#6. 僕を見透かして、愛して。





 十年も前のことだ。
 彼女をいつどこで好きになったかなんて覚えちゃいない。でも恋ってそんなもんだよね?いつの間にか好きになってる。
 弱いのに命を顧みることなく、ただ直向きに頑張る彼女が好きで、嫌いでもあった。好きだからこそ、自分の命を軽視しているのは、見てて腹が立つこともあった。だから、当時の僕は彼女に冷たかったんだ。それでも僕に笑いかけてくれる彼女が好きで好きで堪らなかった。
 思春期真っ盛りの僕は、彼女に冷たくしてきた所為もあって『好き』の言葉さえ伝えることは出来なくて。いや、付き合った今でも簡単には出来ないけど。セフレには何だって言えたのにね。
 手を繋ぎたくて奮闘して、デートまでして。好きという気持ちが抑えきれなくて。まるで恋愛漫画の一ページ。ずっと隠していた心の声はずっと、僕だけのものだって思ってた。でも、彼女は普通じゃなかった。僕の心の声が聞こえた。そこからは順調順調、恋人として傍にいて、そりゃもうラブラブだったね。
 心の声が聞こえた彼女は突然、僕の心の声が聞こえなくなったらしい。何を言っても返してくれない。揶揄って遊んだり、怪我の心配をしたり、夜食は手作りがいい、とか考えていたけど、何ひとつ反応してくれなくて。いつもなら顔を赤くしたり青くしたりするもんだけど。当たり前になっていたことが、当たり前じゃなくなって。素直じゃない僕はどう愛情表現したらいいのか分からなくて。でも彼女は元に戻った。また僕の心の声を聞いて、僕の本音に応えてくれるようになった。そして僕達はお互い、身体で愛情を確かめ合った。
 その後も僕の心の声だけが聞こえるわけじゃないと分かった時は、嫉妬したりもしたけれど。

 でも去年、彼女は死んだ。僕の愛していた彼女は、もう……







「……いや、勝手に殺さないでくれる?」

 隣で僕と共に夜蛾学長を待っている彼女はジトっとした目で僕を見つめる。
 いやぁ、今日も呆れた顔が可愛い。ほぼ毎日、家でも高専でも見てるっていうのに、飽きないね、僕の奥さんは。

「奥さんじゃないし。結婚した覚えないんだけど」

 照れちゃってまぁ。そこも可愛い。学生時代と何も変わらない!仕事なんて放棄して、家に帰って子作りしたいよね。

「何で今日はそんな心の中で語りみたいなことしてるの?」

 もういいや。夜蛾学長は遅いし、この場でイチャイチャしてもいいよね。あー触れたい。可愛い僕の奥さん……疲れた僕を癒してほしい!
 僕は彼女に膝枕をしてもらおうと、ソファにごろんと寝転んで、頭を彼女の膝に預ける。

「寝るの?」

 うん、学長が来るまでね。

「来てもそのまま寝てていいんじゃないかな。もう慣れてるでしょ。話は私がしておくし。それにあまり眠れてないんじゃない?最近、寝てる所、見てないよ」

 僕の奥さん、超優しいんだけど!君の寝顔に見惚れていたら眠れなかった、なんて言ったらどんな反応するんだろう。

「いやもう言ってるようなもんだからね。ショートスリーパーかもしれないけど、寝てた方がいいって。ほら、余計なこと考えず寝て」

 そう、彼女は優しく僕の頭を撫でてくれる。こうやって僕を甘やかしていいのは彼女だけだ。彼女が甘やかしていいのも僕だけ。心地が良い。
 あぁ、何て幸せなんだろう!そのままおやすみのキスしてくれたら、よく眠れそうなのに!

「はいはい、おやすみ」

 彼女は身を屈めて、そっと触れるだけのキスをしてくれた。
 あぁ、何も言わなくても伝わる。それくらい僕のことを愛してくれてるなんて!

「うるさいな……全部聞こえてるんだって。早く寝て。赤ちゃんみたいによしよししないと寝れない?」

 それは是非やってもらいたい。

「冗談。早く寝て」

 そう、彼女は僕の頭を撫でる一方で、胸に置いていた僕の手を握ってくれていた。
 あぁ、もう起きれない!このままでいたい!悠仁達一年生が僕らのラブラブっぷりをドキドキしながら見ているのに!僕は、僕は……!

「早く言って!?」

 彼女はハッとドアの方を見て、慌てて僕から離れようとするが、僕はガッチリと彼女の腹に抱きつく。
 離れない、この癒しの時間を逃したくはない!

「生徒の前でなんて醜態晒してるの!?ちょっと!」

 彼女の言葉を聞いて、バレてると分かった一年生三人はドアを開けて入って来る。彼女は慌てて、僕の頭をぽかぽかと叩くが、僕はめげない。

「あのー、邪魔してごめんね、先生達」
「い、いいんだよ。気を遣わせてごめんね、どうしたの?」
「夜蛾学長、一時間くらい遅れるらしいですよ。伊地知さんが伝えてくれないかって俺達に。胃が痛いそうなんで」

 だろうね、夜蛾学長が来るまで入って来るなって脅したから。

「はぁ……本当ごめんね。わざわざありがとう」
「すっごいキモいわね、それ」

 僕のこと?野薔薇は酷いなぁ、これが夫婦のあるべき姿よ?

「全っ然喋らないけど、寝てんの?それ」
「寝てないよ。今日はよく分からないけど、喋らないんだよ」
「ん?でも先生に話しかけてたよね」
「悟くんの心の声だけは聞こえるんだよね、私」
「ハッ!脳内に直接、みたいな!?」

 あ、僕も最初はそれ思ったよ。

「いや、耳を塞いだらちゃんと聞こえなくなるから、脳内ではないよ」
「だからか、いつも噛み合ってない時ありますよね」

 うんうん、恵はよく見てるなぁ。憂太も言ってたけど。

「口に出さなくても伝わるからね。今日は私ばっかり喋ってる」
「面倒ね。その力もそいつも」
「生徒にカッコつけたいのか、醜態晒したいのか、よく分かんないよ。二年生の前では酷かったから、今度の一年生の前ではちゃんとしようと思ってたのに……」
「いいじゃん、ラブラブで」
「私は嫌なんだけ、ど……」
「……?どったの?」
「いや……悟くん、寝たんじゃないかな」
「そんなのも分かるんですか?」
「いや、心の声が聞こえなくなったの。悟くんはいつもうるさいから、寝てる時はよく分かる」
「よく寝れるわね、こんな状況で」
「寝かせてあげて?疲れてるの。三人ともありがとう。一時間でも寝かせてあげたいから、ここにいるよ。伊地知くんに会ったら、そう伝えておいて」
「了解!」
「あんま甘やかしちゃダメよ?」
「失礼します」

「……眠ったら静かね、悟くんは」

 私も少し眠ろうか、とそっと目を瞑った。


***


 これはまずいことになった。
 僕は彼女を心の底から愛してる。アラサーになった今でもそれを口にするのは、憚られるが、それでも十分すぎるほど伝わっている。だからこそ、僕は彼女に隠し事が出来ない。隠し事なんてなかった。彼女が買ったケーキを食べてしまって、新しく買ったケーキとすり替えたことすら、その場でバレて、ちょっと叱られたくらい。でも今回の隠し事はそんな可愛らしい隠し事なんかじゃない。

 酔った勢いで、彼女と間違えて別の女と寝そうになった。

 未遂とはいえ、互いに裸になったのは間違いない。実家に帰ると、いつまでも結婚を決めない僕に寄越した女。ちょっとは彼女が嫉妬するかな、と思いながら、話のネタにでもと食事を共にした。酒は飲めないと言ったが、甘ったるいと噂のワインに興味本位で一口だけ、と飲んでみたのが間違いだった。それからはあまり覚えちゃいない。女や家は既成事実を作ろうとしたのか、あれよあれよとベッドイン。体型も髪型も彼女に似せたのか、元々なのか、酔った頭で正常な判断が出来なくなっていた。
 以前、彼女が酔った僕は好きじゃない、と言ったことをその場で思い出し、ずっと嫌いにならないで、と馬鹿みたいにその女に泣き言を言っていたような気がする。
 やっと気づいたのは、着物を脱ぎ、キスをした瞬間だった。明らかに違う彼女の匂いや舌に血の気が引いた。すぐに離れ、いくつか女や家の人間に酷い言葉を吐いたかもしれないが、もたつく足で僕は実家を出た。
 四日ほど会えていなかった彼女が恋しいと思う僕の気持ちを弄びやがって。完全に油断した。
 家に帰って、シャワーを浴びながら考える。どうせバレてしまうんだ。ここは隠してしまうより、素直に曝け出した方がいいはず。僕の愛は十分伝わってる、これは浮気じゃない。明日は彼女が帰ってくる、素直に伝えれば彼女も許してくれる。
 酔った時もそうだったが、アラサーの男が捨てられるかも、なんて悩むのは馬鹿みたいだ。今更、僕達の関係が崩れることはない。

 翌朝。当たり前だが、起きても隣に彼女はいなかった。酒を飲んだ所為か、少し身体が怠い。酒を飲んだって、いいことなんてひとつもないな。
 寝室からリビングダイニングに出ると、ふわりとトーストの香りがした。まさか帰って来てるのか?とキッチンへ向かうと、愛おしい彼女が朝食を作っていた。
 やっぱり、彼女は綺麗になった。でもまだ少し残る幼さが可愛らしい。そんな僕の愛おしい彼女が僕と同棲をして、キッチンで朝食を作ってるなんて、幸せすぎる。

「おはよう……朝から大袈裟」
「おかえり」

 僕は彼女を抱き締めてから、キスをする。やっぱ昨日の女とは違う。

「昨日の女?」

 しまった。いや、違うよ?昨日、実家に帰ったら、許嫁にと家が用意した女がいて、それで、酔った勢いで抱きそうになったっていうか。僕が好きなのはオマエだけ。本当、別れるなんて言わないで。大好き、愛してる!

「抱きそうになった、ということは抱いてないんだね」
「ないない。抱くわけないだろ」
「セフレはいたくせに」
「それはオマエを好きになる前!」

 ベッドの上じゃないのに、勢い余って好きと言ったのがむず痒い。それくらい必死になっていた。絶対に手放したくない。十年も一緒にいたんだよ?こんなひとつのミスで失いたくない、好きなの、本当に。オマエが好きなの。

「っ、はは!馬鹿だなぁ、悟くんは!」

 彼女は声を出して笑うと、まるで犬を撫でるように僕の頭をくしゃくしゃにした。そして必死な僕を愛おしいというような表情で見つめてきた。

「信用してよ、私のこと。すごくお酒の匂いするし、悟くんが私に一途なの、よーく知ってるよ。いつも自信満々に物事を言うのに、何で私に対してだけ、そんなに自信ないの?」
「僕、性格悪いし」
「知ってるよ。うるさいしね」

 余計じゃない?勝手に聞いてるのそっちなのに。そう思っていると、彼女は分かってるよ、と笑う。

「でも、その心の声がないと、私はきっと、悟くんのこと好きになってなかったよ。素直じゃないしね」

 僕のことを全て分かってるのに、僕は分からないから不安になる。それでも、彼女の瞳はいつだって僕に愛おしいと伝えてくれている。

「僕を愛して」

 心からの言葉。もっと、もっと愛してほしい。僕と同じくらい……いや、それ以上に。

「私の心の声が悟くんにも聞こえたらいいのに。ずっとそう思ってるよ」

 全部、口で言ってほしい。思ってるだけじゃ分からないだろう?

「愛してるよ。知らない女に悟くんの唇を奪われたかと思うと、嫉妬してしまうくらい」

 そう言って、彼女は僕の頭をそっと引き寄せ、背伸びして僕にキスをした。
 これだから、彼女のことが好きなんだ。

 だから僕のことを見透かして、僕の愛を受け取って、僕を愛して。

 これからも、ずっと。





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