#2.記憶にない友人





 単独任務から帰って来ると、呪術高専内の空気がピリピリしていた。呪術師や補助監督が慌ただしく駆け回っている。今日は五条先生も高専にいるはずだから、高専内で何かがあったとは考えづらい。そう思いながら、とりあえず教室へ向かうと、そこには難しい顔をしている同期がおり、私は声を掛ける。

「何かあったの?」
「呪詛師の集団がやって来てな、宣戦布告をして帰って行った」

 パンダの答えに、私がいない間にとんでもないことが起きていたんだな、と背筋が伸びる。しかし、呪詛師が呪術師の溜まり場である高専にやって来て、しかも五条先生がいるのに、無傷で帰るなんて、相当強かったに違いない。と屈強な呪詛師集団を想像してしまう。すると真希はイライラしたように溜息を吐く。

「イカれた思想だ。非術師を殺して呪術師だけの世界を作るんだと」
「おかか!」
「……呪詛師の名前は?」
「夏油 傑だってよ」

 夏油 傑、その名前を聞いた瞬間、背筋がぞわりとした。聞いたことのない名前なのに、何故こんなにも落ち着かないんだろう。何故こんなにも心が掻き乱されるのだろう。そう、机の側でぼんやりと突っ立っている私の顔を棘が覗き込んできた。

「こんぶ」
「大丈夫……何か、嫌な予感がして。その宣戦布告っていつ?」
「十二月二十四日、場所は新宿と京都」
「そっか……私も行かされるかも」
「かもね、壱紀さんは一級だし」

 少し不安になりながらも、私は一級呪術師なのだから、しっかり仕事をしなくては、と考えていた。
 しかし、十二月二十四日が近づいてきても、周りは慌ただしく、棘やパンダは夜蛾学長と共に新宿へ向かうという話があったのにも関わらず、私への指示はなかった。周りに聞いても「受け持ちじゃないから分からない」と煮え切らない言葉が返ってくる。そしてたまたま、私は校舎内で五条先生を見かけ、慌てて声を掛けた。

「五条先生!私は二十四日、新宿に向かうんでしょうか、京都ですか?」
「いや、君は高専でお留守番」
「えっ」
「真希と憂太もいるから寂しくないよ」
「そういう問題ではなくて……私は一級ですよ?出た方が、」
「留守番ったら留守番。これは教師命令」

 ね、と彼は私の頭を撫でる。真希と憂太が行かないというのは分かる。真希は呪霊が見えず、呪詛師の思想からしても行くべきではない。憂太は実力不足だ。でも、私は問題ないはず。棘とパンダは行くというのに、何故私はダメなの?

「行かせてください」
「君を守りたいの。分かる?」
「そ、そんなこと言ってたら、呪術師は務まりません!私じゃ力不足ですか?」
「アイツの相手は僕がするけど、念の為だよ」

 アイツとは、夏油 傑のことを言っているのだろうか。五条先生は何かを隠しているとしか思えない。反論しようとすると、口に人差し指を当てられる。

「傑は、僕が殺すから」
「……」
「今回くらい我が儘聞いてくれてもいいんじゃない?」
「……分かりました」
「いい子だね」

 彼の優しい声に、私は反論出来なくなってしまった。これが惚れた弱みというやつなのだろうか。でももっと、違う理由もあるような。胸につっかえた何かが、私を納得させたような気もする。五条先生は忙しいからまたね、と軽く手を振って去って行った。

 十二月二十四日、当日。
 私は寮でテレビを観ていた。真希や憂太といても良かったが、今日の私は不機嫌だ。私はそれほど弱くはないはず、人の役に立てるはず。それなのに、五条先生は私を守ると言う。五条先生と夏油 傑には何か深い関係があるのだろうか。皆、今頃どうしているだろう。そう、観ているテレビの内容も頭に入らず、ぼんやりしていると、窓の外が暗くなっていくのを感じ、私はハッとして窓の外を見ると、高専に帳が下りていた。

「何でここに」

 私は慌てて部屋から出ると、入り込んだ呪いの気配を辿っていく。走って向かった先には、右脚は複雑に折れ曲がり、腹から血を流して倒れている真希の姿があった。その側には袈裟姿の男。彼を見た瞬間、心臓がどくりと大きく脈打った。この男を、私は知っている。いつ、どこで知った?何も、思い出せない。

「やぁ、暫く振りじゃないか。随分と若返ったね。まぁ、この間までの君も十分、若くて綺麗だったけど」
「な、に?貴方が、夏油 傑?」
「そうだよ。やはり記憶までも若返るというのは本当なのか」

 何の話をしているのか、さっぱり分からない。分かっているのは、彼は真希を傷つけ、宣戦布告してきた呪詛師。そして、五条先生が殺すと言っていた相手だ。だとしたら、何も躊躇うことはない、ただ彼を殺す、それだけだ。

「君の手の内は知ってるよ……全部ね」

 私はとりあえず触れなければ、と彼に向かって行くと、彼はあっさりと私の手を避けてしまう。しかし、突き出した肘を彼が受け流そうと一瞬だけ触れ、彼の動きを止めることが出来た為、そのまま呪力を乗せた拳で殴る。しかし、たった二秒しか止めることが出来ず、彼は壁に向かって吹き飛ばされるが、まるで何もなかったように立て直す。

「弱くなったね」
「……誰と比べてるんですか」
「君だよ、涼華。悟は何も言わないの?私達は同期で友人だったじゃないか」
「は……?」
「どうやら巻き戻しすぎたようだね」

 動揺してしまったその瞬間、腹を蹴られて吹き飛ばされる。その間に、どこからか呪霊が現れ、私は受け身を取って立て直せば、向かってきた呪霊を殴りつけると、消し飛んだ。
 天与呪縛のお陰で手に入った膨大な呪力、時間停止と同時に呪力を込めた拳に乗せれば大抵の呪霊は消し飛ぶ。するとその時、パンダが壁を突き破ってやって来た。だが、真希に気を取られ、すぐに気づいた彼はパンダを足技で倒した。私は棘も来ていることに気づき、サポートの為、彼に触れて時間を止める。すると棘は『堕ちろ』と呪言を使い、そこに大穴を開けて彼を地へ堕とした。だが、あまりの力に棘は吐血し、膝をつく。

「棘!」
「棘!大丈夫か!?」
「い……ぐら」
「あぁ、まずは真希。オマエは平気か」
「大丈、夫……っ」

 棘の背後、穴から大きな呪霊と共に夏油 傑が上がって来るのが見え、私は言葉が詰まる。
 そこからは一瞬だった。
 何が起こったのか分からないまま、私達三人は夏油 傑にやられてしまった。意識を失っていたが、あまりの轟音に目覚めると、まず感じたのは体の痛みだった。辺りを見ると私は怪我をした真希や棘、パンダと高専の廊下にいることが分かり、遠くで憂太が里香と共に夏油 傑と戦っているのが見えた。サポートしたくても、私には手を出せない領域だ。でも、自身の体の時間を戻して回復させれば、怪我をした彼らをもっと安全な場所へ移動させることが出来るかもしれない。そう思ったが、私の知らない私を語った夏油 傑の言葉が恐ろしくなり、巻き戻すのをやめた。憂太と里香なら、きっと大丈夫。それに、すぐに五条先生が来てくれるに違いない。だから、今は二人に任せよう。そう思いながら、私は重たい目蓋を閉じた。


***


 里香は解呪され、夏油一派は逃げてしまったものの、夏油 傑は五条先生の手で殺された。こうして再び、高専内に平穏が訪れたはずだった。

「五条先生」
「ん?」
「夏油 傑とは、どういう関係だったんですか?」
「……親友だよ。たった一人のね」
「そう、ですか」

 やはりそうだった。里香を解呪した時、皆がいた時は明るく振る舞っていたものの、今はとても静かだ。
 五条先生の部屋、普段なら嬉しいはずなのに、今日はそんな気分になれない。私達の間には沈黙が続く。暫くすると、五条先生はするりと包帯に指を通して外すと、私の顔を覗き込んできた。

「ねぇ、慰めてくれる?」
「慰め方が、分からないです」
「今は、今だけは、生徒と先生の関係はやめようよ」

 そう、彼はテーブルに軽く座り、手を広げてきた。何を意味しているのかはすぐに理解出来た。でも、私なんかがいいのだろうか。私が彼の傷を癒すことなど、出来るのだろうか。そう思いながらも恐る恐る手を伸ばして近づくと、大きな体が私を優しく包み込んだ。とても温かくて、泣きそうになる。

「……彼は、私と同期だと言っていました。若返ったとか、色々。でも、分からないんです」
「気にしなくていいよ」
「五条先生も寂しそうに見えます。私といる時も、今も、夏油さんを……親友をその手で殺したんですから、寂しいに決まってる」
「……大丈夫」
「じゃあ何で、そんな顔するんですか?私じゃ役に立ちませんか?」
「そんなことない。こうやって、ここにいてくれる」

 五条先生は嘘吐きだ。何もかも嘘だ。私は先生の役に立ちたいのに。私に出来ることは何だろう。私には──

「余計なことは考えなくていい。君は力を身につけて、それから、」
「私、先生の役に立ちたいです」
「じゃあ強くなって、僕と一緒にいてくれる?」
「……もっと違う形で、貴方を幸せにしたいです。私を助けてくれてありがとうございます。いつも優しくて、私を見てくれている五条先生が大好きです」
「僕は、」


 その瞬間、腕から温もりが消えた。
 何もない場所に、行き場を失った手。彼女の残穢だけが僕を包んでいた。

「……君も、僕を置いていくんだね」

 その声は誰に届くわけでもなく、虚空に消えた。






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