小説 | ナノ

 カーテンを開け絵の具の黒で染まったような暗い空を眺める。昨日の天気予報では降水確率50%だったのに今日はこの空模様、どうやら昨日俺が作ったてるてる坊主では力不足だったらしい。カーテンレールに吊るしてあるそれを恨めしく睨む、がこんなことをしても天気は変わらない。はぁ、と溜息をついて今日一日が始まった。

 俺は雨の日は好きじゃない。特にこんな大雨の日なんかは学校に行く事さえ億劫になる程に。とりわけこれっていう理由があるわけでは無いが昔から暗い場所が嫌いな俺にとってこの薄暗さはどうも心地が悪い。それに濡れるし、ジメジメしていて良いことなんて全然無いから。毎日晴れれば良いのにな、と非現実的な理想を思い浮かべては深く溜息を吐く。

 歩くたび跳ねる雨粒、横殴りの雨、おかげさまで学校に着いた頃にはもうびしょ濡れだった。傘も気休め程度の雨除けにしかならずこの有り様。友人も皆同様に濡れているようでタオルで制服を拭いたり乾かしたりしているのを見かけた。

 今日晴れていれば外でハードルだったのにな、と思いながら濡れた鞄を拭く。運動ができない俺が唯一好きな陸上競技。朝だけでも晴れていれば走れたであろうグラウンドは溜まりに溜まって行き場を無くした雨粒たちによって水浸しになっていてもちろんこのままでハードルなんてできやしない。こうなれば代わりに行われる授業は恐らく体育館でのバレーかバスケのどっちかになる、俺は思わず顔を顰めた。
 このカビでも生えてきそうな湿気と肌にまとわりつくこの暑さ。密閉状態にほぼ等しい体育館のことを考えればよりひどい環境であることを想像するのは容易なことで、俺はそう思うと仮病でサボってしまおうかなんて気にもなるが、体育の点数はただでさえ低く休む訳にもいかないので大人しく体操服に着替える。まあもっぱら球技が苦手な俺は大抵突っ立ってるのがオチなのだ。今日もそうだろう。


 体育の授業がチャイムと同時に始まる。適当に準備体操や軽くサーブ、アンダーとオーバーの練習やらを終えた後、女子と男子で別れ試合をする事に。バレー部の人を中心にそれぞれグループに分かれ試合をする。くじで分かれた結果どうやら白石は相手チームだった。

 特に気にするわけでは無いが、あの日以来必要以上に白石を意識してしまうことが増えた。
 無関心であり続ける、それだけで俺の心は穏やかでいられるだろうに。どうしてかそう考える思考とは反対に俺の目は彼の姿をいつの間にか捉えようとするのだ。


ーー、っ。そうして今日も見つめるつもりはなかったのにカチッと目が合う。なんとなく気まずくて目線を逸らすも、あいつは何も気に留める事なく準備を進めていた。それがまるで俺だけが気にしているみたいで、俺はこんな自分が恥ずかしく顔を伏せた。




 後半戦ででる予定の俺はスコアラーとして得点板の横にボーッと突っ立ってる。そんなやる気のない俺と裏腹に俺の目の先には熱烈な試合が展開されている。
6点リードしていたはずの俺のチームは気づけばもうデュースに持ちこまれていて何方が先に2点を取るかの延長戦。そんな真剣勝負が繰り広げられて、何方のチームも声援が体育館中に広がっている。でもそんな白熱した試合にも関わらず俺の視線はなぜかボールでも無く白石ばかりを捉えていた。
別に何かあるわけでは無いのだが少し、ほんの少しだけどこかいつもと違う様なそんな気がして。いや、いつもとなんら変わりないし、気のせいと言えば気のせいなのかもしれない。でも一瞬だけ、俺の視界に入ったあの表情がどうも気になってしまう。どこか無理をしているそんな気がしたから。

放っておけば良いかも知れない、誰かが気づいてるかも、俺が行ったら迷惑かもと何度も悩んでいるうちに点数は2点差に。前半戦は俺たちの負けで終わった。試合の結果もどうでもいいくらい俺の頭はさっきの事で頭がパンクしそうだ。どうして好きでもない白石の事を気にかけているのか。自分でも分からない。嫌いなら放っておけば良いと自分でもよく分かってる。踏み出しかけた足を止めて立ち止まる。でも後で何かあって後味が悪くなるのはもっと嫌だから、俺は意を決して白石のもとに駆け出した。

ベンチで水分補給中の白石は近づいてくる俺を一瞥すると立ち上がり離れようとする。俺はすかさず彼の左手首を掴み引き留め間髪入れずに質問を投げかけた。
「なあ、白石。もしかして体調悪い?」

そう尋ねれば白石はそれが想定外の質問だったのか一瞬立ち止まる。そしてぱちぱち、と何度か瞬きをした後「何や急に。別に大丈夫やで」といつも通りの笑い顔を浮かべ、即座に俺の手を振り払い俺の側から逃げる様に離れていこうとする。でも、やっぱり顔色が良くないのを見かねた俺はごめん、と心の中で謝り白石の額に手を当てる。やっぱり、熱い。

「……なあやっぱり熱あるよ。一回保健室行こう?体調崩して倒れたんじゃさ、白石も困るだろ」
それでも彼は、さっきバレーしたからかもな、と頑なに大丈夫だからと笑っている。それでも俺は引かずにいた。すると痺れを切らしたのか迷惑だ、とでも言いたげな目をしながらこちらを見る彼の目に気圧され、思わず手を離し一歩下がる。

そしてそのまま立ち去ろうとしたその時、白石は一歩進もうと足を踏み出したところを何も無い場所でバランスを崩し倒れかけた。頭を抑え顔を顰める彼はどこからどう見ても辛そうで。
……やっぱりダメなんじゃないか。と思いつつ白石を保健室に連れて行くことを先生に伝えて俺は白石を保健室に強行させる。


「別にこれくらい平気やって」
いつものことだから、と笑う姿を見てやっぱり放っておかなくて良かったなと思う。
「そう言って、白石いつも無理してるじゃん。しんどい時くらい誤魔化さずに休んでいいと思うよ。俺は」
俺は振り向きもせず保健室に向かう。彼の顔も表情もどうなってるか知らないがそれ以降白石は抵抗することなくすんなり付いてきた。


保健室にくれば保健医の先生がいたので事情を説明しお願いする。
熱を測れば白石は案の定熱があったみたいで彼は保健室のベッドでしばらく休む事に。代わりに来室カードをわかる範囲で書き込んで俺は再び授業に戻る。
彼がああやって今まで無理してでも頑張って繕ってきたのかと考えると大変だな、って思うのと同時に同情しかけた。
人の好意にくらい甘えとけばいいのに。

そうやって俺は保健室を出て授業へ戻ろうと足を運ぶ。窓の外は未だ真っ暗で静かな廊下には降り注ぐ雨の音だけが聞こえる。雨が止む気配は無い。




その後の授業で白石は戻ってくる事はなかった。お昼休みに先生がお弁当を取りに来てたあたりちゃんと休んでるらしい。
ちゃんと授業の内容はノートに取って机の中に入れたのでこれで俺の仕事は終わり。白石のことだし別にこのくらい書かなくても分かるのだろうけど俺の些細な詫びの気持ちだ。


ようやく小雨になった放課後、帰ろうとポツポツ歩く俺の背から名前を呼ぶ声が聞こえる。
誰か、と思い振り返ればそこには白石が立っていた。

呼び止めたのは白石なのに彼はなかなか喋り始めない。この空気に耐えられなかった俺は彼に話を振った。
「あの、さ。大丈夫?体調良くなった?」
と問えばこくり、と頷いた。
「そっか、」

「あと、机に今日の授業のノートと課題諸々書き取っとたの入れといたから後で見といて」


……。無言の時間は長く流れる空気は重くて、誰かの訃報でも聞いたみたいだった。
それは彼も同じみたいで気まずそうに視線を逸らす白石。なんで話しかけてきたんだ。その静寂は白石のそっと呟かれた一言で終わりを迎える。

「今日は……ありがとう」

紡がれたその一言で俺は思わず何かの糸が切れたみたいに笑みが溢れた。あぁ、そういえば俺白石の前で笑ったこと無かったな、と今になって気づいた。
「……当たり前やん、なんせ俺世界一優しいからな」
冗談混じりに俺がそう言えば

「それ、自分で言うもんちゃうやろ」
呆れた顔で微笑む白石がそこにいた。








×
- ナノ -