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彼女から連絡が途絶えたのは夏頃のことだった。仕事柄、忙しくて当然だろうとはじめの内は気にならなかった。しかし、彼女からのメールの受信日時が過去になればなるほど、右腕が無くなってしまったような虚無感が大きくなっていった。いま何をしているのか、昨日は何を食べたか、東京の天気はどうなっているのか、くだらない話ばかりだったが、いざなくなってしまえば寂しいものだ。此方からメールをしてみようか、そう思い新規メールを立ち上げたこともあった。だが、妙に気を使ってしまいうまく文章を作れないまま、保存フォルダに放っている。彼女と同じように、自身の仕事が忙しくなりメールボックスの中身など、あまり気にならないようになっていった。



「本当に、久しぶりだね」

携帯電話を通さず、直接彼女の声を聞いたのは、十年ぶりだ。昨夜、何ヵ月も停まっていた彼女からのメール受信日時が更新された。内容はゴールキーパーを目指す一年生に、特訓をしてやってほしいというものだった。雷門の役に立てるというのもあるが、何より彼女から頼ってもらえたということが素直に嬉しかった。勿論二つ返事でメールを送信しかえした。今日出会った当時の自分より一回り小さな彼は、きっとこれから先、雷門のゴールを背にする守護神になるだろう。丸く希望を込めた瞳は誰かのそれによく似ていた。
十年という長い歳月。髪を切った、背が伸びた、今まで分からなかった世界が少し分かるようになった。しかしそれ以上に彼女はうんと大人っぽくなっていた。マネージャーをしていた時の、元気あふれる無邪気な面影を感じとることが出来なかったのだ。

「……久しぶり、音無さん」

そのためか、交わした言葉はひどく縺れていた。いや、縺れていたのは自分だけであった。彼女は、十年前と変わらない優しい言葉で話しかけてくれたのに。せっかく再会することが出来たというのに。もっと自然に話すことが出来たはずなのに。足元から、後悔の海の中へ浸かっていく。ギクシャクしたまま福岡に帰る、なんて一日だ。それでも彼女の姿を一目でも見ることが出来たんだ。これでいいじゃないか「まさか立向居くん。このまま帰るつもり?」「えっ」

「十年ぶりなんだから、ちょっと付き合ってよ」

白く並んだ小さな歯を覗かせて意地悪そうに笑う彼女のあどけない姿に、確かに俺の心臓は大きく音をたてた。


さて、どうしてこうなったのか。


「あの、音無さん」
「なあによぉ、私の酒は飲めないっていうの?」
「……いや、そうじゃなくて」

無邪気で騒がしい生徒を見守る、あの母性溢れる穏やかな音無先生は何処へ行ってしまったのか。林檎のように紅くなった頬を膨らませる彼女は、まるで子供そのものである。お店に入って、まだ三十分もたっていないはずだ。それなのに、この酔いっぷり。飲み過ぎか、それとも単純に酔いやすい体質なのか。

「明日に響くよ」
「大丈夫です、立向居君がちゃんと送ってくれるんだし、……」
「音無さん?」
「……そっか、福岡に帰らなきゃ駄目だったんだよね……」
「まあ、俺も仕事があるからね」
「…………で」
「え?」
「帰らないで」













「……冗談ですよーだ」
「あのさ……飲み過ぎだよ、音無さん」

ふふふ、と含み笑いをされる。目は虚ろだし、そろそろ止めなければ後が大変だろう。何より彼女のこの意味深な言動一つ一つに振り回されることも、久々すぎて心臓が持たない。十年前から、何にも変わってないのだ。この胸を擽る感情は。残り僅かになったコップの中の酒を飲み干すと、妙な熱い視線を感じた。濡れた唇を拭い、彼女と改めて向き合う。桃色の小さな唇がゆっくり開いていく。

「ひどいよね、立向居君って。私がメールよこさなくなったら、ぱったり連絡くれないんだもん」
「そ、それは」
「いいよ、別に。気になんかしてない」

そう言って俯いてしまう。鼻をぐずり、肩を揺らし始めたので、まさか、と背筋が凍る。泣かせて、しまっただろうか。「お、音無さん」情けない声しか出なくて、自分も泣きたくなった。格好のついたことなんて、出来ない。慰めのつもりか、無意識に伸ばした手が上下する肩に触れる、その直前。

「……冗談ですよーだ」
「…………」

溜め息すら出てきやしない。行き場のない手は空っぽのコップへ移動した。何杯呑んだのだろう。明確な数値は分かっていないが、少なくとも彼女より酒に強いため、理性を抑えることは可能だ。しかし、こうもからかわれると我慢というものは出来そうにないのだ。ガラスに映るほんの少し頬の赤い自分は、情けないものであった。

生ぬるい沈黙。特に話したいことがないはずでもなければ、話したくないわけでもない。むしろ十年の距離を埋めたい。何をしていたか、何があったか、くだらないことでもいい。保存フォルダと化した脳は、書きかけのメールを作成しては放るばかり。送信など、出来るはずない。しかし、このまま、というのも嫌だ。

「メール、送れなかったのは、さ。なんか、ほら、うまく文章にまとめれなくて、」
「……うん」
「保存したままで、送れてないんだ」
「見せて」
「え」
「私宛てなんでしょう?だったらいいじゃない」

確かに。拙い文章であるのは今こうして説明したんだ、別に見せてしまっても構わないだろう。というより、携帯を手渡したほうが早いような。納得して、保存フォルダを開き彼女に手渡す。どことなく満足そうに「どれどれ」なんて、テストを採点するような言葉遣いと仕草に、改めて教師になったんだと知らされた。

しばらくして、違和感を感じた。さほどメールは長くなかったはずなのに、彼女から携帯が返って来ないままだ。おまけに、先ほどより顔が赤くなっているようにも見える。いや、待てよ、自分はメールで、彼女に何を伝えようとしていたんだ?

「……!お、音無さん、あのさ、そのメール、見なかったことにしてもらえる?」
「しっかり目に焼き付けちゃった」
「……だよね」
「……返事、しなきゃね」
「え、」
「私も、寂しかった」












「…………私も、立向居君のことが、」


ばちり、藍色の瞳と目が合う。恥ずかし気にはにかむ姿は、十年前と変わらない。ずっと忘れることはなかった、そんな笑顔に胸を打たれたのは、俺、だ。




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