3周年&20万打 | ナノ




“連日お伝えしております、ウイルス性のインフルエンザ菌が未だ猛威を振るっております。各地のポケモンセンターや専門の医療機関では続々とポケモン達が来院しており……、”

『わー…ジョーイさん達忙しそうだなぁ…。早めに行って薬をもらっておいて良かったよ』


ここ数日テレビ番組から引っ切り無しに流れてくるこのニュース。平たく言うとインフルエンザが流行っているという内容なのだけど、少し特殊なのはポケモンにしか感染しないウイルスだという点だ。だから人間のあたしには特に問題はないけれど…、


「頭、クラクラする…」

「……」

「やれやれ…正直参りましたねぇ…」


部屋の奥に並んでいるベッドに目を向けると、そこには信号機と同じ色をした3つの頭が仲良く布団にくるまっていた。…信号機って我ながら分かりやすい表現じゃない?

まぁそれは置いておいて…つまりは雷士、紅矢、氷雨のドSトリオだ。彼等は不幸にも絶賛流行中のインフルエンザにかかってしまっていた。何でもよく食べてよく眠る雷士に、偏食がちではあれど風邪菌とは無縁そうな紅矢、そして比較的規則正しい生活リズムの氷雨がまさか揃ってやられてしまうとは思わなかったなぁ。こういうのを鬼の撹乱というのだろうか…。

ポケモンにしか発症しない特殊なインフルエンザ菌とはいえ、過去にも何度か流行していたからこの通り薬も作られているし、大丈夫だとは思うのだけど。というか紅矢様が何も喋らないんだけど大丈夫かな。


『みんな具合はどう?何か食べる?』

「出されたものは何でも…」

「…甘ぇモンを最低でも10種類」

「体が僕らしからぬ程に熱を持っていますので冷たいものがほしいです。アイスとかアイスとかアイスとか…」

『意外と元気そうで何より!!』


マスク越しに返ってきたそれぞれの返事に思わず苦笑いを零してしまった。みんな一応食欲はあるみたいだから良かったけどね!あ、でも氷雨の言葉が何だかいつもと違って幼く感じたのは気のせいかな?やっぱり熱もあるし体調が悪いことに変わりはないか…。


『よし、それじゃ薬も飲まなきゃいけないからお粥を作ってくるね』

「僕あんまり柔らかすぎるお粥は嫌だよ」

「甘ぇモンを忘れんじゃねぇぞ」

「アイスもお忘れなく」

『わがまま言わないでくれませんかね!?』


好き勝手言う病人達の要望を却下して部屋を後にした。全く、ドSトリオってばこんな時でもわがままなんだから!


(…でも、思ったより酷くはなさそうだけど3人共やっぱりいつもとは違う。もしかしてあたしに心配させないように無理しているのかな…)


そんな健気さがあるかは分からないけれど、もし本当にそうならもっとあたしを頼ってほしいと思う。以前にあたしが熱を出したときは全員で一生懸命看病してくれたし…今度はあたしがしっかりしないとね。お粥を食べてもらって、薬を飲んでぐっすり眠ればきっと良くなるはず。だからまずは美味しいお粥を作ろう!

そう意気込んでキッチンに行くと、心配そうな顔をした疾風があたしの背後からおずおずと現れた。


「マスター、雷士達は大丈夫…?」

『うーん…しっかり喋れるくらいの元気はあるみたいだし、思っていたよりは大丈夫そうかな?でも熱もあるし咳き込んだりもしているから、まだ安静にしてもらわないとねー』

「そ、そっか…あ、もしかしてお粥、作るの?」

『うん!3人共食べる気があるってことだから持っていこうと思って』

「ぼ、ボクも手伝うよ!今は雷士達の近くには行けないから、これくらいしか出来ないし…」

『疾風くんが良い子過ぎて辛い…。大丈夫だよ、その気持ちだけできっと3人も嬉しいと思う!』


疾風は本当に優しいなぁ。ポケモンに対する感染率が高い病気だから、今は疾風を含む残りの3人と雷士達を隔離している状態なのだけど…心配だから自分に何か出来ることがないか探してくれたんだよね。そんなに思い詰めなくてもいいとは思うけれど、これも彼の良いところだ。正直ドSトリオには勿体無いくらいの気遣いだよ…。


「くっ…何故俺は手先が不器用なんだ…!もっと器用であれば疾風よりもヒナタ様のお役に立てるというのに!」

「まーそれは生まれ持ったモンだから仕方ねーよそーくん!オレもてっちゃんほど器用ではねーし…。大人しく見守ろーぜ?」


蒼刃を宥める嵐志を何だか微笑ましく思いながら、手伝おうという気持ちは誰よりも強い蒼刃にお礼を告げて調理を開始する。どこぞのわがまま電気ネズミくんが柔らかすぎるお粥は嫌だって言っていたっけ…。3人それぞれが満足するようなものを作るのってすごく難しいのになぁ。


(…でも3人が良くなる為だし、あたしが泣きごと言うわけにはいかないよね)


そういえば昔あたしが風邪を引いたときは斉や澪姐さんがお粥を作ってくれたっけ…。愛情をたっぷり込めたっていうのが口癖だった気もする。ならあたしもたくさん愛情を込めて…!まぁ目には見えないんだけどね!


『…よし、こんな感じかな。多分上手くいったはず!』

「良いニオイだね…うん、きっと美味しいよ!」

「すぐに持ってくんだろ?なら片付けはオレらがやっとくから、姫さんはアイツらの世話してやってくれよ」

『え、いいの?』

「あの脆弱者どもの為というのがあまり納得出来ませんが…ヒナタ様のお役に立てるのであれば喜んで!」

『ありがとうー!ゴメンね、それじゃお願いします!』


正直3人分の看病は大変だと実感していたところだからこの申し出はとても有り難い。それに疾風達なら片付けで余計に汚すなんてこともなく、きちんと元通り綺麗にしてくれるだろう。

むしろあたしがやるよりも綺麗になっていたりして…などと調子の良いことを考えながらお粥を運ぶ。両手が塞がっているからノックは出来なかったけれど、せめて驚かせないようにと腕を使って慎重にドアを開いた。


『みんなお粥持っ、』

「しー…」

『!』


まず視界に入ってきたのは人差し指を立てて静かに、というポーズを取った雷士。それを見て咄嗟に口を噤んだあと、彼の隣に目を向けると紅矢と氷雨が微かに寝息を立てているのが分かった。なるほど、雷士はこれを伝えたかったんだね。この状況ならばノックをしなかったのも結果オーライだろう。


『珍しいね、この2人が先に寝ちゃうなんて』

「それだけ辛いってことでしょ。僕は今は眠気よりも空腹の方が強いし…」


紅矢と氷雨が起きないように小声で会話をする。そういえば雷士の次にお昼寝をする回数が多い紅矢はともかくとして、氷雨の寝顔はほとんど見たことがないかも…。確か嵐志も氷雨は警戒心が強いから眠りが浅いって言っていたし、貴重だけど雷士の言う通りそれだけ辛いということなんだね。


『じゃあ雷士だけ先に食べる?』

「ん、そうする」

『はいはい』


ゆっくりとベッドから起き上がった雷士の膝にお盆を置き、その上に器によそったお粥を乗せる。そしてスプーンも渡そうとしたのだけど…、


「…何これ」

『へ?何って…』

「食べさせてくれないわけ?」

『はい!?何言っ、!』

「静かに。起きるでしょ」

『うぐぐ…っ』


雷士があたしの口を素早く手のひらで塞いだから2人は起きなかったけれど、そもそも声を出してしまった原因は雷士なのにという思いから少しモヤモヤしてしまった。というか手のひら熱いよ雷士くん!やっぱり熱があるね…。これは早く食べて薬を飲んでもらわないと。でもあたしが食べさせる必要なんてあるのかな?


「あるよ、今は指一本動かすのもだるいんだから」

『流れるように心を読まれた…!』

「何でもいいから早く。僕お腹空いた」

『…はー…、分かりましたよもう…』


だるいのは本当だし仕方ないのかな。それに食べさせるくらいならまぁ…いっか。

お粥を掬って2、3回息を吹きかけ冷まし、待ち構えていた雷士の口元にそっとスプーンを近付ける。


『はい、熱いから気を付けてね』

「うん。ぁー…、熱っ!」

『だ、だから熱いって…!大丈夫…?』

「無理無理あり得ない。何でこんなに熱いの…まぁ絶対君が熱く作り過ぎたんだと思うけど」

『う…っそ、それはゴメン…』


体調不良でも容赦なく刺してくるねこの子は…。でも我慢我慢。あたしが熱くし過ぎたのもあるだろうし、今の雷士は病人なんだから喧嘩するわけにはいかない。それよりも寝ている2人を起こさないように小声で話すことに集中しなければ。


「んー…多分火傷したかな」

『えっ!どうしよう口の中ってどうやって冷やしたらいいのかな…。や、やっぱり氷?氷持ってこようか?』

「…ううん、僕はコレでいいよ」

『へ?』


すう、と目を細めた雷士と視線が交わった瞬間。突然あたしの腕を引っ張ったものだから、当然バランスを崩して雷士に凭れかかるような体勢になる。そして雷士の金色混じりの黄色い髪が頬に触れたかと思うと同時に、耳に何か滑りを帯びたものが触れた。


『え、なっ何…!?』

「うるさい」

『いやいやうるさいとか言われても…!』

「だからうるさいってば」

『ひっ、』


もう一度耳に与えられた湿った感覚。それに加えて今度はズキリとした痛みにも襲われた。その個所は正確には耳たぶなのだけど、今はそんなことどうでもいい。何故なら…雷士に耳たぶを舐められた上に噛まれたというこの状況自体が大問題なのだから。


『なっななな何で!?何で耳…っ!』

「人間は火傷したとき耳たぶを触るんでしょ?」

『それ民間療法ですらないし実際やったことないから!』

「何でもいいけど静かにしてよね…頭に響く」

『ひゃっ!』


もう一度べろりと耳たぶを舐められてしまった。雷士は舌を火傷したから舐めているだけだって言いたいのだろうけど…だからってはいどうぞなんて言えるわけないでしょ!?ていうか舐めるのは勿論だけど耳元で喋るのもやめてぇえええ!!


(ぞ、ゾワゾワして気持ち悪い…!)

「気持ち悪いとか失礼だよね。顔真っ赤にしてる癖に」

『こっ心読まないでってば!』

「君が分かりやすいだけだって…。まぁとにかく黙って、邪魔が入らない内に堪能しないとなんだから」

『堪能って何!?』


ダメだ今の雷士は熱で頭がおかしくなってる!多分というか絶対そう!だってそうじゃなければこんな恥ずかしいことしない…!


「君のせいで火傷したんだから…君が責任取ってよね」

『え?ちょ…っ顔!顔が近…!』


「うるっせぇぞテメェら…」


『……へ?』


今度は何故か耳ではなくて顔面に唇を寄せてきた雷士を押し退けようとした刹那。突如横から聞こえた低音にあたしと雷士の動きがピタリと止まった。

聞き覚えがありすぎるその恐ろしい声色の方へ、ゆっくりゆっくり顔を向けると…


「人が寝てる横で喚くなんざ良い度胸じゃねぇかクソガキ共…!」


通常よりも5割増しくらいで凶悪なオーラを渦巻かせている紅矢と、その隣で青筋を浮かべながら無言で微笑んでいる氷雨がいた。マスクをしていて顔の下半分が見えなくても充分過ぎるほどに伝わるその表情。怖い、怖すぎる。これあたし死んだよね確実に。


「やれやれ、若者はお盛んですねぇ。僕達がこんなにも苦しんでいるというのにああも堂々と…」

「氷雨もまだ20代でしょ」

『お、お盛…っどこから見てたの!?』

「…さぁ?どうでしょう」

『〜っし、失礼しましたぁぁあ!!』

「あ、逃げた」


あまりの居た堪れなさに脱兎の如く部屋から逃げ出す。あ、でも1つ言い忘れたことが!


「あれ、戻ってきた」

『お盆の上に薬があるから食べたら飲んで!後でまた来る!』

「来るんだ」

「ヒナタ君て律儀ですよね」


それだけ言い残して再び部屋から飛び出した。うー、あんなところ見られてたなんて…!しかも氷雨と紅矢に!絶対後々もネタにされるよ!

あれ?でもよく考えたらあたし悪くなくない?だって元はと言えば雷士が…。


(…まぁ騒いだのは確かに悪かったけど。でも!風邪が治ったら絶対に雷士に文句言ってやるんだから!)


そのあと疾風達の待つリビングへ駆け戻ったあたしは、中々引いてくれない頬の熱としばらく格闘することになったのだった。




「…おい氷雨。テメェ本当に何か見たのか?」

「いいえ。目が覚めた理由は確かにヒナタ君が騒いだからでしたが…紅矢と同じでそこは何も。ですが怪しさ満載でしたのでカマをかけてみるものですね。さて雷士、彼女と何をしていたのか吐いてもらいましょうか?」

(いいところだったのに邪魔された…)

「雷士のヤツ多分聞いてねぇぞ」




−−−−−−−−−−−−




(…あ、もうこんな時間)


センターの個室を借りた際に、あたし用として宛がってもらえた部屋で道具の整理をしていたら、思いの外時間が経ってしまっていたらしい。そろそろ様子を見に行った方がいいよね。正直まだ雷士とのことがあって気まずいけれどそうも言っていられないし、うん。


『みんなちゃんと薬飲んだかなー…って、紅矢?』


あたしが廊下に出たとほぼ同時に紅矢もトイレから出てきた。一体いつの間に…足音とか全然気付かなかった。それだけあたしが集中しちゃってたってことかな?


『紅矢は薬飲んだの?』

「あぁ…」

『そ、そっか。でもまだ辛そうだね…顔も真っ赤だし』

「…!」


それは無意識だった。あたしよりもずっと高い位置にある額に吸い寄せられるように、気付けばごく自然に自分の手のひらを当てていた。あたしがその熱さに驚いた瞬間、珍しく紅矢も同じように目を見開いている姿が目に入ってハッと我に返る。驚いた紅矢の表情なんてほとんど見たことがなかった。も、もしかして熱で苛立っている横暴キングの逆鱗に触れちゃったかも…!?


『ごっゴメン!』

「…いや、別にいい」


わざとじゃないから殴らないで!と思いながら慌てて額から手を離したけれど、返ってきた反応はあたしの予想外のものだった。別にいい、って…え、何それ紅矢様らしくない。いつもならテメェ何しやがるという感じに暴力を振るわれそうなものなのに…。いや結果的に命は助かったのだけど。


「むしろ…、」

『え?』


かろうじて聞こえる程度の声量で呟いた紅矢が、ゆっくりとした動きであたしに手を伸ばして来る。嘘、やっぱり殴られる!?と目を瞑って身構えたのも束の間、突然大きな体があたしに覆い被さってきた。


(…っや、違う…紅矢に抱き締められてる!?)


しっかりとあたしの体に回された逞しい両腕。それがぎゅう、と力を込めてあたしを紅矢の方へ引き寄せている。おまけに首筋や肩に紅矢の熱い吐息がかかって今すぐ逃げ出したいほど恥ずかしい。息苦しくなったのか、紅矢は顎までマスクを下げていたからそれが仇になったようだ。今日は雷士といい紅矢といい、何でこうも距離が近いの…!

あわあわと行き場のない両手をバタつかせていると、それが不愉快だったのか更に力いっぱい抱き締められた。(いや、締め上げられたと言った方が正しいかもしれない)


『くっ苦しい…!』

「暴れんな…このまま潰すぞ」

『はいゴメンなさい!!』


ドスの効いた低音で脅されてしまえばもう無抵抗に徹するしかなかった。体調不良でもこういうところは絶好調なんだね…。命が惜しいから大人しく言うことを聞いてジッとしていると、気を良くしたのか少しだけ抱き締める力が緩んだような気がした。


(これいつまで続くんだろう…)

「ん…、」

『っひ!?ままままさか今ニオイ嗅いだ!?』

「悪ぃのか」

『とても!困ります!』


不意に耳元で紅矢が息を吸い込む音が聞こえたから、まさかと思ってみたらやっぱりニオイを嗅がれてしまったらしい。本人は全く悪びれていないけれど、あたしからすればただただ恥ずかしいことこの上ない。それにゾワワッと鳥肌が立ったような気もする。もう本当に何なのこの状況!?


「減るモンでもねぇだろうが」

『そ、そうかもしれないけど、あたしも一応女だから居た堪れないというか…!』

「知るか、具合が悪い時くらい俺の好きにさせやがれ」

『悪いなら速やかにベッドに戻った方がいいと思うな!』


それに具合が悪くなくても好き勝手してるし!とは恐ろしくて言えないけれど。


「…ちっ、テメェは本当にうるせぇな…いいから大人しくしてろ」

『そうは言いますけどね紅矢様…!』

「楽になんだよ、テメェをこうしてると」

『…へ?』

「ニオイも…抱き心地も、悪くねぇからな」


そう言って紅矢はあたしの髪に頬を寄せた。抱き寄せられたまま密着しているから、風邪のせいでいつもより速くなっている鼓動の音が伝わってくる。

と、とりあえず…やっぱり紅矢様も雷士と同じで頭がおかしくなってるんだ!そうじゃなかったらこんなこと絶対言わないし!だからあたしの顔まで熱くならないでよお願いだから…!


(…でも、その紅矢がここまで弱るんだからすごく辛いのかな…)


口調は普段通りだけど呼吸している姿はとても苦しそうだ。体だって焼けるように熱い。元々炎タイプは体温が高いし寒さには強いらしいけれど、それが余計に熱を上げる要素になることもあるのかもしれない。

横暴でいつも喧嘩腰な紅矢でも、やっぱり苦しんでいる姿は見たくない。紅矢が言う通りあたしにくっ付くことで少しでも楽になるのならと、思い切って彼の背中に両手を回して抱き返した。


『こっ紅矢が早く良くなりますように!』

「!……はっ、どうせならキスの1つでもしやがれ…」

『キッ!?それはさすがに無、』


無理、と言い終わるよりも前に突然全身に重力がかかってよたついてしまった。何事かと思えば紅矢が全体重をあたしに預けた状態でうなだれていて、必死に体を捻りその表情を窺うと眉間に皺を寄せたまま固く目を閉じている。まさか寝ちゃった?…いや、というよりは…気絶!?


『わっ、さっきよりも熱いんだけど!?そ、蒼刃ー!疾風ー!嵐志ー!誰でもいいから助けてぇええ!!』


この状態の紅矢を床に落とすなんてさすがに可哀相過ぎる。でもこのままじゃ支えているあたしまで潰れてしまうから、助けが駆け付けるまでなけなしの全パワーをフル稼働し耐えたのだった。(結局3人共ダッシュで来てくれたよ…本当にありがとう)






『は〜…辛かった…色々と』


蒼刃達が無事にベッドへ運んでくれたお陰で事なきを得た。現在の紅矢は薬が効いているのか、比較的穏やかな顔をして眠っている。ちなみに左隣の雷士も安定の爆睡中だ。


『あたしをああしたら楽になるって言ってたのに…紅矢が嘘ついたのかな?』

「ああしたら、とは?」

『だ、だからその…って氷雨!?』

「声が大きいですよヒナタ君」

『あっ、ゴメン…』


また怒られちゃったよあたし。というかビックリした、氷雨いつの間に起きてたんだろう。それにしても全部言わなくて良かった…!紅矢にだ、抱き締められたなんて知られたら絶対に弄られるに決まっている。


「それで、紅矢は君に何をしたら楽になると?」

『そ、それは〜…内緒ってことで…』

「ほう…この僕に隠し事ですか。それはそれは随分と身の程知らずなことをするのですねぇヒナタ君。でしたら僕直々にその可愛いお口を割らせて差し上げてもいいのですが…?」

(ひぃいいい死亡フラグ!!)


氷雨だって熱があって辛いはずなのに、全くそれを感じさせないほどの素晴らしい冷笑で一気に室内の温度が下がった気がする。先ほどもそうだったけれど、マスク越しでも伝わる黒い笑みが本当に恐ろしい。でもこれだけはどうしても白状するのは憚れるので、どうか勘弁して下さいと誠心誠意お願いして何とか許してもらえた。あたしこれでも一応氷雨のトレーナーなんだけどね。


(まぁ後ほど紅矢本人に聞くとしましょう)

『えっと…氷雨は具合どう?少しは良くなった?』

「お陰さまで。僕はタイプ的にも熱の下がりが早いのかもしれませんね。まだ多少の咳や気だるさはありますが…」

『そっか、それなら良かった。あ、お粥も全部食べてくれたんだね!』

「えぇ、美味しかったですよ。しかし…こんな風に体調を崩したのは子どもの頃以来です」

『そうなの?』

「はい。まだ仲間達と共に故郷で暮らしていた頃、一度だけこうして発熱したことがありました。その時は両親が遠くまで熱冷ましのきのみを取りに行ったりしてくれたのですが…その点ではやはり生活環境が発展した人間の世界は便利ですね。人間自体は憎い存在に変わりありませんが、医療や暮らしを向上させる知恵には素直に敬服の念を抱きますよ」


氷雨が人間を褒めるなんて珍しいこともあるものだ。それがあたしの率直な感想だった。出会った当初は憎悪の感情がもっと凄かったから、正直あたし個人を認めてくれただけでも上々だと思っていたのに。けれど今本人も言った通り人間を嫌っているのは事実でも、それとこれとは分けて物事を考えられるところに氷雨の視野の広さを実感させてくれる。

一緒に旅をする中でそういう元々の資質を取り戻していけたのかな?なんておこがましい考えかもしれないけれど、もしそうだったらと思うと嬉しくて笑みがこぼれた。


「何度も言いますが人間は嫌いです。ですがポケモン達を救う為に薬を開発したり、君のように必死で看病してくれる人間も存在するということは覚えておきましょう」

『……』

「おや、何ですその変な顔」

『変!?…や、やっぱり氷雨もまだ本調子じゃないよね?ここまで前向きなこと言うのも珍しいというか…』

「つまり僕がしおらしいことを言うのは滑稽だということですね?分かりました、その喧嘩喜んで買って差し上げますよ」

『違います違いますから冷気出さなっむぐ!』

「はいはいお静かに。全く、雷士のときの二の舞になりたいんですか?」

(自分がそうさせた癖に…!)


これまた雷士のときのように口を塞がれてしまった。おまけにわざとらしく溜め息まで吐かれながら。…ん?でもよく考えたらやっぱりあたしの方が先に喧嘩売った…のかな?


「まぁ何はともあれ、君に感謝しているのは事実です。ですので…、」

『え?』


一瞬だけ氷雨の瞳がギラリと光った気がした。何か分からないけれどヤバい、と危険信号が脳内で鳴ったにも関わらず、あたしの反射神経は鈍くてあっさりと氷雨に捕らえられてしまう。そして顎に長く綺麗な指をかけられた直後、


『ん…っ』


え?何これ?

近過ぎてぼやけているけれど視界いっぱいに広がる水色。それが鼻に触れてくすぐったいと思うと同時に、氷雨の髪であることを理解した。そして唇を塞ぐように押し付けられた布。その布の向こうから柔らかい感触と熱がダイレクトに伝わってくる。


(…嘘、これってまさか…っマスク越しにキスされてる!?)


状況に気付いた途端カッと顔が熱くなった。いや、熱いなんて優しいものじゃない。それこそ本当に燃えてしまいそうなくらいに。

必死で顔を離そうとしたけれど添えられている手はビクともしない。そして抵抗空しくようやく唇(に当たる部分)が離れたのは数秒後。恐らくほんの5秒くらい…されどあたしには長すぎる秒数が無情にも過ぎ去った後だった。


「これはお礼です、受け取りなさい」

『っ!?受け取るも何も…!拒否権なんて無かったけど!?』

「ほう、僕のキスなど要らないと?僕にはそうは見えませんけどねぇ…こんなに真っ赤になって、喜んでいるとしか思えませんが?」

『よ、喜んでないってば!これはただビックリして、』

「だからうるせぇっつってんだろうがアホヒナタ!!」

「電撃していい?いいよね?」

『いやダメだから!!ていうかあたしのせい!?』


確かに思わず小声が大声になってしまったけど!でもこれは絶対に氷雨のせいだと思うんだ!…なんて抗議が届くはずもなく、騒音で起こされた紅矢様には怒鳴られ、雷士くんには淡々とキレられてしまった。何か今日こんなのばっかりだよ。


「っふ、ふふ…君は本当に面白いですね」

『あぁそう…楽しんでもらえたなら良かったですよ…』

「拗ねないで下さい。お礼を言いたいのは本当なのですから。ねぇ2人共?」

「あ?…あぁ、まぁ…体もマシになったし悪ぃことばかりじゃなかったかもな」

「そうだね、ヒナタちゃんにしては頑張ってくれたと思うよ」

『上から目線!?』


あたしこれでも必死に働いてたと思うんだけどな…他でもないあなた達の為に。蒼刃達にも手伝ってもらっちゃったけどさ。


「これは雷士の照れ隠しですよ」

「そうそう、本当に感謝してるって」

『無表情だから照れてるかどうか分からないし心もこもってる気がしないんですけど』

「そんなことないよ。今日は本当にありがとう、ヒナタちゃん」

「えぇ、ヒナタ君がいてくれて良かったです。ありがとうございます」

「…俺の世話はこの先もテメェにしかさせねぇからな」


それぞれのお礼の言葉をかけられて、少しだけムッとしていたあたしの気持ちがふわふわと和らいでいく。表情も優しげで心から伝えてくれているのが分かり嬉しかった。勿論お礼が言って欲しくてやっているわけではないけれど、蒼刃達と違って普段はこんな風に言わないから余計かもしれない。


『うん、どういたしまして。治るまでちゃんと看病するからね!』


そう言って笑うと珍しく…本当に珍しく、優しく微笑み返してくれた。色々な意味で危ない目にも遭ったけれど、こんな笑顔を見せてくれたから良しとしようかな。




「そういや…おいヒナタ、また俺がこうなったら次はちゃんとキスしろよ」

「…キス?」

「おや。それならば先ほどマスク越しではありますが、」

『わ――――っ!!ななな何をおかしなこと言い出すのかな氷雨様!?』

「おい…そりゃ何の話だ…?」

「氷雨、何があったのかじっくり聞かせてもらおうか?」

「望むところですが…それを言うならば雷士こそ最初にヒナタ君と何があったのか洗いざらい話して頂きますからね」

「当然、フェアじゃないからね。あと紅矢も。ついさっき「次は」って言ったけど、それもどういう意味か教えてもらうから」

「はっ、そんなに聞きてぇなら聞かせてやるよ。テメェらが惨めになるだけだろうがな」

『……じゃ、じゃああたしはこの辺で……』

「ちょっと待ちなよ」

『ひぃっ!?』


良い雰囲気だったのが一変。何やら不穏な空気が流れ始めたのでこっそり退散しようとすると、それを見逃さなかった雷士にがっしり肩を掴まれてしまった。


「何逃げようとしてるの?君も当事者なんだからここに残るに決まってるでしょ…?」

「と言いますか…むしろ君の口から話して頂く方が公正かもしれませんねぇ」

「そりゃ良い考えだ。逃がさねぇぜ…ヒナタ?」


これぞまさしく四面楚歌。すっかり元気を取り戻しつつある3人はいつの間にかマスクも外していて、その整ったお顔全体で黒すぎる笑顔を見せ付けてくる。この連携プレーはもっと別のところで発揮してほしかったなぁ…。



この後あたしの本気の泣き声を聞いた蒼刃が殴り込んで来るまでの間、ドSトリオによる精神的なイジメはネチネチと続いた。あたしを弄り倒す3人の表情がそれは楽しそうだったことを忘れない。せっかく、せっかく穏便な流れだったのに…!


「きっさまらぁ…!ヒナタ様を泣かせるとはどういう了見だ!?」

「そんなつもりはなかったのですが…。しかし泣き顔も大変可愛らしかったですよ」

「俺は元々ヒナタの泣き顔は気に入ってる」

「うん、結構良かったよね」

「おー…何つーか、歪みねーなアンタら…」

「ま、マスター、もう泣かないで?」

『ぅう…っありがとう疾風…!』


3人がいつもの本調子を取り戻すことは確かに嬉しい。

けれど、最後まで看病するという約束を反故にしたくなったことは言うまでもないだろう。


end
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