それはまだ、彼らが高校生の頃の話。
彼らが授業をサボっての喧嘩に投じるのはもはや日常で、校長を始めとする教職員一同がどうしようもないその事実を受け入れていた。だから3限の授業真っ只中彼らが屋上で殺伐とした空気を放ち合っていても咎められる者はいなかったし、どころか近づける者すらいなかっただろう。

片や金色の髪を靡かせながら吼える静雄と、片や漆黒の髪を撫で上げながら笑う臨也。犬猿の仲と言うには余りにも温すぎる二人の関係は、もはや学校を越えて池袋という町の常識とまでに定着しつつあった。


「シズちゃん知ってるかい? 今夜は盈月…つまり満月なんだ。今の君の様子といったらまるで血に飢えた獣……そう、正にに狼男といった有様だよ」
「で、その狼男は今から腹を満たす捕食をするってか? なら間違いなく最初の犠牲者は手前だろうなぁ、臨也ァ」
「はっ、馬鹿言うなよ化物。自分の欲にしか目が行かない獣如きに俺が捕まえられるとでも? 逆に、その皮を剥いで殺してやるさ」
「……試してみるか?」


チリっと、場を取り巻く空気が揺れた。静雄も臨也もお互いから視線を逸らすことが無い。常人ならば悲鳴すら上げられぬまま逃げ去ってしまうだろう眼光を互いに放ち合い、受け合う。その姿は犬や猿と言うよりは獲物を狙う蛇のようであった。
後はどちらかが少しでも隙を作るのを待つのみ。きっかけを作るだけの状況で口を開いたのは、またしても臨也だった。


「そういえば、今の時間は現代文の授業だったね」


だから何だ、とは返さなかった。今ここで臨也の話に耳を傾ければ捕食されるのは自分だと、静雄も分かっていた。だから静かに待つ。自分の隙をねらうそいつの、少しの隙も見逃さないように。


「……かつて彼の夏目漱石は、彼の生徒が“Ilove you”を『我君ヲ愛ス』と和訳したところ、『そんな物は月が綺麗ですね、とでも訳しておけ』と言ったそうだよ。日本人ならそれで十分伝わるんだって」
「…何の話だ」
「月の話だよ、狼男さん」


そう言って笑って見せた臨也はあろうことか、彼の十八番の武器であるナイフをポケットへと仕舞った。唐突な戦意喪失。それに静雄が動揺したのは言うまでも無い。確信を持った足取りで、臨也は静雄に近づいて行く。それは今の静雄が自分に危害を加えないという確信であり、同時にもしそれが裏切られても逃げ切れるだけの自信の表れでもあった。


「シズちゃん」


どこか物悲しそうな、それでいて試すような眼差しで臨也は静雄の愛称を呼んだ。なんだよと問えばまた一歩分距離を詰められる。静雄は無意識に詰められた一歩分を後退さった。


「今夜の月は……綺麗だといいね」
「なっ……!?」


一瞬だった。静雄が明らかに揺らぎ隙を生んだ瞬間、臨也は動く。元々詰めることなど容易い距離、臨也は先程ナイフを仕舞ったのとは別の方の袖から新たにナイフを取り出すと、彼の全体重を以ってして静雄の心臓にそれを突き刺した。生々しい感触が臨也の手に伝わり、その上を赤い線がなぞる。次第にごぷりと溢れ出したそれに静雄の体はガクガクと痙攣し始め……


「ダメだなぁシズちゃん。俺の武器は言葉って、嫌でも分かってるくせに」
「て…………んめぇえぇぇええ!!!」


……ることはなく、まるで狼のような咆哮を上げ臨也の脳天に拳を振るった。臨也はそれをひらりとかわすと、いとも簡単に落下防止の柵に乗りあげ躊躇いなくそこから飛び降り、高らかに。


「今日は俺の勝ち。今度何か奢ってね、シズちゃん」

そんな台詞と笑顔を残して、臨也は静雄の視界から姿を消した。









―――それから6年経った今。彼らは変わらず仲が悪い。


「イ”ぃぃィざぁああやあぁあ!!」
「あっは、こぉわ」


変わったのは少し大人びた顔つきと、昼夜関わらず喧嘩をするようになった事くらいか。
その日も彼らは昼からずっと喧嘩を続け、気づけば飲まれそうな真っ暗闇。街のネオンからも離れてしまった路地裏では、月の明かりのみが頼りだった。静雄の振り回す標識をその跳躍力を以ってかわした臨也はそのままフェンスへと立つ。足場の悪いそこに立ちながらも臨也の体は揺らがなかった。対して臨也を見上げる形となった静雄は、臨也と調度重なるようにして浮かぶ半月を、一瞬だけぼうっと眺めた。

半分だと未完成なようなそれも、臨也の背景になるだけでそれでいいのだと思える。不完全だからこそ儚く、そして美しい。


「今夜は……月が綺麗だな」


言ってから静雄は、いつかの事を思い出した。高校時、唯一臨也に勝利宣言を許したあの日。

僅かに目を見開いた臨也に静雄は我に返り、チャンスとばかりに得物を横へ薙いだ。珍しく生まれた臨也の隙。いつかの仕返しと、勝ったとばかりの確信を胸に、確実に臨也の急所を狙う。




「――――……ざぁんねん」




風を切る音と一緒に臨也の声が届いたのは、静雄が直感で“外した”と分かる前。




「         。」



やがて臨也が発した言葉を理解した静雄は、数年前と同じようにカァっと頬を赤らめ、かつてと同じように自分が宿敵に負けたことを知った。










「In other world,I love you」
(残念、今夜も俺の勝ち)






――――――――――――

夏目漱石の「月が綺麗ですね」って、何だかロマンチックですよね^^。
二葉亭四迷の「私、死んでもいいわ」も個人的には大好きです。

タイトルの意味は、「だったら、私をその月へ連れて行って」だったと把握しております。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました!


(20111210)
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