艶やかであれ | ナノ





まさか雨が降るとは思わなかった。毎朝頼りにしている天気予報が外れたのだ。こんなこと、滅多にないのに。手元にはもちろん、鞄の中に折り畳み傘なんて都合のいい物はなかった。慌てて雨宿りをしようとしたため、部室に入ったのはいいが部室には置き傘なんてない。どうせ行くなら職員室にでも行って傘を借りればよかったな、とぼんやり考えながらハンカチで濡れた所を軽く拭き取っていると、急に扉が開く。驚いて顔を上げた先には、自分以上にびしょびしょに水を被った瀬戸がいた。

「あれ、あんたも雨宿り?」
「ああ、まぁ……」

こんな所で待遇するなんて思っても見なかったので、動揺が隠せない。雨がいつ止むのか分からないけれど、いくらマネージャーだからとはいえ女性と二人きりという状況は少しばかり緊張する。本人は気さくな性格だからかそんな事これっぽっちも思ってなさそうだけど。
ちらりと横目で瀬戸を盗み見すると「うひゃー」だとか「ひでー」だとか言って、長いスカートの裾を搾っていた。よく見ると泥が飛んでいて茶色く汚れていた。なんだか嫌な予感がして、その顔を見ると、予想通り。頬にも汚ならしく泥が跳ねていた。

「やっぱり……!」
「は?なにが、」
「いいから、座れ」

ぐ、と腕を掴んで近くねベンチに座らせて、その隣に俺も座った。なんだよ、と不満を丸出しにするから、泥ついてる、と簡潔に答えてやる。綺麗な顔をしているのに行動は真逆だ。口を滑らせて言ってしまえば只じゃおかないだろうな、下らない事を考えている間に泥はすぐに落ちた。本当に、綺麗だ。顔が近くなって改めて意識してしまい、体がじわりじわり熱を帯びてきた。あ、まずい。目が離せない。まるで金縛りにでも遭ったように神経は言うことをきかない。

「しん、どう?」

濡れた唇がゆっくり名前を紡いで行くのを見て、ピストルで脳髄を撃ち抜かれたような衝撃が落ちてくる。額に貼り付いた湿った前髪をそっと掻き分けてやると、長い睫毛が上下してぱちぱちと音を立てた。小さく洩れる吐息や、きらきらした瞳、首筋から鎖骨を伝い落ちる水滴、体のラインにぴったり貼り付いてしまったワイシャツから、うっすら透けて見える下着が男の欲をぐつぐつと煮え立たせてニタニタ下品に笑いかけてくる。気付かないふりをしようとしても視界に入って来て侵される。
食べたい。本能的にそう思った。健康的な腕を一本ずつ口の大きさな合うよう刻んで煮て食おうだとかそんな食べ方でなく、すらりとしたその体の隅々に舌を這わせて芯が溶けてる程愛でてやりたい。そんな事を考えているなんてバレたらどう思われるだろうか。気持ち悪いと軽蔑されるか、幻滅されるか、もしかしたらもう二度と声をかけてくれなくなるかもしれない。いつだって明るく投げ掛けられる言葉が無くなってしまうかもしれない。そんなの、ごめんだ。唇を噛み締め目を反らす。無機質な床が嘲笑うようにこちらを見ていた。意気地無し。踏み込むのが、怖いのだ。「ご、ごめん」咄嗟に呟いて離れようとすると長い指で頬を摘ままれた。というより、つねられた、と言った方が正しいであろう。彼女が何を考えているのか分からなくて身が止まった。怒っているんだろうか、混乱している俺を放ってぐにぐにと玩ぶように顔の形状を変化させられていく。「痛い」ありのままの感想を漏らせば「うるさい」と一喝。
無邪気な瞳がひどく痛かった。どろどろとした感情が産まれてから消えることはない。むしろ膨大していって、拳を握りながら苦痛に耐える。理性を保て、そう言い聞かせる。

「神童」
「え」

不意に呼ばれた名前に油断して、ばちりと目があってしまった。柔らかな唇がゆっくり酸素を吸い込む。胸が上下して生きた人間がここにいると、強調されているようだった。お腹が、すいた。

「本当、いくじなし」

それだけ言うと、顔を強引に引き寄せられ触れるだけのキスをされた。冷たい、唇。そのたった一つの武器で俺の欲は再び沸騰を始める。




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