#4.もう一度、命を。








悟さんは翌日から出張で家にいない。私はこの間に慣れておかなければ、と意気込む。こんなにいい暮らしをさせてもらっているのだから、少しでもお返し出来れば、と掃除したり、片手でも出来るような料理を練習してみたりした。でも、元々不器用で要領の悪い私は、どうしても利き手じゃない手での料理は上手くいかない。
 帰ってくる間に何かひとつでも、と切って煮るだけのカレーを、と作ってみる。でも野菜を切るのですら難しい。歪な形の野菜達を何とか煮詰めてカレーを作る。いつもなら一時間もしないうちにやれることが、四時間もかかった。情けない……明日はきっと左腕が筋肉痛だ。

 悟さんがただいまー!と明るい声を上げて帰ってくる。玄関に向かうと、彼はただいまのチューね、と触れるだけのキスをする。何だこの甘々なカップル……と自分のことなのに他人事のように感じていた。

「いい匂い、カレーだ」
「はい。作りました」
「マジ?同棲って感じでいいね!もう籍入れてもいいっしょ」
「い、いやそれはまだ」

 はい、お土産、と渡された高級で甘そうなお菓子の入った紙袋を持ちながら、奥へと入っていく。そして彼はハッと思い出したように、そうだ、と声を上げる。

「あれ言ってよーご飯にする?お風呂にする?それとも……ってやつ」
「ご飯にしますか?お風呂にしますか?それとも右腕右足、肋骨の折れた私に手を出しますか?」
「嫌なこと言うねぇ、ご飯がいい。君の手料理が早く食べたい」
「大したものでもないですよ。市販のカレー味です」

 私はお土産を置くと、ライスとカレーを皿によそっていく。それに彼は楽しみだなぁ、と包帯を取りながら話す。いつ見ても、彼の素顔は慣れない。綺麗すぎるから?

「お待たせしました」
「おー、野菜がゴロゴロしてるタイプのカレーだ。大好きだよ」

 この人、何だしても好きって言いそう。私も食べよう、と準備していると、悟さんは一口食べて、唸る。

「うーん、普通のカレー!」
「でしょうね」
「でも、何でだろうね。すごく美味しく感じる」
「あ、隠し味は入れましたよ」
「分かった!愛情≠ナしょ」
「味噌です」
「そこは愛情って言うとこでしょ。でもほら、入ってるじゃん、愛情」

 そう言って不恰好な人参をスプーンで掬い、ニヤリと笑う。何もかも見透かされているような気がしてならない。

「それは人参ですよ?」
「右腕が使えないのに、作ってくれたんでしょ?愛だね」
「そうですね……」

 諦めが大事だ。彼が嫌いなわけじゃない、寧ろ好き。ただ恋人としても、とても出来る人で、自分が見合っているのか疑問に思う。こういうこと、考えちゃいけないのは分かってるけど。

「ご馳走様、お風呂入ろうかな」
「はい。沸かしてますよ」

 悟さんはお風呂へ向かい、私も食べ終えると、皿洗いをして、余ったカレーをタッパーに移して保存する。やっと移し終える頃には悟さんはお風呂から上がってきていて、自由に過ごし始めている。私もお風呂いただきます、と着替えを持って行こうとすれば、彼はあっ、と声を上げる。

「背中流そうか。大変でしょ」
「い、いらないです、慣れましたから」

 私は何か言われる前に、とササっと風呂へ入った。やっと休んだ私の身体はズキズキと痛んだ。こんなことも出来ないなんて、情けない。曲がりなりにも、努力すれば人の役に立てると思っていた。でも彼の前じゃそんな隙すらない。こんなことも出来ないのか、と怒ってくれた方が気が楽なのに。彼がいないと、無駄なことばかり考えしまう自分が嫌になった。
 お風呂から上がって、寝支度を済ませる。今日は悟さんがいるから少し緊張する。いない間に布団でも買っておくべきだったか。

「ねぇ、何か欲しいものある?」
「え?十分ですよ」
「不便だったら言って?なーんでも買ったげる」
「……じゃあ、ベッド」
「えっ!大胆だね。もっと小さなベッドで僕と眠りたいの?」
「そういう意味じゃ、」
「却下ね」

 これは勝手に買っても捨てられそう。ソファに座っている彼は、自分の膝を叩き、おいで、と声を掛けてくる。側に行くと、私を脚の間に座らせて、乾いたばかりの私の髪を撫でる。

「痛くない?」
「頭はそんな怪我しなかったので大丈夫ですよ」
「良かった。顔の傷も治ってきてる」

 すると彼は手を止め、私の後頭部に頬を当てた。そんな感触がした。そしてそっと私の腹に腕を回すと、そのまま沈黙してしまった。その体温がとても心地よいと感じてしまう。

「悟さん」
「ん?」
「その……寝ましょうか」
「眠い?」
「はい」
「じゃあ、そうしよう」

 このままも良いけど、今日は早めに寝てしまいたかった。キングサイズのベッドの端に横になると、彼は距離を詰めてくる。これじゃあベッドが大きくても意味がない。

「おやすみのチューは?」
「何でもチューするじゃないですか」
「えー、恋人っぽいでしょー?」
「元カノともこんな感じでしたか?」

 悟さんが付き合ってきた女性達をちょっと知りたい。この自由人とどう接していたのか。

「ん?んー……あんま恋人らしい恋人、いたことないかなぁ」
「どういうこと?」
「その場限りで終わりーみたいなのとか。付き合ってみたりしたけど、でも何かどーでも良くなったっていうかさ。あんま愛とかなかったかなぁ、キスしてセックスして、それくらいでいいかな、くらいの関係が何度かあった。特に学生時代はね。最近はないよ。忙しいし」

 軽い関係だったんだ。じゃあこうして同棲するなんてこと、初めてなんだろうか。大人になったから?

「だから、君と恋人らしいことしてみたいんだよね。同棲も手を繋ぐこともしない。恋人らしいキスって、こんな感じでしょ?セックスをしない夜があってもいい」

 そう言って、彼は隣に寝転がると、優しく私の腹を撫で、私の顔を覗き込む。

「君、恋人とかいた?」
「高校生の時に一人と、大学生の時から三年付き合った人がいました」
「へぇ、どんな奴?」
「高校生の時は、流れのようなもので。でも何か、好きじゃなかったんです。だから半年もしないうちに別れました。あと大学の時に告白されて、それから三年付き合いましたよ。私の就職した会社はブラックで、私は社畜と化してましたので、会える時間も少なくて。たまたま町で浮気してるのを見て、別れました」
「そんな奴のこと好きだったの?」
「三年付き合いましたからね。あー、この人と結婚するのかな、とか思ってたんですけど、一年も浮気してたんだって。もう愛も冷めたっていうか……」
「だろうね。大丈夫、僕はそんなことしないよ。今は僕の方が余裕がない。君は浮気しないよね、僕みたいな完璧な恋人がいるんだから」
「私は別に、性欲がある方でも、ないので……」

 眠い。彼の体温は私の眠気を誘う。喋りながら私は眠りに就いた。彼のおやすみ、という優しい声が聞こえた気がした。


***


 怪我もほとんど治り始めた頃、大学の友人から同窓会に誘われた。腕は少し痛むが、足はどうにか治った。肋骨も内臓も問題ない。特に断る理由もなかったし、それを受けた。家にずっといたのでは気が滅入る。ただでさえ広くて寂しいのに。
 当日、私は同窓会の会場である居酒屋にやって来た。久々の顔ぶれの中に、元カレの姿があり、私は主催者の友人に声を掛ける。

「ちょっと……いないって言ってたじゃない」
「誘った後に連絡来たの。ま、いいじゃん。キッパリ別れたならさ」

 私は元カレから離れた席に座り、複雑な気持ちもあったが、今は皆との再会を喜んだ。

「あれ?オマエら付き合ったんじゃないっけ」
「別れたよ」
「マジ!?」
「アイツ、浮気したんだってよ」
「おい……」
「うわ、最低」

 彼らは口々に私達の関係を面白がって話している。気まずくて仕方がない。でも、その場を楽しみたくて、帰ることもなく、私は久々にお酒を飲みながら、談笑する。
 誰かが二次会に行こうと誘い、結局私も巻き込まれた。そんな時、悟さんからメッセージが来た。

悟『どこに出掛けてるの?』
私『大学の同窓会に誘われて、居酒屋に』
私『今日帰って来てたんですか?』
悟『そう。いないから心配した。どこの居酒屋?』

 私は詳しい住所までは分からないが、二次会の居酒屋の名前と何となくの場所を送ると、分かった、と返信があり、それ以降メッセージが途切れた。遅くなって心配かけてもダメだな、と思いながらも居酒屋に入ろうとした時、私は右腕を掴まれた。

「痛っ……!」

 まだ痛む右腕を掴まれ、私は思わずそれを振り払っていた。掴んだ相手は元カレで、私の反応に少し驚いていた。

「強く握ってないだろ」
「……この間、事故に遭って折ったの」
「は?大丈夫なの?」
「まぁ、一応……」

 もう関わりたくない。私は店の中に入ろうとするが、彼はそれを止めた。

「あの時は、悪かったって。寂しかったんだよ。オマエと会えなくて」
「もう終わったことでしょ?」
「あの女とも手を切った。俺、オマエとじゃなきゃ……」
「無理だよ」
「もう一度チャンスを、」
「私、彼氏いるの」
「え……」
「だからごめん。もう、貴方のこと好きじゃないし」

 ちゃんと振らないと。そう思って、キツい言い方をした。スルリと彼の手が力なく落ちる。すると、背後から明るい、聴き慣れた声がした。

「やぁやぁ!僕の可愛い彼女ちゃん。僕に黙って同窓会?酷くない?」

 そこに現れたのは悟さん。まるで元カレに見せつけるように私を背後から抱きしめる。

「さ、悟さん?」
「遅いから迎えに来たよ。この人は?君の友達?」
「元カレ……」
「へぇ……」

 何かまずい気がする。ピリピリとしている二人の間で私は声を上げた。

「主催の子達に声掛けてきます!」
「あ、僕も行くー」

 そう悟さんは店の中までついてくる。それに彼らはギョッと目を丸くした。

「え、外国人?」
「初めましてー!恋人がお世話になってるって聞いて。迎えにきちゃった」

 そう、私の肩を抱くと、彼らはえぇ!と騒がしい声を上げる。

「マジ!?超イケメンじゃん!」
「彼氏いたのかよ!」
「えーちゃんと言わないと!強くてかっこいい、しかもお金持ちの優しい彼氏と同棲してるってさ」

 ひけらかすように言う悟さんに、彼らはポカンと口を開けている。私は本当だから何も言えない、と黙っていると、悟さんはさぁ、と私のバッグと左手を取る。

「帰ろっか!タクシー待たせてるしさ。お会計は?僕が払うよ?」
「い、いや、二次会来たばっかなんで、ないっすよ」
「そう?じゃあ……」
「ご、ごめんね、帰るよ。楽しかった」

 彼らはまたね、と軽く手を振って見送る。元カレだけは呆然としていて、その場で立ち尽くしていた。
 私は悟さんとタクシーに乗ると、彼は黙り込んでしまう。

「あの、」
「まだいたかった?」
「いえ、正直そんな飲めないし、話も尽きてたんで。断りきれなくて流されたって感じで……」
「本当、すぐ流されるよなぁ」

 彼は窓の外を眺めながらそう呟く。怒っているんだろうか。何故?ただの同窓会、勝手に行くのはまずかった?そう私は何がいけなかったのか、と考えていた。左手だけはずっと握られていたが、帰るまで彼と目が合うことはなかった。
 もう自宅だと認識している悟さんの家に帰ると、口からただいまー、と言葉が洩れる。誰もいなくてもつい言ってしまう。彼は私が靴を脱いだ途端、その場で私を壁に押し付け、深いキスをする。少し乱暴で甘いキス。何故いきなり、と戸惑いながらもそれを受け入れる。やっと離れたかと思うと、彼はリビングの方へ歩いて行く。

「酒くさ……」
「お酒、嫌いでしたね。すみません」
「……」

 こんなに機嫌が悪いのは初めてだ。とにかく、謝った方がいいかも。

「黙って同窓会に行ったことを怒っているんですか?すみませんでした」

 彼の大きな背中に向かって言うと、彼はガシガシと頭を掻いて、振り返る。

「僕って好かれるとこしかなくない?」
「えっ」

 割と欠点もあると思うけど。とそれを言わずにいると、彼は私の顎を掴み、言葉を続ける。

「しかもこんだけ優しくしてんのにさ。オマエは僕のものって自覚を持てよ」

 低い声でそう言い放った彼に背筋がぞくりとした。彼の独占欲がここまでとは思わなかった。いつもの軽薄さがまるで嘘のようで。唖然としていると、彼は手を放し、なんてね、と笑う。

「びっくりした?怖かった?大丈夫、ただ元カレもいたし、ちょっと危なかったよねー復縁したいとか言われた?」
「まぁ……その、彼氏がいるし、もう好きじゃないって、断りました」
「偉い偉い。でも、もうあんなとこ行かないでね、何があるか分からないし」
「何もないですよ……」
「いいから言うこと聞いとけよ」
「……信用なさすぎませんか?」

 今更、離れることなんて出来ないのに。そうさせたのは悟さんなのに。

「君、そんな僕のこと好きじゃないでしょ」
「好きだから、困るんです。見合ってるかどうか、とか気になってしまって……貴方は最強で、私は最弱ですよ。何度も死にかけて、悟さんは良くしてくれるのに、私は何の役にも立てない。惨めになる」
「守られることを嫌がるわけ?」
「嫌というわけではないですよ。ただ私にも何か出来ないか考えてるんです。悟さんは、何でも出来るから」

 私に出来ることなんて、何もないんじゃないか。いつも考えることだ。すると彼は私の前に手を出す。それに何だろう、と手を乗せると、彼はその手を握った。

「僕に触れられる。これは君にしか出来ないことだよ」
「……これが、何かの役に立ちますか?」
「僕に触れて、愛して。これは僕一人じゃ出来ないからね」
「そう、ですね……」
「だから早く怪我治してほしいなぁ、力一杯抱きしめて、キスして、セックスしたいんだけど」
「ちょ、直球……」
「優しいだけじゃ物足りないんでしょ?そう見える」
「……じゃあ、強引にどうぞ。私を恋人にした時みたいに」
「そんなこと言ったら、乱暴にしちゃうよ?」
「どうぞ……」

 私は手をそっと握り返すと、彼は私を抱き抱え、ベッドへ向かった。サングラスを外し、優しく笑いかけてきた彼は綺麗で、やはりまだ慣れない。
 今日の私はおかしい。口が軽くて、彼の強引で自分勝手なこの独占欲が嬉しいだなんて。それで、こんな誘い方をするなんて。全部、全部、彼に捧げていいと思った。
 あぁ、どれもこれも全部、彼の嫌いなお酒の所為にしよう。


***


 やっと事故で負った怪我も完治した。後遺症もなく、至って健康な私に医者は驚いていた。私は弱くて、不運で毎回死にかけるけど、結局は生き残っている。不幸中の幸いというべきか。
 やっと仕事を再開出来るな、と思っていた中、私は明日、出張から帰って来る悟さんの為にケーキでも焼こうと考えていた。唯一出来る料理で喜んでもらいたい。明日の為にいつものスーパーに行って食材を買って帰る。いつもの夜道、橋を通って行く所だった。なのに、違ったのは目の前に元カレが立ちはだかったこと。

「……何、してるの?」

 いつもと違う雰囲気に思わずたじろぐ。それに彼は私に一歩一歩近づきながら話す。

「たった一度、間違っただけだろ……」
「一度?一年でしょ」
「オマエも悪いだろ。今は何だ、幸せそうに、ムカつく……」
「浮気相手といればいいじゃない」
「俺は、オマエしか、」

 彼は懐から包丁を取り出す。血の気が引いた。せめてそれに呪力が篭っていればよかったのに。
 逃げよう。
 そう思って後退りした時には腹にじわりと熱い感覚と痛みがじわりと滲んだ。

「オマエが、オマエが悪い……オマエが悪い!!」

 憎しみが伝わってくる。私はそんなにいい人間でもないのに。どこを好きになったの?何故こんなにも。
 彼は叫びながら私の首を掴み、私を橋の下へと落とした。一瞬の浮遊感と、背中に受けた衝撃。やっと、彼のお陰でまだ生きていたいと思えるようになったのに。

 助けて。もう一度、私に命を。









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