#2.恋ではなく、好奇心
寝静まった住宅街には街灯の明かりだけが周囲を照らしていた。しかしそれも、二時三十二分からの四分間は光を失う。都内のある家屋を中心に、半径一キロ以内で発生するその現象は、近所の若者の間では怪奇現象として有名だ。憶測が憶測を呼び、複雑化した思念が呪いを強め、その現象を起こす呪いの発現条件すら複雑化し、解決に至っていない。大した呪力量でもなく、犠牲者が出ていないことから後回しにされていた案件だが、その現象が起こり始めた六ヶ月後、該当地域で行方不明者が現れた。呪いとの関連性は定かではないが、この件は呪術高専一年生である俺、五条 悟と夏油 傑に一任された。
「ここ数日、ずーっと聞き込みしたけどさぁ、作り話が多すぎて内容が絞れないんだけど。怠すぎねぇ?こういう情報集めは窓か補助監督がやるべきでしょ」
「呪術界は人手不足なんだろう?仕方がないさ」
昼は近所の学生に噂を聞き込み、夜に条件になりそうなことをする。それを繰り返しても尚発現しないのだから、面倒くさい。予定の時刻には地域一体に呪いの気配が立ち込める。しかし原因となるものが見つからないのが厄介だ。
「そうだな……今日は外周を歩いて、気になる場所があれば調査。早めに済ませたいし、二手に分かれよう」
「んじゃ、俺は西から。外周に高校があったよな?何もなかったら、そこ集合」
そう言いながら俺は西に向かって歩いていく。めぼしい場所といえば、東には神社、西には集合住宅と、そこに隣接している小さな公園だ。子供の遊び場というより、集合住宅の住人が催し事などに利用する広場という感じで、あるのは懸垂用の鉄棒と公園の象徴となる一本の桜の木、その周りを取り囲むよう設置されたベンチくらいだ。
この短期間で何度も見た公園。昼には老人がベンチで談笑している様子があったが、夜は人気がなく静かだ。しかし、今日はいつもと違った。いや、俺が来る時間帯を変えたからか、深夜二時だというのに、そこには異様な人間の気配があった。
まるで血液のように常に呪力を体内で循環させているその女は、退屈そうに枝で地面に絵を描いている。
「何してんの」
「え、と……夜風に当たりたくて」
夜風に当たるにしては服を着込んで、リュックを背負っている。それに、こんな場所に術師の女がいるなんて、偶然すぎないか。怪しいと警戒していると、しゃがみ込んでいた彼女はベンチに座って俺を見上げた。
「……最近、この辺で怪奇現象の調査をしてる人ですよね」
「知ってんの?」
「噂になってるんです。カッコいい人達が怪奇現象を調べてるって」
確かにそれは俺らのことだな。女に声を掛けると暫く解放してもらえなかったし、話を聞くのにも時間がかかる。そう思いながら彼女の描いたウサギの絵を見ながら訊ねる。
「その怪奇現象について、知ってることある?」
「……幽霊屋敷と呼ばれている家のお婆ちゃんの話、聞いたことありますか?」
「幽霊屋敷って、停電の中心にある家だろ?そこの婆さんが死んだ時期と、停電の時期が合うって話は聞いたな」
「そうですね。私、お婆ちゃんと仲が良かったんです。でもある日、公園へ来なくなってしまって。家を訊ねたら、亡くなっていました」
「へぇ、第一発見者?」
静かに頷いた彼女の言葉には信憑性があり、何かしらの条件を知る人間だろうと思った。隣に座ると、彼女は変わらず静かに話す。
「遠方から駆けつけた息子さんに教えていただいたんですが、たまたまこの地域で停電が起こった日、心臓麻痺で亡くなったそうです。雷雨による一時的な停電……それ以降に発生した停電は怪奇現象だと思います」
「何で分かんの?」
「何となく……」
そう言っていると、頭に何かが当たった。それを皮切りに、ぽつりぽつりと雨が降り始める。すると彼女は持っていたリュックから白に灰色のストライプ柄の折り畳み傘を取り出し、差し出してきた。
「良かったら使ってください」
「何で?」
「私は家が近いので……」
俺が黙って受け取ると、彼女はそれじゃあ、と軽く頭を下げて公園から出て行った。俺は傘を開いてその場に留まっていると、丁度停電が起こった。四分間、ただ街灯の明かりが消えるだけ。
彼女がいたから、ここで何かが起こるのだと思っていたけど、ただ呪いの発生源となった老人をよく知っているだけだった。
再び住宅街が照らされたのを確認すると、外周を歩いて合流場所の高校へ辿り着く。傑は高校前で傘を差して待っていた。
「どうだった?」
「公園に女がいて、話を聞いてきた」
「こんな時間に、一人で?」
「そ、夜風に当たりたいとかで。その割にはリュック背負ってた術師の女だから妙だ」
「家出かな、こんな時間に危ない……けど、術師なら協力してもらえるかも。話を聞いて、どうだった?」
「新しい情報といえば、婆さんの死因と第一発見者がその女だったってことくらい」
非行少女にしては大人しい見た目をしている。家出をするにしても繁華街ではなく、住宅街にある静かな公園だ。しかも深夜に公園にいるのは慣れているのかもしれない。そう考えていると、傑は差している傘を見て首を傾げる。
「悟、その傘は?サイズも柄も君に合ってないけど」
「例の女から貰った。家が近くなんだと」
「そうか、また会ったら返しておくんだよ」
そんなことを話しながら俺達は深夜タクシーに乗って高専へと帰った。
その数日後、傑は翌朝から別の任務がある為、今回は俺一人だけが任務へ向かうこととなった。深夜に住宅街近くの駐車場まで送ってもらうと、俺は真っ先に公園へ向かった。
予想していた通り、彼女はそこにいた。ベンチに深く腰掛け、リュックを抱えて眠っているのか、俯いている。しかし公園の土を踏む音で目が覚めたのか、顔を上げて俺を見た。
「……こんばんは」
「家出?」
「まぁ、そんな感じです」
あっさり認めたと思いながら隣へ座る。持っていたスクールバッグから、彼女に貸してもらった折り畳み傘を取り出しては返す。
「わざわざ返しに来てくれたんですか?」
「いや、ここに用があって来た」
そう言ってベンチに深く腰掛けると、彼女は黙って月を見上げていた。こんな場所にいてもつまらないだろう。俺は時間がくるまで彼女と何か話そうと、頭に浮かんだ疑問を投げかける。
「何で家出したの?」
「家出というよりは、夜に家から追い出されるって感じです」
「何で」
「……母の恋人がいるから」
「ふーん……」
複雑な家庭というやつか。よくある話ではある。いつも思うが、こういう人間は誰かに助けを求めないものか。いや、ただの強がりかもしれないが。そう考えていると、彼女は俺が怪奇現象の原因を追っていると知っているからか、例の婆さんの話をし始めた。
「亡くなった幽霊屋敷のお婆ちゃんは、とても親切な人で。時々、夕飯をご馳走してくれたり、泊まらせてもくれた。外壁が古くて近寄り難い雰囲気があるけれど、中はとても綺麗にしていて……」
「だから最初に見つけたのか」
頷いた彼女はふと息を吐く。もう行く場所がない為、仕方なく公園にいるのだろう。術師になる素質はあるのだから、呪術高専に来ればいいとも思うが、彼女に命を懸ける覚悟があるのだろうか。
「昼はどうしてんの?」
「家で、母や母の恋人のご飯を作ったりしてます。その後は日雇いのアルバイトとか……」
「ふーん……」
「貴方は、霊媒師とか?」
「いや、呪術師」
「呪術師……」
あまりピンときていないのか、ポカンとしている。まぁ深く話す必要もないだろうと思いながら、俺は話を続ける。
「四分間の停電は多分呪い。その呪いの中心は幽霊屋敷、オマエが慕ってた婆さんに関することだろうな」
「な、るほど……」
「祓わなきゃなんないし、行方不明者も出てるから、知ってることがあれば教えて」
「……毎週水曜日の夜、何かがここにいて。もしかしたら、お婆ちゃんなのかと思って近づいたら、私を避けて逃げるんです。毎回、それの繰り返し」
そういえば、この公園で例の婆さんを見かけるという話を聞いた。だからこの公園には何度か足を運んでいたのだが、当たりは水曜日だったか。つまり明日だ。
「分かった。じゃあ今日はいても意味ないな」
「だと思います」
それから沈黙が続いた。風が背後にある桜の木の枝葉を揺らし、サラサラとした音だけが公園に響く。それに彼女はあの、と声を上げる。
「帰らないんですか?」
「んー……ファミレス行かね?」
「え?」
「ちょっと歩いたら、二十四時間営業してるファミレスがあんだよ。前に行ったから、絶対開いてる」
初めてこの辺に来た時、傑と食べに行った。その時初めて、二十四時間営業している飲食店があると知ったんだ。昼にしか行かないから、営業時間など気にしたことはなかったし。
「で、でも、」
「腹減ったんだよ。奢るし、行こうぜ」
「私は、いい、です……」
「いいから来いって」
彼女は渋々立ち上がり、俺の後をついて来る。ずっと公園にいて退屈だろうし、痩せていて筋肉もない。いつも、誰かに踏み躙られた雑草みたいに公園の隅にいる。努力すれば花くらいにはなるだろうに。
彼女は俺から距離を取りながらファミレスに入る。普段なら席がギッシリ埋まっているであろう店内には客が疎らにしかいない。席を案内され、互いに向かい合って座ると、彼女はやっと呼吸をし始めたかのように息を吐いた。
「ファミレスで緊張してんの?」
「……あの、貴方も見えているんですよね。よく分からない生物が」
そう言ってチラリと店の奥を見る。蠅頭が若い男の肩に乗っているのを気にしているようだった。弱いということは理解しているだろう。それでも放っておけないのは、お人好しなのか、神経質なのか。
「見えてるけど、何?」
「……人の多い場所には、必ずあれがいるんです。学校なんて特にそう」
「放っておけばいいだろ。死ぬわけじゃない」
「で、でも怪我はします」
あぁ、お人好しだ。そう思いながら持っていたメニューをテーブルに置いて立ち上がり、「便所行って来るわ」と声を掛けてトイレのある方へ向かう。その道中、通りすがりに男に憑いていた蠅頭を祓い、男性用トイレへと入る。用を済ませて席に戻ると、彼女はリュックからメモ帳とボールペンを取り出しては俺を待ち構えていた。
「ど、どうやって祓うんですか?」
「は?」
「見えてるだけじゃ、祓えませんか?」
見た限りだと、呪力量はそれほど多くはない。ただ妙なのは、循環していること。無意識に全身を呪力で守っているような感覚には違和感があった。元々素質があるのか、術式の性質なのかは分からないが、呪術に興味があるというのなら、スカウトしても構わないのかもしれない。
「呪いは呪いでしか祓えない。オマエの身体には呪力が流れてるから、祓えるっちゃ祓える。でも、意識しなきゃ祓えない」
「な、なるほど……?」
彼女は手を見つめており、意識しようとしている。呪力の流れが変わらないのが見え、無理だな、とメニューに視線を落とした。
「チーズハンバーグとチョコパフェにしよ。オマエは?」
「……カルボナーラ」
俺は呼び出しボタンを押し、注文をする。ドリンクバーも追加した。彼女はまだ手をぐっぱと開いたり閉じたりしており、俺はその手を掴む。
「何となく感じさせることは出来る。集中して」
俺は右手に呪力を集中させると、彼女の左手を取る。その瞬間、バチンと音が立つ勢いで手を弾かれた。一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。
「い、今のが……?」
「……いや、何だこれ」
理解しなければ、と俺は自身の手を見つめる。手には彼女の残穢があり、触れた瞬間、呪力を吸われたかと思うと、弾かれた。
「呪力の無効化か?」
「そ、それはどういう……」
「手、触ってみて」
俺は無下限呪術を試そうと、彼女に手を向けた。すると彼女は恐る恐る俺の手のひらに触れ、そっと合わせる。ぞくりとした。本来ならば、俺と彼女の間には無限の壁が作られ、彼女は俺に触れることすら出来ない。でも彼女はまるで壁がなかったかのように俺に触れることが出来る。
確信した。彼女はオートマで領域展延を行っている。何かしら術式を持っているのではなく、彼女自身が領域の役割をしていて、呪力や術式を中和し、無効化させているのだ。何が厄介かといえば、その異様なスピードだ。普通の領域展延であれば、俺に触れようとするだけでもそれなりに時間が掛かるはず。それでも彼女は何の壁もないように、スッと俺に触れた。これを可能にしているのは、俺が術式を使っている時に呪力を吸収し、自身の呪力として体内に循環させ、常に身を守っているから。
俺が望む無下限呪術のオートマ化を、彼女は優秀な領域展延で行っている。それにも関わらず、脳が焼き切れていないのは、もう既に反転術式を身につけているからだろう。
「オマエ、才能の塊でしょ」
「えっ、」
「無意識に高度な術式を身につけてるってこと。領域展延以上、中和どころか、呪力を吸収して自分のものにしてる。呪力切れがない」
「せ、専門用語が多くて……」
彼女はメモを取ろうとするが、そんな物は必要ない。これから呪術高専に通って学んでいけばいいのだから。
「呪術高専に来いよ。そこで学んでいける」
「……うん」
積極的に呪術について訊ねていたのに、浮かない顔をしている。何か事情があるのかと思っていると、注文した物が届いた。腹が減っている俺はすぐ食べ始めると、彼女も同様に一口、カルボナーラを食べて頬を緩めた。
「美味しい」
「そ、ゆっくり食べて飲んで、ここで朝を待つか」
そうしたら補助監督が迎えに来るだろう。その間に仮眠を取り、次の夜を待てばいい。
彼女は徐々に饒舌となり、呪術について教えてほしい、他にどんな術師がいるかなど、興味深々に訊ねてきた。俺はパフェやらスイーツを食べ、メロンソーダで水分を摂りながら、彼女と朝まで話し続けた。
陽が登り始めて暫く経った頃、朝七時にファミレスを出た。補助監督がすぐに迎えに来るという為、俺はファミレス待機となったが、彼女は家に帰らなければならないと言う。
「こんなに話せたのは久々で、楽しかったです」
「そ、また高専の人間が訊ねて来ると思うから」
「……はい。覚悟、しておきます」
何の覚悟だよと思っていると、彼女は柔らかい笑みを浮かべ、ご馳走様でしたと一礼してファミレスを後にした。
その後は補助監督と合流し、俺は近くのホテルで仮眠を取った。約束の時間、補助監督と共に公園へ向かうと、彼女はそこにいたが、今朝とは大きく変わっていた。顔に大きな打撲痕や切り傷があり、呪いに襲われるはずもないのに、何があったんだと困惑しながら彼女に駆け寄る。
「おい、何でそんな傷だらけなんだよ」
「事情があって……でも大丈夫です。もうすぐしたら、お婆ちゃんが来ると思うので」
ファミレスで見せた柔らかな笑みはなく、ぎこちなく笑っては補助監督にも一礼をした。それに補助監督も眉を顰める。
「顔の傷、酷いですよ。病院まで、」
「い、いいんです。大丈夫ですから」
そう言っていると、いつもの停電時間となる。パツンと街灯の明かりが落ちたかと思えば、地面から人型の呪いがぬるりと現れた。しかし何をするわけでもなく、そこに佇んでいる。
見ただけで分かる、かなり弱い。発現条件がただ水曜日の公園というだけで、変に苦労した。現れていたとしても、弱すぎて感知出来なかった可能性すらある。俺は術式を使わず、簡単に祓ってしまうと、彼女は寂しそうに眉尻を下げた。
「あれは本人ではなく、人の感情が生み出した呪いです。気を落とさず、ご本人を弔ってあげましょう」
補助監督は気持ちに寄り添うように優しく話すと、彼女は静かに頷いた。こういうのは俺向きじゃないな。そう思っていると、静かな公園に恰幅の良い男がズカズカと入り込んで来た。土を踏み締め、一歩一歩着実にこちらに近づいて来る男はただの一般人だ。こんな時間に何だと声を掛けようとすると、男は怒りに任せて声を張り上げた。
「オマエらか!!コイツを誑かしたのは!!」
「ひっ、」
すぐに彼女の母親の恋人であることを理解した。男は怯え、動揺する彼女の腕を掴み、公園から出て行こうと引っ張っていく。傷の原因はコイツだと理解し、俺はすぐ男の腕を掴んで捻り上げる。
「おい。何だよオマエ」
「コイツの父親だ!オマエだろう!イカれた宗教に勧誘した男は!」
「すみません、説明もなく。私達は東京都立呪術高等専門学校の者で、」
「知るか!そんな所に通わせる金はない!」
まだ何も言っていないが、彼女が呪術高専に通いたいと話したのだろう。まるで聞く耳を持たない男に、俺はどこかイカれてんのかと思いながら、とりあえず彼女を離して、背後にやる。
「コイツにはそれなりの才能がある。金なんてどうにでもなんだよ、クソ野郎」
「あ?このクソガキ……!」
殴り掛かろうとして来るが、その拳が俺に届くことはない。混乱している男は、力に任せて傍にいた補助監督を殴ろうとするが、代わりに俺が殴って倒す。
「なぁ、警察呼んで。暴行だろ」
「は、はい」
「何が警察だ!オマエらが娘を誘拐したんだろ!」
「その前にオマエらの育児放棄と暴行だろ」
彼女はすっかり怯えて、公園の端まで距離を取っており、何も言わない彼女が腹立たしいのか、立ち上がって向かおうとするのを胸ぐらを掴んで止める。
「殺すぞ、クソガキ!」
「出来るわけねーだろ、雑魚が」
「警察呼びました、待機です」
「チッ!」
逃げようとする男を取り押さえ、地面に叩きつける。男が声を張り上げた為、近所の人間が深夜にも関わらず窓からこちらを見たり、家から出て来る。
それからの流れは淡々としていた。警察は男を連れて行き、俺達は聴取を受ける。
「……学校に通いたいと、相談したんです。でも、許してもらえなくて……殴られました」
だから呪術高専への編入の話をした時、浮かない顔をしていたのか。誰かがいる時にでも言えばいいものを。しかし、反転術式を覚えているはずなのに、傷が癒えていないのはどうしてだろうとぼんやり考えていた。
彼女は一時警察に保護されることとなり、俺達は帰ることとなった。
「ありがとうございました。これでお婆ちゃんの悪い噂がなくなると思います」
「……そーだな」
最後の最後まで、お人好しだった。
***
「何かボーッとしてね?」
「恋煩いだよ。悟が例の任務で会った女の子の話をしただろう?」
「そんなんじゃねぇよ」
術式に興味があっただけ。何かしらの天与呪縛もありそうだったし、表面上の怪我が治っているわけでもなかった。面白そうだったが、あれから音沙汰がない。補助監督に彼女の近状を聞くわけにもいかないし、そもそも知っているかも分からない。
机に足を投げ出し、椅子を揺らして寛いでいると、教室の扉が開いた。そこでやっと、いつもと違う雰囲気を感じ取った。夜蛾先生と一緒に教室へ入って来たのは、呪術高専の制服を着た彼女だった。
「初めまし、」
彼女が声を発した瞬間、椅子の足がズルッと滑り、俺は背後に倒れる。背中が痛い。
あの後、高専が彼女の面倒を見ていたのか。そう思っていると、相変わらず顔に痛々しい傷跡の残している彼女は心配そうに俺を覗き込んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「……ん」
呪術高専にやって来て、俺の世界は目まぐるしく変化した。異質な彼女がまた俺の世界を変えることになるのかと思うと、ただ好奇心を擽られる。
恋というには大袈裟だが、確かに俺は彼女に惹かれていた。
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