long | ナノ







1

『ん…』


微かに震える瞼をゆっくりと押し上げた。視界がゆらゆらとぼやけている。あたし…眠っていたの?でも、どうしてだっけ。


「おや、お目覚めですか?」

『っ!』


その声を聞いて微睡の中から一気に引き戻された。顔を上げると傍にはアクロマさんが立っている。…そうだ、思い出した。あたしはあの時真っ黒な衣装を着た男の人達に捕まえられて、そしてこの場所に拉致されたのだろう。


「念の為お伝えしておきますが、少々薬を嗅がせましたので急に動かないほうがよろしいですよ。手荒な真似をして申し訳ありませんが思いのほか暴れていらしたので致し方なく…。ですがご安心を、睡眠薬の一種で人体に害のあるものではございませんので」

(いやいや、全然安心出来ないです)


確かにただの睡眠薬なのかもしれないけれど、そこはそれほど疑問視していない。それ以上に人を拉致してそんな薬品を使ってくるあなた達が不安というのが正直な気持ちだ。それに加えて目が覚めてもあたしが逃げ出さないように両手をロープか何かで縛られているらしい。益々持って不信感しか残りませんよアクロマさん!

思ったよりは冷静でいられているけれど、やっぱり怖いものは怖い。それでも睡眠薬のせいか怠い体を必死に動かし、ベルトにセットされたままの疾風と嵐志のボールを確認して少しだけ安心する。良かった…これで離れ離れにでもなっていたら本当に心が折れてしまいそうだった。でも相変わらず中から出ることは出来ないらしい。その原因であり諸悪の根源とも呼べるだろうその人を睨み付けると、彼は視線に気づいたのかニヤリと笑ってこちらに近付いてきた。


「くく、見かけの割には気丈なお嬢さんのようですね」

『昔なら泣いていたかもしれません。でも今は仲間がいますから』

「それはそれは…」


品定めするかのような視線。蛇に睨まれた蛙の気持ちが分かる気がする。怖い…すごく怖い。やっぱりこの人は危険だ。過去に戦って勝利したはずのトウヤさんですら警戒していた人だもんね。ゲーチスさん、だっけ。一体何のつもりであたしを連れて来たのだろう。


「そのお仲間ですが、真っ直ぐこちらに向かっているようですよ。辿り着くのも時間の問題でしょう」

『…あたしは人質ってことですか?』

「まぁそうとも言えますね。今はまだ詳しくはお話しませんが」


やっぱり…この余裕な感じ、まるでみんながここに来るのを待っているみたい。助けに来てくれているのは嬉しいけれど、何をさせるつもりなのか分からないのが不安だ。でもゲーチスさんがあの杖で妨害している限り疾風と嵐志をボールから出すことも出来ない。無力な自分が酷くもどかしかった。


(そういえば…キュレムさんは?)


そうだ、先に捕まったキュレムさんも多分ここにいるはず。不審がられないように注意しながら周囲に目を向けると、あたしがいる場所よりも少し奥まったところで大きな体を横たえているのが見えた。意識があるのかないのかは分からないけれど、ぐったりしているのは間違いなさそう。海辺の洞穴で随分と体力を奪われたはずだから当然だよね…。ここで声をかけるわけにもいかないし、そもそも返事をしてくれるかも怪しい。そうなるとああすることで少しでも回復を図ってくれているのを祈るしかない。


「ヒナタさん、と仰いましたか?」

『えっ!?は、はい…』


急にゲーチスさんに話しかけられたから驚いた。あたしの名前はアクロマさんにでも聞いたのだろうか。


「アナタもポケモンと会話する能力を持っているのだとか」

『はい、そうですけど…』

「なるほど、それはとても素晴らしい能力ですねぇ。いやはや、しかし世界は広い!まさかそのような力を持った方がもう1人いらしたとは!」

『もう1人ってNさんのことですか?』

「いいえ、ワタシクが知る限り出会ったのはNが2人目、アナタが3人目です」


…ん?Nさんが2人目?ということはNさんよりも前に同じ力を持った人に会ったことがあるということ?確かにあたし達以外に存在していても何ら不思議ではないけれど…今まで出会った人達の反応を見る限りイレギュラーな能力なのは間違いない。もしその人が公の存在なのであればあたしもメディアなどで見聞きしていると思うのだけど。

記憶を辿りながら考え込むあたしを見て、ゲーチスさんは何がおかしいのかニヤリと笑った。


「これはこれは…もしやご存知なかったのですか?ヒナタさん、アナタの母親も同じ力を持っていたということを」

『……え?』


初めは言われた意味がよく分からなかった。それはあまりにも唐突で信じ難い言葉だったから。だって、だってそうでしょ?


(どうして…!どうしてゲーチスさんがお母さんのことを知っているの!?)


ましてや同じ力を持っていたことなど。そんなのあたしは知らない。恐らくハル兄ちゃんだって知らないだろう。もし知っていたのならきっと教えてくれたと思うから。

なのになぜ縁も所縁もないゲーチスさんが知っているというのか。しかし問い質そうと口を開いた瞬間、アクロマさんの声がそれを遮った。



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