#10.変えられない運命





 夏は特に忙しかった。傑や悟とも全然会えていなくて、高専で硝子と会うくらいだった。休日には時々、硝子のスクーターの後ろに乗せてもらい、一緒にショッピングに行ったりもした。
 八月になると、久々に見た悟の術式の精度が上がっていた。もう既に私の知っている未来に近づいてきていることを実感した。
 悟が傑が痩せたことに言及する。痩せたというより、窶れている。傑はただの夏バテだなんて言ったが、私はただ不安になっていた。

「傑」
「ん?」
「この間、硝子とショッピングに行ったんだけどね、男性服の店員さん、傑と似たような前髪しててさ、ちょっと笑っちゃった。流行り始めてるのかな」

 傑の体調や心には触れることなく、何気ない会話をしてみる。彼は笑ってくれるが、元気がない。それに私はつい、ずっと言いたかった言葉がつい出る。

「ねぇ、私はこの生活を捨てたくないよ。傑とこうして話していたい。ずっと私達は同期で、友人でいよう」
「……そうだね。何も心配することはないよ」
「嘘吐き」

 私は彼の首に腕を回し、引き寄せてギュッと抱きしめる。普段しないようなことだが、どこか辛そうな彼を見ているとしたくなった。

「もっと頼ってくれていいんだよ。私は弱いけど、傑の支えになりたいから」
「……大丈夫、ありがとう。こんなに想われてるなんて、悟に嫉妬されてしまうな」

 そう離れると、彼はまたね、と私の頭を撫でて去って行った。私の言葉は響いたのだろうか。


***


 灰原 雄の訃報が届いた。
 もちろんすぐな時間を巻き戻し、夜蛾先生に言って二年生の任務に同行した。

「先輩がついて来てくれるなんて嬉しいなぁ」
「何故です?二級呪霊のはずですけど」
「行けば分かるよ」

 私達は目的地へ向かう。二級呪霊だと聞かされていたものは一級呪霊であり、土地神だった。私はいつも祓っているようなものだ、と二人を下げて無事祓う。雄の命を救えた。その時はそう思っていた。だが二日後、再び彼の訃報を聞くこととなる。
 また巻き戻した。でも、彼はこの一週間以内に必ず死んでしまう。

「何で……」

 いくら助けても、彼は死んでしまう。二年生の任務に同行して、祓おうとした呪霊に時間停止の術式が使えなくなっていた。伏黒 甚爾と同じだった。何度やっても弾かれる。そして、雄は目の前で殺された。
 冷静に今は呪霊を祓おうと、再び術式を使う。すると簡単に術が使え、祓えた。建人が補助監督と共に雄の手当をしている中、私はやっと気づいた。

 運命は変えられないのだと。

 私が弱いだけじゃなかった。私の力が運命を変えないようにしているんだ。多少の事柄を変えられても、人の死などに関しては変えられないのだと悟った。
 悟や傑にも同行してもらう時もあった。雄を行かせないようにもした。それでも彼は死んでしまう。私は何の為にやって来たんだ。何の為に、この力を手に入れたんだ。

「壱紀さん……!!」

 肩を掴まれた。建人が必死で、泣きそうな顔をして私を見た。こんなに取り乱した彼は見たことがない。

「灰原が、灰原が生きる道はないんですか……!」
「……ない」

 頭のいい彼も理解していた。私が何日も何日も彼らにつきっきりなのは、自分達の身に何かが起こるからだと。任務の度に緊張して、何事もなく終わるとホッとしていて。だが、私の返答に彼は悔しそうに俯く。ボロボロになった雄を見て、私はやっと涙が出た。現実を、死を受け入れた。
 帰ると、安置室に傑も来ていた。そこでようやく、私は気づいた。傑の運命も変えられないのだと。彼らはちゃんと存在してる。名前も姿もあって、そこで生きている。でも私はどうだろうか。名前も姿もなく、あらゆる時間を生きている。私自身の運命を変えられたとしても、他人の運命を変えることなど、存在しない私には出来ないのだ。

「建人、貴方の所為じゃない。これは、もう、運命でしかない」

 運命とは、なんて残酷なんだろう。


***


 九月に入り、傑が帰って来なくなった。連絡しても返事がない。そう思っているうちに夜蛾先生から、傑が任務先の集落の人間や両親を殺したのだと聞いた。もう、救えない所まで来ている。私は任務に出る前にまで時を戻し、傑の任務に同行することとなった。

「……久々に君と任務だなんてね。私に何かあるんだろうか」
「だからいるんだよ」

 運命を変えることは出来ない。きっと、私に止めることなど出来ない。それでも動かなければ。移動最中、私は冷静に傑に話す。

「私の呪力は、雄を救おうとした時にほとんど使い果たしてしまった。戻れてもあと一回だろうね」
「そうか……」
「私は誰も救えない。とても意地悪な術式だよ。私自身の運命は変えられても、他人の運命は変えられない。過去に戻ることが出来るのに、何も活かせないまま、ただ見ているだけ。私は役立たずだ」

 自暴自棄になっていた。私がここへ来たのは、ただの自己満足。傑を殺すことなんて出来ないし、きっと村の人達を救うことも、彼の両親を救うことも出来ない。でも、もしかしたらという淡い期待もあり、ここにいる。
 辿り着くと、村の人間が案内してくれた。村で起こっている事件の原因である呪霊を簡単に祓うと、村の人間がまた別の場所へ案内した。そこにいたのは、檻に閉じ込められた少女達。いくつもの殴られた痕が痛々しく残る彼女達が原因だと言う。村人の女性が彼女達に罵声を浴びせた。親もこの子達も化け物だと。彼女達はきっと呪術師だ。その影響で迫害されている。あぁ、これで傑は……やっと理解出来た。

「胸糞悪い。この子達が何をしたっていうんだ。出て行け」

 私は無理に彼らを外に追いやる。傑の目は、心は、完全に私とは違う道に行くと決まっていた。だが私は争ってみる。

「……傑。この子達を連れてさっさと立ち去ろう」
「……私が何を考えているのか、もう分かってるんだろう」
「分かってるよ」

 私は檻を壊すと、少女達に手を差し伸べる。

「おいで。私達はあなた達と一緒。大丈夫だよ。守ってあげるから」

 優しく声を掛ける。二人は恐る恐る私に手を差し伸べて来た。手に触れると、そっと檻から出してあげる。

「意味がない。盤星教の信者に対してもそう言って殺さなかったんでしょ?」
「あぁ、でもこれには意味がある。ある人から聞いた。全人類が術師になれば、呪いは生まれない、と。私は非術師が嫌いだ。私は考えたよ。非術師さえいなくなれば、呪いは生まれない。ならば殺せばいいと」
「だからこの村の人間を全員殺すの?」
「そうだね。猿が嫌い、それが私の本音だ」

 あぁ、もうお別れなのか。彼らとの思い出が脳を駆け巡る。苦しかったこともあった。でも、楽しいことばかりが思い返され、涙が溢れて止まらない。

「傑、正直に言うよ。私は貴方の考えが理解出来ない。この変化が怖かった。私の知ってる未来では、貴方は呪詛師となって私達を襲う。未来で悟が傑を殺すんだよ。唯一の親友を殺すんだよ。私はそれを阻止したかった。未来で傑が呪術師として悟の隣にいてほしかった。悟に、あんな寂しそうな顔をさせないでほしかった」
「……だから、私を止めようと過去へ来た。言えないよね、未来で呪詛師になってるとは」
「今では、私にとって大切な友人だよ、傑」
「私も、君は大切な友人だよ」
「だったら、やめてよ。私や、悟に殺させないでよ……」

 喉から絞り出した声は震える。彼は私に背を向けたままだったが、こちらを向く。

「……ごめんね、私は変わってしまったようだ」
「やっぱり、私は無能だなぁ……」

 傑は私の涙を指で拭うと、私を優しく抱きしめてくれた。

「君は過去に戻るといい。ここにいては仲間だと思われてしまうよ」
「……道連れだ。覚えていて、この夢を」

 私は少女達を引き寄せ、傑を抱きしめる。そして私は時を戻し、過去へと戻った。

「き、消え……た?」
「これは、夢なんてキレイなものでもない……残酷な呪いだよ」

 手に残った残穢を見ながら、彼は深く息を吐いた。

 私は傑が任務へ向かう直前まで戻って来た。背後に立つと、彼は私に気づいて振り返る。

「やぁ、今から任務?」
「……いや、私の仕事は終わったよ。無能だった」
「どうしたんだい?」
「……今に分かるよ。救いたかった、傑を」
「……そうか」
「さようなら、また未来で会おうね」

 私は赤くなっているだろう目を擦りながら、傑に別れを告げた。彼はそれじゃあね、と言葉を残して去っていった。私は一体、何がしたかったんだろう。


***


「……今日、傑と会った」

 任務から帰って来て、シャワーを浴びて部屋に戻ると、私の部屋のベッドに悟が座っていた。静かな第一声はそれで、私は言葉を返すことが出来なかった。

「最初から知ってた?」
「……うん。私は、過去を変える力を持ってなかった。過去に行けても、変えることが出来ない。雄を救おうとして気づいた……運命を変えようとすると、私は弱くなる。何度やっても何かが邪魔をする。運命が大きく変わることはない。傑もそう……ごめんね」

 悟は起き上がると、部屋の扉の前で立ち尽くす私に近づくと、私の肩に顔を埋め、優しく手を握った。

「いなくならないで」
「……」
「傑がいなくなっても、俺の前からいなくならないで」
「ならないよ。私はもう、この時代に生きてるんだから」

 彼はギュッと私を抱きしめた。こんなに弱ってる悟を初めて見た。未来で傑を殺した時よりも参っている。まだ大人と子供の差があるのか、それともずっと隣にいた親友が敵になった瞬間だからか、殺せなかったからか。
 私もそっと彼の背中に手を回し、優しく彼の背を撫でる。こうすることしか出来ない、何の支えにもなってあげられない。

『私、何も出来なかった……!傑の考えてることが分からない、無理だよ……』

 ふと脳裏に過ったのは、子供のように泣き喚く私を慰めるように頭を撫でてくれた悟の姿だった。未来を知らなかった私は取り乱していたんだな、と客観視してしまう。過去の記憶が戻ってきたことでぼんやりとしてしまっていた。背を撫でる手は止まっており、それに悟はもぞりと動き、離れると私を見下ろした。その目はどこか不安そうで、私はここではこちらが慰める側になっているな、と感じた。

「どこにも行かないよ」
「もう、過去に戻ったりすんな」
「…………そうする」
「今の間は何だよ」

 悩んでんじゃねぇ、と私の頬を引っ張ると、ごめんごめん、と軽く謝りながらその手を掴む。

「遠くには行かないよ。やり直したって意味のないことはしない」
「あっそ……」

 悟は手を下ろすと、私は寂しんぼになってそう、と何となく思っていた。すると彼は私の手を指を絡ませるように握る。

「前に言ってたじゃん、夢の話」
「あ、あぁ……」

 キスされそうになって逃げたやつ。そう思いながら私が曖昧に返事をすると、彼は口を尖らせながら、手を見て話す。

「オマエが消えたんだよ。目の前から」
「うん……?」
「その時、あ、もう帰って来ないんだなって思ったんだよ」
「……私が過去へ戻った瞬間を見て、帰って来ないって思ったって?」
「そう。夢はそこで終わった。何か、すげー嫌な気持ちになった」

 私はてっきり、私が過去へ戻った瞬間にその現実はなくなるものだと思っていた。その現実は現実ではなくなり、私がいる場所が現実になる。でも、悟がそう記憶に残っているというなら、消えてしまうのは、私がいなくなった瞬間ではなく、少しの猶予があるのかもしれない。もしくは、私がいないままその世界は進んでいっているのか……いや、私と同じように悟にも過去の記憶が身体に残ってるってことは、前者だろう。残穢だけがその時間に残されていて、それに触れた悟に記憶が戻ったってだけの話……

「おい」

 そんなことを考えていると、悟に顔を覗き込まれ、体がびくりと跳ねる。

「ごめん、考え事してた」
「やっぱ夢じゃないんでしょ」
「知らない」
「嘘が下手くそかよ」

 好きだと言ったことを事実にしたくない!いやでも、友人として好きというだけで、ラブとは言ってない、あくまでライクだ。

「もうそれは存在していない現実なんだから、いいじゃない」
「やっぱ夢じゃないのかよ。嘘吐く必要ある?」
「ないけど……忘れていい方の記憶でしょ」
「は?何で忘れていいんだよ」
「どうせ忘れるだろうから言ったことだし……」
「好きなの?俺のこと」
「好きだよ。悟も傑も硝子も」
「は?何それ。誰にでもキスするの?」
「しようとしたのそっちじゃん……」

 小声でぼやくと、彼はイラッとしたのか、私の顎を掴むと、顔を近づけてくる。

「嫌なら過去にでも逃げて、嘘貫けよ」

 そう言って目を瞑り、息のかかる距離まで近づく。でも、ここで逃げたら過去に戻るな、と寂しそうに言った彼を裏切ることになりそうな気がした。でも、キスしていいの?どうしようか迷い、軽くパニックになる。私は覚悟してギュッと目を瞑る。しかし、唇が触れ合うことはなく、代わりに額に柔らかい感触がした。ハッと目を開けると、彼は悪戯っぽく笑う。

「バーカ、誰が口にしてやるって言った?」
「な……っ」
「その色気のねーパジャマどうにかしてから強請れよ」

 そう言って彼は部屋から出て行き、パタンと扉が閉まるまで、私は唖然としていた。は?パジャマにTシャツの何がいけないの?こんなことなら逃げれば良かった……まぁ、悟が深く落ち込むことなく、気分が少しでも良くなるなら、これはこれで良かったのかもしれない。
 私は緊張した、と深い溜息を吐き、時計を見る。もう遅い時間だ。寝る前に硝子に借りていた本を返しに行こうと、私はテーブルにあった本を取り、部屋を出ようとドアノブを捻る。だが、ドアが開かない。何かがドアの前で引っかかっている。まさか……

「え、ちょっと、悟?」
「……暫く出んな」
「何で?」

 外から悟の声がし、いくらドアを押しても開かない。部屋の前で何してるんだ、邪魔だ。私は自分の位置をシャワー帰りの時に戻し、一瞬で自分の部屋の前に移動する。すると目の前に、部屋の扉の前で座り込んでいる悟がいた。

「何して、」

 声を掛けた瞬間、彼はハッとして真っ赤になったその顔で私を見上げた。まさかここに瞬間移動してくると思わなかったのだろう。驚いた表情をしており、彼はすぐに立ち上がり、次は私が見上げることになる。
 何か言うのかと思えば、彼はその場からスタスタと歩いて去って行った。私はポカンとしながらそこに突っ立っていると、ガチャ、と隣の部屋の扉が開く。硝子が部屋から出て来ると、辺りを見回した後、私を見る。

「何で顔真っ赤なの?」
「……悟って、ちょっと可愛げあるよね」
「夏油ショックで頭やっちゃった?」
「はぁぁ……よく分からない」

 私は本を返します、と硝子に手に持っていた本を渡すと、彼女はどうも、と受け取る。

「その様子だと、五条もアンタも大丈夫そうだね」
「……まぁね。悲しいけど、進むしかない。道は決まってるんだし」

 私はもう、過去に縋ることなく、運命を受け入れると決めた。






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