#15.笑って過ごせる、そんな世界
この世はマジで腐ってる。
あの冬の休日、イルミネーションを二人で見に行くまでは良かった。あの男が、夢の中でも涼華に苦痛と恐怖と死を与えた男が彼女の前に現れた。あのクソ野郎は暴行と猥褻で逮捕されたからまだいい。問題は野次馬だ。俺が一人にしなかったら、あんなことにはならなかったものの、たまたま居合わせた良識のある二人のカップルが動いてくれなければ、野次馬はあのまま、酔っ払いのクソ野郎が彼女を犯す所をスマホで撮影し続けていたのかと思うと吐き気がする。
俺が乗り込んで、警察沙汰になった所まで動画となってSNSに拡散されている。五条 悟が嫁を救った瞬間∞愛されてる≠ニ美談にする前に、それが映像として拡散されている異常性に気づけと苛立ちを覚えた。彼女の名前も、恐怖に満ちた顔もハッキリと映っている。旦那かっこよすぎるだろ∞嫁可愛い∞五条寝取られそうになってるじゃんw∞何で棒立ち?∞何か見せつけられてショック≠ニ俺よりもデリカシーのない輩が蔓延していた。SNSや生放送の場を借りて削除、拡散しないよう呼び掛けているが、効果はない。ただ風化するのを待つしかないのが腹立たしく、最近は彼女がそれを見かけて傷つかないか、心配でならない。
「彼女はどうだい?」
「落ち着いてるよ」
「じゃあ今は悟の方がダメージを受けているわけだ」
「……鈍臭いし、一人で外に出たら、必ず悪い物に憑かれる。守ってやらなきゃってなるのは当然でしょ」
「はは、君が誠実な男になるとは思っていなかったよ」
「誠実っていうのか?これ」
俺達はCM撮影の為、辺り一面、草原しかない場所へ来ているのだが、機材の準備が遅れたとのことで、ロケバスで待たされている。どんな完成になるのかは聞かされていないが、爽やか炭酸飲料のCMだから、何となく想像は出来る。
早く始まって、早く終わらないかと考えていると、傑は外の様子を見ながら訊ねてくる。
「君は前世を信じる?」
「ん?何、突然。ネタ?」
唐突すぎて、ネタ出ししてくれているのかと思ったが、傑はそうじゃない、と苦笑する。
「例の夢の話さ」
「あー、あれね。もう見てないよ」
「でも、確実に君の人格にも影響して来ていると思ってね」
口調が優しくなったとか、周りへの態度が良くなったとか言われるけれど、俺も大人だし、傑にばかり押し付けるのは違うと感じただけ。夢に影響されたかと言われれば……あるにはあるか。
「嫌だったりする?」
「そんなことはない、我が儘放題だった君が、少し大人になったのは良いことだよ。ただ、前世の記憶が今の君に引き継がれてるのかと思っただけ」
前世か。それも考えたことはあるけれど、前世と言ったら、この世にまた生まれ変わるということだろう。それとは全く違う。
「……前世とは違うんだよ。俺が考えてたのは、多元宇宙論、こことは違う別の世界があるって話。俺らは多少霊感がある程度だけど、俺が夢に見る世界では現代の呪術師で、霊ではなく呪いが蔓延る世界だ。それに、五条 悟であることに変わりない」
「でも結局、その世界の五条 悟の記憶が混じって、その夢は実際にあったことだって認識してるんだろう?」
「ま、それはそうかも」
実際、どこかの世界の五条 悟の人生が俺の一部になっているのは確かだ。涼華も別世界のあの男と会って取り乱していたし、何かしら繋がりを感じていたのかもしれない。俺の周りといえば、七海や灰原、夜蛾先生とは出会えていないが、きっとどこかにいて、元気にしてるはず。
「否定したいわけじゃないし、少しだけ夢の内容や、夢を見始めた時期については聞いているけど、夢を見る前から君は何となく感じてはいたんじゃないか?」
「そう?自覚はないな」
夢を見てから、気にかけるようにはなった。夢と同じようなことはしたくないとか、似ている状況になった時、後悔しない選択をしているはず。だから彼女のことを助けれたのだと思う。
すると傑は椅子に深く座り、ふと笑っては思い返すように話す。
「私は時々、既視感を覚える。特に学生時代はよくあった。夢の中でも私達は同じ学校に通う親友だったんだろう?だからか、君とは初対面の感じがしなかった。初対面から無礼だったしね」
「俺が特別、夢でハッキリと見ただけで、実は皆、ぼんやりと記憶があるってことか」
「そうかもね。君の理論も間違ってないのかもしれないけど、もっと根っこの部分で繋がっているのかもしれない」
「なるほどな。魂とかそういうスピリチュアルなことは嫌いじゃないよ、一理ある」
魂か、自分で言っていて腑に落ちた。同じ魂を持つのなら、同じ人間に惹かれてしまうのはあることなのかもしれない。実際、俺の周りには、俺が信頼している奴ばかりいる。
「……君だけが孤独なわけじゃない。彼女もきっと、君との繋がりを感じて出会ったのかもしれないしね。意識していないだけで」
「……それ、結婚式のスピーチで良かったんじゃね?」
「嫌だよ、頭のおかしい奴だと思われる」
「はぁ?それじゃあ俺が頭のおかしい奴みたいじゃん!」
「君は元々おかしい奴だよ」
すると、ロケバスの扉が開かれ、出番です、と伊地知が声を掛けてきた。見ると遠く離れた位置に撮影所がある。こんな遠くにロケバスを停めておく必要があるか?と思いながらも、車を降りる。俺達はそこに向かって歩き出すと、傑は俺の少し前を歩く。
「悲惨な死を遂げて後悔していたとしても、同じ魂を持つ今の私達が幸せだと感じるのであれば、その世界の私達は既に浮かばれているんじゃないかな」
「何で今、そんなことを?」
変な奴だ。節目の年でもあるまいし、傑がこんな小っ恥ずかしいことを言うのは珍しい。何かあったのか。
「C−1優勝の時、すごい泣いてて。たまたまその映像を観たんだ。優勝なんて簡単だって気持ちで挑んだのに、あの時ばかりは君の隣がこんなにも誇らしかったことはない」
「……え、何か不穏じゃね?オマエがそんなこと言うなんて。解散するとか言わないよな」
胸辺りがむず痒い。口ではそんな冗談を言っていたが、正直、嬉しい。傑と一緒に、いつでも笑って楽しむことが一番だと思って芸人を始めた。こんなことは言えないけど、別の俺が傑を殺した時、傑には心の底から笑っていてほしいと思ったんだ。
「解散する理由はないよ。ただ、」
少し照れくさそうに笑う傑を見ていると、ガクンと体がふらつき、一瞬の浮遊感を感じた。何かが割れ、俺の体は柔らかい物に受け止められる。思わず目を瞑っていたが、パッと目を開くと、スポンジが敷き詰められた穴に落ちていて、上から傑やカメラマン、スタッフ達が俺を見下ろしていた。
「君の気を逸らして、罠に嵌めてやりたかっただけさ」
古典的な落とし穴ドッキリだ。そう理解した時には、悔しさと可笑しさが入り混じった妙な感情になったが、砂まみれで動きづらいスポンジのプールの中でもがく俺を見て笑っている傑に、やはり悔しさが勝る。
「クソ前髪!ちょっと感動してたのに!出るの手伝えよ!」
俺は傑の真下へ行くと、地面に手を掛ける。傑は仕方がないな、と俺の手を掴んだその瞬間、腕を引いて穴へ落としてやる。綺麗に回転して落ちた。
「はっはっは!バーカ!」
「く、ははっ!絶対やると思った!落ちない自信、あったんだけどな」
可笑しそうに笑う傑に、俺の心が満たされていくのを感じた。
今思えば、傑や涼華と会った時、初めて会った気がしなかったな。きっとこれは運命的な出会いなんだ。今ではこうしていられるのが不思議なくらい、幸せだ。そうだろ?五条 悟。
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