#1.苦手な声
私は時々、他人の心の声が聞こえることがある。
最初は独り言を呟いているだけだと思っていたが、口を開いているわけでもなく、何なら声が二重に聞こえることもある。言葉では良いことを言っているが、心の声で嘘を吐いていることなども分かった。
これは呪いの影響か、自分の術式に関係のあることなのかは分からないが、心の声が聞こえる人は五十人に一人、クラスに一人いるかどうかの確率だった。
私は極力心の声が聞こえる人を避けてきた。本音は時に私の心を傷つけるから。しかし、呪術高専にやって来て状況が変わった。毎年生徒が少ないと聞いていた為、聞こえることもないだろうと思っていたが、同期三人の内、一人の心の声がよく聞こえた。
夏油 傑の心の声が苦手だ。
同じ学校、同じ教室、同じ任務先、同じ寮。広い校内といえど、毎日のように顔を合わせる同期の男の口から発せられる言葉とは違う言葉が聞こえてくることに辟易していた。
共に過ごし始めて半年が経ったが、彼のことが少しずつ分かってきた。夏油 傑という男は顔立ちや髪型、改造制服や拡張ピアスなどの容姿からして不良生徒のようにも思えるが、非術師の家系からなのか、性格は人当たりの良い真面目な人間だ。まぁ時々あの五条 悟と喧嘩をするほど強く、多少喧嘩っ早いことや問題を起こすこともあるが、悪い人間ではない。きっと多くの人間が彼に好印象を持つだろう。でも、私はそんな彼が苦手なのだ。
『あの子は少しヒステリックな所があるし、連絡を絶った方がいいな。遠距離に向いていない』
朝の教室、真面目に集合時間前にやって来るのは私と夏油くんだけ。私があまり言葉数が多くないと知った彼は無理に会話をしようとはしない。だから二人でいる教室は静かだ。
私は物に呪力を流して呪具、呪物を作ったり、強化を行う付与術を使い、自家製の呪具のナイフを用いて木彫りの人形を作る。一方、隣の席の夏油くんはパチパチとスライド式の携帯電話を弄りながら、心の中で女友達なのか、恋人なのかは分からないが、相手と関係を切ろうとしている。
彼の耳にはガリガリと木の削れた音、パチパチと携帯のボタンを押す音だけが届いているのだろうが、私にはそこに夏油くんの心の声が追加される。
『悟と硝子はまだか……彼女と二人きりなのは少し気まずい。避けられているようだし』
確かに、それなりに避けてはいる。私達は不仲でもなければ、仲良しグループというわけではない。それでも二人きりなのに沈黙を貫くのは夏油くんがますます私に気を遣い、不快になるだけだろうと私は久しぶりに声を発する。
「夏油くんは……彼女とか、友達とか家族にどう説明して呪術高専に来たの?」
『珍しい……流石に気まずくなったのかな』
「友達には宗教系の学校だと言ったよ。今は時々、電話やメールをするくらい。家族は何となく理解してくれているよ。あと、彼女とは別れてきたんだ。非術師が危険に巻き込まれるのは良くないからね」
『忙しいし、会わなくても寂しさを感じないのはいいことだな』
きっと地元に友達が多いのだろう。呪術高専で何をしているのか、訊かれると困るんだろうな。私はあまり非術師の知り合いがいないから、その辺の苦労は分からないけれど。
「そっか……大変だね」
「君は今、何を作ってるの?」
「木彫りの犬」
「へぇ、どんな効果があるの?」
「身代わり人形。犬の形にする必要はないんだけど……」
暇だったから、と私は膝に乗せていたゴミ袋からはみ出した木屑を袋に纏めながら木彫りの犬を彼の机に置く。
「よかったら、あげる」
「え?」
「一度、ギュッと握るだけで、その人間の呪力を覚える。それ以外からの呪力は一度だけ無効化出来るから、良かったらポケットにでも入れておいて。この身代わり人形だと、二級がギリギリかもね」
「なるほど、御守りみたいなものだね。ありがとう」
『硝子が彼女に御守りを貰ったと言っていたけれど、意外だ。私にもくれるなんて』
そう言って彼は木彫りの人形を握り、そっとテーブルの角に置いた。硝子ちゃんは反転術式しか使えず、術師志望ではないとのことだった為、一つプレゼントした。
「可愛いね。上手だ」
「昔からやってるから」
時間を掛ければ掛けるほど、その呪物は強くなる。私の場合、術式として呪物を作ることが出来る為、それなりの力や時間で、それなりの呪物を作り出すことが出来る。木彫りは時間を掛けて呪力を流し込むのに丁度良いのだ。私は趣味を兼ねて呪い避けの御守りや身代わり人形を作っている。だから知り合いにプレゼントすると喜ばれる。疑う人間がいないのは、私や私の一族がそれだけ信頼されているという証だ。
少し誇らしく思っていると、そこに夜蛾先生がやって来た。私達は軽く挨拶をしながら、チラリと時計を見た。集合時間になっても硝子ちゃんと五条くんは来ていない。
「悟と硝子は来ていないですよ」
「あぁ、分かっている。悟は朝から単独任務、硝子は急患でな。俺も今から出る。オマエ達は自習だ」
「はい……」
「分かりました」
『二人で自習か。気まずいな……彼女は苦手だ』
夜蛾先生は出て行き、残された私達はお互いに気まずい、苦手だと思いながら過ごすことになった。
『何か、話題を振らないと』
「自習か……硝子と二人ってこともあるだろう?何してる?」
「勉強することもあるし……サボりに付き合うこともある」
「そっか。じゃあ私達もサボるかい?」
『このまま解散でいいかもな。彼女も私と一緒にいたくないだろうし』
やっぱり彼の心の声は苦手だ。常に他人を気遣うから、一緒にいると気が引ける。特に私といる時はそうだ。どう扱っていいのか悩んでいて、ずっと彼に気を張らせてしまっている。
「そうだね。私、やりたいことがあって」
「何?」
「筋トレというか、素振り?」
私の付与術は戦闘向きではない。でも呪具を使うことには長けていると思う。将来、呪具を作ることになったとしても、使い方を知らなければ一流とは言えない。それに呪術師としての生き方も選べる。選択肢は多くて損はない。
『重い呪具を扱うには少し筋トレが必要だな。細いし……それに素振りをしているのをよく見かけるし、努力しているんだろう』
「そうか。色々な呪具を使っているもんね」
「うん……作らないといけないし、選択肢は多い方がいいから」
「あれ、家業を継ぐ気があるんだね。てっきり呪術師を目指すものだと」
「呪具作りはほぼ鍛治で力仕事だし、体力も筋力もいるから、高専で呪術師をすることに意味がないわけではないよ。卒業後に鍛治を本格的に習って、才能がなければ呪術師にもなれる。更に呪術師の才能がなければ、補助監督にもなれる。今は色々な選択肢を持つことが大事かなって。呪具もそう」
「なるほど……」
少し自分語りしすぎてしまったと口を噤むと、彼の思考する声が聞こえてくる。
『そうか、確かに手数は多い方がいい。私のような遠距離タイプの術式は近接戦闘が弱いと見られがちだから近接も強くしているし、そこに呪具が加われば、かなり有効かもしれないな』
「私に呪具の使い方を教えてくれないかい?」
「えっ、」
「教えると言っても、立ち合いをしてくれればいい。呪具を扱う呪詛師に遭遇しないとは限らないし……まずは素手と武具で」
避けると思っていた。でも、彼は私への苦手意識や気遣いより、自身の戦闘技術を上げることを選んだ。それなら私も少し安心出来る。
『いや、ダメか。気を遣わせてしまうな』
「い、いいよ!私、ほとんど立ち合いしたことないから。夏油くんみたいに強い人としたら、勉強になると思う」
「そっか、じゃあ着替えて校庭で落ち合おう」
「うん、分かった」
私は寮へ帰り、ジャージへと着替える。その間、意外な展開になったと驚いていた。徐々に彼に慣れていけば、苦手意識はなくなるかもしれないが、それでも本音と建前は分かる。どちらにせよ気まずいことには変わりないけれど、一歩前進だ。
準備を終えると立ち合い用の安全な武具をいくつか持って校庭へ向かう。既に夏油くんがおり、私は駆け出していく。
「お待たせ」
「待ってないよ。それよりその武具、全部使うの?」
「私はどれもそれなりに使えるし……夏油くんに選んでもらおうと思って」
「それじゃあ、君がよく使う刀でやろうか」
「分かった」
私は軽く手首や足首を動かしてストレッチをした後、竹刀を取ると彼に向かっていく。心の声は思考を読めるわけじゃない。人間が無意識に心の中で呟いている独り言のようなものだ。だから、どういう行動を取るかなどの咄嗟の思考には無意味だ。
竹刀の動きに慣れていないのだろう。腕で受け止めたり、足で受け流している。呪力で守れば別だが、真剣だったなら、この時点で彼は負傷しているはず。まぁ彼には呪霊がいるから、また別の方法で避けたかもしれないけれど。
私が手を弾いて彼の腹に竹刀を突き立てると、彼はよろめき、距離を取った。
「今のは死んでたね」
「何度か危なかった。流石、武具の扱いに慣れているだけある」
「いつも夏油くんのことは見てるから」
『何か今の……ドキリとしたな』
何がドキリとしたんだろう、本当に刀が腹に突き刺さらないようにはしたんだけど、と思いながらも私は言葉を続ける。
「素手も試していいかな。どのくらい通用するのか、知りたくて」
「勿論いいよ」
よし、と構えると彼が先に動く。私は避けて彼の腕を引くが、びくりともしない。自身の技術不足だと確信した時、彼の拳が目の前にあった。しかしそれは鼻先に触れるという所で止まり、大きな手が私の頬を摘んだ。
「喧嘩は誰にも負けない自信があるんだ」
『可愛い』
私は頬を摘まれて、変な顔になっているんだろう。それを可愛いと思うなんて悪趣味だ、と彼の手を払う。
「武具では勝ってたからいいの。ただメリケンサックみたいな、あぁいったのも使う機会があったなら、やっぱり素手も必要だし武具を奪われた時のことも考えなきゃ」
「いい心掛けだね。次は短刀を試してみよう」
『こういうのも楽しいな』
あぁ、夏油くんはこういった体を動かすことの方が良いことを考えてくれるんだな。そう感じながら、私はその日、彼と共に立ち合いをして過ごした。
***
「君と二人で任務に行くのは初めてだね」
『何とかいけるか。彼女とも打ち解けてきたし』
どうやらまだ苦手意識があるようだ。いや、私もだけれど。
今日は夏油くんと二人。いつもなら三人だったり、私が一人だったりするが、夜蛾先生の方でバランス調整して試しているようだ。私はただ夏油くんの足を引っ張らないようにだけしようと考えていた。
「ついて行けるよう、頑張るよ」
「そんなに気張らなくていいよ。いつも通りにしていれば何の問題もない」
「いつもは五条くんもいるから」
「私だけじゃ物足りない?」
『そんなつもりで言ったんじゃないだろうけど、悟がいないとダメだと思わせたくないな』
「そ、んなつもりじゃ……」
夏油くんだけでも大丈夫だと思う。ただ、私が邪魔をしたくないというだけ。正直、私はいつもお溢れを貰ってる感じがする。呪術なしの素手と武具で何となく勝てたとしても、呪術を扱うと圧倒的に差が出る。
「ふふ、冗談だよ。さぁ行こうか」
『動揺してる。硝子と違って揶揄い甲斐がある』
何だか振り回されてしまう。彼の言葉にも、心の声にも。
私達は任務先であるオフィスビルに辿り着く。この場所は普段から使われており、誰もいない祝日に呪霊を一掃するのが目的だ。外からでも呪いの吹き溜まりになっていることが分かり、この会社は酷いなと私達は帳が下ろされた後、中へ入って行く。
「ブラック企業なんだろうな……」
「思ったより酷いな。これは確かに悟向きではない」
今回は等級の高い呪霊を数体というより、等級の低い呪霊を多く祓う任務である為、派手な術式で物を壊して祓うような五条くんには、この細々とした作業は向いていないだろう。
「競争する?」
「え?」
「思ったより数が多そうだしね。負けた方がこの後の食事を奢るってことで」
『早く終わらせたいし、少しでも彼女の自信になればいいんだけど』
彼の優しさと気遣いにむず痒くなるが、分かったと頷き、夏油くんと別れて私は上層階へ向かう。早速、夏油くんのいる下層階から呪霊の消失反応があり、私も負けていられない、と屋内に不向きな長物ではなく、短刀を手に呪霊を祓っていく。すると廊下の奥にスーツ姿の女性が廊下の端で蹲っていた。私は思わず短刀を持った手を呪具ポーチに突っ込んで隠す。
補助監督ではない。だとしたらこの会社の人間だろうが、どうして休日に人がいるんだと疑問に思いながらも近づいていく。
「あの、すみません。大丈夫ですか?」
声を掛けて肩に手を置こうとした時、彼女がぐるりと振り向いたと同時に隠し持っていた何かが振り上げられた。パチンッと何かが弾ける。それと同時に感じた呪力の消失。それで私はやっと、自身が攻撃を受けていたことに気づいた。弾けたのは私がポーチに付けている身代わり人形のキーホルダーだ。
「あれ、当たったと思ったのに」
振り返った彼女の手には包丁が握られていた。私にはその呪具が使い手の呪力で作られた物か、人を殺して呪いが篭り、呪具となった物かの見分けがつく。それは少し安っぽい出刃包丁。研いではいるようだが、年季はない。にも関わらず、術式効果が付与されている程度には使い込まれており、人の命を喰らっている物だと察しがつく。彼女は間違いなく呪詛師だ。
「どうして呪詛師が……」
「そのポーチ、お宝が沢山入ってるんでしょ?結構狙い目だって聞いてさ、追ってきたってわけ」
呪具や呪物が格納出来る、術式で作り上げた呪物であるポーチ。見た目はただの革製品であるが、開いた口は呪具に合わせて伸び縮みし、中も底なしに広い空間となっている。例の猫型ロボットのポケットに近い。使用者の体重の二倍程度の重さの物を収納可能で、それ以上は使用者に負荷が掛かる。また、それらの気配や力を断つことの出来る便利な特製呪物である。付与術を持つ祖父から受け継いだ物で、作り出すのに長い時を費やしたという。この中には数千万円分の呪具が入っている。その情報をどこから得たのだろう。
「どうして私が呪具使いだと分かったんですか?」
「もう死んじゃったけど、呪術高専から呪具の横流しをしてる奴がいてさ。そいつから聞いたの」
高専関係者による呪具の横流し。そんな不祥事を生徒が知るわけにはいかないだろう。確かに呪具が紛失しているとは聞いていたけれど、そういう裏があったのか。
そんな会話をしながら、呪具の目利きは出来る為、彼女の持つ呪具を見ていた。効果までは分からないが、触れたらまずいことは分かる。
距離を取ろうと私はポーチから刀を取り出しては彼女に向けた。
「もう一人いたからヤバいと思ったけど……離れてくれて良かったわ」
「私だけだったら勝てるなんて、甘いよ」
私は彼女に向かっていくと、彼女はあっさりと避けてしまうが、すぐに短刀を取り出して投げると、隙を突いて追撃する。それに彼女は間一髪避けたと思うと、私に向かって包丁を投げた。防衛本能でつい腕で防ごうとし、左手の甲を切ってしまう。切れた皮膚に鋭い熱を感じた。
「ははっ、勝ち確!あとは毒で死ぬのを待つだけ」
ただ掠っただけ。それだけでも、傷口からじわりと肌が青く変色していく。毒に関する呪具の効果なのだろう。毒が塗っていたにしては、異様に回りが早い。すると呪詛師の女は私が動揺しているうちに走って逃げる。私は包丁を拾ってポーチに入れると、階段を上がっていく彼女を追いながら夏油くんへ連絡をする。ツーコールで音が途切れた瞬間、私は声を上げる。
「呪詛師がいた!現在、二十三階!援護!」
『分かった、向かう。電話は切らないで』
「いや、補助監督にも連絡するから一旦切るよ」
私は携帯を握ったまま走っていたが、毒が回っている左手で握っていた為、落としてしまう。追うか立ち止まるか判断が鈍るが、私はその場で立ち止まり、遠くに消えた足音と気配を感じながら、帳の前にいる補助監督に電話をしつつ制服を脱ぐと、シャツの袖を切り、毒が回らないように肩に近い二の腕を出来る限りキツく縛る。上着を羽織って再び階段を上がっていく。足元がフラつき、脳が働いていないことに気づく。これでは夏油くんの足を引っ張るだけだ、とどこかに身を潜めようと三十階のトイレへ向かい、個室トイレに入って座った。
静かな空間に突然、携帯の着信音が響く。私はハッと顔を上げ、電話に出る。
『終わったよ。今、どこにいる?』
「……三十階の、トイレ」
『……どこか怪我した?』
「呪具に、毒が。ごめん……足が、痺れてる」
『すぐに行く』
私はその声を聞いてホッとし、腕を膝に落とし、目を瞑って待っていた。タッタッと足音が聞こえたかと思うと、私の名を呼ぶ夏油くんの声がトイレに響く。身体を揺さぶられて目を開けると、視界が霞んでいて目の前にいる夏油くんの顔すらよく見えない。
「急いで硝子に診せないと。しっかり意識を持っていてくれ」
「あ、りがとう……」
軽々と夏油くんに抱えられ、彼の腕の中で安堵したからか、その場で意識が途絶えた。
次に目覚めた時には医務室にいた。硝子ちゃんが私に気づいて、顔を覗き込んできた。
「おはよ。身体は動く?」
その言葉に私は左手を動かし、手を開いたり閉じたりと動かす。毒が引いており、まだ少し痺れているが、治してくれたのだろう。
「ありがとう……少し痺れてるけど、大丈夫」
「呪具の回収は出来た?」
「うん、掠っただけでこれだけの効果があるだなんて。腕が腐ったらどうしようかと思った」
「大袈裟だな。確かに毒はあったけど、アンタの場合、精神的な面が大きかった」
「でも、皮膚が変色していて、」
私が呪具の入ったポーチを探すと、硝子ちゃんは制服と一緒に置いているポーチとグローブを取ってくれる。グローブをつけると、ポーチに手を入れ、回収した呪具を取る。
「目利き、出来るんだっけ」
「流石に細かい効果は分からないけど、予測は出来る。でも……毒の効果ではなさそう」
皮膚が変色した幻覚を見たという方が正しい。それに呪詛師の女の言葉で毒であることに気づいた。これはきっと、自身の想像力に影響するのかもしれない。呪具に触れてはいけない予感と毒のイメージ。自然と毒に対する恐怖のイメージが症状として現れていたのかもしれない。
「早く気づけていれば、こんなことにならなかったかも」
「仕方ないよ。歩けるようになったら、報告行きな。呪具も預けなきゃだし、夏油もかなり心配してた」
「そうだね……ありがとう、硝子ちゃん」
彼女が医務室を出て行くと、私は深い溜息を吐く。ポーチに呪具を仕舞うと、ベッドから立ち上がる。まだ痺れが残っているが、正座をした後くらいの感覚だ。
ゆっくり身体を動かしながら制服を着て医務室を出ると、夜蛾先生に報告しようと歩き出す。すると廊下の先から話し声が聞こえ、誰かいるのかと思いながらも構わず廊下を曲がると、そこに電話をしている夏油くんがいた。彼は私を見てすぐ切る。
「夏油くん、」
「もう大丈夫なの?」
彼は廊下の壁に沿って備え付けられたベンチに座っていたが、立ち上がって私の目の前へやって来る。
「うん、平気……足を引っ張ってごめん」
「そんなことないよ。普通、呪詛師がいるだなんて思わない」
『一緒に行動していれば、こんなことにならなかった。私の責任だ』
「……私が弱かったの。呪詛師の罠に引っ掛かった」
きっと、夏油くんは私に気を遣わせない為に自分の責任だと思っても、それを口にしない。私に否定させてくれない。優しい。その優しさが苦手。
「夏油くんが来てくれて、安心した。弱いと自信を失うんじゃなくて、夏油くんみたいに強くなろうと思った」
『何だか照れ臭いな』
「それならまた立ち合いしてくれるかな」
「うん、よろしく」
そう言って笑うと、彼もいつも通り笑みを返してくれる。
『可愛い』
その一言に思わず動揺してしまい、目を逸らした。それに夏油くんは『どうしたんだろう、見つめすぎたか?』と考えていて、私は何だかむず痒いと彼に背を向ける。
「私、呪具を預けて来ないと。それじゃあ」
「あぁ、病み上がりなんだから気をつけてね」
「ありがとう」
私はそそくさと夏油くんから逃げるように夜蛾先生の下へ向かう為、廊下を早足で歩いて行く。やっぱり夏油くんは苦手だ。
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