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最上階の更に上、天井を突き抜けた空間に彼はいた。静かに微笑みながらあたしを見つめている。
『…え、Nさん、お久し振りです』
「うん、久し振り。リゾートデザート以来だね?」
彼は子供のように嬉しげに笑う。本当に会うのは久し振りだ…そういえば彼はここで何をしているのだろう?
(……あ、そうだ!)
嵐志に、嵐志に会ってもらわないと!嵐志がそうだったようにきっとNさんも嵐志を忘れてはいないはず。
嵐志はずっとNさんに会いたがっていた…初めての友達であるNさんをずっと探していたのだから。
あたしは少し後ろに立つ嵐志に声をかけようと振り向く。するとその時目に入った彼は、空色の瞳に涙を浮かべて微かに震えていた。
あたしはギョッとして恐る恐る嵐志に声をかけようとすると、それよりも前に嵐志がか細い声を絞り出した。
「……っえ、ぬ…N、オレだ、覚えてるか!?」
溢れ出しそうになる涙を拭い、Nさんに問いかける。けれどNさんは一瞬眉を寄せて首を傾げた。
「…キミは、ポケモン…?」 「!そ、そーだな、ちょっと待ってくれ!」
あぁそうか、今の嵐志は擬人化しているから分からないんだ。嵐志もそれに気付き慌てて擬人化を解く。
〈今は進化しちまったけど…アンタと出会った時はゾロアだったんだ。な、覚えてねーか?〉
こんなに必死な顔をする嵐志を見たことがない。それだけNさんに対する親愛の情が深いんだろうな…だからこそ、きっとNさんも嵐志を覚えているよね。
あたしも嵐志に並んで真剣な眼差しをNさんに向ける。すると彼はしばらく考え込んだ後、こう呟いた。
「…ゴメン、ボクはキミを知らない。人違いじゃないかな?」
……………え、
(嘘、何で、)
Nさんは今、嵐志のことを知らないと言った。事態を上手く飲み込めず、思わず勢いよく嵐志に向き直すと彼は驚いているような顔をしていたけれど、すぐにヘラリと笑った。
〈…そ、そーだよな、ははっ悪ぃ!気のせいだったぜ!〉
「いいや、気にしないで」
ケラケラ笑って詫びた嵐志にニコリと微笑み返したNさん。端から見ればただの人違いのやり取りにしか見えないかもしれない。
でも、あたしにはとてもそんな和やかな光景には思えなかった。きっと雷士も同じだと思う。
『―――っま、待って下さいNさん!Nさん本当は、』
〈姫さん!!〉
『…っあ、嵐志…?』
〈…いーんだよ、気にすんな。それよりもーすぐメシの時間だしセンターに行こーぜ!〉
『あ、ちょ…!』
声を張り上げるあたしを制し、腕を掴んで強引に歩き出す。引っ張る力は強いのにその腕は微かに震えていた。
〈…行こう、ヒナタちゃん〉
『……っ』
雷士の促しもあり渋々歩みを進める。けれどその場を去る瞬間、チラリと盗み見たNさんの表情にあたしの感じた違和感は間違いじゃないと1人確信した。
−−−−−−−−
『……』
ポケモンセンターで夕飯を食べ終えた後、皆それぞれ自由な時間を過ごし始める。あたしは何となく1人になりたくて、みんなには適当な理由を言ってロビーのソファでジッと考え事をしていた。
すっかり暗くなった外を眺めながら、散り散りになる際にさり気なく嵐志に声をかけた時のことを思い出す。でも彼はいつものように人懐っこくヘラリと笑うだけでNさんのことは何も言わなかった。
……ううん。いつも、とはやっぱり違うと思う。きっと嵐志はあたし達に心配させないようにいつも通りを装っているだけだ。嵐志は、優しいから。
(…優しいから、肝心なことは黙っているんだよね)
本当は泣きたいだろうに、本当はもっとNさんと話したかっただろうに。こんな時トレーナーのあたしには何が出来るのだろう。
〈…ヒナタ様〉
『!蒼刃?』
低く凛とした声であたしに呼びかけたのは蒼刃。目尻を下げている表情からして、きっとあたしを気にかけてくれたのだろう。波導で相手の感情を察知する蒼刃に嘘はつけないから。
『…ゴメンね蒼刃、わざわざ来てくれて』
〈とんでもありません、いつでも貴女をお支えするのが俺の喜びですから。それで…原因は、嵐志とNという男ですか?〉
『うん…Nさんはね、嵐志の大事な友達だったの。昔離れ離れになっちゃって…嵐志はずっと彼を探してた。それなのにNさんは…嵐志を知らないって、』
さすが蒼刃、きっとボールの中からさっきのやり取りを見ていたのだろう。情けなく顔を伏せるあたしの前に膝をつき、蒼刃は静かに話を聞いてくれている。
『…でもね、あたしはNさんの言葉が信じられないの。だってNさん…、』
〈さすがはヒナタ様、素晴らしい洞察力です〉
『え…?』
クスリと、小さく笑った蒼刃は優しくあたしの手を取った。そして顔を上げたあたしと真っ直ぐに視線を交わせる。
〈俺もヒナタ様に同意します。あの時Nの波導は大きく乱れて揺さぶられていました…きっと彼は嵐志を忘れてなどいません。波導は嘘をつきませんよ〉
あたしを慰める為の浅い言葉じゃない。蒼刃は根拠を以って本気で言ってくれている、それがしっかりと伝わってくるのが嬉しかった。
『…っうん、ありがとう蒼刃!』
〈っ!ヒナタ様!?〉
ソファに座ったまま目の前の蒼刃をギュウと抱き締めると、無理な体勢に驚いたのか蒼刃がたじろぐ。体を離すと真っ赤な顔をしていたからよっぽど苦しかったのかな、ゴメンね!
『よっし、元気出た!ねぇ蒼刃、1つお願いがあるんだけど…聞いてくれる?』
あたしのやることは決まった。それが正しいのかどうかは分からないけれど、苦しんでる嵐志を見て見ぬフリなんて出来ない。
〈勿論です、俺が貴女のお願いを断るなど有り得ません〉
そう言ってまた恭しく膝をついた蒼刃にニッと笑いかけた。
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