#11.京都にて、
あれから半年の時が流れた。未だに五条さんとは連絡が取れていない。夏油さんに普段はどうか時々訊ねるくらいであり、元気かどうかは、いつもテレビを観れば分かる。
ただ、最近もやりとしたのは、五条ファンを公言していたグラビアアイドルで俳優の女性と五条さんとの熱愛が報じされたこと。熱愛というより、ホテルで密会と書かれていて、SNSでは『遂に五条が諦めたか』『一般人との同棲はどうなったの?』『やっぱ遊んでるんだな』と私のことまで覚えている人も多くいた。私が五条さんとあの家で過ごしたのは三週間ほどだけど、同棲という言葉に強い印象を受けるのだろう。それにしても短い夢だったなぁ、と私はスマホを置いてテレビを観る。本当に私が共に過ごしたのは、祓ったれ本舗の五条 悟だったのだろうか。テレビで輝く彼を見て、本物だったのかと疑ってしまうほどに幸せだったから、今の暮らしとの落差に落ち込む。テレビを消して、諦めの悪い自分を叱りながら眠りに就いた。
翌朝、母の従妹である親戚のおばさんが営む甘味処に出勤する。おばさんは元々趣味で練り切りを作っており、本格的に学びたいと本場の職人に教わっていたのだが、方向性の違いで辞めたらしい。聞いた時はバンドの解散理由か?と思っていたが、おばさんの練り切りを見て理解した。おばさんの練り切りはどれも、誰もが想像する練り切りとは違い、動物や花など、誰もが一目で分かる映えを意識したモチーフが多く、古き良き練り切りしか認めていなかった師匠とは合わなかったようだ。その為、ぎゃふんと言わせたいとおばさんは甘味処を開き、練り切りとお抹茶セット一本で何とか営業を続けている。
私が雇われる前は一人で店をしていた為、接客をしながらお茶を立てる為、お客さんを待たせてしまうらしい。しかし、私を雇ってから一日三十食限定を一日に五十食限定に増やした。元から雇えばいいのに、と言うと、気の知れた人じゃないと嫌だ、私の好みを分かってくれる人じゃないと嫌だと我が儘を言う。文句を言わず、ある程度料理も出来て、練り切りのアイディアも出す身内の私がピッタリなのだとか。私が辞めたらどうするんだろう。
そんな朝からキッチンで今日の練り切りを大量生産しているおばさんは、私が来るなり挨拶もなしに声を上げた。
「テレビが来るで!涼華ちゃん!」
「テレビ?」
「一日五十食限定の幻の日替わり練り切りって宣伝してくれるらしいで」
「えぇ、凄い!テレビ出たいって言ってましたもんね」
師匠や世間に認めさせるという意味では、おばさんの練り切りは時代に合わせて映えを意識している為、SNSで評判が良く、知名度もある。しかし、元師匠の店が何度もテレビ取材を受けている為、SNSよりもテレビにこだわりがあるそう。何はともあれ、目標に辿り着けたのは良かった。
「あれよ、アンタの元カレが来るって」
「も、元カレ?」
「五条 悟よ!京都でロケをやる言うてたよ」
名前を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。五条さんが、ロケでこの店に来る?私がこの店にいることを知ってて来るの?もしかして、夏油さんが教えた?偶然なのか、故意なのか、パニックになった。当日会うのは気まずすぎる。
「……おばさん、当日は休ませてもらっていいですか?」
「喧嘩別れか?」
「元々、お付き合いしていませんよ。でも、気まずいんです」
「分かった分かった、でもその日の営業だけは付き合ってな」
「それは勿論!よろしくお願いします。撮影日はいつですか?」
「来週やね。五条さんに出す練り切り、とびっきり可愛いハートにしてあげるわ」
「や、やめてください……」
「それか、練習してる練り切り、作ってあげたら?」
「い、いいですいいです……」
それから数日は何かの間違いであってくれ、と悩み続けながら働き、おばさんはロケ日に出す鮮やかな紅葉の練り切りとテレビ用に出すほんのり青みがかったハートに戯れている猫の練り切りを考えた。明らかに意識している。盛り付けや皿は私が考える為、気に入ってもらえなかったらと思うと緊張する。
当日、店を紹介する為にカメラマンやスタッフだけが事前に店の雰囲気を撮影し、並んでいる客、食後の客に取材をしていた。それらを一通り終えると、閉店後にロケ撮影のスタッフや五条さんを待つ間、撮影用に作った練り切りを撮影していく。それを終えると、私達は試作や撮影用のお抹茶や練り切りをスタッフに食べてもらった。本格的なお抹茶や練り切りを初めて食べるという人もおり、美味しいと言ってもらえて、おばさんは喜んでいた。すると「五条さん入ります!」と声が掛かり、遂に来るんだと私は裏口からお疲れ様でした、と逃げるように挨拶をして帰った。
撮影翌日、おばさんは興奮気味に「五条さんいい男やったわぁ!」といつの間にかファンになっており、何があったんだろうかと放送日を待っていた。
放送当日、私はテレビの前で番組を観た。五条さんは食レポが上手で、無類の甘い物好きということもあってか、京都で甘味処巡りをしているらしい。着物姿が様になっていて、道行く人が彼に釘付けになっていた。
あんみつや最中、大福、変化している和菓子を楽しむ様は、お笑い芸人のやることじゃない。ただ五条さんが上手な食レポをして、美味い!と言っている。まぁ、移動途中はちょけていたけれど。
「日替わりのお抹茶セットは、出される練り切りが毎回違うみたい。SNSで毎日、営業終わりに本日の練り切り≠ニ写真を投稿してるみたいなんだけど……すごいレパートリー」
そう、スタッフに用意されたスマホで練り切りを確認しており、これは技術と発想だなぁと感心していた。
「今回はロケ日である今日と放送翌日に提供される練り切りを特別にいただこうと思いまーす」
おばさんが出したのは、黄色と赤色のグラデーションがかかった紅葉の練り切り。ただ紅葉の練り切りがポツンと置かれているのではなく、細かな紅葉が山積みにされている練り切りをメインに、小さな紅葉が皿の上にはらりと散っている一品であり、彼はおぉ、と声を上げた。
「秋らしい紅葉が綺麗ですね。食べるのが勿体無いくらい……いや、食べるけどね」
いただきます、と半分に切って食べると、彼はうん、と頷く。
「中は香りの良い柚子あんですね。周りの白あんは上品な甘さと滑らかな口溶けが良い。つなぎが少ないんですかね?これだけ繊細な作りなのに、技術が素晴らしいですね」
「わ、分かります?五条さん舌が肥えていらっしゃるわぁ!」
おばさんは猫を被って少し上品に話をしていたものの、練り切りを褒められて気持ちが昂ったのか、いつもの調子に戻ってしまった。
意外だ、五条さんがこんなに褒めるなんて。私は正直、練り切りの口溶けの差は分からないが、おばさんがこだわり抜いているのは知っている。だからこそ、舌が肥えている五条さんに認められて嬉しいだろう。
「この放送の翌日に提供される練り切りは僕をイメージして作っていただいているようなので、そちらもお願いします」
出されたのは青いハートに戯れている猫の練り切り。中の青いあんがぼんやりと浮かび上がっており、シンプルながらも美しい練り切りだと思う。それに遊び心を加えた猫は可愛らしい。
「和菓子が現代に合わせた可愛らしいデザインに変化しているのは良いですね。先程の紅葉のような、定番で古風な色合いも素敵ですが、青も青でとても綺麗ですね。猫も可愛いな。この青はもしかして、僕の瞳の色?」
「五条さんのカラーが青色と聞きまして。メインになるハートは多くの人に愛される五条さんをイメージしました」
紳士のように振る舞う五条さんに呆気に取られるが、おばさんはかなり喜んでいる。彼は嬉しいですねと笑い、一口食べる。そしてその後も練り切りを褒めちぎり、美味しかったとカメラに笑顔を向け、ご馳走様でした。と店の宣伝をしてから店を去った。
何だか、いつもと違う五条さんを見た気がする。特におばさんの前では丁寧だった。練り切りが好きだったのだろうか。それにしても、おばさんが五条さんに惚れた理由が分かった気がした。
***
五条さんの出演した番組の影響で店は繁盛したが、長蛇の列を作られ、近所迷惑だ、景観が悪くなるとの苦情が入る事態となった。急遽、予約システムを導入して完全予約制にすると、おばさんはやりやすくなったと安心していた。
「涼華ちゃん、何があったかはおばちゃんには分からんけど、五条さんと話したら?予約のやり方も覚えたから、一人でも大丈夫やわ」
「……そう、ですか」
「いや、いたいならええんやで、助かるから!でも……」
そう言葉を詰まらせたおばさんに、私は顔を上げると、おばさんは練り切りを作る手を止めていた。何かを考えていたが、暫くの沈黙の後、やっと口を開いた。
「五条さん、撮影が終わった後、一人で働いてるんですか?って訊いてきよったんよ。涼華ちゃん、用事があるからって店終わったら帰ったよって言うたら、寂しそうにしてはったから」
「……そうですか」
「これ訊いたこと、内緒にしといてって言われたけど、おばちゃん、口軽いからなぁ」
そう言って笑うおばさんは、決して口が軽い人じゃない。私には五条さんを元カレと言って揶揄うけれど、他人に洩らしたことはない。きっと、五条さんにも私の話を持ち掛けなかったのだろう。だから向こうから訊いてきた。その話を聞いても、私は未だにどうしたらいいのか、分からない。
数日後、私は家入さんの紹介で知り合った庵さんと京都で飲んでいた。ほろ酔いで頭が働かなくなった頃、つい、五条さんが店にやって来たことを洩らすと、彼女は苦虫を噛み潰したように顔を歪ませた。
「本当、キッショいわね」
「何がですか?」
「未練タラタラって感じ。五条の記憶については、硝子から聞いてる。でも、アンタが離れてから半年も経ってる。なのに仕事とはいえ、店に行って、カッコつけて、涼華のことを聞こうとしてる。情けない男ね」
庵さんは五条さんをあまり好ましく思っていないようで、彼の話題が出る度にいい顔はしないが、相談はしたい。
「……連絡、取った方がいいのかなって」
「向こうからするべきよ。遠回りなことをして、アンタの気を引きたいだけ」
「そんなこと、しないと思いますけど」
「アイツはそんな奴だって、私は思ってるけどね」
私の脳裏には、グラビアアイドルで俳優の女性がチラつき、少し落ち込む。二人でホテルに入るということは、そういうことしかあり得ない。私を抱くことはなかったのに、あの人は抱くんだ。私はやはり女性としての魅力がなかったのだろうか。そう思うと、彼は夢に引きずられ、私と結ばれなくてはいけないと感じてしまっていたのだろうかと疑ってしまう。彼が夢を見なければ、私に興味を持ってくれなかったのだろうか。
「……女を泣かすなんて、やっぱり五条は最低ね」
「私が、浮かれていただけなんだと思います……すみません。もっと楽しい話、しましょう。庵さん、野球好きなんでしたっけ」
「えぇ、硝子から訊いたの?」
「はい。母が野球好きで、最近よく一緒に見てますよ」
「へぇ!いい趣味してるわね!どこのファンなの?」
「えぇと、確か、」
野球の話題に話を変えると、彼女は目を輝かせ、饒舌になった。とても可愛らしく、分かりやすい人だなと私もネガティブな感情は捨てて、庵さんとの時間を楽しんだ。
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