『それ』が彼に話しかけてくるのは、よくある事だった。

―愛してる愛してるわ人間が好き好きなんてそんな小さな感情じゃないわ私は人間という存在そのものを愛してるの一固体としての人間も集団で傷を舐めあってる姿も傷ついた瞬間に浮かべる恐怖に歪んだ顔も全身で私の愛を受け止めてくれるあの薄い皮もその下に隠れた筋の綺麗な筋肉も心地いい音を鳴らしてくれるあの美しい骨が好き愛してるわ私は人間を愛してる愛して愛して愛し尽くしてもまだ足りない程愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛し愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛―

否。それは話しかけているのではなく、『それ』が常に吐き続けているコトバ。聞くに値しない思いの塊。だから人よりも格段に強い精神を持つ青年は、それをいつも聞き流して日々を過ごしていた。
けれど、今まで孤独に愛を嘯き続けてきた『それ』はある日青年自身に話しかける。

―愛したいんでしょう?―
―嫌いだなんて嘘―
―貴方は彼を、こんなにも愛してるじゃない―
―貴方自身は騙せても、私には分かるわ―
―愛したいでしょう? 愛されたいでしょう?―
―なら私を使えばいい―
―私なら、彼だって愛してあげられる―
―私なら、貴方を愛させる事が出来る―
―だから、ほら、私に任せて―
―二人で一緒に愛し合いましょう?―

青年には、彼自身も認めたくないが好きな人がいた。彼自身が認めたくないのも分かる話で、それは不快で嫌いで仕方がない一人の男。だがだからこそ、青年の気を引いて仕方がない存在だった。嫌いだ死ねだと豪語する青年の言葉の裏には確かに別の感情があったのだ。

だから青年は『それ』の誘いに乗った。それが卑怯な行為である事は重々承知の上で、青年は『それ』を手に取った。







* * *





路地裏の闇、特に池袋での夜のそれは、他よりも遥かに濃い。明るいネオンの影になるかのようなその場所では、闇は一段とその輝きを際立たせた。


「……………」


その闇の中で一人、青年は待ち続けた。少しの音も逃すまいと言うかのように、瞳を閉じ、意識を集中させて。
やがて、青年の耳にもはや聞きなれた革靴の音が届く。青年は気づかれないよう、うっすらと笑った。


「シズちゃん……?」
「………………」
「急に呼び出して何なのかと思えば。何、もしかして嫌がらせ? 多忙な中わざわざ時間を割いて来てやったってのに、全く以って気分が悪いんだけど」
「………………」
「…なんだか君が黙ってると気持ち悪いね。そうだ、折角お互い憎い相手に会えたんだからさ、今日、ここで決着を着けるってのはどう? っていうか俺、ちょっとその気で来たんだよね。珍しい君からの呼び出しだったから、てっきり君もそうなんだと思ってたんだけど……どうやら俺の予想とは違ったみたいだし」
「………………」
「俺の携帯番号は……新羅にでも聞いたのかな。どっちにしても不愉快なラブコールだ。ねえシズちゃん、今日は逃げないでやるって言ってんだからさ、乗りなよ。いつもの君ならここまで俺に喋らせないだろ?」


未だ微動だにしない青年――静雄に、煩く話しかけていた臨也は先手必勝とばかりに十八番のナイフを取り出す。鈍色に光るそれは、臨也の歪んだ口元を映した。
と、そこで臨也は、鈍色に光るそれを反射する何かが静雄の手に握られている事に気がついた。同時に、静雄の口元が自分と同じくらいに歪んでいる事も。


「……シズちゃん?」
「……し……る」
「は?」
「愛してる、臨也」


はっきりと聞こえた静雄の声に、臨也の赤い瞳がぶわりと開かれ、止まる。臨也の視線の先、赤い瞳の先には臨也と同じような赤く煌く瞳があった。ゆっくりと笑いながら開かれた静雄の瞳は赤く、いつかの集団殺傷事件を彷彿とさせる。確かにあの時、静雄は切られていた。
何故今になって静雄が『それ』になったのか。あの事件からは既に数ヶ月過ぎたにもかかわらず、だ。疑問はいくつも臨也の頭を占めたが、ただ現実の静雄の状態に臨也は大きく舌を打った。


「確か俺はなます切りにしてくれるよう頼んだんだけどなぁ。切るは切るでも、そいつを殺してくれないんじゃ、意味が無いんだよ」
「愛してる、臨也。臨也、愛してる、臨也臨也臨也臨愛して也あいし臨」
「ははっ、きっも。いいや、俺が殺してあげる」


言い終わるよりも早く、臨也は地を蹴った。狙うのは赤鈍色の光を放つ右目。強靭な皮膚に守られていないそこならば、流石に刺さるだろうと思ったのだ。しかし、


「チッ、」


キィンという鉄と鉄がぶつかり合う音と一緒に、臨也は大きく後退させられる。どうやら臨也の持つナイフよりも一回り大きい凶器で攻撃は妨害されてしまったらしいことが分かっても、臨也の動きは止まらない。
弾かれた衝撃を両足でぐっと堪え、溜めた勢いに体重を乗せて今度は静雄の頚動脈を狙う。けれどそれすらも静雄を傷つけることは叶わず、代わりにほんの少し左にずらした臨也の頬の横を、もの凄い勢いで静雄の持つ凶器が通り過ぎた。


「っ、ぶね……!」
「おしいな。もう少しだった。もう少しで臨也を愛せたのに。ああ、でも安心しろ、今度はちゃんと愛してやるから。な、臨也」
「……だからキモいって」


左足を軸にして遠心力を利用した斬撃も、足払いでの体勢崩しも、刃物を取り落とさせる試みも、全て試して全て失敗した。
次第に臨也の表情から余裕がなくなり焦りが生まれ始めても静雄から笑みが消える事は無く、金属音はそれから30分間休むことなく鳴り響き続けた。







* * *





「げほっ、はっ、はっぁ、く……そ、」


30分後、そこには壁に体を預け呼吸を乱す臨也と、30分前と様子の全く変わらない静雄の姿があった。元々化け物じみた身体能力を持つ静雄が、加えて罪歌という異形と手を組んだのだ。所詮は一般人の臨也に勝ち目などあるはずが無い。この30分でそのことは嫌というほど臨也にも分かった。

臨也は諦めたように息を吐くと肩から力を抜き、ふと視線を上げた。


「ああもう……何でそんな嬉しそうなのかな。本当にムカつくよ」
「臨也、」
「あー、いいから、もう。愛してるとか、聞き飽きたし。それに―――やっぱ、気分悪いしさ」


それ以降きちんと黙った静雄に、臨也はいいこだと言わんばかりの笑顔を向けた。こう見るとまるで静雄を手なずけているようだと、臨也はほんの少し楽しくなる。静雄に見下げられるのは不満に思ったのだが。


「まあ…いいかな。大嫌いだけどシズちゃんだし。こんな状況になるのは俺が殺されるときかなとも考えてたけど、罪歌に斬られるのも殺されるのも似たようなものだし」
「臨也、俺は本当に」
「もういいって。シズちゃんもそれに頼らないといけない程切羽詰ってたみたいだしさ、“仕方ない”で納得しといてやるよ。……それに、愛されるのは嫌いじゃないんだ」


ゆっくりと近づいてくる静雄に合わせるように、臨也は目を閉じる。ふわりと香った静雄愛用の煙草の臭いを、脳に刻み付けるように深く吸い込んだ。


「臨也、俺は本当に、手前が好きなだけなんだ…手前に愛されたかった。本当に、それだけ」


骨にじんわりと響くような鋭い痛みの直前に盗み見た静雄の瞳は、いつも通りの鳶色だった。それに安堵の息を漏らして、臨也は“静雄”に言葉を放つ。


「分かってる。ただそれなら、罪歌に頼らなくてもよかったのに……なんてね」


意識を失うギリギリで放った言葉がきちんと静雄に届いたのか、臨也はただそれだけが気がかりだった。











――――――――――――

原作通り、罪歌は臨也さんの事が嫌いです。でも、シズちゃんに自分を使わせる為に嫌いな臨也さんも愛そうと思ったって事なんですが……その部分が書けなかった…。

罪歌臨也さんと罪歌シズちゃんが書けて私は大変満足です、はい^q^


(20120408)
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