#6.想像出来る未来
ある日の夜、収録終わりに何となくスマホを見ると、涼華から二件のメッセージが届いていた。彼女から連絡して来るなんて、珍しいこともあるもんだと開いてみる。
『突然すみません。お仕事が終わったら、連絡もらえませんか』
『解決しました、連絡大丈夫です!お騒がせしました。お仕事中すみません』
二件目のメッセージは一件目の約一時間後に送られて来ている。今日は収録が延びたから、連絡するのが遅くなったが、何があったのか気になる。帰り支度をしながら『今仕事終わったけど、何かあった?』と送ると、スマホを見ていたのか、すぐに既読がついた。そして返ってきたメッセージには『下の階で火事があったんです。私の部屋が水と煤だらけになってしまい、少しパニックになって、メッセージを送ってしまいました。解決したので大丈夫です!お騒がせしました』とあり予想の斜め上の理由で、思わず衣装のシャツを脱ごうとした手が止まる。
「……はぁ?」
ついそんな間抜けな声が出る。解決って、どう解決したんだよ。水浸しになったのなら、今日はホテル泊まりか?というか、解決するのはもっと先の話だろ。そう思っていると、傑は私服に着替えながらスマホを覗き込んでくる。
「彼女、憑かれやすいって言ってたよね。不運に見舞われてるんじゃない?」
「かもな……電話するから、伊地知に声掛けて」
最近はこのまま涼華に会いに行くことも多い為、伊地知に送迎を頼まず、愛車でスタジオへ向かっている。だから、予定のない日は同じマンションに住む傑と帰るのだが、傑はこれから会いに行こうとしているのを察したのか「じゃあ、お先に」と楽屋を出て行った。
俺はメッセージ画面から電話を掛けるが、彼女が出る気配はない。すると電話を切られ『すみません、待ってもらっていいですか?掛け直します』と返信があり、暫く着替えて待っていると、彼女から電話が掛かって来る。
『あ、もしもし。すみません、気を遣わせてしまって……』
「それはいいんだけど、家はどういう感じなの?」
『消防車からの放水で窓が割れ、部屋が水浸しに……窓から煤が入り込んでいて、真っ黒です。貴重品だけ持って出て来てます』
「じゃあ今日から暫くホテル暮らしなわけだ」
『そう、ですね。実家へ帰ることも考えてます』
実家がどこなのかは知らないが、今よりも会えなくなることは間違いないだろう。それは嫌だな、と俺はバッグを持ち、楽屋を出る。
「どこのホテル?」
『池袋の、ネットカフェにいて』
「はぁ?普通ホテルでしょ」
『だ、だって、保険適用外かもしれないという話ですし、ホテル代は保障してくれないし、これからもっと入り用なので、節約しようかなと……』
どれだけ貧乏暮らししてるんだ、と溜息を吐きたくなるのをぐっと堪えて、車に乗り込む。
「……今日、うちにおいで」
『え?』
「とりあえず近くで車通れそうな場所探して、時間になったら、ネカフェ出て来て」
『ありがとうございます……一旦切ります、よろしくお願いします』
電話を切り、俺は池袋まで向かう。道中でマップのスクショが送られてき、俺はその近くのカフェにナビを設定して、二十分後と伝えて迎えに行く。
パニックになって初めに頼ってくれるのが俺で嬉しい。そう思いながら運転し、彼女の待っている場所へ辿り着く。キャリーバッグを持ったスーツ姿の彼女はとんでもない呪いを背負っていた。専門家ではないものの、これは呪詛師が意図的に呪わなければ憑くはずもない。
「お仕事終わりなのに、すみません……」
「いいよ、俺にそんな気を遣わないで。荷物、後ろ置ける?」
「は、はい。失礼します」
彼女は慌ててトランクを開けて、キャリーバッグを詰め込むと、いつも通り助手席に乗り込んだ。俺は呪いが目障りだな、と彼女の肩を掴んで前屈みにさせると、背を叩いて祓ってやる。
「痛っ!」
「呪われてる。誰かから恨みでも買った?」
「そ、そんなことないと思うんですけど……」
「じゃあ、呪われた誰かの近くにいたとか?体質的にそれが移ったのかもな」
シートベルトをしたのを確認すると、俺は車を走らせる。彼女は何か言いたげに唇をもごもごさせては、落ち着きなく手を擦り合わせている。こうなったら聞き出すしかないだろうな、と俺は訊ねる。
「……実家に帰るって、仕事はどうすんの?」
「……昨日、働いていた会社が倒産しまして」
どこまでも不運だ。夢の中では呪いを寄せ付けない体質だったのに、今では真逆のようだ。不運という呪いが憑いている。それにしても、会社が倒産したのはさっきの呪いの影響かと考えていると、彼女は深い溜息を吐く。
「昨日、会社に行ったら、ビルの入口に倒産したって張り紙があって……社員は途方に暮れていました。今朝、やっと説明会があって、経営が上手くいかなくなったとか、社員に相談出来なかったとか、涙の会見でした」
「最悪だな。知らないけど、その社長から移って呪われたんじゃない?その後でしょ、火事は」
「はい……自宅に戻ったら、火事になってました。幸い、怪我人はいなかったんですが、煤や水浸しになった持ち物は保障してくれないようで。ホテル代も勿論出ないですし、母に連絡するのも勇気が……」
親にここ数日で職を失った挙句、火事に巻き込まれて家を出されたなんて言えないな。俺だったら絶対連絡しない。これからどうしようかと途方に暮れている彼女に出来ることは何でもしてやりたい。
家に着くと、彼女は先に降りてキャリーバッグを出す。駐車して車を降りると、彼女の荷物を引いて部屋まで案内する。玄関でカードを通してエントランスに入ると、エレベーターで上がって行く。
「すごいですね……こんな綺麗なマンション、初めてです。夏油さんも同じマンションなんですよね?」
「まぁね。でも流石に隣ではないよ。同居は怠いけど、ネタ合わせするには近い方がいいじゃん?遮音性も高いし、動画も撮りやすい。良い物件でしょ」
「そうですね……祓本のお二人って真面目なんですね」
「俺は楽しむことが一番だけど、傑はクソ真面目だよ」
エレベーターは俺の部屋がある十階に着くと、部屋の鍵を開ける。中へ入るよう促すと、恐る恐る「お邪魔します……」と呟きながら入って行く。部屋に彼女がいることに違和感を覚えながらキャリーバッグを玄関に置き、部屋へと入る。自動で鍵が掛けられたことを確認すると、入って入って、と彼女の背中を押す。リビングへ向かうと、彼女は身を縮めながら、部屋を見回している。
「ま、適当に寛いでよ」
「は、はい……ありがとうございます」
彼女はとりあえず手を洗わせてください、と洗面所へ向かい、どこを見てもキレイだと感動しながら、落ち着きなく歩き回っていた。俺は上着を脱いでお茶を淹れると、彼女はやっとソファに座っては「ふかふか……」と呟いていた。正直、何をしても可愛い。
テーブルに二つ茶を置くと、彼女は礼を言いながらカップを手に取り、一口飲む。俺は隣に座ると、彼女の肩をツンと突く。
「脱いだら?というか、服は持って来てるの?」
「そうですね……窮屈ですし。服、無事そうなのは持って来たんですけど……」
見てみます、と玄関に置いたキャリーバッグの元へ行った為、ついて行くとその場で開こうとしていた為、別に汚れることを気にしなくていいのに、とキャリーバッグをリビングまで持って来てやると、彼女はそれを開く。最低限必要な書類や服が乱雑に入れられており、急いだんだろうなと察しがつく。俺のあげたアウターも入っている。
ふとネイビーのレース下着が目に付き、普段の下着が分かってそわりとする。彼女はそんな俺のことは気にせず、服を一枚取り、嗅いでいる。
「うわ……酷い。全部煙の臭いがする」
「洗う?」
「洗濯機に臭いが移っちゃうかも」
「その時はその時でしょ。着替えなかったら困るのはオマエだし、今日の所は俺の服でも着ておいたら?」
「そ、そこまでしてもらうのは、」
「人の好意には甘えとけよ。俺、人に親切にするのが趣味だから」
その言葉に彼女は緊張が解けたように笑う。思わずドキリと胸が高鳴り、視線が泳いでしまう。今も俺は情けない顔をしているんだろうな。
「それじゃあ、お言葉に甘えて。借りてもいいですか?」
「ん、俺の洗濯物出すわ。あと、俺のあげたアウターはクリーニングに出すから、置いといて」
そう洗面所へ向かい、洗濯機から服を取り出すと、側に置いているカゴへ移した。すると、彼女は失礼します、と自分の洗濯物を入れていく。それを尻目に洗濯洗剤を取り出すと、彼女はあっ、と声を上げる。
「洗剤は一緒ですね」
「洗剤なんて大体決まってるでしょ」
「この家じゃ、庶民的な物とか共通点を見つける方が難しいので、つい……」
「それなりにいいマンションには住んでるけど、全部が全部、高級品じゃないから」
貧乏性なのかと思いながらも、職を失ったんだったら、そういう感性にもなるかと納得がいく。
洗剤を入れて洗濯機を回すと、俺はリビングに戻る。彼女はスーツのジャケットを脱ぎながらついて来ているのが目に入り、劣情をそそる格好に、いい歳した男が舞い上がってしまっているのが痛々しいと感じてしまった。童貞か、落ち着けと頬を抓りながらソファに着くと、彼女はキャリーバッグを閉じて、再び隣へ座った。
「実家はどこなの?」
「京都です」
「京都出身?」
「いえ、母方の祖母が京都にいて。私は東京出身です。離婚後、母と私は京都にいる祖母の家に……って感じです。その祖母も、数年前に亡くなってしまったので、家族は母一人です」
「ふーん……遠いな。家族仲は良いの?」
「悪くはないと思いますよ。時々連絡して、正月とゴールデンウィークと盆には帰省してます」
つい、夢の中の彼女がチラつく。決して同一人物ではないが、どうしても重ねてしまう。そう思いながらも、彼女が京都へ帰ってしまったら、なかなか会えないと少し寂しく感じる。大阪へは仕事で行くこともある。けれど、それだけじゃ足りない。
「……ここに、いてもいいよ」
「え?」
「俺がずっと面倒見てあげてもいいよ。家事してくれるなら、ここに住んで、ゆっくり仕事探して、新居に引っ越せるくらいの資金が出来たら、出て行けばいいじゃん」
「で、でも、」
「俺なしじゃ生きていけないって思うようにさせてやるよ」
馬鹿みたいにカッコつけた言葉。傑と硝子に聞かれたら、大笑いされるに決まってる。それでもこんなクサい言葉を吐いたのは、自分の為だった。彼女に俺は必要ないのかもしれない。でも、俺には必要だから。傑や硝子がいても埋まらない何かは彼女だ。俺なしじゃ生きていけないと依存してほしい。本当に好きになると、こんな想いになることを今知った。俺のこの劣情も独占欲も全て彼女だけの為にある。
「そ、れは、何だか怖いですね?」
精一杯の口説き文句だった。普通なら、キュンとくるもんだろ!とモヤモヤしたが、暖簾に腕押したこの感覚は毎回味わっている。今更期待するものではない。
「はぁ……まぁいい。オマエは結構、不運を背負うタイプだから気をつけろ」
「お祓いとか必要ですかね」
「よく憑かれてるし、普通ならそうするだろうけど、俺がいるんだから必要ないでしょ」
「うーん、五条さんが言うと説得力があるな……じゃあ、よろしくお願いします」
予想外の言葉に、俺はすぐに言葉を返すことが出来なかった。意味を理解しているのかと少し戸惑っていると、彼女はハッと目を丸くする。
「す、すみません……!冗談でしたか?私、間に受けてしまって……」
「いや、俺も本気で言ったけど、いらないって言うかと思った」
それに彼女はうーん……と唸りながら首を傾げる。洗濯機で服を洗う洗わないよりもあっさりと受け入れたその理由を知りたくて、俺はソファの背もたれの上に肘をつき、彼女の言葉を待っていると、やっと口を開く。
「変なことを言うんですけど……何故か想像出来るんです。朝、一緒に歯を磨いたり、ご飯を食べたりするの」
「……そう」
「家政婦として、頑張りますね」
「あ、はい……」
モヤモヤする!何だこれ!一緒に生活する所が想像出来るって、実質告白みたいなもんじゃん!なのに何だよ家政婦として≠チて!と心の中で叫びながら胸を押さえてソファに倒れる。
鈍感なのか弄ばれているのか。男誑し……いや、俺誑しの彼女を見ると、のんびりとお茶を飲んでいる。抱かれる覚悟をしていた彼女はどこへ行ったのか。
「五条さん、湯船には浸かる派ですか?」
「ゆっくりしたい時とか、冬は浸かる。夏は面倒」
「そうなんですね、今日は入りますか?掃除しますけど……」
「今日はいいや、オマエが入りたいなら別だけど」
「いえ、私は普段からシャワーだけなので。じゃあ基本入ることを考えておきます」
「ん、先入っていいよ」
「いえ!家主より先にはお風呂いただけませんので!」
いつの時代の考え方だよと思いながらも起き上がり、寝室へ向かう。スウェットを二セット取り出して持って行くと、ソファの背もたれに一セット置く。
「これ着てくれたらいいから」
「いいんですか?」
「うん。パジャマは持って来てないでしょ」
「そうですね……外着にしか気を配れなくて」
「ん、じゃあ先入ってるから、テレビでも観てて」
「ありがとうございます」
俺は脱衣所で服を脱ぎ、洗濯物を入れているカゴにポイと投げ入れると、風呂へ入る。シャワーの湯を出して椅子に座った時、ふと力が抜けた。気を遣っているわけじゃないのに、体に力が入っている。これから一緒に住むんだから、気楽に暮らさないと。
シャワーを浴びて風呂を出ると、洗濯して置いているバスタオルを取り、体を拭いてスウェットを着る。髪を乾かしたり、歯を磨いたりと寝支度を済ませると、そこから彼女を呼ぶ。するとパジャマを持って犬みたいに急いで駆け寄ってきた。
「はい、何ですか?」
「歯ブラシはこれ、新しいの使って。シャンプーとコンディショナーは男用だけど、今日は我慢して」
「はい、ありがとうございます」
俺はリビングに戻ると、スマホを手に取る。傑から『彼女はどうだった?』とメッセージが来ており、半分好奇心、半分心配で送ってきたのだろうなと思いながら『今、俺の部屋でシャワー浴びてる』とスタンプ付きで送ると『やるじゃないか』という言葉と共によく分からないキャラクターのスタンプが返ってきた。
『最近、会社が倒産して、失業したらしいから、暫く同棲する』
『本気で言ってる?』
『マジ!オマエの遊びと違って、こっちは真面目だから』
『上手くいくといいね』
思ってなさそう。おやすみスタンプを連打して電源を切ると、今年の冬で三十歳になるんだから、そろそろ結婚も視野に入れたいなぁと何となく情報番組のアナウンサーの結婚指輪を見てぼんやり思う。多分もう、涼華以上の人は見つからない。わざと撮られて、ネットや雑誌で拡散されたら、彼女の意識は変わるだろうか。
「……女々しい」
やってることが、しつこいグラドルと変わらない。迷惑だとか、人のことを言えない。
女々しくモヤモヤしていると、彼女はシャワーを浴び、寝支度を済ませて戻って来る。俺の服を着ている為、大きくて袖や裾を捲っている。支配欲が満たされる。
そういえば、メイク落としなどはあったのだろうか、とジッと顔を見ると、それに気づいて顔を逸らされた。
「あ、あまり見ないでください。素っぴんなんで……」
「初対面の時も素っぴんだったじゃん」
「そ、それはそうですけど」
「メイク落とし持ってたの?」
「キャリーバッグのポケットに、使い切りのメイク落としや化粧水が入ってたので、今日は何とか大丈夫です。明日買いに行きます」
男性用ばかり使っていられない、と彼女は自身の髪を手櫛で梳く。何が違うんだろうと思いながら、ふと開けっ放しの寝室を見る。
「寝る場所だけど、」
「このソファで寝かせてもらいます」
「……俺、たまにソファで寝落ちするし、ソファで問題ないけど」
「それは流石に悪いので」
「じゃあ、一緒に寝る?ベッド広いし、」
「それは嫌です!」
「嫌は傷つくんですけど?」
遠慮するとかじゃなく、嫌と言われるとは思っていなかった。俺の言葉に、彼女はしまったとでも言うように、慌てて言い訳を始める。
「い、嫌というのは、五条さんが窮屈になるのが嫌だという意味であって、一緒に寝たくないというわけでは……」
「じゃあ試して」
それ以上言い訳が出来なかったのか、大人しく寝室へ向かう。クイーンサイズのベッドで、二人で寝ても広い。これなら、と彼女はベッドに座ると「ふかふか……!」とまた柔らかさに感動していた。どれだけ固いものに寝たり座ったりしてるんだと思いながら、俺は枕元にスマホを置いてベッドに入る。それに彼女も恐る恐る入って来る。俺達の間には一人分のスペースがある為、大丈夫だろうと彼女に背を向ける。
「おやすみ」
「おやすみなさい……」
疲れもあって、俺は目を瞑るとすぐに眠りに就くことが出来た。しかしベッドが揺れて目が覚める。意識はハッキリとしていたが、目を瞑ったままでいると、彼女が部屋を出て行く音が背後からした。トイレかと思っていたが、暫くしても帰って来ない。ソファで寝たのだろう。
嫌だと言っていたし、無理強いすることじゃないな、と俺は少し傷つきながらもまた眠りに就いた。
翌朝、アラーム通りに起きると、改めて隣に彼女がいないのが寂しくなる。ずっとソファで寝られるのも、こっちが非常識みたいだし、ベッドを買うかと考えながらリビングに出る。ソファにいるだろうと覗き込むと、彼女はそこで眠っていた。可愛い寝顔が見られただけでも良しとするかと頬を突いてみると、彼女は目を覚まして、ぼんやりと辺りを見回してから、俺を見上げた。
「おはよ」
「おはよう、ございます……」
「ソファの寝心地は良かった?」
「ネカフェよりは、良いかと」
寝惚け眼のまま起き上がると、小さく欠伸をして、ぼんやりしたまま話す。
「昨日は、暫く隣にいたんですけど、五条さんがすぐ横で寝てると思うと、ドキドキして寝れなくて」
その言葉に、俺はその場でしゃがみ込み、頭を抱える。頭上から「ん?」と彼女の声がしたが、俺は暫く俯いたまま動けずにいた。
この女は狡い。今日こそ絶対、同じベッドで寝てやるからな。
俺はずっと彼女に心を弄ばれているような、そんな気がした。
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