#7.狼達の誘拐





 誘拐されてしまった。
 スグルの人避けの呪いも悟くんに解いてもらった為、私はそろそろアルバイトでもして、生活費を稼がなければと思い、面接へ向かおうとしていた。大学から帰って来ると、スグルに声を掛けてから家を出てバスに乗ろうとした所、突然声を掛けられたのだ。

「壱紀 涼華様ですね」
「は、はい……」

 妙に格式高い着物を着た中年の男女が丁寧に頭を下げ、そこ中心にいた一番年配であろう男性が話す。

「我々は五条家の者です。悟様のご指示により、お迎えに上がりました」
「お、お迎え?」
「五条様は現在、急ぎ儀式の為、京都へ向かわれました。壱紀様にも参列していただきたいと」

 確かに彼らの雰囲気は悟くんに近いが、別の物もある。硝子ちゃんにも近いような……いや、分からない。でも悟くんは特別な存在だから、違って当たり前だとも感じ、彼らの言っていることが嘘とは言い切れない。

「あ、あの、明日でもいいですか」
「儀式は今夜、もう既に準備されています」
「わ、かりました……」

 スグルには冷蔵庫の物を食べてもらえばいいと思いながら、私は彼らについて行くことにした。案内された場所には車があり、私は大人しくそれに乗る。新幹線に乗り換え、私は五条家がある京都へと向かった。
 辿り着いた場所は山奥にある屋敷。ふと屋敷に入る前に見えた表札には、禪院と書かれており、私は騙されたのだと気づいた。それでも私に出来ることはない。ここは知らない京都の山奥であり、車を降りる時に、スマホを含め、荷物を丸ごと取られてしまった。なす術はない。
 縛るようなことはされず、私はある部屋に通される。そこには金髪の派手な見た目の男がおり、私は緊張で身を縮めると、彼は目を細めて笑う。

「君が悟君の恋人っちゅー壱紀 涼華ちゃん?」
「は、はい……」
「俺は禪院 直哉、よろしゅう」

 この禪院家ではとても偉い立場の人なのだろうか。他の人とは違い、とても偉そうに感じるし、歳も若い。やはり悟くんや硝子ちゃんと近い物を感じる。そして悪い人ではないとも思う。

「えぇと……これは、誘拐ですか?」
「そうやね、人質」
「ひ、人質……お、お金ですか?」
「金に困ってるように見えるんか」
「いえ、すみません……」

 私に価値などない。だとしたら、悟くんだろうか。そう思っていたが、意外な答えが返ってきた。

「狙いは夏油や。今、次期当主の座を争っとるとこなんやけど、夏油の首取ったら、その座につけると思っとるんよ」
「はぁ……その、夏油って誰ですか?」

 まさかスグルの方だなんて思わなかった。そう思いながら、私は知ったかぶりをすると、彼はふん、と馬鹿にするように鼻で笑った。

「俺らは半妖の一族なんよ。半分は狼……分かる?」
「だから悟くんとは違う、変な感じがするんですね……」
「はぁ、無知な人間は厄介やなぁ……俺らは鼻が効くってことや。君の全身にべったりと物の怪の匂いがこびりついとる」

 スグルの匂い、スグルの呪い、それらは全て、彼らに筒抜けなのだろう。自覚出来ないからこそ、嘘を吐いた時にバレる。私は何にも気付けないから、どうしようもない。

「守ろうとしたんか知らんけど、アイツは物の怪、百以上は人間を喰っとる。これから何人も殺して喰うんや、祓った方がええやろ」
「私は、スグルを信じてるんで……」
「スグル?」
「そう、呼んでます」

 スグル……傑は母が名付けた。ずっと私はそう呼んでいる。これからも夏油と呼ぶ気はない。無力な私は家族を、スグルをこの人達から守れるんだろうか。

「ふーん……ところで、俺のこと変な感じするって言うてたんは何?」
「何となく、その人が人間なのか、妖なのか、分かるんです。祓い屋の人も」
「見えてるってことか?」
「いえ、見えるじゃなく、感じるんです」
「……なるほどなぁ、それは見事な才能やと思うよ。いや、才能なんか、血が濃いんか……」

 悟くんからは何も聞いていない。普通ではないと感じてはいたが、この人達にとって、見分けがつくということは、いいことなのだろうか。

「……そこらの人間でその区別が出来る奴はいない。化てたり、術を使われてたら、見えてる奴でも人間と見分けがつかんくなる。近い親族が優秀な祓い屋やったんとちゃう?」
「……勉強になります」
「まだ夏油に動きはないし、今日は泊まっていき」
「……はい」

 彼が女中を呼ぶと、私は部屋まで案内される。広く立派な部屋、豪華な食事まで用意して持て成されているようだ。しかし部屋の外には常に見張りがいる。

「外の空気を吸いたくて……ここ、いいですか?」
「どうぞ」

 縁側に座り、庭を見る。目の前には登れそうにない高い塀があるが、灯籠や石などが置かれていて、それを使えば上がれそうではある。しかし、普段から運動するわけではない私が咄嗟にそれが出来るのかは分からない。でも今は無理だな、と部屋に戻り、ぼんやりと彼らのことを考えながら時間を潰していると、そこに女中が入って来る。

「寝支度の準備が整いましたので、どうぞ」

 私は促されるがまま風呂に入れられ、髪を丁寧に乾かし、梳かされ、浴衣を着させられた。寝室はこちらです、と別の部屋へ通され、私は辺りを見回す。見張りはおらず、裏戸がある。あれなら乗り越えられそうだ。しかしその先は夜の山なのでは、と考えながらも寝室へ入ると、そこには布団が二枚敷かれていた。どうして、と戸惑っていると、背後からスッと私の肩に触れる手があり、すぐに振り返ると、そこには直哉さんがいた。

「ウチの家はな、優秀な人材は引き入れてるんよ」
「は、はぁ……」
「優秀な遺伝子を残す。優秀な半妖が生まれ、妖や祓い屋界を統治するのがウチや」

 彼の言葉に、私は何を意味するのか理解し、彼から離れる。まさか、こんなことになるなんて思っていなかった。

「ま、待ってください、私は……っ!」
「悟君の匂いも、あの物の怪の匂いもある。君、かなり淫乱なんやね」
「ち、ちが、」
「俺に抱かれるくらい、ええんとちゃう?」
「っ!」

 私は寝室から飛び出し、裸足のまま裏戸から逃げる。その先はただ木々が生い茂る山であり、道もない。それでも、あの場所にいるよりマシだった。足に痛みが走り、恐怖もあったが、涙を堪えながら真っ暗な山を下りていく。すると大きな物が目の前に立ちはだかり、三メートルはあるんじゃないかと思うほど大きな狼がいた。確か禪院の一族は狼だと言っていた。私はもう追っ手が来てしまったのかと息を呑む。

「……こっちに来い」
「え……?」
「禪院から逃げてるんだろ、逃してやる」

 雰囲気は禪院家の人達と似ている。でも何かが違う。騙されるかもしれないが、今はこの人を頼るしかないと私に背を向けた彼について行く。

「背に乗れ」
「で、でも、」
「早くしろ」

 そっと跨いで身を屈めると、彼は地を蹴り、勢いよく走っていく。乗り心地は決して良くない。そもそも動物に乗ったこともない。私はギュッと目を瞑り、落ちないよう必死に彼にしがみついていた。
 やっと彼が立ち止まり、私は目を開くと、そこには山小屋があった。ここが目的地?と辺りを見回していると、狼の彼は立ち上がり、私は地面に落とされる。ぬっと立ち上がった彼はいつの間にか人の姿をしており、裸であった為、つい目を逸らす。

「は、裸……っ!」
「あ?狼が服着てたらおかしいだろうが」

 傑はいつも人の姿になる時は服を着ている。でも普通は彼のように裸になってしまうものなのかと戸惑っていると、彼は山小屋の扉を開いて入って行く。私は傷だらけの足で立ち上がり、そっと中を覗くと、先程は暗くてよく見えなかったが、狼だった彼は筋肉質の大きな身体をした男性であり、口元に傷がついていた。そんな彼はもう既に下着は身につけており、ホッとしていると、奥には彼によく似た少年がいた。

「入れ」
「お、お邪魔します」

 私は中へ入ると、彼はその辺に座る。私は恐らく親子であろう二人を交互に見ながら戸惑っていると、少年は濡れたタオルを私に差し出してきた。

「足、怪我してる」
「あ、ありがとう……」

 私は貰ったタオルでそっと汚れて切り傷だらけの足を拭く。これは皆に心配をかけてしまうなと思いながら、彼にも礼を言おうと顔を上げると、こちらをジッと見つめていた。

「オマエ、五条の坊の女だろ」
「そう、ですね……」
「ふん、高く売れそうだな」
「えっ!」

 この人もそんな考えなのか、と背筋が伸びる。それに少年は呆れたように息を吐く。

「五条さんにはすぐバレる」
「し、知り合いですか?」
「元は禪院だからな、顔見知りではある」

 この親子は悟くんの顔見知りで、少年の方に悪意はなさそうだ。彼も子供の前だし、そこまで本気で考えていないかもしれない。とにかく私が頼れるのは彼らしかいない。

「……あの、これからどうしたらいいんでしょう」
「直哉ならここに来るかもな」
「こ、困るんです!人質なんて、悟くんやスグルが、」
「それ、仕事として受け取っていいか?」
「お、お金持ってなくて……」
「五条の坊に払わせりゃいい」
「そんな、勝手に決められません」

 私の一存で決められることではないと首を横に振ると、急に二人はスッと背筋を伸ばし、ジッと私の背後にある玄関扉を見た。何かがいると察したのだろう。

「……そう言ってる間に囲まれてるぞ」
「……俺がやる」
「術覚えたてのガキに何が出来んだ、女と一緒にいろ」

 彼は立ち上がり、下着姿のまま出て行った。あんな格好で大丈夫なのかと思いながらも、気を紛らわそうと隣にいた少年に声を掛ける。

「こ、ここで暮らしてるの?」
「いや、家はもっと別の所にある。休みだから、訓練しに山に来た」
「訓練?」
「狼になる訓練」

 容姿は父親に似ているが、私が感じ取った雰囲気は直哉さんに近い。この差は何なのか、知識がない私には理解出来ない。

「お父さんみたいな狼になるの?」
「いや、俺は半妖で術師だから、親父みたいに狼が主体の人にはならない」
「……そっか」
「分かってないでしょ」
「ご、ごめん、難しい世界だね。私はただの人間だから……」

 子供に見透かされている。少し情けない。やはり悟くんやスグルといるのだから、この世界のことはちゃんと知っておくべきかもしれない。

「母さんも似たような感じ」
「そっか。君は半妖だから、お父さんは妖で、お母さんが人間なんだ」
「親父も半妖」
「じゃあクォーター……?それでも半妖って位置付けなんだね」
「親父の方の血が強いから」

 似てるしそうだろうなと思っていたが、それだけではないのだろう。それを見透かして、彼は救急箱を持って来ては、そこから絆創膏を取り出し、私に差し出してきながら説明する。

「半妖は妖術が使える人間って感じで、時には妖よりも強い存在になることがあるらしい。俺には術師の才能があるけど、狼になるのは難しい。けど、母さんが自由に選べるようにって、親父から狼になる方法を教えてもらってる……だからここにいる」
「へぇ、いいお母さんだね」
「親父はクソだけど」
「ふ、複雑だね……あぁ、お名前訊いてなかった。私は壱紀 涼華、よろしくね。絆創膏もありがとう」
「伏黒 恵、親父は甚爾」
「恵くんか、よろしくね」

 可愛くてしっかりした子だなぁ、と私は彼を撫でると、恵くんはムスッとしながら救急箱を仕舞った。

「……本当に五条さんの彼女?」
「え、そうだけど……」
「大変そう」
「はは、よく言われる」

 悟くんを知る人はよく言うことだ。歌姫さんも悟くんをよく思っていないようだけれど、私にとっては良い恋人だ。恵くんもこう言うのであれば、これからそんな一面が見えてくるのかと考えていた。
 すると玄関の扉が開いたかと思うと、甚爾さんが帰ってき、私の背筋は伸びる。

「だ、大丈夫でしたか?」
「直哉が直々に来たもんでな、話し合いで解決してやった」
「ほ、本当ですか?良かった……」

 本当に禪院家の人達とは立場が違うのだな、とホッとしていたが、彼はだが、と言葉を続けながら寝床に座る。

「条件がある。俺がオマエを預かるのは、明日の日暮れまでだ」
「え……?」
「禪院家に戻らなくてもいいが、ここで軟禁状態にすることが条件だ」
「い、意味ないじゃないですか!」
「禪院家で暴れるよりはマシだろ。誘拐されて丸一日経っても、オマエがここにいると気づかないなんざ、恋人としてもペットとしても最悪だろ」

 いや、普通に警察案件なのでは。妖や半妖には法が適応されないなんてことはないだろう。特に半妖は純粋な妖と違って見えているのだから。誰かが通報してくれれば良いのだけれど、と溜息を吐くと、恵くんは不満そうに眉を顰める。

「俺はそろそろ帰らなきゃ。学校三日も休んでられないんだけど。母さんも心配してる」
「いつものことだろ、それに今出て行ったら、禪院の監視付きで登校することになる。嫌だろ」

 それに更にムスッと頬を膨らませる恵くんに、私は申し訳なくなる。

「ご、ごめんね、恵くん」
「……アンタに謝られても」
「ま、三人で五条の坊やペットを待てばいい」

 俺は寝る、と適当に置かれていた掛け布団を被って寝る甚爾さんに、私はおやすみなさいと声を掛け、ふと息を吐く。それに恵くんはキッチリ掛け布団を畳んである自分の寝床を指す。

「ここで寝て」
「いいよ、私は起きてるから……」
「何かあったら親父は敏感だから起きるし、寝てても安全。それに、寝不足で何かあった時に動けなくなる方が危険でしょ」
「わ、分かりました……ありがとうございます……」

 仰る通りです、と私は大人しく寝床に入る。でも恵くんはどこで寝るんだろうか、と私はそそっと布団の端へ移動する。

「恵くん、一緒に寝る?」
「いい」

 そう言って彼は甚爾さんの掛け布団を剥いで、部屋の隅でそれに包まって眠った。狼とあって野生的だな、この親子は。と思いながら、私はおやすみなさい、と声を掛けて目を瞑った。
 少し、犬っぽい匂いがした。






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