■ 仕掛ける罠

去年の今頃は何も考えてなかったのに、立場が変わるだけでここまで思考が異なるものだったとは。
今日は立海大附属高校の卒業式である。教室の窓から身を乗り出して立海の校舎を眺める。中学の校舎が目に入り、自然とその向こう側にあるテニスコートが思い出され、目がじわりと熱を持つ。


「何、泣いてるの?」


そう言って、隣の窓枠に背を預け横目で窓の外を見るのは我らが部長、幸村であった。彼はいつもと変わらぬ様子で、いや、いつもより優しい雰囲気を纏っているように見えた。


「まだ泣いてないよ、…でも式中は泣くと思う」

「そうだな。中学に入ってからあっという間に六年すぎちゃった、って感じ。…式中泣きすぎるなよ。終わったらテニス部の打ち上げあるんだからね」

「…赤也の前では笑顔で居てあげたいから、泣かない。いちばん寂しいのは、絶対赤也だからね」

「ああ、そうだね…。ふふ、赤也も三年前からじゃ、ずいぶん成長したよね」


この学校には、この敷地には、たくさんの思い出が詰まっていて、見渡す風景ひとつひとつがその記憶の蓋をこじ開ける。中学一年生の頃にマネージャーになってから、立海テニス部は私の居場所だったし、彼らの居場所もあのコートだった。赤也が入学してからは部内がさらに活気づいて。その年の冬、幸村が倒れて、入院。必死に幸村を追っていた赤也は意気消沈。真田ですらも集中力が欠けたこともあった。しかし、幸村のお見舞いに行ったときに告げられた「苦労をかける」、その言葉に誰もが自分を叱咤し、チームを向上させようと努力した。その後の関東大会・全国大会はともに準優勝に終わったものの、中学三年間で最高の試合だった。ああ、そういえば幸村が負けたとき赤也泣いてたっけなあ。思い出したらキリがない大切な宝物たち。頬を流れる涙に気付いたのは、えっ、と呟いた幸村に反応して俯いた頭を上げたときだった。


「ああ、だから泣くなって言ってるだろ」


止めようとしても止まらない涙が頬を伝う。幸村に言葉を返そうと口を開くものの、喉の奥が熱を持ち始めて言葉にならない。窓に背を向けてずるずると体育座りでしゃがみこみ顔を膝にうずめる。この後の四年間も一緒の大学に、立海大に進学予定だが、学部がそれぞれに違うので今までのようにはいかないだろう。寂しいという感情が心を覆う。ぐずぐずと泣いていると幸村の手が頭に乗って、ぽんぽんと撫でられる。初めての行動に驚いたが、幸村の優しさが伝わってきて無性に嬉しかった。


「仕方のない奴だね、お前も。…俺たちは何があっても、離れたとしても仲間だ。そう誓ってくれたのは、みょうじだよ。泣いて叱ってくれたこともあったね」


ふふ、と笑う幸村の声にまた涙が流れる。三年前、手術を目前にして癇癪を起こした幸村に私が放った言葉だ。


「…また、涙出てきたじゃん…!」

「もう、いい加減泣きやめって。ほら」

「うわ、」


左腕を持ち上げられて、しゃがみこんでいた私は自然と立ち上がり、幸村の胸に飛び込む形となっていた。ぽんぽんと背中に回された手が動かされる。


「ちょ、っと幸村、何してんの」

「お、泣きやんだ?よかったよかった」

「もう、泣きやんだから離して超恥ずかしい」

「んー、あと少しー」


抱かれた驚きで泣きやんだ私は一気に羞恥心に襲われ、幸村を離そうと試みるが、背中に回された両の腕は固く固定されていて動きもしない。それだけでも恥ずかしいというのに、幸村は私の肩を顎置きにしたため顔が近い!耳元で喋るな!息するな!あと、髪の毛からいい匂いがした。幸村マジック。羞恥心からの現実逃避をしている私をよそに、幸村はそのまま喋りだした。肩が顎に揺らされてガクガクと振動する。シャープな顎が刺さって地味に痛い。


「…卒業式終わったら言おうと思ってたんだけどさあ」

「何?っていうか、そこで話されるとくすぐったい。ぞわってする」

「俺、お前がマネージャーでよかったよ」

「…無視されたのはあれだけど、ありがとう。…私も、幸村が部長でよかったよ」


顎置きにされていることを感謝した。正直、こういったお礼とかは面と向かって言えるタイプではないから。この体勢は、やっぱりやめてほしいけど。


「…それと」

「はい」

「…、それと」

「…」

「…俺、みょうじのことが好きだ。付き合ってほしい」

「…は?」


幸村はそれだけ言うと、先ほどまで離れなかったのが嘘のように、ぱっと離れた。信じられない言葉が聞こえたので、勘違いじゃないよね、と自身でも分かるほど熱を持った顔を幸村に向ける。すると、驚いたことに幸村の顔がほんのりと色付いているではないか。


「返事は?」

「え、今なの?っていうか本気?」

「今じゃなくてもいいけど…。先に謝っておくよ、ごめん」

「…どういうこと?」

「俺、勝ちが分かっている試合を挑んでるんだ」

「え、それ、…あ!」


じゃあ、私が幸村を好きなことを知っていたってことか。何で、いつから、じゃあ今までの行動は断られないことを承知の上で、と考えたところで、幸村の「勝ちが分かっている試合」の意味を理解した。あああ、あいつにばれたときから…!


「告白が成功する確率は、今のところ限りなく100%だ、だってさ」


にこりと微笑む幸村に恨みがましい目線を送りつけるが、それを意に介さず彼は私の腕を引いて教室から廊下へと歩き出す。糸目のデータマンが目的地だったらしく、彼を見つければすぐに幸村が報告をし始めた。

その後始まった卒業式は泣くに泣けないし、打ち上げでは事情を知った皆にからかわれるし、予想通り赤也に泣きつかれるしで、感動どころじゃなかった。…けど、この九人でつくりあげた絆と新しくこれからつくりあげる幸村との関係は、きっと私の中で一生の宝物となる。

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