#2.結婚ってそんな軽いもの?




 目を覚ますと、白い天井がぼやけて見えた。窓から差し込む光は眩しく、目の奥がズキリと痛んだ。
 ここは、と辺りを見回すと、そこが病室であると気づくと同時に、外から複数の声が聞こえて来た。

「通話中に激しい衝突音が聞こえ、事故だと分かり、近くにいたので現場に向かいました。警察からお話があると思いますが、もらい事故です」
「ありがとうございます。すぐに車から運び出してくれたとか。貴方がいなければ娘は死んでいたでしょう」
「昔からよく怪我をする子で、でもこんなことになるなんて……助かって良かった、本当に……!」

 五条先生と、両親だ。わざわざ地方から出て来てくれたのか。そして五条先生はまた助けてくれたんだ。
 私はすすり泣く母の声が不憫に思え、起きたことを伝えようと身体を動かそうとする。だが、思ったように身体は動かないし、声を上げようとすると、胸が痛んだ。左腕が動かせ、ナースコールを取ろうとする。しかし、上手くそれを取ることが出来ずに落としてしまうが、その音に気づいたのか、すぐに病室の扉が開く。両親が急いで入って来ると、私の顔を覗き込む。

「あぁ、もう……心配かけて!」
「目が覚めて良かった……」
「ごめんなさい」

 いつも心配をかけてしまって。
 私は大丈夫、と笑うと、扉の前にいた五条先生を見る。いつもの包帯を外していて、普段隠れている瞳が見えた。あぁ、そんな綺麗な青い目をしてたんだ。でも、髪も整えずボサッとしてる。イケメンだと何でも許されるなぁ……と、こんな状況でも、呑気なことを考えていられる。私はまだ大丈夫、生きてる。

「ありがとう、ございます。五条せんっ、ケホッ、ゴホッ……!うぅ、」
「ちょっと、今は喋らないで!お母さんがちゃんとお礼言っておくから」
「本当にありがとうございました」

 父が深々と頭を下げると、母も慌てて頭を下げる。それに五条先生は両親に爽やかな笑顔を向ける。

「いえ、当然のことですから。それではまた、お見舞いに来させていただきます……それじゃあね」

 そう私の目を見て、軽く手を振ると、私も左手を上げ、彼を見送った。あまり大きな声を出せないのがもどかしい。あぁ、肋骨、何本か折れてるな、これ……
 五条先生が帰ると、母は私を見る。

「すっごいイケメンじゃない!あの先生!」
「外国人かと思ったよ。それにいい上司じゃないか」

 娘の身体のことに触れなくなったぞ、この人達。まぁ、ここまで酷い怪我は初めてだが、私はよく入院レベルの怪我をする。両親も心配するにはするが、もう慣れきっているのだろう。もう目覚めたし大丈夫だ。

「五条先生の顔……ちゃんと見たの初めてだよ」
「かっこよすぎて直視出来ないとか?」
「母さん……」

 そういえばこの人、面食いだった。よくアイドルとか好きになる。
 それから、しばらく東京にいようか、と言われたが、家に居座られるのも嫌だし、必要な物を持って来てくれたらいい、と言えば、慣れてる両親はもう持ってきた、とバッグを見せた。ありがたい。とにかく必要最低限、必要な時だけ来てくれたらいい、と伝え、その日はいたが、翌日には二人共仕事があるから、と帰っていった。
 警察が来たり、加害者が謝罪に来たりもしたが、何かどうでもいいな、と適当に流していた。ほとんど看護師さんが世話を焼いてくれる為、何もすることがない。生徒達はどうしてるだろう、と考えながらベッドからテレビを見ていた。

 数日後。
 五条先生が甘味の手土産が入った紙袋を持ってやって来た。いつもの目元に包帯スタイルだ。見慣れてるそっちの方が落ち着くな。

「やぁ、元気?」
「元気ですよ。多少は」

 電動ベッドを動かし、ゆっくりと上半身をあげて座ると、彼は隣の椅子に座りながら手土産を開ける。

「いいご両親だねぇ」
「そうですね。過保護だったんですけど、私が上京してからはマシですよ。帰ってくれましたし。呪霊が見えると話した時はお祓いまでしましたよ」
「はは、ウケる。何も憑いてないのに」

 彼は手土産の一口サイズの大福を食べる。私への手土産じゃないんだ……

「ありがとうございました。また助けられましたね」
「本当だよ、世話が焼けるなぁ。君ってドジってだけじゃなく、不運を呼び寄せるんだね」
「ですね。あ、死んだなって思うこと、何度もありますよ。事故もあの大きな呪霊の時も、幼い頃、川に流されたことも、山で遭難したことも……」
「よく生きてるね」
「奇跡ですね」

 痛いのは嫌だけど、もう死にかけるのには慣れた。慣れるのは変な話だけども。

「ほら、食べなよ」
「いいんですか?」
「病院食って美味しくなさそうだし」
「微妙ですね」
「はい、あーん」
「あー」

 五条先生の手からそれを食べる。あんこの甘味が身体に染みる。

「美味しい……」
「ところでさ、再就職先、見つけたんだけど」
「えっ!!ッゲホ!ケホ……」
「慌てなーい慌てない」

 高専での事務員を辞めなきゃならないのか、と私は眉を下げると、彼はふふん、と誇らしげに笑う。

「広ーい家にタダで住めて、セキュリティも万全!怪我をしてても仕事が出来ちゃう!」

 揶揄ってるな?そんないい仕事、あるはずがない。私は彼が持っている手土産の大福をひとつ取ると、小包を左手だけで開けようと何とか奮闘する。

「真面目に聞いてよ」
「聞いてます聞いてます」
「……こほん。更に、副業可!怪我が治れば高専の仕事も出来る!」
「はぁ。でも労災あるみたいなんで、今仕事なくてもいいですよ」
「高収入だよ?」
「うーん……私、要領悪いし、出来ますかね。また怒られながら仕事するの嫌なんですよ」
「大丈夫大丈夫、優しいパートナーがついてる。失敗してもいつだって慰めてくれる」
「その人の負担がデカそう……あ、やっと開いた」

 ちゃんとした職種を言わない辺り怪しいな、と思いながら、大福を食べようとすると、私の手を取り、彼がそれを食べる。折角開いたのに……と、もう一つ取ろうとするが、彼はサッと小包を開いて大福を私の口へと運ぶ。

「するでしょ、永久就職!」
「む、えいきゅうしゅうしょく……」
「そ!僕の所に、永久就職!あ、書類もちゃんと持って来たから。ご両親も喜ぶだろうね」

 五条先生は手土産の紙袋から紙とペンを取り出し、私の目の前のテーブルに置く。よく見るとそれは婚姻届。

「は?」

 やっと大福を飲み込んで出てきた言葉はそれだけ。待って待って、処理しきれない。情報が完結しない。しかもよく見るとちゃんと五条先生の名前書いてるじゃん。あ、今年で二十五歳なのね……いや、そうじゃない。

「あの、えぇ?結婚?五条先生が?」
「そう!君とね」
「はぁ?」
「初めて見た、その顔。超不細工だよ、やめなー」

 いや、不細工にもなるわ。そもそも付き合ってました?というか出会ってまだ数ヶ月ですよね?

「先生、ちょっとおかしくないですか?付き合ってないですよ。私達」
「交際0日、即結婚、それもいいじゃん」
「いやいやいや……」

 何だこの人、話が通じない。そういう話をしてるんじゃない。

「出来ませんよ、結婚なんて。こんな人生のビッグイベントを何勝手にこんな病室で済ませようとしてるんです?」
「君が仕事が出来なくて不安になるだろうなぁと思った僕の優しさを汲んでほしいなぁ。ほら、こういう時だからこそ、ご両親にも安心してもらいたいじゃん?」
「分かんない分かんない」

 え、マジで言ってます?私はもう一度婚姻届を引き寄せて見てみる。いや、マジだ。ご丁寧に印鑑まで。

「左手、書きづらいよね、僕が手伝ってあげるよ。ほらほら」

 そう、ペンを持たせられ、待て待て、と止めようとするが、力で勝てない為、婚姻届を右腕のギブスでスライドさせて避ける。危ない危ない!

「ちょっと、しませんよ、結婚!ッケホ……!はぁ……大体、好きでもない人とやめた方がいいですって」

 思わず大きな声を出してしまった。胸が痛い。咳き込みながらも何とか言葉にすると、五条先生はキョトンとする。

「好きだよ。ちゃんと」
「えっ」
「言葉にしないと分かんなかった?」

 ペンがベッドに落ち、彼はそのまま優しく私の手を握ると、包帯を外し、顔を近づけてくる。思わずその青く輝く瞳に魅入られた。

「好きだよ。僕のお嫁さんになって」
「お、お友達からお願いします……?」
「やだ」
「えぇ……」

 この人本当に無茶苦茶だ。最近思い始めていたけど、この人は何故、教師なんてしてるのか。

「じゃあ、千歩譲ってお付き合いから、ね?」
「はぁ……」
「ん、じゃあ婚姻届は預かっておくね。永久就職は先になったけど、また今度」

 あ、完全に流された。いやいや、この人強引だな。もしかして、恋人になる方が結婚よりマシと思わせた?びっくりなんだけど。
 手際良く婚姻届を土産袋に入れると、でもさ、と彼は言葉を続ける。

「退院したら、治るまで僕の家においでね。ちゃんと君を不運からも守ってあげるから」
「い、いやそれは……」
「もう恋人なんだから気にしなくてもいいだろ?それに、ご両親も安心する」

 定期的に両親の話持ち出すな、この人!狡いぞ!

「じゃ、僕は帰るから。まだ仕事でね。伊地知、車で待たせてるんだよね」
「えぇ……早く言って?伊地知さん可哀想ですよ」

 いつも五条先生の扱いに困ってる。何故そんなに困るんだろうと思っていたが、その片鱗を見たな。

「えぇ、妬けるなぁ!伊地知の心配?」

 彼は包帯をつけ直すと、口を尖らせて話す。急に恋人面し始めたなぁ、と何となく思っていると、彼はベッドに手をつき、私の顔を覗き込んだかと思えば、リップ音を立てて私にキスをした。

「は、ぇ?」
「病人だからこれくらいで勘弁してあげる。んじゃ、お大事に!また来るよ!」

 彼は浮かれたように軽い足取りで去って行った。私は遅れてキスされたことや、その言葉を理解すると、ぶわっと顔に熱が集中する。

「あぁぁ……」

 思わず恥ずかしさや、理解の及ばない彼の行動に戸惑いを隠しきれず、情けない声が洩れ、病室に響く。

 最強の彼は、最弱の私の恋人となった。
 これはまた不運なのか、幸運なのか。
 私の心臓はそれが幸運だというかのように、鼓動を速くした。









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