#1.一つ足りないもの





 自分は孤独だとか、寂しいだなんて感じたことはない。高校時代に傑と硝子と出会ってからは特にそう思う。でも、何かが一つ足りないと感じていた。それさえあれば、俺の人生は完成する。それが何かは分からない。だから、その足りない物を補う為、ただ自分を満たす為に生きた。
 傑と大学卒業後に芸人を始め、まだ芸歴が浅いうちにC−1優勝し、忙しくも充実した日々を送っている。それでもどこかで何かを探している、そんなある日のことだった。
 普段、俺は夢を見ることがない。寝つきがいいのか、夢を見たことを覚えていないのかは分からない。でも今日は夢を見て、内容もそれなりに覚えていた。見覚えのない制服の学生達と話をしていたり、白衣を着た硝子と、マネージャーである伊地知も相変わらず俺の送迎をしている。そんな車の窓ガラスに映る俺は真っ黒なアイマスクをしていた。
 俺達は呪術や任務の話をしていて、俺が時折見かけるような悪霊とは違う、呪いが形となった物を祓っていた。現実の俺も悪霊や簡単な呪いを祓える。それでも漫画の読みすぎかと思えるくらい、非現実的な世界の話だった。
 流石に学生時代からの親友であっても、コンビを組んで、同じマンションに住み、休日も時々会うとなると、話すこともなくなってくる。しんと静まり返っている楽屋は別に居心地が悪いわけでもないが、ふと今朝の夢を思い出し、スマホで漫画を読んでいる傑にその話をする。

「最近、カッコいい技を使って化け物を倒す夢をよく見るんだよ」
「漫画の読みすぎだろう」
「今、漫画読んでるオマエに言われたくないんだけど。でもさ、常にアイマスクつけてんのはおかしくね?」
「この間、伊地知が用意したアイマスクにケチつけてたからじゃないか?」

 確かに伊地知が持って来たのは、ヘアバンドみたいな窮屈なアイマスクだったと思い出しながら、肘をついてダラけている傑を見ている。見てると妙に感慨深くなるのは何故なのか。いや、確実に夢の影響なんだろうが、本当に自分の身に降り掛かったような気分になる。そもそも傑は夢に出てきていないのに、何故そう思うんだろうか。暇潰しに夢占いでも見てみよう。
 レギュラー番組から深夜ラジオの生放送まで仕事を終えると、傑は「先輩に誘われたから飲みに行ってくるよ」とスタジオで別れた。俺は伊地知に自宅から少し離れた大通りで降ろしてもらう。その大通りから少し道を逸れると住宅街がある。俺の目的は小さな公園にある自動販売機だ。大学時代の知り合いが近辺に住んでおり、家に寄ったことがあるのだが、そこで販売されているおしるこは俺が知る限り、その自販機にしかない。この味が恋しくなった時、こうして目立たない深夜にやって来ている。
 ふと息を吐くと、マスク越しでもその息が白くなるほどの寒空の下、自分へのご褒美を求めて公園に向かい、数分歩いて辿り着く。
 小さな公園にはベンチだけがあり、その公園を照らすのは、出入口近くの街灯と自動販売機だけ。それに公園は住居で覆われている為、人がいるかどうかは公園前に行かなければ分からないのだが、こんな深夜に人がいたことはない。だからベンチに女が座っていることに気づいた時は悪霊の類か何かかと思った。いや、弱っちい霊は不気味に憑いているが、死ぬようなことはないし、関わらないのが一番だ。
 正体がバレて騒がれたら厄介だと思いながらも、一メートルほどの低いフェンス越しにぼやりと光る自販機のおしるこが目に入る。寒い中ここまで来たんだし、気にしなくていいかと公園内に入ると、彼女が顔を上げたのが見えた。顔はハッキリと見えないが、深夜の公園に女、この状況に既視感を覚えた。
 俺は帽子とマスクをしているし、気づかれないだろうとバッグから財布を取り出し、小銭を自販機に入れ、ボタンを押す。ピッと音の後、すぐにガコンと中で重い物が落ちる音がした。そして次に、ピピピピッというルーレットの音が公園内に響いた。ルーレット付きの自販機は時々使うが、当たったことなどない。気にせず取り出し口のプラスチックドアを開けると、いつもとは違う音が聞こえ、顔を上げて確認すると、七の数字が揃っていた。こんな時だが、滅多にないことで軽くテンションが上がった俺はスマホで写真を撮った。後で傑に見せよう。
 すぐにもう一本選ばなくてはならない、と俺は反射的におしるこを押す。再び音を立てておしるこが落ちてきた。同様に取り出し、二つの熱い缶を片手に持ちながら財布を仕舞う。
 公園を出ようと振り返った時、一瞬視界に映った女の服装が気になった。スウェット姿なのはハッキリと分かるが、足元に靴がなかったように見えた。それによく考えたら、この季節、この寒さでスウェット姿はおかしい。俺は再びそちらに目を向けると、彼女は膝を抱えるようにベンチに足を置き、座り直していた。スウェットの袖を伸ばして手を隠し、もこもことした厚手の靴下を穿いている足を擦り合わせている。やはりそこに靴はなく、可愛らしい靴下が土で汚れている。
 公園から出ようとしていた足が止まり、踵を返して彼女の元へ向かうと、彼女はすぐに気づいて顔を上げ、警戒していた。目が合い、ハッキリと顔が見えた時、ドクンと心臓が高鳴る。何故、自分が動揺したのかは分からないが、俺はその動揺を誤魔化すように、持っていたおしるこを一つ差し出す。

「……これ、良かったら」

 彼女は戸惑いながらもそれを受け取り、か細い声で礼を言った。唇が紫色になっているから、相当長い時間ここにいたのだろうと思いながら隣に座り、おしるこのプルタブに指を引っ掛けて開けると、軽く彼女の背後で手を振って霊を祓ってしまう。
 彼女は赤くなった指先で開けようとするが、なかなか開かない。鈍臭いと思いながら、今開けたばかりのおしるこを差し出し、彼女の手にある物と取り替える。

「す、すみません……」
「早く飲んだ方がいいよ」

 俺はマスクを顎にズラしてそれを飲むと、ホッと温まる。彼女も同様に一口飲むと、長く息を吐く。
 彼氏と痴話喧嘩でもして、勢いのまま家を出てきたとか?と憶測しながらベンチの背もたれに身を預け、彼女に訊ねる。

「こんな時間に何してんの」
「……家に、ストーカーがいて」
「は?」
「寝ようとしたら、クローゼットから物音がして……何かと思って開いたら、男がいて。襲われそうになったので、外に逃げて来たんです」
「は……?」

 理解が追いつかず、間抜けな声しか出ない。何故助けを呼ばないのか。何故公園ではなく交番へ行こうとしないのか。俺は理解出来ず、その答えを知ろうと、そのまま訊ねる。

「何で助けを呼ばなかったの?」
「スマホは置いてきたし、今は深夜二時だし、迷惑かなって……追われていなかったので、朝まで公園で過ごして、明るくなったら誰かに声を掛けようかなと、そう思って……」
「バカなの?迷惑とかそんなの関係ないだろ。叫ぶなりして助け呼べよ。しかも冬にパジャマで靴も履かずに朝までいるとか、無茶だろ」
「す、すみません、考えが足りなくて……」

 俺はアウターを脱いで彼女に被せる。わっ、と驚く声が聞こえたが、関係ない。そもそも深夜に公園にいること自体おかしい。そう思いながら警察に電話を掛ける。同時にスマホのマップを見ながら、ある程度の場所と公園の名前を伝えると、待機するようにと伝えられ、俺は電話を切ると、おしるこを最後まで飲み干した。足も寒そうだと、俺は靴を脱いで彼女の足元に置く。

「履いとけ」
「で、でも……」
「今、三時だぞ。一時間ここにいるってことでしょ。冷えてるだろ、足突っ込んどけ」
「ありがとう、ございます……」

 彼女は靴を履き、アウターをギュッと握り、丸くなっていた。やっぱり寒いんじゃん。

「何から何まで、すみません……」
「普段からこうなの?」
「いえ、今日はパニックになって……何故か公園に行こうと思ったんです。落ち着いて考えると、おかしいですよね」

 確かにおかしいと思いながらも、既視感があった。こんな場面に遭遇した記憶もないのに、不思議だ。

「……ストーカーは知ってる奴?」
「はい。同じマンションの、多分別の階に住んでいる人でした」
「そりゃ帰れないな。家知られてるんだから、引っ越した方がいい」
「そうですね……そうします」

 そんなことを話していると、パトカーがやって来て公園前の狭い通路に停まると、俺は立ち上がり、軽く挨拶する。

「どーも、通報した者です。話を聞いたら、ストーカーから逃げて来たみたいで」
「貴方は?」
「ただの通りすがりです。仕事終わりに歩いてて」

 そう話していると、運転席から降りて来た警官は俺を見て、もしかしてと声を上げる。

「五条 悟さんですか?」
「あー……まぁ、その辺はどうでも良くないですか?通報者も身分証とか必要?」
「ご協力お願い出来ますか?」

 運転免許証を取り出して警官に渡すと、もう一人は彼女に声を掛ける。彼女はゆっくりと俺に話したことを説明していた。名前や住所も聞いていたが、壱紀 涼華という彼女の名前はどこかで聞いたことがあるように感じた。
 警官から返してもらった運転免許証を財布に仕舞いながら、渡した上着には何も入ってなかったよな、とバッグやポケットに貴重品があることを確認する。

「では、パトカーで家までお送りします。五条さんは……」
「俺は歩いて帰るんで。靴だけ返して」
「す、すみません、ありがとうございました」

 彼女は慌てて靴を脱ぎ、渡したアウターも脱ごうとした為、それを止める。

「上着はいい。寒いし、着ときなよ」
「で、でも、」
「んじゃ、あとはよろしくお願いしまーす」

 そう靴を履いて、おしるこの空き缶を手に取ると、公園から出た。少し肌寒かったが、まぁ仕方がない。帰った後、何となく連絡先を貰っておけば良かったと感じた。
 その二週間後、またおしるこが恋しくなって、今度は家から公園へ向かう。更に寒くなってきたし、寒い中歩くのも面倒だ。今年のおしるこは終わりかと思っていると、公園に人影を見た。まさかと思って公園に入ると、マフラーやダウンジャケットを着込んだ彼女がそこに座っていて、何でまた深夜にいるんだと近づいていくと、彼女は俺に気づいて立ち上がる。

「こんばんは……」
「何してんの、こんな深夜に」
「先日のお礼をしたくて……待ってたら来るかもしれないと思って」

 そう、彼女は大小二つの紙袋をベンチに置いており、たまたま今日だけだったのか、毎日来てたのかと再び彼女に視線を戻す。

「もしかして、毎日来てたの?」
「ほぼ毎日、このくらいの時間に……あ、でも、一時間くらいで帰ってました」

 俺が危ないと言ったからだろう。本当に一時間だけだったのかも怪しいが、何事もなかったなら良い。そう、と言いながら、俺は財布を取り出しておしるこを買う。

「いる?」
「あ、もう飲んだので大丈夫です……ありがとうございます」

 よく見るとベンチにおしるこの缶が置いてある。今日のルーレットは外れてしまったな、とズレた数字を見ながら缶を開ける。

「俺が来るまでずっと待ち続けるつもりだった?」
「いえ……無事に引っ越し先が決まり、明日引っ越すので、来れるのは今日までだったんです。運が良かった」

 俺がベンチに座ると、彼女は小さい紙袋を取り、そこから箱を取り出してチラリと見せる。

「これ、焼き菓子の詰め合わせです。五条さんの口に合うといいんですけど……あと、上着もクリーニングしました。貸していただき、ありがとうございました」

 焼き菓子の詰め合わせを受け取り、見てみると賞味期限は二週間後だった。この焼き菓子専門店は俺も行ったことがあるが、どれもそれほど日持ちする物じゃない。最近買い直したんだろうと想像がつく。マメな人間だ。

「俺のこと知ってたの?」
「有名人ですから、何となく……あの後、警察の方に五条さんと会うなんてーって話をされた時に確信を持てました」
「個人情報ガバガバじゃん……」
「あ、その、待ち伏せみたいなことをしてすみません。それに、こんなお礼しか出来なくて……」

 下心もない、ただ純粋にお礼がしたいだけなんだろう。相手が俺じゃなかったら……そう思うと心がもやりとした。

「……本当それ。遅くなって翌日の収録にも響いたわ」
「す、すみませ、」
「だからさ、連絡先教えて」
「え?」
「今度、食事でも連れてってよ」
「は、はい……」

 彼女は戸惑いながらもスマホを取り出し、連絡先を交換する。慣れていなさそうなこの反応やパッと見たスマホのロック画面やホーム画面、メッセージのアイコンにも恋人がいる気配はない。女関係は仕事の邪魔になるし、面倒だと思っていたのに、彼女とは運命的なものを感じてしまう。別にめちゃくちゃ好みのタイプってわけでもないのに。

「……そんで、犯人は捕まったの?」
「二日後に。マンションから逃げていたようで、その間はホテルにいました」
「そ、なら良かったね」

 おしるこを飲み干すと、ふと息を吐き、長居しても良くないと立ち上がると、彼女もサッと立ち、二つの紙袋を手渡してくる。

「ジャケットは持って帰って。ちょっと大きいけど、着れるでしょ」
「そ、そんな!いただけません!」
「いーの。最近新しいの買ったし、持って帰るの面倒。彼氏とかいるんだったら、そいつにあげてもいいし、いらないなら売ってくれていい」
「わ、かりました……ありがとうございます」

 彼氏のことは否定しなかったけど、どうせいないし、いても俺に惚れるだろう。そう思いながら焼き菓子の紙袋だけを取る。その時ふと触れた手が冷え切っていることに気づく。

「すげぇ冷えてんじゃん。てか、家まで送ってく。三時だし」
「だ、大丈夫です!新居は前の家より近くなので……!」
「そっか、じゃあおやすみ。また連絡するわ」
「は、はい、おやすみなさい……」

 一緒に公園を出ると、彼女は俺の帰る方角とは逆だった為、その場で別れた。
 帰宅してシャワーを浴び、ベッドに入る。いつも通りのはずなのに、彼女と会ったというだけで、何だか今日はいい夢が見られそうな予感がした。

 そうして俺はまた、深い眠りの中でもう一人の俺≠フ夢を見る。






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