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キュレムさんの全身を覆うかのように凄まじい冷気が渦を巻いている。これはきっとふぶきなんてものじゃない。何が来るか分からないのに何故かそう思った。怖い、すごく怖い。かろうじて絞り出せたのはただただ無責任な言葉だけだった。
『逃げて!!』
〈…っ!皆、儂の背に隠れろ!!〉
「もう遅い!!」
ゼクロムさんが氷漬けにされているトウヤさん達を守ろうと前に飛び出す。しかしゲーチスさんの言葉の通り既に遅かった。溜め込んだ冷気のエネルギーがキュレムさんの全身から一気に放たれる。一瞬で視界全てが白に染まり、とてもじゃないが目が開けられないし呼吸をするのもままならない。
(直接攻撃を向けられていないあたしが、これなんだから…皆は…!)
時間にして数秒、しかしとてつもなく長く感じた攻撃がようやく収まっていく。恐る恐る瞼を開けると、そこにはあたしにとって地獄に等しい光景が広がっていた。
〈ぐ、ぅ…っ〉
「ゼクロム!」
トウヤさんが悲痛に叫ぶ。それも当然だ。攻撃を真正面から一番最初に受けたゼクロムさんの体はあちこちが凍り付き、それだけでなく火傷のような傷も出来てしまっている。かなりのダメージを受けているのは間違いないだろう。
〈そなた、ら…よくぞトウヤとNを、守ってくれた…〉
〈いいえ、かろうじて守れたのは彼等のみ…我等の力不足に他なりません。何よりゼクロム様に御身を張らせるなど…!〉
そうか、トウヤさん達が目に見える怪我をしていないのはそういうことだったんだ。あの攻撃の中、最も非力だったのは人間であるトウヤさんとNさん。ゼクロムさんだけでは守り切れなかっただろう。そこをコバルオン達が更に庇ってくれたんだ。しかし彼らもまたゼクロムさんほどではないにせよ深い傷を負ってしまったのが分かった。
「如何です?これこそがレシラムを先に吸収したその理由ですよ」
「ホワイトキュレムと呼ばれるこの状態でのみ撃てる専用技、コールドフレア。万物を凍てつかせる威力は勿論のこと、その強すぎる冷気で火傷すら引き起こす効果を持っています。この技の前では如何なるポケモンも太刀打ち出来ないでしょう…。そう、かつては同じ肉体であったゼクロムですらも!」
〈なるほど…ゼクロムの高い攻撃力を半減させるには火傷は有効な手段ですね〉
「もうお分かりでしょうが、レシラムを相手にするほうが厄介だったのです。ほのおタイプを併せ持つ以上こおりタイプの技は有効打になりませんからねぇ。反面ゼクロム相手ならばドラゴンタイプの攻撃にさえ注意すれば圧倒的有利で戦えますから」
…プラズマ団はあたし達よりもキュレムさんについてよく知っている。よく調べている。それがとても悔しかった。でも今は悠長に悔やむ時間すら与えられない。何故なら負傷しているのは雷士達もまた同じだったから。それもゼクロムさんとコバルオン達が何とか守ってくれたおかげで、かろうじて大ダメージは免れたような有様だ。伝説と呼ばれる彼らの頑強な肉体がなければ全滅も有り得ただろう。それほどに凄まじい威力を持った恐ろしい攻撃だった。
それに皆の動きを封じている氷を一刻も早く何とかしないと不味い。特にトウヤさん達はいつ凍傷になってもおかしくない。
〈くそっ!この両手が動けば…!〉
「無理に暴れたらダメだ蒼刃!これ以上体を痛めたらそれこそ戦うどころではなくなってしまう!」
「…っゼクロムを回復してやりたいけど…」
トウヤさんの体が僅かに震えている。顔色も悪い。Nさんも同じだ。2人とも限界が近いのだろう。なのにあたしだけこのままのうのうと捕まっているなんて真っ平だ。たとえこの突き付けられた刃で傷ついても構わない。とにかく逃げなければ。
そんなあたしの意思を察したのかどうかは分からないけれど、いつの間にかすぐ傍まで来ていたゲーチスさんが悪魔のように囁いた。
「お辛いですねぇヒナタさん。しかし、お分かりですか?彼等が皆こうして傷付いているのは、全てアナタが原因なのですよ」
ひゅっ、と掠れた声が漏れた。心臓の鼓動が徐々に、しかし確実に激しさを増していく。
「全く皮肉なモノです。無謀な正義を胸にここまで勇ましく乗り込んできたアナタが、今やキュレムを救うどころか彼等の足枷に成り果てている。アナタが捕まらなければゼクロム達ももっと自由に行動出来たことでしょう。更に言ってしまえば!アナタがこの一連の件に首を突っ込まなければ、誰も彼も不必要に傷付くことなど無かったのです!」
「やめろ…!」
「まぁ、ワタクシ達にとっては非常に有り難い人質となって下さいましたがねぇ。間接的とはいえ計画完遂の手助けをして頂いて…深く感謝しておりますよ?」
「黙れゲーチス!!」
どんな時も冷静なトウヤさんが張り上げた声よりも、ゲーチスさんの言葉が蛇のように絡みついてあたしの耳から離れない。
(…この人の言う通り)
あの時レシラムさんとゼクロムさんは刃物を突き付けられたあたしを見て一瞬動きを止めた。そしてその隙をつかれてレシラムさんは吸収されてしまった。あたしが捕まらなければ皆あんな酷い傷を負わなくてよかったかもしれない。レシラムさんもいる状態でなら勝てていたかもしれない。キュレムさんを止めることが出来たかもしれない。
そもそもあたしはここまでに何を成し遂げた?プラズマ団の企みを阻止する為、Nさんとトウヤさんの合流の手助けをしたこと。…思い付くのはそれくらいだ。でもそれだって自力でトウヤさんを見つけ出したわけじゃない。結局のところ何もかもが中途半端だったのだ。根拠も自信も、人としてトレーナーとしての強さも。
(あたしは…無力だ…!)
首に突き付けられた刃物よりも、この目の前に広がる現実のほうが鋭く深く心を抉っていく。悔しい、情けない。皆が必死に戦っている中、トレーナーであるあたしが崩れ落ちるわけにはいかない。しかしとうとう堪え切れなかった大粒の涙が頬を伝っていく。
〈…!〉
涙で滲む目線の先、雷士がその瞳を大きく見開いたのが微かに分かった。そして次の瞬間、
『きゃあっ!!』
「な…っ!?」
突然もの凄い轟音を轟かせて洞窟内に稲光が走り、同時に雷士の体を覆っていた氷が粉々に砕け散った。
〈…ヒナタちゃんを、泣かせたね?〉
何が起きたのか誰も理解が出来ていないまま、氷の枷を脱した小さな体が高く高く舞い上がる。
〈死ねよ〉
それは、身震いするほど冷たく暗い声だった。
to be continue…
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