【後日談A】それまで、さようなら。





 心地良い温もりに目を覚ます。十二月中旬とは思えないほど暖かいのは、窓から差し込む光のお陰だろうか。そう思って重い体を起こそうとすと、頭に何かが触れていることに気がついた。それは愛おしい人の、温かい手だった。

「ん、おはよう」

 外を見渡せる部屋の一室。妊娠八ヶ月目に入った私は思うように動けない為、皆の邪魔にならないよう、ソファに座って、ただぼんやりと外を眺めていた。しかし、いつの間にか眠ってしまったのだろう、私は悟の膝を枕にして寝ていたことに気づく。

「どうよ、ダーリンの膝枕は」
「……首が痛い」

 随分と固い枕だと私は笑いながら体を起こそうとすると、悟が手伝ってくれる。すると肩から何かが落ち、見ると私の上には多くの上着が掛かったいた。

「これ、真希の……硝子の白衣まである。憂太に悠仁、綺羅羅、霞……これ、日下部さん?」
「はは、オマエがこんな所で寝てるから、皆が寒くないようにって上着を置いてくんだよ。そのタオルケットは棘とパンダから」

 後で返しておかなきゃ、と私は愛のある掛け布団に感謝しながら、そっと畳んでいく。
 思えば、長い長い一ヶ月だった。悟が封印され、皆が戦っている間は無力感に打ちひしがれ、とても長く感じたけれど、悟が戻って来てからは、一日一日が短く感じる。決戦まであと一週間もない。
 私は彼の肩にもたれ掛かると、悟はん?と私を見る。

「しんどい?」
「そうじゃないよ」

 口を開けば、行かないでと引き留めるような言葉しか出てこない。運命は変えられないのだから、悟が勝っても負けても、私はそれを受け入れると決めた。それなのに、幸せな思い出が邪魔をして、つい弱気になってしまう。

「ごめんね、幸せにするって約束したのに」
「これから幸せにしてくれるんじゃないの?」
「少なくとも、僕や皆で宿儺のいない世界を与えられる」
「……悟のこと、信じていないわけじゃないけど、」

 悟が死んだ後のことを、私は考えることが出来ない。そう思っていると、彼は私の髪を優しく撫でる。

「不安なのは分かる。でも、最後まで僕を信じて」
「……うん」
「でももし、僕がこの先オマエを置いて死ぬことがあっても、オマエなら大丈夫」
「……どうしてそう思うの?」

 私は自信がない。悟が封印されたと知った時、二度と会えないんじゃないかと不安になった。悟がいないことで、人間側の、呪術師側の戦力が落ちるだとか、均衡が崩れるだとか、私には関係ない。私にとって彼はただの人間、私の夫、愛する人だから。その喪失感に堪えれるだけの心を持ち合わせていない。そう不安に思っていると、彼は迷うことなく、だって、と答えてくれる。

「オマエは命を懸けて僕の為に体を若返らせて、二度と会えないと分かっていながら、僕の為に過去へ戻って来た。普通は愛する人の為にそこまで尽くすことは出来ない」
「全部、空回りだったのに?」
「そのお陰で、ここにいる僕と出会えた。オマエにとって、それが幸運なことなのか、不運なことなのかは分からないけど、僕はオマエに会えて良かったと思ってる」

 取り繕うことのない彼の素直な気持ちに、鼻の奥がツンとする。悟は私を信じてくれている。なのに、私は悟を信じもしなければ、彼の足を引っ張ってばかりいる。

「私も、会えて良かったと思ってる。私は貴方に愛されて、贅沢な人間だよ。本当、勿体無いくらい。だから、大丈夫」
「そうそう、オマエには元気な子を産んでもらわなきゃならないから」

 そう言うと彼は私のお腹に頬を当て、優しく撫でると、聞こえる?と静かに声を掛ける。

「ママが弱った時はパパみたいに助けてあげて。そんで、ママが寂しくないように我が儘を言って」
「我が儘は余計」

 いいじゃん、と彼はよしよしと撫でると、お腹の中で返事をするように動いた気がした。それに悟は元気だね、と笑う。

「決戦前に顔を見たかったけどさ、きっと僕とオマエに似て美人だよ」
「……楽しみ」

 ふと笑って膨らんだお腹を撫でると、彼は顔を上げ、そっとキスをする。突然だなと思っていると、彼は額をコツンと私の額に当てると、私の瞳を覗き込む。

「我が儘言っていい?」
「ん?」
「僕以外の人を愛さないで」
「悟以外、あり得ないよ」
「えー?本当に?別のオマエは傑に惚れてたじゃん」
「で、でも、最後には悟を好きになった。私はずっと、悟が好きだよ」
「それが聞けてよかった」

 額を離すと、私達は肩を寄せ合い、時間の許す限り窓の外の景色を眺め、穏やかな時を過ごした。


***


 十二月二十四日、決戦当日。
 生徒達は悟が来る前に緊張感なく円陣を組み、悟を送り出す言葉を考えていた。微笑ましいなと見ていると、隣にいる硝子はトンと軽く肩にぶつかって来る。

「君は声掛けなくていいの?」
「私は十分、悟との時間を貰ったよ」
「強がってる」
「そ、そんなことない」

 そう話していると、階段の上から、悟と楽巌寺学長、歌姫先輩が下りて来る。ピリッと張り詰めた雰囲気に、私達はつい息を呑み、生徒達もその空気を感じ取っていたが、悠仁はいつもの調子で「先生!!術式邪魔!!」と声を掛ける。それに悟が笑顔で応えると、皆がそれぞれ彼を鼓舞するように背を叩き、声を掛けていく。結局、いつものような軽口で、嬉しそうな笑顔を見せる悟に私も自然と笑みが溢れる。ふと悟と目が合い、ずんずんとこちらへやって来ると、そっと私の顔を覗き込み、触れるだけのキスをする。

「いってきます」
「いってらっしゃい」

 もう、それ以上の言葉はいらなかった。いつも通り送り出すことが、一番良いのだと感じた。脱いだ羽織りを着直すと、彼は笑顔で去って行く。それでもやはり、名残惜しいと、私は彼の姿が見えなくなるまで、その背を見つめていた。
 残った私達は冥さんがカラスを使い、中継を映してくれるモニタールームへと向かう。皆が気遣ってくれ、私には背もたれの椅子を用意してくれた。そこに座ると、硝子は私から離れていく。タバコの煙が私に向かない為だろう。
 悟と宿儺の戦いが始まる。悟の領域が破壊されてからのスタートとなり、傷つく悟を見る度にどくどくと鼓動が速くなり、嫌な汗をかく。やっている事が高度であり、理解出来るのは皆が補足してくれているからだ。そして、悟は土壇場になって虚式を打つ。誰もが勝利を確信した、その時だった。
 激しい耳鳴りがした。視界が揺らぎ、脳が沸騰しそうなほど熱くなる。心臓は締め付けられたようにキュッと収縮したように感じた。
 皆がモニタールームから駆け出していく。ようやく静かになった時には、画面に映る悟の上半身と下半身が別れて倒れていることを、ようやく頭で理解し、全身の力が抜けた。
 鹿紫雲が戦っているのをぼんやりと眺めながら、私は悟の仇を討つ為に戦地へ行くことも出来ないのだな、とお腹を撫でる。そこへ硝子が戻って来ると、唇を噛み、私を見る。

「硝子……」
「憂憂が、五条を」
「……行くよ」

 私は体を起こして立ち上がると、彼女は私の手を引いてくれる。安置室に運ばれた悟の体には布がかけられていて、硝子は不安そうに私を見るが、私は大丈夫、と声を掛け、傍に行く。
 血の痕が残る顔を濡れタオルで拭くと、冷たくなった肌に触れ、死を実感する。
 私は額に額を合わせると、静かに話す。

「……そっちへ行くのは、遅くなる。だから暫く会えなくなるけど、皆で待っていて。必ず行くから」

 死んだ後、魂はどうなるのだろう。そんなこと、考えたこともなかった。けれど、どこかでまた会えたなら、きっと悟は私を愛してくれるし、私も悟を好きになるよ。だからその時は、呪術師として生きるのではなく、年老いるまで共に生きてと、我が儘を言おう。

 だからそれまで、さようなら。





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