#5.幸せが僕を責める。
彼女が電話に出ない。メッセージも返ってこない。寝ているのか、スマホを置いて出掛けているのか。彼女のドジっぷりを見るに、大した心配はしなくていいだろうと思っていた。怪我も完治して、仕事も掃除も料理も出来ると嬉しそうに話していた彼女は、今日は一体、どんな料理を作って待ってくれているのか。
土産を持って帰宅し「ただいまー!」と声を上げるが、真っ暗な部屋はしんと静まり返っていた。寝ているのか、そう思って足元を見ると、靴がないことに気づいた。あの同窓会の一件で懲りたはず。彼女が僕に連絡もなしに遅くまで出掛けるはずがない。やはりスマホを見てみても、返信はない。
リビングに向かうと、いつも通りキレイに片付けてある。一応寝室も見てみるが、そこに彼女はいない。すると着信音がして、画面も見ずに電話に出ると、伊地知の声がした。
「なーんだ、伊地知か」
『ご、五条さん!テレビ、テレビ!』
「は?」
『ニュース!見てください!』
僕はテレビをつけると、映ったのは、家の近所の映像と彼女の名前。
「は……?」
自首した男が昨日、痴情のもつれで元恋人を包丁で刺し殺して川へ捨てたという内容だった。被害者として彼女の名前が上げられていて、ただ唖然とする。
『高専にご両親から連絡が来ていたようです』
川で遺体を捜している映像が流れた。死ぬわけないだろう。
『五条さん、』
電話を切った。
静かになった部屋、誰も出迎えてくれなくなった部屋。こんな場所に何の意味があるのか。
いつだって大切な人は助けられない、それが僕の運命なら、受け入れて、呑み込んで、諦めろ。
束の間の幸せだった日々が、責めるように僕の頭の中を巡っていた。
「ただいま」
数日後に帰ってきた静かな部屋に声は消えていった。こんなことなら、最初から捨て置けば良かったと感じてしまう。
好きだった。いや、今でも好きだ。助けてあげると言ったのに。人はいつか死ぬし、死んでも仕方がないと言ったのに。割り切れると思ったのに。
家に帰る度に考える。もう引っ越そう。暗い部屋のソファに寝転んだ。あのベッドは一人じゃ広すぎる。彼女はそれに耐えていたのか。
僕はそのまま眠りについた。どうせまた眠れやしない。
しばらくして、部屋で物音がした。起き上がると、その音は玄関から聞こえた。スマホを見ると、伊地知から何件も連絡が来ていた。
あぁ、家まで来たのか。
伊地知には僕がいない間に、彼女に何かあってはいけないと、家の鍵を持たせていた。すると、ぱちっと部屋の明かりが点いた。
「……はぁ、寝てたんだよ」
家まで来て起こすか、普通。
「おはようございます」
その声に振り返ると、腹を押さえた彼女が笑顔で立っていた。
「すみません、帰りが遅くなっちゃって」
明らかに病院服で、痛みに耐えているような彼女は僕の幻覚ではないと分かる。
「何してんの」
また会えて嬉しいのに、口からつい出た言葉はそれだった。本当は今すぐ抱きしめたいのに。僕はいつもそうだ。
「元カレに刺されて、川に落とされちゃって。自力で病院に行って数日くらい寝ちゃったんです。悟さんに会いたいと言っても、警察がずっと解放してくれないので、伊地知さんに頼んで、抜け出してきました」
「はぁ?」
「迷惑でしたか?」
思ってないでしょ、と彼女は僕を見透かすように笑っていて。やっと僕は立ち上がって、彼女を抱きしめた。なるべく優しく、優しく。
「早く、会いたかったんです」
「助けられなかったね……」
「悟さんがいなかったら、死んでましたよ?」
「自力で戻ってきたくせに」
「生きたいと思えるようになったのは、悟さんのお陰ですよ」
何故こんなにも愛おしいのか。いつも与えられているのは、僕の方だ。
「結婚しよう……」
弱い彼女はすぐに死んでしまうかもしれない、また僕はこんな思いをするのかもしれない。それでも何か僕らの証を残したい。彼女の全てが欲しくなった。
「私、死にかける度に求婚されそうですね」
「ダメ?」
「いいえ、よろしくお願いします」
不幸で力もない最弱の彼女は、何度でも死にかけては僕のもとへ戻ってくると信じたい。
君は、最強の僕に似合いの最弱の奥さんだ。
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