#12.蘇る記憶






 あれからどれだけの年月が経っただろう。私ももう二十七歳だ。悟が運命通りに教師になるよ、と言ってから、私もその道に進むことにした。悟が忙しい時は私が代わりに入ったりしているが、彼はよく上層部に噛み付く。悟の恋人である私が何かと後ろ指をさされるのは仕方ない、彼の夢を叶えるのが今の私の夢でもある。でも、私は良いが、夜蛾学長は苦労してそうだ。

 二○一六年、十二月。
 この時期に私は自分の身体を十六歳まで戻している。一体何故なのか、未だに理解出来ていない。そんなことを思いながら、私は地方に出張した。一級呪霊がどうとか、そういう話だったが、そこには何もいない。でもそこには微かに呪霊の気配はあり、そのまま調査をしてみる。すると、辿り着いた先で傑の呪力の残穢が見つかった。

「傑……」
「呼んだ?」

 届くはずのない声だと思った。思わずその声に驚き、振り返る。袈裟姿の彼はまさに、私が記憶している最初に見た夏油 傑の姿だった。傑の残穢はもう何時間も前のもの。なのに何故ここにいるのか、私を呼び寄せる為の呪霊だったのか、それなら内通者もいるのか。私が動揺していると、彼は何の曇りもない、久々の再会を喜んでいるような笑顔を見せた。

「安心して、呼び寄せたわけじゃないよ。それにしても久しぶりだね、綺麗になった」
「何でここに?」
「ここにいた呪霊を取り込んだんだよ」
「そうじゃなくて、ここにいたのは数時間前でしょ。わざわざ戻って来たの?」
「そう。繁華街で君を見かけた。だからここに来るんじゃないかと思ってね、待ってた」

 残酷なことをする。会うのは一年後で良かったのに。そうしたらもう、その場でさよなら出来たのに。私はふと息を吐き、落ち着きを取り戻す。

「あの姉妹は元気かな」
「あぁ、元気だよ」
「そっか……」
「君の呪いが、今でも私達の頭に刻まれているよ」
「存在しない過去の記憶かな」
「そう。悟から夢の話を聞いていたからね、私はすぐに分かったけど、彼女達は困惑していたよ」
「死に近づいていってる感覚はどう?」
「生き方も死に方も決まった。あとは精一杯やるだけ。まぁでも、死なないようにはするさ。悟に殺されるなら、それなりの対策をしないと」
「そう……」

 傑の死も、私には止められない。ただその時を大人しく待つしか方法はない。その未来に近づいているのに、とても懐かしいと感じる。あの青春も、懐かしい。
 ふと、頭の中に存在したはずの記憶が蘇る。



『会いたくなかった……!』
『私は会いたかったよ』
『やめて……もう、傑なんて好きじゃない』
『今は悟?』
『……殺したくない。さっさと出て行って』
『私と共に来ないか?』
『は……?』
『私の家族となってくれ。でも、今更遅いよね。辛いなら、身体も記憶も若返らせればいい。時々、怪我を治す時に記憶が飛ぶと言っていたから、出来るかもしれない。もし、記憶を全て失ったとしても、君はきっと、私を好きになる。私も、どんな君でも愛してる』

 私は傑のことが好きだった。傑も私を想ってくれていたと思う。お互い、言葉にしなかっただけで。
 傑が離反して、必死に止めようと巻き戻した。最悪、一緒に行こうとしたけど、拒まれた。その後はずっと悟や硝子が慰めてくれた。ずっと落ち込み気味だった私に、悟は私のことが好きだと、自分は傑のように離れたりしないと言ってくれた。失恋して、傷心した私を理解してくれたのが悟だった。
 そんな彼を裏切るというのか。

『そんなことはしない。記憶を失えとか、言ってほしくなかった』
『記憶を失っても君は君だ』
『違うよ。あの日々を過ごしたから、貴方が手放したから、今の私がここにある』
『あの日の君に戻って、私の手を取ってくれ。そうしたら、辛かった日々はもう存在しなくなる。ここにいる君は存在しない』
『……ここで死んで、傑』

 私は傑の思想とは相容れない。それでも傑が好きだった。だからついて行こうとした。でも彼は優しいから、私の心中を察して拒んだ。遅すぎるんだ、何もかも。それに、私はここに存在している。それを否定してほしくはなかった。まるで今の私は好きじゃないみたいな物言いだ。貴方の所為でこうなったのに。
 傑に攻撃をするが、動揺している私は上手く力を使い熟せなくて。すぐに傑に倒されてしまった。だが、傑は私に手を伸ばす。

『過去に戻って、やり直そうよ』
『……もう、好きになってあげない。傑も私を好きになる必要ない。だって、私は存在しないんでしょ……?』

 意識が朦朧としてくる。早く、身体を治さないと。

『ごめん……君を愛してたんだ。早く体を治すんだよ』

 傑は立ち去り、私は身体を治すことに集中した。きっと戦う前まで記憶が戻ってしまうだろう。そこでふと考えた。悟も同じことを思っているだろうか、と。昔のように自由な私の方が好きだったかな。今の私は、ただ傑を引きずって、悟に縋ってるだけの女になった。こんな女、好きじゃなかったかな。同情だったのかな。そう思うと涙が溢れ出た。
 私には名前も姿もない。存在しない。若返って、何も知らない私になって、悟を解放してあげよう。そうしたら、私も辛くなくなる。
 それが唯一出来る、私の──



「おーい、どうしたの?」

 目の前に傑がおり、私はハッと顔を上げる。この場所で起きた記憶を見ていた。そうか。何故、私が十六歳に戻ったのか、やっと理由が分かった。

「……ごめん、過去の記憶が」
「何か思い出した?」
「何で私が十六歳になったのか……何で私は自分は存在しない、なんてことを言ったのか……全部、傑の所為だったよ」
「それは、ごめんね。殺そうとでもした?」
「……昔の私は、悟じゃなくて傑が好きだったみたい」
「えっ」
「両想いだったよ。でもね、傑は私の欲しい答えをくれなかった。ただそれだけ」
「それじゃあ、私にもチャンスはあったってことかな?」
「もうないよ。特に今の私にはね」

 私は揶揄うようにべ、と舌を出すと、彼は吹き出すように笑った。その笑顔が何だか懐かしい。

「夫婦円満ってとこかな」
「恋人だよ、まだ夫婦じゃない。同棲はしてるけど。やっぱり五条家は御三家の一つだし……結婚したら子供って感じでしょ?私はまだ呪術師やらないとなぁって……人手不足だし。でもいつかはいい家庭を築きたい」
「御祝儀は贈れそうにないね」
「結婚やら出産祝いに夏油 傑より≠チて書いてたら、悟は呆れるだろうね」
「だろうね。見てみたい気もするよ」

 まるで昔のように話をしてしまった。本来なら殺すべき相手だ。なのに、こんなにも懐かしさを感じて……同窓会にでもいる気分だ。

「……もう帰って。残穢は残したくないでしょ。私だって裏切り者だと思われたくない」
「そうだね。ではまた、戦場で会おうじゃないか」
「会えるかどうかは分からない。だから言っておくよ……さようなら、傑。貴方と出会えて良かった」
「……私もだよ。さようなら」

 傑はその場から立ち去ると、私はあと一年で傑は死んでしまうのか、と寂しくなった。昔の私は傑の思想が過激なものだったとしても傑が好きだったのか、と考える。あれだけ過去に戻れ、存在しないと言われてしまうと……余計に、私を肯定してくれる悟に会いたくなってしまう。
 私は繁華街に戻り、悟や生徒達へのお土産を買った。高専に報告書を提出しなければ、と一応、傑とは会ったと書かずに、傑の数時間前の残穢があったとだけ書いて提出した。自宅へ帰ると、悟が既に帰って来ていており、久々だなと感じる。

「おっ、おかえり」

 マンネリというものは私達には存在しないのだろうか。そう思うくらい、私達の関係は変わらない。変わったことといえば、悟の態度くらいだろう。帰って来ると、彼はサングラスを上げ、おかえりのチューね、とキスをしてきた。いつものことだが、慣れないし恥ずかしい。

「はいはい……」
「ただいまのチューくらいしろよ」
「はいはい、ただいま」

 大きな子供か、と思いながら、彼を引き寄せると、頬にキスしてやる。子供っぽく笑って、満足気だ。そんな彼の機嫌を損ねてしまうことを言わなきゃいけないのは残念だ。

「……傑に会ったよ」

 早速ソファに座ってお土産を広げる悟は、私の言葉を聞いて、は?と声を上げた。少しピリッとした空気に臆せず、私は隣に座る。

「任務先に着いたら、既に呪霊は傑に取り込まれていた。そこに傑がやって来て……世間話をしたよ」
「何で世間話」
「さぁ……懐かしかったよ」
「ふーん……」
「あと、悟が昔に見た、失ってしまった過去の記憶、あったじゃない?あれ、今日は珍しく多く見た。多分大きな力を使ったからだと思う」
「へー、どんな?」

 傑の話をした時は一瞬、ピリッとしたが、私が無事だと分かっているからか、特に気にする様子もなく、穏やかに土産の大福を口にする。しかし、過去の記憶は怒るかなぁ、と少し緊張しながらも、思い返しながら話をする。

「ループする前の私は高専時代、傑といい関係だったらしい」
「は?」
「私と悟の関係に似た、そういう関係」

 それに悟は黙り込んでしまった。でも、隠しておくのも違う気がする。悟には私の全て知ってほしい。だから私はそのまま言葉を続けた。

「それで、私は離反した傑を何度も巻き戻して救おうとしたけど、今と同じで無駄に終わった。最後には一緒に行こうとしたけど、傑はそれを拒否したんだよ。思想が違うし、幸せになれないからだろうね。失恋して落ち込む私を慰めてくれたのが悟だった。私は悟と付き合っていたみたい」
「今と一緒じゃん」
「だけど、今日私が行った場所で、過去の傑は共に来てほしい、と言った。辛いなら若返って記憶を消せばいいとまで言った。そうすれば辛い思いをしている私は存在しなくなるって……まるで、今の私はいらないと言われてるみたいで」
「僕と傑の考え方は逆だろうな。昔があるから今のオマエがある。記憶を失くしてもいいなんて思ったことない。僕が言った言葉を過去に戻った所為で忘れたなんて言ったら許さない」

 彼は私の背から腕を回して抱きしめると、広めのソファに寝転がる。ぐりぐりと私の頭に額を押し付ける彼の体温を感じながら、私は続きを話す。

「五条先生は、そんな昔の私が好きだった。私は身勝手に同情で付き合ってるんだと思って、十六歳に戻った。失った過去でも、悟は私を見てくれていて、好きになってくれてたんだなって」
「んじゃ、僕はどれだけ巻き戻されようが、オマエを好きになる運命なんだね」
「……ふふ、そうだと嬉しいね」
「今がそうでしょ」

 彼はそう言って私の耳を甘噛みすると、私は今日はしませんよ、とペシと背後にいる彼の頭を叩く。それにケチ、と彼は私の後頭部に頬を押し付ける。

「幸せだなぁ、私」
「早く結婚して子供つくろ?」
「恵が卒業するくらいまでは、見てあげたいなぁ……」
「えー、まだまだじゃん」
「いいじゃない、まだ二人でいれるって考えたらさ」

 私は腕を解いて彼の上に覆い被さると、サングラスを外して、触れるだけのキスをする。

「やっぱ今日、」
「しません」
「生殺し」
「じゃあ離れようか。お風呂入りたい」
「一緒に?」
「一緒に入ったらするつもりでしょ、やだ」

 バレてる、と彼は口を尖らせると、また今度、と彼の頭を軽く撫でて風呂に入った。先に悟が入っていたのだろう。甘い香りのする入浴剤の入った湯に浸かりながら、私は悟の言葉、ひとつひとつを振り返りながら、改めて彼が好きだと感じた。暫く身体を癒してから風呂から上がると、やはり今日は悟の好きなことをしよう、と思い至る。寝支度を済ませ、リビングに戻ると、悟はタイミングを見計らって、私にココアを淹れてくれていた。

「いるでしょ?ココア」
「……何か、思い出すなぁ」
「何を?」
「色々」
「……それって、傑のこと?」

 さっき傑の話をしたからだろう。そう思うのも無理はないけど、そうじゃない。初夜のことを思い出すと言ったら、彼はきっと調子に乗るだろうな。

「違うよ。お風呂でね、私はやっぱり悟が好きだなぁって思い返してた」
「本当?」
「何で嘘吐く必要があるの?私の顔を見て」

 彼の輝く碧眼に映る私は、ボヤけて見えていない。でも確かに彼の目に私は映っている。彼は私を見ている。

「……好きって書いてる」
「そうでしょ?」
「……明日さ、出掛けない?」
「えぇ?任務でしょ?」
「僕は知ってるからね!オマエの任務先は渋谷で、僕は横浜だって!こんなのさっさと終わらせれば、デートくらい出来る!」
「いいけど、どこ行くの?」
「紅茶。好きでしょ?」

 あぁ、あのお店か、とココアを飲みながら頷くと、彼は決まりね!と嬉しそうに笑い、私の髪にキスを落とす。私はココアをテーブルに置くと、そっと彼に手を伸ばす。今日は悟の好きにさせてあげよう。そう思い、彼の髪を撫でると、彼はそれに擦り寄り、私の手を取った。

「なぁに?そういう気分になっちゃった?」
「なったかも。明日のデートもあるんだから、優しくして」
「もちろん、いつも優しいだろ?」

 彼はそう言って私の手を引き、キスをした。あの頃を思い出し、口に広がったココアの香りは媚薬のように、私に冷静さを失わせた。
 きっと悟はこれかも気づかずに、私にココアを淹れてくれるんだろうな。


***


 昨夜は全然優しくなかった。そう思いながらも、仕事に出掛けた。無事、いつも通りに仕事を終わらせて喫茶店の最寄駅で待ち合わせていると、悟がお待たせー!と言いながらそこにやって来る。私はお疲れ様、と悟の腕を取り、そっと手を繋いで歩き出す。悟の手は大きくて、初めは繋ぎにくかったけど、これも慣れで、今では自然と繋げるし、悟が照れて顔を真っ赤にすることもない。

「何かさ、昨日から変じゃない?」
「色々思い出して、改めて好きだなって思ったの」
「マジで変わったね。昔はなかなか認めなかったのに」
「私にも色々あるの」

 色々ねと呟き、悟も思い返しているんだろうか。少し黙って、辺りを見回していた。デートによく行った喫茶店に辿り着くと、流れるように私はブレンドティーとショートケーキのセットを悟はミルク付きセイロンティーとチョコケーキセットを注文した。今日の悟はチョコの気分らしい。
 席に着き、店内を漂う茶葉の香りに心を落ち着かせていると、悟はテーブルに肘をつき、ジッと私を見つめてきた。

「昔、テレビで見て、オマエとここに来たいと思ったんだよ。いっつも紅茶飲んでたしさ」
「あの時の悟は可愛かった」
「は?今も可愛いだろ、よく見て、僕の顔」

 いつものあざとい上目遣いでもするんだろうな、と思っていると、彼はとびきりの変顔をしており、私は静かな喫茶店にも関わらず、声を上げて笑ってしまい、ハッと口を塞ぐ。

「はは、かーわいい」
「最悪……」
「傑のことを話したのだって、ここだった」
「……そうだったね」
「初めてデートしたのも、あーんし合ったのも、間接キスも、手を繋ぐキッカケをくれたのも、全部ここだった。僕とオマエだけの思い出だよ」

 悟と私だけ、というのはループする前の私達は含まれていない。でも私は五条先生≠ニも来ている。それにきっと、彼も過去の私も、同じようにこの喫茶店に来ている。五条先生は初めて私をここへ連れて来た時、ブレンドティーとショートケーキを勧めてくれた。それは私の好みに合っていて、今思えば、私の好みを把握した上で勧めてくれたのだろう。

「……悟、ごめん。私、五条先生とも何度も来てるの」
「知ってるよ、そんなこと」

 そのタイミングで、紅茶とケーキが届いたが、私はポカンと口を開いたまま、紅茶にミルクを注ぐ彼を見つめていた。彼は一口、紅茶を飲むと、ふと息を吐く。

「僕も馬鹿じゃないっての。メニューも見ずに、毎回それしか頼まない奴いる?初めから気づいてた。例の五条先生と来たんだろうなって。だから聞いたんだよ、間接キスしたことあるかって」
「……なるほど」
「当時の僕は必死だったよ。未来の僕と差を作ろうとしてさ。でもまぁ、僕にとっても、オマエにとっても、この場所は特別ってことに変わりないだろ」
「そうだね……」

 私は何だかホッとしてブレンドティーを飲む。相変わらず美味しい。ふと目の前の彼を見て、五条先生を思い出す。ずっと私≠想ってくれていたんだろう。同情なんかじゃなくて、ちゃんと愛があった。それは、思い出した過去の記憶や、私への態度からも見て取れた。だからこそ、身勝手に時を戻して五条先生を置いて行くなんて馬鹿なことをしたと、今でも思う。

「……もう、過去は振り返んなよ。酷い顔してる」

 そう、彼はツンと私の頬を突き、チョコケーキを刺したフォークを私に差し出した。涙が溢れそうになるのを我慢して、それを口にする。甘い。けどカカオの苦味も感じる。美味しい。
 私が再び紅茶に口をつけ、心を落ち着かせると、彼はふと笑う。きっと、悟は私が過去のことで悩んでいるんじゃないかと心配になって、ここへ連れて来たんだろう。

「……因みに、元同期の男の子と来たこともある」
「は?それはムカつくんだけど」

 頬を膨らませる彼に、私はごめん、と一口サイズのショートケーキを差し出すと、彼は許す、と私の手からそれを食べた。
 こんな些細なことで幸せを感じられるのも、過去の私達がいたからこそ、再び心の底から愛し合い、やり直せたからだと、そう思いたい。






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