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※ミストレ十年後
※捏造あり




鼻腔を擽る慣れない香りに眉間に皺が寄る。重たい瞼を擦ると、其処は見たこともない一室だった。生活感なんてまるでない、冷たい白い部屋。ここの居住者は無駄なものを嫌う心の冷たい人なんだろう。いや、そんなことよりも、何故自分が見たこともない誰かの部屋へ足を踏み入れて、あげく一人分としては大きすぎるベッドので眠っていたのか。昨夜は真っ直ぐ家に帰って浴槽に浸かり、最近さらに抜け出す事が多くなった元気な患者が主な原因で溜まった疲れを落として、明日も仕事があるためお酒に手をつけずベッドに潜り込んだ、はず。おかしい。これはもしかして、夢だろうか。それにしてはやけに現実的である。空気も、匂いも、感触も。まさか、と愛用の寝間着をまさぐる。大丈夫、ちゃんと下着は着いている。杞憂だった。

「やっと起きたみたいだね」

聞き覚えのない声だ。視線をそちらに向けると、扉にもたれ掛かり不敵に口元を吊り上げる男がいた。きっとこの部屋の主だろう。女の子みたいだ。しかも、整った顔をした美人。身に纏っているのは何処かの国の軍服だろうか。なんだか、釣り合わないなあ。おっと、違う違う。見とれてる場合ではない。

「あなた、誰?」
「ミストレーネ・カルス。ミストレでいいよ。久遠冬花さん」
「あの、私たち、知り合いでしたっけ」

この男もといミストレは卑しい笑顔を貼り付けたままベッドへ近付いてくる。「これからそうなっていくよ」と、わけの分からないことを言いながら。なんだか、ちょっと怖い。体は正直なもので、咄嗟に後退りしてしまった。彼が前に、私は後ろに。距離的問題があって、彼がベッドの前に来るまでに、壁と背中がぶつかってしまった。

「あの、状況がいまいち分からないのですが」
「単刀直入に言うのは好きじゃないんだけどな……俺は君に惚れたんだ、それだけだよ」
「はあ、ありがとうございます」
「でも君は俺を知らないし、好きでもないだろう」
「……はあ」
「だから強引に連れてきた。未来にね」
「え?未来?」
「そうさ」

もったいない。こんなに奇麗な顔立ちをしてるのに。この人、頭がおかしいんだわ。
勤め先が病院であれ、この手の人は初めてだ。受け持つ患者は皆色々な話をしてくれるけど、ここまでくるとは。もしこの手の患者が来た時、どうしよう。しっかり対応しないと。

「気に入った物は必ず手玉にしたい趣向なんだ。例えそれが誰かの物でも、ね」
「ジャイアンみたい」
「つまりさ、俺は君のことが気に入ったんだ。有難い事なんだよ、これ」
「嬉しくない。家に帰してください」

ぽろっと本音が漏れる。しまった。自分のことを上位に評価するような人だ。こうして否定しまうときっと誰よりも不機嫌になる。正にその通り。笑顔は一転、眉を潜め鬼のような形相になる。それを隠そうとしてるのか、まだ少し先ほどの微笑みの面影が残っている。

「……嫌だと言ったら?」
「目を盗んで逃げる」
「(即答……)無駄だよ。逃げれるわけないじゃないか。ここは君の住む世界じゃない。70年後の世界なんだから。言ったろ、未来なんだって」
「……馬鹿みたい」
「信じてないみたいだね。それもそうか」

とにかく、帰りたいの一心である。私には仕事があるし、大切な患者達がいるし、たった一人の家族もいる。こんなわけの分からない所に、残るわけにいかない。
ミストレはベッドの脇の小棚から何か四角いものを取り出した。脅迫されるかもしれない。ぎゅ、とシーツを握り締める。手は汗ばんでいてじっとりとしていた。目を凝らして、ただただミストレの様子を伺う。その薄く紙切れのようなものは一枚の写真だった。写っているのは、

「誰?」

丸い希望を秘めた輝く目に、つんつんに尖った青に近い黒い髪。誰かに似ている。いや、正確に言えば誰かと誰かに似ている。そんな人であった。初めて見る顔なのに、何故か彼らの姿が脳裏をさ迷う。

「円堂カノン。君が好意を寄せている円堂守の、曾孫さんだよ。……誰との間の子かは、言わなくたって分かるよね」

耳が千切れてしまえばどんなにいいことか。よく鈍感だと言われるが、さすがに鈍感でいられなかった。鋭く冷たいナイフが胸につぷり、突き刺さる。穏やかに犯される痛覚が一筋の滴となり体のラインに従って垂れ落ちた。冷めてしまったはずの愛が、どくどく加速して流れ出した。おかしい。私のこれは、彼らが結ばれた時から姿を消したはずなのに。

「君の恋は叶わない。これは何年後も変わらない運命なんだよ。諦めた方が身のためだ」

悪魔の囁きだ。赤いそれは止まることを知らない。抑えようとすると、この上ない痛みが襲い掛かってくる。ミストレはそんな私の姿を哀れむように嘲笑うかのように見下ろしていた。

「……ねぇ、俺なら君を愛してあげれるよ。君を楽にしてあげれる。生きる時代が多少違うだけ。大丈夫、すぐ慣れるさ。住めば都って昔からの言葉があるだろう」
「…………いらない」
「え?」
「貴方からの愛は、遠慮する。私は、元の世界に帰るの」
「………君さあ、さっきの話聞いてた?それとも意味が分からなかったわけ?……意外と頭回らないんだね。驚いたよ」
「…………」
「で、どうする?」

私が彼に抱いていたのは、間違いなく愛であった。結ばれたい、なんて我が儘なこと、望んでなんかいない。そう思っていた。そう思っていたかった。

「帰るわ。たとえ私が報われなくても、大好きな人が、大好きな人と幸せになれるならそれでいい。私はそれで、幸せだもん」

虹彩に柔らかに笑う彼らの姿がちらつく。私は一人。

「あ、そ」

先程の自信は何処へ行ったのか、さも興味無さげに溜め息を吐いた。「可哀想な子だね」写真を適当に放ると、ベッドに歩み寄り、とうの昔から逃げ場を無くしている私に更に逃げれないように手首を拘束した。空いた手で首筋を撫でられ、擽ったさに下唇を噛む。やがて顎を捕らえると視界いっぱいに写る長い睫毛が微かに揺れた。

「これは、慰めだよ」

そうして落ちてきた何の味もしない乾いた口付けに抵抗する気など生まれやしなかった。





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