#5.さようなら。
「ショッピングモールもカフェも友人の家もダメでしたね。事故現場は……気配がありましたけど」
他は何処だろう、と携帯で検索している涼華に、私は口出ししないでおこう、と黙っていた。
この世界に来てこれで5日目だ。
少し腹が減ったと思うのは、やはりゆっくりと時間が経っているのだと分かった。
この夢にもタイムリミットがある。
「あ。お墓とかどうですか?両親やご先祖様が眠るお墓です」
「……そうだね。そこに行こう」
「山奥で少し遠いですが、行く価値ありますね。あ、ついでにお花を買って行ってもいいですか?」
「いいよ」
彼女は再び車を走らせる。
私達は数十時間、この車で過ごして来た。
この沈黙も苦ではない。
しかし、墓に行ってしまえばもう、この旅も終わるような気がしてならない。
彼女の両親が事故死していると聞いた時から、もうその場所しかないと気づいていたが、先延ばしにしたのは、まだ少し夢を見ていたかったからだ。
タイムリミットがないのなら、もう少し、この心地良い沈黙を続けていたかった。
非術師を殺し、呪術師だけの世界を築こうとしている私にとって、この感情は捨て置かねばならない。
いや、この世界と私の世界は関係ないのだから、涼華が非術師であったとしても関係ないだろう。殺す理由はない。
ここは夢だ、この感情を現実に持ち込まなければいいだけのこと。
山奥で見えた霊園。
そろそろ着きますよ、と涼華は知らせてくれる。
呪霊の気配はここにあった。ここにいるとすぐに分かる。
駐車場に停まり、彼女はうんと伸びをする。
「どうですか?います?」
「いるね、確実だ」
「良かったです!私も久しぶりに来ました。掃除して、お花も替えないと」
途中で買った花を取り、私達は彼女の両親が眠る墓へ向かう。
あそこです、と指した先に呪霊はいた。
「いたよ」
「えっ!し、静かにした方がいいですか?」
「ふ、関係ないよ」
呪霊は動く気配もなく、ただ墓を眺めている。
「オカァサ……オ……トウサン……」
鳴き声のようにそれを続ける呪霊は、何を思って涼華の夢を見せ、涼華の両親との思い出の地を巡っていたのか。
分からないまま、それを吸収する。
この世界に来て初めて口にしたものは、呪霊だった。
この味には嫌気がさす。
「不味いんですよね、それ」
「そこまでお見通しとは」
「あ……余計なこと、言いました?」
「いいや、いいよ」
正直、涼華が私をどこまで知っているのか、気になっていた。
つい最近のことだけと思っていたが、どうやら高専時代も知っているような口振りだった為、そこを好きになったのかとも思っていたが。
一体、どんな本なのか。
でも涼華が語りたがらないということは、ろくでもないことなのだろう。
知って得するようなことでもない、私自身のことは、私がよく知っているのだから。
そう、墓を掃除して、花を供える涼華を見ながら考えていると、彼女はそれにしても、と話す。
「呑み込んだら帰っちゃうのかと思いました」
「こういうのは順序がいる。ここへ来た方法と同じことだ。呪霊は取り込んだ。あとは眠るだけ。それでも帰れなかったら、また方法を探すしかないね」
「それもまた長い旅になりそうですね……」
それも付き合ってくれるという意味なのだろうか。
彼女はよく尽くすタイプの人間だな。
「呪霊は、何か言ってましたか?」
「"お母さん、お父さん"と繰り返していたよ」
「どこにでも、そんな子供がいるんですね。でも何で私だったのか……」
「それは分からないね」
涼華はお参りし終えると、行きましょう、と車へ歩きだす。
「私の家でいいですよね」
「その方が都合がいい」
五日振りの家か、と涼華は呟きながら、まるで何もなかったかのように自宅へと車を走らせた。
そして、彼女の自宅へ辿り着く頃には夜であり、やっと落ち着いたのか、涼華はソファに寝転がる。
「眠い……」
「お疲れ様」
寝転んだ涼華の頭を撫でてやると、彼女はクッションに顔を埋める。
耳まで真っ赤にして、隠せていない。
「この服は置いて行かないとね。袈裟に着替えよう」
私は最初に買った服屋の紙袋から袈裟を取り出して着替える。着るのは五日振りだ。
涼華は起き上がると、私の姿を見て、眉尻を下げた。
「さようなら、夏油さん」
あまりにも直球な言葉だった。
でも、彼女は正しい。"またね"はない。
「さようなら。私も眠いからね、もう眠ろうか」
「はい。ベッドで眠ってください。私はソファで……」
「いいや、君もベッドだよ」
「え!?」
「来た時と同じがいいだろう。君が先にベッドにいた」
「で、でも……」
「早く、帰れないじゃないか」
私はベッドに寝転がり、掛け布団を捲ると、涼華は赤面し、戸惑いながらも、失礼します、とそっと入ってきた。
このベッドは私には小さすぎる為、余計に彼女は私に密着しなければならない。
私の耳にまで涼華の速い鼓動が聞こえていた。
私は再び、そっと涼華の頭を撫でてやる。
「涼華、おやすみ」
「……ごめんなさい、夏油さん」
「何か悪いことでもしたのかな」
「私、夏油さんのこと沢山知ってますけど、何も出来ないです」
「何も出来ない?」
「……死なないでほしいです」
「……」
「それだけです」
「……精一杯やるさ」
涼華の頭を自分に引き寄せた。
その温もりが心地良く、眠気を誘われた。
暫くすると、涼華は眠りにつき、私もそのまま彼女を感じながら眠った。
その瞬間、一度感じたことのある浮遊感に目が覚める。
気づけば、私が仮眠を取っていた部屋にいた。現実に戻された。
なのに、まだ身体には涼華の温もりが残っていた。
「夏油様!?」
「夏油様、どこに行ってたの!?」
物音を聞いて駆けつけてきたのは、菜々子と美々子だった。
五日も放り出していたんだから、不安になるのも仕方ない。
「すまないね、少し遠出をしていた」
「昨日、仮眠を取るって言ったまま帰って来ないから心配した〜」
「良かった……」
昨日か。私の身体のことを考えれば、時間の流れが違うのも納得だ。
私は彼女達の頭を撫でると、二人はすぐに何かに気づき、顔を上げる。
「香水……?」
「夏油様、女の人と会ったでしょ。何かそんな匂いする」
「ふふ、バレてしまったか」
「どんな人、どんな人?」
「家族になる人?」
「いいや、ならないよ。馬鹿げているけど、まるで夢のような人だった」
その答えに彼女達は首を傾げた。
本当に、夢の中の人間だった。
このことは私の中だけに留めておこう。
その日、私は壱紀 涼華の名前を調べてみた。
すぐに彼女を見つけることが出来た。
年齢は違うが、この世界にも存在し、二ヶ月前に行方不明となっていた。
そしてつい先日、遺体となって見つかった少女だった。
両親と共に山道で交通事故に遭い、少女の遺体だけが見つからなかったらしい。
どういうわけか、呪霊は別の世界の涼華と繋がっているのだろう。
恐らく、過呪怨霊に呪われていたあの女が関わっているはず。
もう私には関係ないことだが。
涼華は今日も変わらない何の変哲もない生活をしていた。
起きて、仕事に出掛けて、帰ってきたらゲームをして、眠って。
ふと、私が置いていった洋服に気づき、それを手に取ると、少し寂しそうにそれを抱いた。
時々、彼女の夢を見る。
猿しかいない世界で、何の変哲もない日常を送る彼女の姿を見る。見ることしか出来ない。
ただ私は今でもあの呪霊を祓うことは出来ていない。
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