猪田 琢磨編
そこにいたのは猪野さんだった。
彼は私を見るなり、「お、いたいた!」と明るく話し掛けてきては、私の目の前にしゃがみ込み、はい、と探していたメモを差し出してきた。
「こ、これ……!」
「歩いてたら降ってきてさ、七海さんは危ないから触れるなと言ってたけど、掴んじゃって。そんな危険?」
「危険ではないですけど、七海さんの言う通り、普通は触れない方が良いかもですね」
「君、そんな危険そうに思えないから、つい。一生懸命ど可愛い、あれ?」
可愛いという言葉に私は過敏に反応してしまい、彼はつい出た言葉に疑問を持つ。すぐに彼の手からメモを取ると、猪野さんはそれが原因だと気づき、興味を持つ。
「何か口走っちゃったけど、何これ!」
「本音が聞けるメモです……」
「はっず……」
彼は立ち上がると、少し頬を赤らめては、気まずそうにする。
「あー……本音聞きたい相手って、俺とかじゃ、」
「いや、違います」
「ですよね」
はは、と笑いながらも少し落ち込んでいる猪野さんに、私は作った経緯を説明しないと、とまるで言い訳のように話す。
「中学時代の友人に頼まれて作ったやつが残っていたんです。それを校舎で失くしちゃって」
「あ、あなるほど!元々使う気がなかったってこと!」
何を慌てることがあるのだろうか、と思いながらも、少し落ち込んだ彼の表情を思い出し、私は彼にそれを差し出した。
「本音、言いたいんですか?何か隠し事とか、」
「そーじゃないんだけど、いや、隠し事も間違ってないっていうか」
「……猪野さんの本音、聞かせてください」
悩み事でもあるんだろうか、と私は言い出させないことがあるなら、と良かれと思っていたのだが、彼は頬を赤らめては、私の手を押し返す。
「いいや、こういうのは頼らず、自分の口でちゃんと伝えた方がいいな……」
それに彼は一拍置くと、再び口を開く。
「好き。可愛い後輩だなと思ってたけど、そうじゃなくて、恋愛対象として、好き。君が卒業するまで、待てるから。だから、君も、」
私はみるみる顔に熱が篭っていく。
嘘だ、猪野さんが?一方的に憧れていた彼に、そんな言葉を向けられるなんて、とドキドキしていれば、彼は恥ずい、といつも被っている帽子を下げ、顔を覆う。
「……あの、待っててください」
「っ、あ、お、おう!じゃ、俺はこれで。それ!他の人に使っちゃダメだから」
「は、はい!」
猪野さんは逃げるように去って行くと、私は再びその場でしゃがみ込み、まだ破っていないメモを見る。
「役に立つじゃん……」
忙しない鼓動は、今は心地良く感じて、暫くこの多福感に満たされていた。
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