#4.過去の私





 私は名前を呼ばれるのが好きじゃない。
 わざわざ口に出すことでもないから、誰にも言ったことはないけど、五条先生はそれを見透かしていた。

 でも彼≠ヘ五条先生ではない。

「涼華、涼華!おーい!聞こえてんだろ、未来人!」

 あんなに大好きだった五条 悟は今では嫌いだ。五条先生はいつも私を呼び止める時には、名前を呼ばずに私の顔を見てくれる。私に話しているのだと、いつも私と目を合わせてくれる。時々恥ずかしくなって目を逸らしてしまうけれど、彼の優しさが好きだった。
 憂太も頻繁に私の名前を呼ぶけれど、彼に悪意はない。きっと、私が認識出来ない名前を呼ばれるのは好きじゃないと言うと、直す努力をしてくれるはず。私の友人は皆そういう人達だ。だけど、この人は悪意がある。私は状況からしてそれは自分の名前だと思い、振り返る。未来人≠ニいうのも決め手だった。

「何ですか?」
「別に、呼んだだけ」

 十二年後の先生に会いたい。顔は同じなのに、まるで私への対応が違う。

「……五条先生は」
「俺、先生じゃないんだけど。やめろよ、その呼び方」
「じゃあ何と呼べば?」
「普通に呼べよ。先生はやめろ」

 五条と呼ぶのも、後に先生をつけたくなる。それくらい呼び慣れてしまった。それに何だか、私の中で五条先生と彼に差をつけたくなった。

「悟」
「何だよ、急に距離詰めてきたな?」
「距離感が分かりません。敬語も敬称もいるかどうかも」
「未来なんて知るかよ。同期だろ」
「じゃあ悟で。私の元同期は皆、名前を呼び合っていたし」
「ふーん」

 興味なさそうだ。やはり五条先生と彼は別、そう考えておこう。そうじゃないと、私の五条先生に対するイメージが崩れてしまう。昔はこうだった、ともあまり考えたくない。ヘラヘラと笑い、優しい瞳で見つめてくれる先生が大好きなのに、今は意地悪そうにニヤニヤしたり、かと思えば無愛想だったり。強いことには変わりないのだろうけど。そう、私は目の前にいる同い年の彼にモヤモヤしていると、彼は私の顔を覗き込む。

「俺が丁寧に教えてやろっか」
「何を?」
「オマエの姿とか、名前とか」
「……いらない。もう、色々な方法を試した。名前は何となく覚えれるけど、他人のような気がする。天与呪縛だから仕方ない」
「じゃあ、姿を言葉で伝えればいいんじゃねーの?大体分かるだろ」
「……顔は特に自分のことだと頭が理解した瞬間、声すら聞こえなくなるし、見えなくもなる。鏡も写真も子供が描いた似顔絵も、何もかも……私は、存在しないのかもしれない」
「は?意味分かんね。今喋ってるじゃん。存在しない奴は喋らねーっての」
「……そうだね」

『私は存在してないように思えるんです』
『何言ってるの?こうして喋ってるじゃん。存在してるからこそ、こうやって僕と楽しくお喋りしてるわけでしょ?存在してるよ、僕の目の前にね』

 初めて喫茶店に連れて行ってもらった時に出た本音。口調は違っても、目の前の彼は五条先生と同じ言葉を返してくれた。それに私は余計に彼とどういう関係を築いたらいいのか、分からなくなった。
 自販機で紅茶を買うと、悟も隣であたたかいココアを買っていた。私は黙って去ろうとするが、彼はココアのキャップを開けながら私について来る。

「用がないのについて来るの?」
「今日休みだろ?傑はどっか行ったし、暇なんだよな。だから暇つぶし」

 夏油さんはいないのか。ならば今がチャンスなのでは、と私は紅茶のキャップを開けながら校舎に入ると、悟に訊ねる。

「夏油さんって、どんな人?」
「傑?未来で会わなかったのかよ」
「会ったけど、よく分からない。会うことは滅多にないし」
「ふーん……傑はまぁ、気が合う奴っていうか。でもたまに正論吐くとこ嫌い」
「正論?」
「道徳の授業受けてるみたいな感じ」
「マトモな感性をしているということ?」
「ま、そうだな」

 私の夏油 傑のイメージから外れていく。私はその場にいなかったが、笑顔で非術師を皆殺しにする、と説いたという。どういう心境の変化でそういう思想になったのだろう。これも、呪術を学んでいけば分かることなのかな。

「ありがとう、参考になった」
「あ?参考?」
「色々と」
「何、傑のこと好きなの?」
「えっ、いや、そんな理由じゃない。ただ、どんな人か気になっただけ」

 貴方の親友が将来、危険な思想を持つ呪詛師になるなんてこと、言えるはずない。彼はふーん、と適当な相槌を打っては口を尖らせ、ココアを飲む。ほんのりココアの甘い香りが鼻腔を擽る。校舎も寒くて、吐く息も白く、目視出来るようになっていた。私といてもつまらないだろうに、と私は窓の外を眺める悟を見る。学生服を着ている先生はやはり見慣れない。いつも似たようなものを着ているけど、まさか同期になるとは思っていなかった。でも何故だろう、とても懐かしい。

「何?見惚れた?ま、無理もないか」
「……綺麗な顔してるよね。先生はいつも目元を隠してた。でも出掛ける時はそれを外して、今の悟と変わらない姿だった。目元を隠してても全然いいけど、そのままの方が絶対モテるのにね」
「サングラスも隠してるもんだろ」
「何か、不思議な感じ」

 温かい紅茶を手で包み込み、暖を取る。ふと白んだ窓を見る。そこに映った自分の姿が霞んでいて、複雑な気持ちになる。

「私はどんな姿かな」
「さっき説明はいらねーっつったじゃん」
「そうだね……」

『君はね、すっごく可愛いよ!僕のタイプって感じ。分かる?』

「あー……目は■で、鼻は■■してて、口は■■、何か■■■■■」

 その言葉に、思わず笑みが溢れた。何ひとつ聞こえず、分からなかった。だけど、彼はちゃんと私の顔を見て、懇切丁寧に特徴を言ったのだろう。それだけは理解出来た。先生とは全然違う、何ひとつ私を理解していない。おかしくって、笑える。

「何だよ」
「私の特徴は何ひとつ分からなかったけど、悟は正確に私の顔を言ってくれたんだってことが分かったよ」
「は?マジ最悪、揶揄ったのかよ」
「いいや、嬉しいよ。私の顔を見て話してくれて」

 私は存在してるんだってことが、分かるから。すると彼は深い溜息を吐くと、私を指差す。

「他の人間と同じパーツが同じとこにあるってだけで十分だろ。あとはどうでもいい」
「悟の好みの顔かな」
「あ!?全っ然違うし!ブスだブス!ブスくらい分かんだろ、整形でもしたら見えんじゃねぇの!」
「……盲点だった。試してみる価値はあるかな」
「試すなよ、そんなことで!」
「何を怒ってるの」
「知るか!」

 彼はココアを飲み干し、術式でペットボトルを手の中でグシャリと小さく潰すと、そのままそこから去って行った。学生時代の五条先生はこんなに情緒不安定だったの?何だか、思春期の男の子を見ている気持ちだ。そう思いながらも、少しは彼を好きになれた気がした。


***


「えーと、傑。おはよう」

 教室に一番乗りで来たかと思えば、既に夏油さんがいた。悟のだけに軽いのもどうかと思い、彼とも距離を縮めようと、声を掛けた。

「おはよう。驚いたよ、君から打ち解けようとしてくれるなんて」
「何で驚くの?」
「だって、私のことを怖がっているように見えたから」
「……!」

 確かに、少し怖い。私からすれば、いつ爆発するか分からない爆弾に触れるようなものだ。傷つけたくないからといって、五条先生から彼のことを深く聞かなかったことを、この時代へ来てから後悔した。最悪彼が呪詛師になるまでを確認してから、また過去に戻り、原因を潰していく≠ニいう行程が必要になってくる。
 過去に戻しても呪力は減り続ける。その為、呪力が尽きれば戻ることは出来ない。見ていなければ、救わなければ。

「悟よりかは怖くないと思っていたんだけど。まぁ君の場合、未来の悟を知ってるみたいだから。教師をしているんだろう?丸くなったのかな」

 それともスパルタ教師かな、と彼は未だに教師になることを信じていないように笑うと、私はいや、と隣の席に座りながら話す。

「強くて優しい先生だったよ。私のことを理解してくれてた」
「へぇ、悟がねぇ……ブスとか言いまくってたけど」
「はは、だから戸惑ったよ。悟と五条先生は違うっていうか……ブスなんて絶対言わないよ。寧ろ可愛いって、タイプだって言ってくれた」

 思い出しながら話すと、傑は吹き出すように笑い、机に突っ伏し、お腹を抱え、小刻みに震えた。そんなに笑う?それほどまでに、彼は可愛いなんて女の子に言わないのだろうか。意外と硬派な人間だったのか。

「くく……っ、それ、本当に悟?」
「そうだよ?」
「ははっ!それ、見たいなぁ。十二年後か、待ち遠しいね」
「……どう変化するのか、分からないよ」

 傑はそこにいるけど、立場が違っている。五条先生の隣にはいない。それを知った時、彼は、彼らは一体、どう感じるのだろう。

「まぁでも、十二年だからね。色々変わることもあるだろう。でも、理解してあげるというのはいいことじゃないか」
「そうだね。悟と五条先生、同じ質問をしても別の答えが返ってくることもある。同じこともあるけど。それくらい、心の変化が生まれる。大人と子供の差ってそんな感じかな」
「でも、その十二年後の悟は今の悟だろう?別人のように言うけど、君は私達と同期だった……つまり十二年間、友人だったわけだし、理解していて当たり前のように思えるけどね」

 私は記憶を失っているだけで、五条先生とは同期で、本当は二十七歳だったなんて……考えたくない。じゃあ、あの孤児院の話は何だったんだ、家入さんも夜蛾学長も何も言わなかった。でも、そう考えると辻褄が合う。都合良く孤児院から助けてくれたのも、私の能力を引き出したのも、私を理解したように優しく接してくれたのも全部……考えないようにしていたことが、次々と溢れ出す。

『はぁ?自己認識出来ない?天与呪縛?軽い方だな、名前とか見た目とかどうでもいいでしょ。それで手に入れた力って何?』
『まだ……詳しく分からない』
『何だそれ』
『仕方ないだろう。呪術を学ぶ為にここにいるわけだし、呪術師の家系でもないんだから』
『本当クズだな。全部自分基準にすんなよ。大丈夫、何かあったら私に言いな』

 存在したはずの記憶だった。これは彼らと初対面の時の記憶。
 身体の時を戻しても、またその時間に戻って来ると、時々記憶が戻ってくることがある。今のがそれだ、十六歳の私。ループする前の、未来を知らない私の記憶。疑いが確信に変わった瞬間だった。私は確かに彼らの同期だった。夜蛾先生の言葉で薄々分かっていたことだが、考えたくなかったんだ。何かのキッカケで私は十二年も身体の時を戻した。それを、皆は隠してくれていただけ。
 それを知って、五条先生の『早く大人になりたいと思わない?』と何度となく聞いた言葉の意味が理解出来る。
 私は五条 悟の友人ではない、ただの生徒だと思っていた。今だってそうだ。学生時代を共に過ごし、青春していたわけでもない。でも彼は違う。
 彼はただ、友人を取り戻したかっただけなんだ。

 身体の時が戻る前の私≠……

「う……っ」

 気分が悪くなった。それと同時に涙が溢れ出した。記憶がなかったといえど、私はただ五条先生を悲しませていただけだった。時々見せた寂しそうな表情は、あれは──

「ごめんなさい……っ」

 もう遅い。未来へは帰れない。十二年後に会ったとしても、それは私を知る五条先生ではない。彼≠ノ謝ることさえ出来ない。
 泣き出した私に傑は戸惑っていた。そして私の背中を優しく撫でてくれる。私を、私達を傷つけた手と同じだとは思えない程、優しく。

「何か悪いことを言ったなら謝るよ」
「違う、違うの……傑の言った通りだった……私は、皆の、友人だった」

 後悔しても遅い。ならせめて、ここにいる皆を大事にしたい。傑を救って、悟も硝子も傷つかない、誰も悲しまない、そんな未来を。

「うわ、夏油泣かすなよ」
「いや、私は……」
「ごめん、傑の所為じゃないよ……」

 硝子が教室にやって来て、よしよし、夏油に虐められて可哀想、と私の頭を撫でた。私は目の前にあった傑の肩に額を押しつけ、涙を堪えた。

「うわ、傑、サイテー」

 そこに悟もやって来ると、揶揄うように笑う。私の所為だと言われればそうだが、と彼は困ったように話した。

 この懐かしさは偽物ではなかった。
 全部、全部私の過去だ。






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