long | ナノ







1

「出て来い、エンブオー。」


トウヤさんが掲げたボールから出てきたのはエンブオー。確かポカブの最終進化系…だよね?ズシン、と大きな音を立てて降り立ったエンブオーはとてつもない威圧感を放っていた。首周りで轟々と燃え盛る炎、筋肉が盛り上がった体躯、真っ直ぐに前を見据える思慮深い瞳、エンブオーを形取る全てが息を呑む程の迫力で、恐ろしく鍛え上げられていることがあたしでさえ理解出来る。


『す、すごい…。』

「ありがと、そう言ってもらえると嬉しいよ。」


あたしが思わず感嘆の息を漏らすとトウヤさんが柔らかく微笑んだ。そして隣に立つエンブオーの腕を褒めるように軽く叩くと、エンブオーも誇らしげに鼻息を鳴らす。その様子を見て満足げに笑みを浮かべたあと、トウヤさんはゆっくりと目の前のガラスの壁へ手をかざした。


「―――っアナタまさか…!」


初めて聞いたアクロマさんの切羽詰まった声色。金色の瞳を見開き、頬には冷や汗を垂らして険しい表情をしている。そしてトウヤさんの行動を阻止しようと咄嗟に出た行動なのだろう、アクロマさんは苦し紛れにこちらへ手を伸ばした。


―――けれどそんな彼を嘲笑うかのように、トウヤさんはニイ、と口角を持ち上げて言い放つ。


「アームハンマー。」


それを聞いたエンブオーが咆哮し、一層首周りの炎を燃え上がらせて一歩踏み込む。そして振り上げた右腕を思い切りガラス窓へ叩き付けた。


「ぐっ…!」

『きゃあっ!!』

「おっと、大丈夫?ヒナタ。」

『は、はい…!』


轟音とエンブオーから溢れ出す熱気、そしてガラス窓が叩き壊された衝撃に驚いてよろけてしまった。けれどトウヤさんは何てことないようで、そんなあたしを抱き留めて支えてくれる。雷士とケルディオくんも驚いてはいたけれどすぐにあたしを心配してくれたらしく、すかさず足元に駆け寄って来てくれた。

2人が無事だったことにあたしも安堵して、次は今の状況を確認しようとトウヤさんの腕の中から顔を上げる。ガラス窓はエンブオーの規格外なパワーで粉々に砕かれ、きらきらと光る欠片が下に散らばっているのが見えた。すごい、とても頑丈そうな分厚さだったのにこんなに簡単に…。というかあたしが躊躇ったことをトウヤさんあっさりとやっちゃったよ!


「じゃ、行こうかヒナタ。」

『へ?』

〈ここから飛び降りるってことでしょ。〉

〈だな!〉


ぴょん、とあたしの肩に乗り直した雷士がいつもの静かな声色で言う。ケルディオくんも同調した…けれど、やっやっぱりそういうことなの…!?


「…っ行かせませんよ!」

〈お前は嫌いだ、邪魔するな!〉

『ケルディオくん…!』


あたし達を阻止する為に再びアクロマさんがこちらへ向かって来ようとしたけれど、すぐさま反応したケルディオくんが彼の足元へ向かってバブルこうせんを繰り出した。それに慄いたアクロマさんは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、白衣のポケットから何かを取り出そうとする。恐らくはモンスターボールか、先程も見せた仲間に連絡する為の通信機なのだろう。

確かにここを飛び降りればキュレムの元へ一番早く辿り着けると思う。けれど飛び降りることが可能であろう高さとはいえ、数メートルも上から飛ぶのはやはり怖い。行かなければダメだと理解しているし、ここでグズグズしていたらアクロマさんに阻まれてしまうのは容易に想像出来るのに…足が怖じ気づいてしまっているのが分かる。早く、早く、こんなところで立ち止まるわけにはいかないのだから。

頭ではちゃんと分かっている。だからこそ叱咤して恐る恐る足を一歩踏み出そうとしたとき、トウヤさんがあたしの肩を強く抱き寄せた。


「大丈夫だよ、俺を信じて?」

『…っ』


一寸の迷いもなく、はっきりと彼から伝えられた言葉。そしてあたしを真っ直ぐ射抜く強い光を灯した瞳。とても短いセリフなのに、トウヤさんが言うことで何故かとても説得力のある響きに聞こえた。


(…そうだよね、トウヤさんは多分あたしなんかよりずっと強い人だから安心していいんだ。あたしはここで足手まといにはなりたくない…!)


あたしの体の力が抜けて安心感を得たのが伝わったのか、トウヤさんが微かに微笑んだのが見えた。そして彼が目線で合図すると、エンブオーが一足先に砕かれたガラス窓から飛び降りる。それに続くようにケルディオくんも軽やかに飛び出した。


「まっ…待ちなさい!」

「あはは、誰が。」

『―――っ!』


アクロマさんを一瞥し、冷たく笑ったトウヤさんがあたしを連れガラス窓の縁を強く蹴って飛び降りた。

当然真っ逆さまに落ちていく体。けれど先に降りて待ち構えていたエンブオーがあたしとあたしの肩にしがみついていた雷士、そしてトウヤさんをまとめてしっかりと受け止めてくれたから痛みは感じなかった。トウヤさんが言った大丈夫ってこういう意味だったんだ…!


「ナイスキャッチ!怪我はない?ヒナタ。」

『は、はい!ありがとうエンブオー…さん!』

〈いいんだ、気にするな。〉


そう低い声で言ったエンブオーさんに笑みを返す。凄いなぁ、2人(プラス1匹だけれど)も軽々受け止められるなんて。何にせよトウヤさんを信じて良かった、雷士やケルディオくんも怪我はしていないみたいだし…。


〈ヒナタ、さっきのヤツいなくなったぞ。きっと仲間を呼びに行ったんだ!〉

『あっ、本当だ…。尚更急がないとね!』


「…ヒナタ、君ポケモンと話せるの?」

『へ?…あ、』


ケルディオくんの言葉につい普段通り反応してしまったけれど、その様子を見ていたトウヤさんは当然の如く驚いていた。やっぱり普通のことではないもんね…こういう顔をされることには慣れたとはいえ、何故それが出来るかと問われると分からないという答えになってしまうのが少し困りものかもしれない。


『ど、どうも生まれつきみたいで…。』

「そうなんだ。…アイツと、同じだね。」

『え…?』


そうポツリと呟いたトウヤさんは何かを懐かしむような表情を浮かべていた。でもこの表情にあたしは見覚えがある気がする。そうだ、確かあの時…


〈あ…ヒナタ!後ろ!〉

『!』


エンブオーをボールに戻したトウヤさんに声を掛けようとした瞬間、ケルディオくんが大きな声であたしを呼ぶ。その声に反応して後ろを振り返ると思わず息を呑んだ。


『…キュレム…。』


今降りてきた場所から見下ろした時よりもはるかに感じる威圧感。思っていた以上に巨体で、そして肌を刺すような冷気を体中に纏っていた。ここにいることは分かりきっていたことだけど、いざ目の前にするとやはり格が違うことを思い知らされる。

そして不意に、キュレムは閉じていた目をゆっくりと開いた。



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