているのは分かっている!!女の命が惜しければ姿を見せろ!!」


ヒナタに拳銃を向けたまま男が声を張り上げダイゴを挑発する。ビルの外で周辺を見張っていたダイゴにもその声が聞こえ、腕を縛られているヒナタの姿に思わず腰のボールに手をかけた時。

ダイゴの目に映ったのは、物凄いスピードで屋上へと急降下する1匹のフライゴンだった。


「!?何だコイツは…!!」

『…!は、疾風!?』


突然目の前に現れた大きなフライゴンにヒナタを引きずったまま後退りする男。犯人が外へ逃げ出すかもしれないと思案し、疾風は皆とは別行動を取りビルを空から見張っていたのだ。

疾風はヒナタが無事であることに安堵した表情を浮かべたが、彼女の怯えた顔や突き付けられている拳銃を見て丸い瞳を尖らせた。


〈―――っマスターに…!マスターに、触るなぁ!!〉


疾風らしくもない獣染みた咆哮を上げ、大きく開いた口の中で鋭い光が集結していく。ヒナタは見覚えのあるその動きに冷や汗を垂らした。


(こ、これって…はかいこうせん…!!)


はかいこうせんを撃つ準備が整ったらしい疾風は我を失ったかのように瞳孔が開いている。これはいよいよマズいと男のみならずヒナタも焦り始めた。

そしてもう一度強く男を睨み付けた疾風がはかいこうせんを発射しようとした瞬間、ヒナタに突き付けられていた拳銃が弾けるような音と共に男の手から吹き飛んだ。


「待ちなさい疾風!!それではヒナタ君まで消し飛んでしまいます!!」

『!氷雨…!?』


階段から現れたのは氷雨と雷士。ピカチュウの姿でいる雷士からして、拳銃を弾き飛ばしたのは彼の電撃だろう。

痺れる手元に何が起きたのか理解が追い付かない男に一瞬で詰め寄った氷雨は、ヒナタを拘束していたその腕を捻り上げ彼女を解放した。

未だ両手は縛られたままで、体を支えていた男の力を失いバランスを崩したヒナタの体が崩れ落ちる。だがその体をすぐさま擬人化した雷士が駆け寄り抱き留めた。

疾風は氷雨の言葉に正気を取り戻し、雷士の腕に抱えられているヒナタを見てぶわりと瞳に涙を浮かべる。


〈…っま、マスター…!ごめ、ボク…!〉

『あ、あは…大丈夫だよ。こっちこそ心配かけてゴメンね!』

〈〜〜っマスター!!〉


屋上に降りて擬人化した疾風は雷士からヒナタを奪い取る勢いで彼女を抱き締める。少なからずムッとした雷士に気付いていないのか、えぐえぐと啜り泣く疾風をヒナタも抱き返した。


「おや…正気を失う程怒り狂っていたというのに、やはりまだまだ子供ですねぇ」

「ぐ…っは、離せ!!」

「何か仰いましたか?」

「うわぁ!?」


ぐきり、骨が鳴る嫌な音が聞こえ雷士が不快感に眉を寄せた。だがその不快感も、ヒナタの恐怖を煽るような音を立てるなという氷雨へのものである。

その雷士の無言の訴えに気付いた氷雨はわざとらしく肩をすくめて微笑んだ。


「雷士、疾風、ヒナタ君を頼みましたよ」

「…了解。でも…、」


雷士は疾風に抱き締められたままのヒナタの耳を押さえ、小さな声で呟いた。


「ヒナタちゃんが悲しむから、殺すのはダメだよ?」

「分かっていますよ、不本意ですがね」

「ひ…っ!?」


そう言って溜め息を吐いた氷雨は更に強く男の腕を締め上げる。この自分を拘束する、恐ろしく整った顔付きの氷雨の射殺すような眼光が男の恐怖を駆り立てた。


「さて…随分面倒なことをしてくれましたねぇ。本来ならば原形を留めない程に無惨な姿にして差し上げる所ですが…生憎僕達の主はそのようなことを望まない優しい子なので命だけは見逃して差し上げましょう」

「…!?」


男は自身の手元の異変に気付く。氷雨が拘束している部分が異常に冷たいのだ。恐る恐る振り向くと…何と、両手が凍りついていた。


「な…何だこれは!?」

「おや、これは失礼。つい手元が狂って貴方の体を凍らせてしまったようです」


しれっと言い放つ氷雨だが、その声や表情には確かな狂気が秘められている。ピキピキと冷たい音を立てて両手から徐々に広がっていく氷に男は体を震わせた。


「った、頼む、やめてくれ…!俺が悪かった!」

「貴方が悪いのは当然です。僕達はそこではなく、よりによってヒナタ君を人質にしたことに怒っているのですよ」


疾風にヒナタを任せ、恐怖にとりつかれた男にゆっくりと近付く雷士。そして無様な男と視線を合わせ、ニヤリと口元を歪めた。


「ヒナタちゃんが僕達にとって弱点になると思った?…残念、それは真逆だよ」

「ヒナタ君は言うなれば起爆剤…彼女に危機が迫れば僕達は誰が相手でも容赦はしません。仮にそれがきっかけとなり街1つ滅ぼしたとしてもヒナタ君さえ無事ならば何も問題ないのですよ」


狂ってる、男は率直にそう思った。そして自分はとんでもない過ちを犯してしまったのだとも。


「さて…凍り付いていく恐怖、体の芯まで味わいなさい」

「や…っやめろぉおおおお!!」


男の慟哭虚しく、無情にも上半身が凍り付いていく。そして顎まで凍った所で男は白目を向いて気絶してしまった。


「…あーあ、電流地獄も味わわせてあげたかったんだけど…」

「そこまでやったら本当に死んでしまいますよ。まぁ僕も全身凍り付かせた後アクアテールで粉々に粉砕してやりたい所でしたけど」

(ふ、2人共怖いよ…)


ヒナタが何も聞かないよう見ないよう抱き締めていた疾風が苦笑いを零す。だがその疾風も人間相手にはかいこうせんを放とうとしていたのだからどっちもどっちである。


「ヒナタちゃん、終わったよ」

『…た、倒れてるけど…大丈夫?』

「命に別状はありません。さ、皆心配していますから外に出ましょう」









「ヒナタちゃん!!」

『ダイゴさん!』


雷士と氷雨に連れられビルの外に出てきたヒナタにダイゴが駆け寄る。見た所縛られていた時の擦り傷以外に怪我はなく安堵した。


「済まないヒナタちゃん、僕のせいでこんなことに…」

『い、いいえ!皆が助けてくれましたし…ダイゴさんは悪くないです!』

「ほんっとーに姫さん無事で良かった…!オレらマジで心配したんだからな!?」

「その通りですヒナタ様!あの程度の敵など俺達にとっては何の問題もありませんが、貴女にもしものことがあればと生きた心地がしませんでした…!!」

『ご、ゴメン!本当にゴメンね!でも、すっごく嬉しかった…ありがとう皆!』


そう言ってニコリと笑うヒナタにやっと雷士達を纏っていたオーラが柔らかな物に変わる。本当に、良かった。もしヒナタを失っていたらと思うとゾッとしてしまう。


「ヒナタちゃん、斉達も心配してる。帰ろう?」

『うん!』


今頃斉や澪達がヒナタの帰りを今か今かと待っているに違いない。樹や昴などはきっと彼女の顔を見たら泣き出してしまうだろう。


「さて…彼等の後始末は僕がするよ。警察と救急車を呼んで、ね」


店から持って来ていたカバンをヒナタに渡し、ポケナビを取り出したダイゴに紅矢が低い声で告げた。


「おいテメェ、それが済んだらヒオウギに来いよ」

「へ?」

「当然でしょ、ヒナタちゃんは許しても…澪は君を許さないと思うよ。それに何より…今日ヒウンでヒナタちゃんとあった事、話した事全部吐いて貰わなきゃいけないからね?」

「う…っ!」


正直忘れていたが、自分はそもそも彼女をデートに誘ったのだ。それを良く思わない彼等に一から十まで問いただされるのは至極当然のことだった。


(ここからが本当の地獄かもしれないな…)


おまけにヒオウギへ行けばあの恐ろしい澪が待っているのだと考えると余計億劫である。

だがこうなっては腹を括るしかないと、ダイゴは1人溜め息を吐いて警察へと連絡したのであった。



end


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