#8. 幸せな休日
私達はまだ、デートらしいデートをしていないけれど、今日は二人で外食をして、買い出しに行くことになった。これをデートだと浮かれてしまう私も私だ。
傑くんと二人、昼までベッドでゴロゴロしながら過ごし、そろそろお腹が空いたとなると、身支度を整えて家を出た。昼食にカフェへ向かうと、私達は人目を気にせず、カウンターでメニュー表を見た。
「何を食べる?」
「えーと……私はカフェオレMサイズととエビとアボカドのサンドイッチ」
「私はボロネーゼとホットドッグ、アイスコーヒーMサイズで」
「畏まりました。カフェオレとアイスコーヒーはこちらからお渡しします。お料理はお席までお持ちしますので、お席でお待ちください」
会計をし、二人でカウンターからコーヒーが出てくるのを待っていたが、傑くんは席を見回して、空席を確認している。
「先に席を座っていてくれ。コーヒー持って行くから」
「分かった」
私は店の奥へと進んで行き、空いている席を探す。いくつか空いているが、端の四人掛けのテーブル席が空いていて、私は丁度良いとその席に着き、隣にバッグを置いた。暫く席で待っていると、出入口近くのカウンターが騒がしくなり、そちらを見ると、傑くんが若い女の子達に囲まれていた。手にはコーヒーや料理の為の番号札が乗ったトレーがあり、彼は困ったような笑みを浮かべている。すると彼は私の所までやって来ると、テーブルにトレーを置き、彼女達と握手をした。
「写真はごめんね、他のお客さんの迷惑になるから、この辺で。プライベートなんだ」
「すみませーん、ありがとうございましたー!」
嬉しそうに去って行く彼女達を見て、肩の力をが抜けた。元カノのことがあったからか、無意識に緊張していた。傑くんは席に着くと、カフェオレを私の前に置いた。
「ごめんね」
「人気があるのは、いいことだと思うよ」
「騒がれているうちが華かな」
ブラックアイスコーヒーをストローで飲む彼をジッと見つめながら、私もカフェオレに口をつける。ふわりとコーヒーの良い香りが口に広がり、まだスッキリしていない脳が冴えてくる気がした。目の前にいる彼は、芸人とは思えないほどスター性のある容姿をしている。そう思いながら、今まで疑問に思っていたことを口にする。
「傑くん、何で芸人になろうと思ったの?」
「悟がやりたいと言い始めて、その成り行きだよ。やりがいがあって楽しいけどね」
それはテレビでの彼らを見て分かる。画面越しに楽しそうに漫才をしている彼の笑顔が、私は好きだ。バラエティでも、フィジカルを活かした番組に出ている彼も楽しそうだ。
「傑くんは体張った仕事、生き生きしてるよね」
「サバイバルは楽しいね。一般人には出来ないことだ」
「確かに」
サバイバル番組は五条くんは嫌がっているけれど、傑くんはいつも楽しそうにしている。芸人なのにと言っているが、モデルの仕事も満更ではなさそうだ。
「苦手な仕事はあるの?」
「悟も同じだろうけど、ドッキリかな。スタッフが違ったり、隠しカメラがあると気づいてしまう。それでも騙されたフリをするのがプロなんだろうけど……難しいね、わざとらしくなる」
「それ、見たことある。あれはあれで面白いね。バレるかバレないかってチャレンジ」
ほとんどバレているけれど、五条くんか傑くん、どちらかが仕掛け人になった時の成功率は高い気がする。お互いに信用しているからか、気が抜けるのか、隠しカメラから意識を逸らしているのか。その騙し合いが面白いのかもしれない。
「だからといって、過激なのは勘弁してほしいね。君も、悟や伊地知に頼まれたからと言ってドッキリの仕掛け人にならないでよ?」
「傑くんが嫌ならやらないよ。あまり興味ないし」
「私の仕事に無関心だなぁ、ありがたいけど」
注文した料理が届き、そんな話をしながら食べていたが、周りの視線もあった為、早々にカフェを出た。
どちらかでもなく、自然と触れ合った手に指を絡めて繋ぐと、傑くんは食器が足りないから、と雑貨店へ向かう。
確かに料理をしていて、食器が少ないと感じていたけれど、買い足すほどでもない。そう考えていたが、隣で楽しそうに食器を選んでいる彼に言うことではないと黙っていた。
「傑くん、私の料理の腕前には満足?」
「うん、どれも美味しいよ」
「そう……味付けとか、傑くん好みになってたらいいんだけど」
「君が作ってくれたものだったら、何でも好き」
「不味くても美味しいって言うでしょ」
「不味いなんて思ったことないよ」
昔は料理下手だったが、最近は自炊をしていた為、それなりに料理は出来るようにはなったが、傑くんはバラエティ番組で食べ比べをした時、味の違いが分かっていなかった。私が少し味付けを変えただけでは違いを分かってくれなさそうだ。
「今日の夕飯はどうする?」
「サボりたい」
「ふふ、素直でいいね。何食べたい?」
折角、出掛けているのだから、外食をしてサボりたいとは思っていたが、何が食べたいかは思いつかなかった。しかし、最近食べていなかった物をふと思い出す。
「お寿司がいい。高級店じゃなくて、チェーン店。アボカドやチーズが乗ったやつ……」
「変わり種のお寿司がいいんだ」
「うどんとお寿司、デザートに小さなパフェ。カウンターで店の人と顔を合わせて食べるような店は苦手」
「意外というほどでもないけど、苦手だとも思わなかったよ」
「見られているのがちょっとね」
「そっか。じゃあお寿司を食べて帰ろう」
そんな夕飯の話をしながら、食器を見る。手巻き寿司でもしたいな、と傑くんは見かけた寿司桶を見ていて、絶対持て余すなぁと感じていたが、彼はそれを気に入ったようで、他の食器と一緒に購入した。その後、日用品や服など、必要な物を買い、車にそれを置いては回転寿司屋へと向かった。
次々と傑くんの口に吸い込まれていく寿司、テーブルに増えていく皿に唖然としていると、傑くんは私の目の前にある空いた皿を見て、眉尻を下げる。
「全然食べてないじゃないか」
「傑くんは食べ過ぎ」
「そうかな」
恐らく三十皿はテーブルの端に積み上げられており、私が作ったお弁当や夕食は足りていたのか、と心配になる。そんな私の心を知らず、彼はうどんや天ぷらも追加しており、彼の胃袋も心配になった。
まだここは回転寿司店で視界が遮られているとはいえ、今日は何だか視線を感じて緊張した。帰ったら、温かいハーブティーで心を落ち着け、ゆっくりしようと考えていると、ふと親友に勧められたドラマのことを思い出す。
「帰ったら、ドラマを観ようかな。親友に勧めてもらったの」
「へぇ、どういう系?私も観ようかな」
「ミステリーかな。主演俳優が、」
結構好きな俳優だと言おうとしたが、きっと彼は嫉妬する。つい言葉を詰まらせると、彼はニコリと笑って「主演俳優が、何?」と圧をかけてくる。
「好きなんだって、親友が」
「へぇ、そう。君は好きな俳優はいないの?」
「時々出てる、夏油 傑って俳優が好きかな」
「……誤魔化したね?」
不服そうにそう言う彼だが、私の誤魔化し方は満更でもなさそうに頬が緩んだ。彼は意外とチョロい。それは私にだけなのか、誰にでもそうなのか。
「だって、嫉妬するでしょ?」
「ちょっとその俳優の見る目が変わるくらいさ」
口を滑らせてしまったな、と思いながら最後の一皿を食べ、背もたれに身を預けると、彼はテーブルに肘をつき、ジッと私を見る。
「君って結構、庶民的な舌してる?」
「どうだろう。でもわざわざ高級品を選ばないかな。傑くんは嫌?」
「そんなことないよ。ただ良い物食べさせてあげたいなぁと思っただけ」
「じゃあ、ここのパフェはやめて、ケーキ屋さんのケーキを買って、ドラマ観ながら食べたい」
「いいね、そうしよう!」
こうやって私が我が儘を言うと、傑くんは嬉しそうにする。五条くんには自己中心的と言われ、親友には甘え過ぎだと言われたが、私はどう変わればいいのか、未だに分からない。春になり、もう少しで傑くんとは一年の付き合いになる。なのに私は、一緒にいることが正解なのか、未だに悩み続けている。
「どうしたの?」
「……どんなケーキを食べようか、悩んでた」
「きっと、今日はモンブランが食べたくなるよ」
「何でそう思うの?」
「何となくだよ」
よく分からない予想を立てた傑くんだったが、確かに回転寿司店を出て、車で向かった彼のオススメのケーキ屋のモンブランは、どのケーキよりも美味しそうだった。二人でモンブランを買い、ケーキやドラマを楽しみに帰宅する。
「今日は一緒に入るかい?」
「いいよ。でも、今日はドラマを観るからね」
「何もしないよ。信用ないなぁ」
付き合い始める前にセックスをした以来、彼が私に手を出したことはない。あれだけ女遊びをしていたのに、私にまで手を出さないのは、他で済ませてきているからなのか。そう黙って考えていると、寝室から自分と私の分のパジャマを取ってきた彼は、脱衣所でメイクを落とした後、ぼんやりと自分の顔を見つめている私の頬を背後からツンと突いてきた。
「ボーッとしてる」
「肌荒れしてるかも」
「してないよ」
「右頬が赤い」
そう言って右頬を触ると、彼は興味なさそうに「大丈夫大丈夫」と言って、パジャマを洗濯機の上に置くと、服を脱がしてくる。自分で脱ぐから、と着ている服を脱いでいくと、傑くんも服を脱ぎ、ポイと洗濯カゴの中に服を入れていく。私が先に風呂場へと入ってはシャワーを出すと、彼は私の背後に立つ。
「お湯を張るの、忘れてたね」
「本当だ。今日はボーッとしてた」
彼は空の湯船に入り、私達は交互にシャワーを浴びる。髪を洗い終え、長い髪を掻き上げた彼を見て、心臓がドキリと跳ねた。ふと目が合った瞬間、私は気恥ずかしくなり、ついシャワーを彼の顔に向ける。
「ぶっ……!」
「ごめん」
「絶対、ごめんって思ってないだろう」
「思ってるよ。何だか少し照れ臭くなって」
「君にもそういう感情があったことが嬉しいよ」
へにゃりと力の抜けた笑顔を見せた彼に再びシャワーを向けると、手で防がれた。そしてシャワーヘッドを掴んで下ろすと、彼は肩を竦める。
「二度も同じ手は喰らわないよ」
「ダメだった」
私はシャワーの湯を止めると、風呂場から出る。湯船に浸かっていないのに上せそうだ。
二人して脱衣所に出ると、何も言わずにバスタオルで体を拭き、ドライヤーで髪を乾かす。乾かしてと強請られた為、ダイニングから椅子を持って来ては、彼をそこに座らせ、自分より長い彼の髪を梳かしながら乾かしていく。暇潰しにスマホでSNSを見ている彼の後ろ姿が何故だか愛おしく思えた。彼の髪を乾かし終えると、ドライヤーを消して洗面台に置き、一息吐く。
「はい、終わり」
「ん、ありがとう。スマホを見てないと、気持ちよくて眠ってしまいそうだった」
「ドラマとケーキは明日にして、もう寝る?」
「折角楽しみにしていたんだから、今日やってしまおう。休みなのに勿体無い」
彼はそう言って立ち上がり、いそいそとダイニングへ椅子を戻した。私はドライヤーを仕舞って、軽く掃除をしてからダイニングへ向かうと、彼は折角だから、と今日買った皿を包みから取り出し、軽く洗ってからケーキ皿にしようとしていた。彼がリビングのローテーブルでデザートの準備をしている中、私はキッチンでハーブティーを淹れ、傑くんの隣に座ると、テレビの電源を入れた。配信サイトを開いて、親友からオススメされたドラマを探し、一話から再生する。
「最高の贅沢だね」
「ふふ、これぞ休日って感じがするよ」
私達はドラマを観ながら、ゆっくりとモンブランを食べ始める。甘いモンブランとスッキリと爽やかなハーブティーをいただきながら、傑くんと穏やかな夜を過ごせるのは、本当に贅沢な休日だ。そう、ぼんやりとドラマを観ていると、傑くんはテレビに映る主演俳優を見て、あっ、と声を上げる。
「この主演の子、アイドルじゃないか」
「うん、演技が上手。この間、映画にも出ていたんだけど、すごく良かった」
「……本業の子には負けるだろうと思っていたけど、彼はアイドルだ。だったら私も負けてないでしょ」
嫉妬を剥き出しにしてフォークでテレビを差す彼に、こういう所は子供っぽいんだなぁ、とつい笑みが溢れる。それに彼はバツが悪そうに手を引っ込める。
「傑くんも女性を見て、綺麗な顔しているな、スタイルがいいな、演技が上手いなと思ったことがあるでしょ?それと同じ。そこに恋愛感情なんてない」
「子供じゃないんだから、分かってるよ」
「傑くんって、やっぱりちょっと面倒くさい」
「君も面倒な所はある。お互い様だよ」
ツンと口を尖らせ、モンブランを完食した彼は、やはり少し子供っぽい。私の知る傑くんは頑固だったけれど、同い年とは思えないほど大人びていた。取り繕って、カッコつけていたのだろうが、私は今の傑くんも大好きだ。
トイレからリビングに帰って来ると、私よりも真剣に観ている傑くんの後ろ姿が愛おしく思え、ソファ越しに背後からそっと抱きしめる。一緒にシャワーを浴びたのに、新鮮に思える彼のシャンプーの匂い。他人よりも高い体温。分厚い体。少し速くなった鼓動。二人で過ごすこの時間。全てが愛おしい。
「……こんなに幸せになってもいいんだろうか」
彼のその一言で、私は夢から現実に引き戻された。彼の声は優しく、温かい。でも、彼の心はそう単純じゃないのだと感じた。
「もう、今日は寝よう」
「そうだね」
そっと手を放すと、彼はリモコンを手にして、テレビの電源を切った。私は皿洗いは明日にしようと、軽く水洗いをして、シンクに皿とマグカップを置いた。
二人して並んで歯を磨き、ほぼ同時に終えると、歯ブラシをスタンドに立てる。私が寝室に向かい、ベッドに入ると、彼はトイレに入ってから、遅れてベッドに入って来る。
「明日は何時?」
「収録は昼からなんだ。でも、君の起きる時間に合わせるよ」
「勿体無い。私は七時だから、傑くんはゆっくり寝て」
傑くんの代わりに彼のスマホを取り、アラームを設定すると、枕元に置いた。それにありがとう、と礼を言いながら、私に覆い被さり、キスをすると、心の底から幸せそうに笑った。
おやすみ、といつも通りの挨拶をして、私達は眠りに就く。これが私の望んでいた世界、私の望んでいた生活。今日はずっと一緒にいたからだろうか、特別幸せだと感じた。でも──
「──っ、」
唸り声が聞こえ、目が覚める。隣で寝返りを打ち、何かを呟きながら唸る傑くんを宥めようと、彼の胸を撫でる。
彼が魘される時は決まって、幸せそうに笑った日だ。こんなに幸せになってもいいんだろうか≠ニいう傑くんの言葉を思い出す。彼は幸せだと感じる度に、幸せになってはいけないと自分を咎めているような気がする。その矛盾が今の彼を苦しめている。彼は何も悪くない。私が傑くんを呪ってしまったばかりに、追い詰められている。彼には彼の人生があったはずだ。なのに私の御守りをキッカケに、人生を変えてしまった。
ふと、傑くんが私の御守りを持ち歩いていたことを思い出し、少し落ち着いて眠り始めた傑くんを横目に、彼のバッグを探る。すると、バッグのチャック付きポケットに入っているのを見つけ、手に取った瞬間、私の脳に記憶が流れ込んできた。
この御守りに祈ったなんて可愛らしいものじゃない。祈ったのではなく、呪ったんだ。五条くんの言った通り、これは呪物だ。私が御守りについての記憶を失くし、傑くんが先に見つけたのは誤算だったけれど、あの世界とこの世界の記憶を繋げようとしたのが、この御守りだ。いつか、どこかで傑くんが私との記憶を辿り、巡り合うことが出来たなら、そう思って、傑くんに御守りを託し、私の記憶と、傑くんの記憶を入れたのだ。
今の私に呪術は扱えない。でも、この呪物の使い方は知っている。魘され、汗ばむ彼の額に唇を落とすと、御守りを傑くんに握らせた。
「傑くん、愛してる」
私は傑くんのことを理解してあげられない。苦しみを分かち合うことも出来ない。傑くんが望む愛すら与えてあげられない。我が儘で、自分勝手で、優しい傑くんに甘えて。だから、これが私なりの愛。
中身のない、ペラペラの御守りは傑くんの手の中で膨らんでいく。それと同時に、彼の強張った体から力が抜けていく。これで呪術師であり、呪詛師でもある傑くんと、私と過ごした日々の記憶が彼から抜け落ち、御守りへ封印された。
「もし、またどこかで会えたら……」
また一緒にいたいだなんて、貴方の幸せの為には望んじゃいけないのかな。
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