#3.私はただの猿。
「夏油さん?」
しばらく指示がないことに気づいた私はバッグミラーで確認すると、彼は眠っていた。
眼福です!と内心思いながらも、目的地から遠ざかっていると困る、と私はコンビニに停車した。
もう日が暮れてる……半日運転しているし、お腹も減ってる。休憩しよう。
私はコンビニで珈琲や軽食を買って食べる。
夏油さんは何も食べてないけど、いいんだろうか。
暫く食べて過ごしていると、夏油さんが目を覚ます。
「……眠ってしまった」
「休憩したかったとこなんで、大丈夫ですよ」
彼はドアを開けて外を見ると、離れているな、と呟いた。
しまった……早く気づいてれば。
しかし、彼は責めることなく、私を見る。
「この辺で、行ったことのある場所はある?」
「この辺……」
私はナビの地図を見ながら、ふと思い出す。
昔、車で行ける近場の旅館で旅行気分を味わおう、と両親が旅館に連れて行ってくれたことを。
「ここの旅館、行ったことあります」
「……方向も一致しているね。ここに行って」
「はい」
やっぱり、私と関係があるんだろうか。
知らないうちに人を呪ってたとか、呪われてたとか。
でも、この世界にそんなものあるのか?
そもそも、夏油さんが来たのは別の世界だろうし……
というか、何でそれを受け入れてるんだ、私は!
そんなことで頭がいっぱいになりながら、とにかく目的地へ向かう。
辿り着いた旅館は以前来た時と変わらない。
「いますか?」
「いないね、逃げてる。恐らく、私達をどこかへ導いている。君の思い出の場所だね」
「えぇ……どうしよう」
どこかあるかな、と私はスマホで検索しながら考えるが、いや、と夏油さんは旅館を指す。
「今日は泊まろうか」
「えっ!」
「私も疲れたんでね」
「わ、分かりました……」
彼がそうしたいと言うのならそうしよう。
私達は旅館に入ると、受付へ向かう。
「すみません、今日、部屋は空いてますか?」
「そうですね……一部屋ありますが」
「ひ、一部屋……」
「構わないよ。お願い出来るかな」
代わりに夏油さんが言えば、私は一泊分の支払いを済ませる。
グッズとか買うよりよっぽど有意義なのでは?お布施だお布施。
鍵を受け取り、部屋へと向かう。
緊張してきたけど、余計なことを考えるな、私は猿、私は猿。
部屋に辿り着くと、彼は寛ぎ始める一方で私はとにかくお茶を淹れる。
「涼華、君もゆっくりするといい。思い出の場所をなるべく書き出しておいておくれ」
「分かりました」
私はずっと座っていたから、身体が怠いな、と立って軽く体操をしながら考える。
よくある逆トリップ系は同棲するまでが様式じゃない?
何で私、半日も見えないものを追いかける為に運転させられてるんだろう……
そして気づけばお互いに惹かれあって、とかそういうあれがあるんじゃ……
「ねぇ、涼華」
「は、はい!」
余計な妄想をしている場合じゃない。
すぐに振り返ると、テレビを見ていた彼は、私を見ていた。
「私のことを知っておきながら、ここまで来るのは何故?」
「えっ、半ば強制でしたよね?」
「そうだったかな?」
高専時代の彼は違ったかもしれないけど、今の彼は人を簡単に殺してしまう。だから怖いのは怖い。まだ死にたくはない。
でも、推しなんです。はい。
ちょっと指図されるのも悪くない……
「私を慕ってくれているのかな」
「はい、好きです!……あっ!あー……」
恥ずかしいことを言ってしまった。
口を噤むと、彼はにこりと笑う。
「そうか。それは嬉しいよ」
「あ、ぅへへ……」
気持ち悪い笑いしか出なかった。
この人、絶対嬉しいと思っていない、と分かっていながらも喜んでしまう私はドMなのかもしれない。
とにかく私は印象深い思い出の場所を、とスマホで検索しながら持ってきていたメモ帳にまとめる。
しかし、実際呪霊が向かったのは、実家のあった場所や両親と来た旅館、大切な思い出であるが、大きく印象に残っていたわけでもない。
私は今まで書いていたメモをくしゃりと丸めてゴミ箱へ捨てた。
「何故捨てたの?」
「私が想像した思い出深いものと、呪霊が辿ってる思い出は違うような気がして」
「何か心当たりがある?」
「実家もこの旅館も両親との思い出です」
「そう。じゃあそこを基準に考えてくれ」
「はい」
とにかく捻り出そうと考えてメモしていく。
しばらくしていると、私はふと気づく。
夏油さん、お茶も飲まなければ何も食べてない。
「夏油さん、お腹空いてませんか?」
「あまりこの世界の物は口にしたくなくてね」
「じゃあ早く見つけないといけませんね」
ヨモツヘグイだっけ。
ここはあの世ではないけど、そうした方がいいのか……何があるか分からないし。
何も食べれないのは辛いな。明日までに帰ってもらうのがいいんだけど。
その後、夏油さんはお風呂はいただくよ、と部屋についている風呂へ入る。
浴衣姿、とてもいい。袈裟とはまた違う、良い……
それから特に話すことなくそこで過ごすと、出来るだけ布団を離してそのまま眠った。
あぁ、緊張した。
翌日。
起床すると、同じ服を着るのは何となくやだなぁ、と思いながらも脱衣所で身支度を済ませる。
私がそこから出ると、夏油さんはそのまま着替えており、思わず目を逸らす。
ダメだ、今日も緊張する!
今日無理そうなら、明日からの仕事を無理言って休まなければ……
「おはようございます。ここから一番近いのは、水族館ですね」
「なら、そこへ向かおう。一晩ここで過ごしたんだ。気配も消えかかっているし、行こうか」
「はい」
旅館を出て水族館へ向かうことにした。
私は目覚ましの珈琲だけ飲んで、車を走らせた。
「水族館か。この服は目立つね。どこかで洋服を買ってもいいかもしれない」
「じゃあショッピングモールに寄りますね」
ナビを操作して目的地を変えた。
辿り着くまで彼とは極力話をしなかったが、特に気まずくもなかった。
そもそも運転は嫌いじゃないし、これはこれで無言の心地良さがあった。
大型ショッピングモールへ辿り着くと、服を探しに向かう。
視線が刺さる。夏油さんは顔に出さないが不快だろうなぁ。
早く出たいのか、これとこれと、と選んでいく。
どっちにしろ全身黒いな、と思いながら見ていると、サッと試着室で着替える。
私は待っていると、彼は脱いだ袈裟を持って出てきた。
洋服もよくお似合いで……!かっこいい!
「これで頼むよ」
「はい!すみません、タグ切ってもらえますか?このまま帰るので」
店員に声を掛けて、夏油さんの服のタグを切ってもらうと、会計をする。
来月の請求が恐ろしいことになってないといいけど。
「涼華も何か買ったら?今日中に帰れるか分からないよ?」
「そ、そうですね……」
じゃあ私も、と女性服専門店で服を買う。
欲しかったものを買おうと、とにかく服一式を買った。
私も買ったばかりの服に着替えて、スッキリする。
「それじゃあ、水族館に行きましょう」
「何か食べなくていいの?」
「ん?夏油さんは食べれないのでは?」
「君の話」
「私……お茶だけ買いますね」
「無理することはない。私がいてもお腹が空けば食べればいい。気にしないよ」
「う、うーん……じゃあ、そこのフードコートでうどんでも」
食べれない人の前で食べるのは気が引ける。
でも折角言ってくれているのだから、と私はうどんを食べる。
彼はそれを目の前で見ているだけ。
「水も飲めないんですか?」
「念には念をね。だから早めに帰りたい」
「そうですね……水族館で捕まえればいいんですけど」
そんな話をして、私は昼食を食べ終えると、水族館へ向かう。
やっと辿り着くと、夏油さんはうん、と頷く。
「ここだね」
「じゃあ行きましょう!」
そうチケットを買って入っていく。
私には何も感じないが、夏油さんには分かるんだろう。
人が多く、洋服でも夏油さんは注目を浴びている。少し不快そうだ。
「日曜ですから、多いですね」
「……仕方ないね」
人を避けて生きてるのに、こんなに囲まれるのって不快でしかないんだろうなぁ。
そもそも、私といるのも不快だろうに。
何かを考えるように彼は途中で立ち止まり、水槽を見つめている。
「学生時代に沖縄の水族館に行った以来だ」
「私も、修学旅行で行ったのが最後です」
「……」
「デ、デートみたいですね?」
「は?」
寂しそうな顔をしていて、理子ちゃん達のことを思い出しているんだろうと私は察した。
だから気分を変えれないかと冗談を言ってみれば、彼は眉を顰めた。
「ご、ごめんなさい!ちょっと、冗談を言ってみたくて……」
「デートか……」
「あぁぁ……猿の分際で、申し訳ない」
これは不快だ!冗談でもダメだったかもしれない!
私が焦っていると、彼はふと笑い、私の顔を覗き込む。
「弁えている猿には、私は優しいよ?使い道があるなら尚更ね」
「よ、よかったです?」
私はそれに該当するんだろうか。
それなら、嬉しい。
私は側にある彼の整った顔に見惚れていたが、ふと視界の端、廊下の奥で奇妙なものが動いた気がして、あっ、と声を上げる。
「い、いた!いましたよ!追いかけましょう!」
私にも見えた、と夏油さんを置いて走っていく。
しかしそこにあったのは、どこかから外れてしまった風船で。風で天井を転がるように移動していただけだった。
あぁ、恥ずかしい……
振り返ると、夏油さんはゆっくりとこちらに歩いて来る。長身なだけあって目立つ。
「急に走り出したから何かと思えば。風船を追いかけていたのかい?」
「……恥ずかしいです」
「君には見えないさ。この世界には確かに呪霊はいない。そうなれば呪術師も存在しないんだろう。呪力が存在しない世界。そんな世界の人間が呪霊が見えるはずもない」
「そうでしょうね……」
「私が所有している呪霊と、私達が追っている呪霊の他には存在しないんだろう。だから気配が追いやすい。もうここにはいないよ、入った時から分かっていた」
「じゃあ、何故?早く次に行った方がいいんじゃ……」
彼は立ち止まっている私の横へ来ると、ペンギンが泳ぐ水槽を見ながら、笑った。
「さぁ……猿とのデートを楽しんでみたかったからかな」
先程、私が言ったことを揶揄われていると分かった。
揶揄われていても、猿呼ばわりされても、ドキリとしてしまったのは、もう末期症状だ。
役に立たなくなったら殺されると思え、と私は彼に恋してしまわぬように心を落ち着かせた。
私が彼のことを漫画で知っていて、好きな登場人物であったとはいえ、目の前にいるのとなれば話が違う。
目を合わすことも、会話することも、触れることも出来る存在となった。
だから、未来を知る私はどうにか彼に伝えたいとも思うが、こちらはこちらの世界、あちらはあちらの世界の事情がある。
未来を変えたいと思いながらも、彼が幸せになる道は本当に存在するのか、それは他人を不幸にしてまで変えるようなことなのかと考えてしまう。
世界を変えてしまうようなことを私がしていいのかすら分からない。
それに、十七歳であの選択をしたからこそ、あの日あの場所で死ぬからこそ、夏油 傑なのではないかと思う。例えその身体を奪われ、踏み躙られようとも、私が彼に、あの世界に手を出していいものではない。
この人は夏油 傑で、私はただの、猿。
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