#1.とある祓い屋の恋
俺の家は妖祓いの名家である。
妖は人に紛れて生きる者もいれば、ただ危害を加える為だけに存在する者、人の為になる者もいる。
本来の姿を目視出来る人間は少ないが、俺の眼は妖の姿は疎か、その正体、術の痕跡すら見逃さない。それに俺は他の祓い屋と違い、無駄にベタベタと札を貼ったりすることもなく、自前の妖力で祓える。それくらい力を持った存在ではあるが、あまり祓い屋や妖などに興味を持てなくなっていた。
東京の郊外、山深い場所で育った俺は社会勉強ということで、十五歳から都心に出て一人暮らしをしてきた。しかし俺はあまり社会に馴染めるような人間ではなかったようだ。
俺は完璧な人間だと言っていい。頭脳明晰、容姿端麗、凡人は存在すら知らない妖を祓う才能もあるし、実家は金持ち。何でも持っているからこそ、つまらない。
友達はいた。でもすぐに俺の元から去って行く。女もそう。見ているのはいつも顔。唯一、付き合いが長く、気が楽なのは、たまたま集まった面子で、つまらなさそうに酒を飲んでいた不良の家入 硝子だけだった。
「俺の何が悪いんだよ。あの女、俺のちんこをしゃぶるだけしゃぶって消えたんだけど。もしかして、俺の優秀遺伝子が欲しいだけのキショい女だった……?」
「昼間から下品な話をするな。ウザったい」
俺にこんな物言いをするのは彼女くらいで、俺の顔色を窺いながら話を合わせる奴よりも、何も気にしていない彼女といる方が気が楽だ。硝子も俺に気があるわけじゃないし、ただ友人として一緒にいるのが心地良い。
「なぁ、誰か紹介して」
「やだね」
「何で?硝子、友達多いじゃん」
「クズに私のいい友達を紹介したくないんだけど」
「じゃあよくない友達でいいよ」
「そういうとこ」
何が、と眉を顰めると、彼女はただ深い溜息を吐くだけだった。俺は悪くないじゃん。
「無自覚かもしれないけど、アンタは他人を見下してる。世間知らずの坊々で、他人に寄り添おうとしない。来る者拒まず、女の子コロコロ変えてる。ヤり捨てられたって子、何人もいるよ」
「は?捨ててねーし。彼女になった子、振ったことないからな。向こうが勝手に好きじゃないなら別れようとか言って来てんだよ。ヤり捨てられてんの、俺の方」
「興味ないなら最初から断りな」
「……でも彼女欲しいじゃん」
「寂しんぼかよ」
「硝子ちゃん、俺の彼女になる?」
「去勢するぞ」
「こわ」
恋って何だろう。そう言うと、思春期のガキかと笑われたことがある。他人のここが好き、と思えばそれは恋なのか。でも、俺はそれがあまりない。顔の好みはそれなりにあるけど、硝子の言う通り、他人を見下しているから、何も感じないのだろうか。
シロップやミルクを三つずつ入れたアイスコーヒーのストローに口をつけ、ぼんやりと食堂から外を眺めていると、何かしらに呪われている女が目に入る。彼女はふとこちらを見ては近づいてくる。俺が今までに関わったことのないような、薄化粧の地味な女。傍まで来たと思うと、俺に軽く会釈しながら、目の前に座る硝子に声を掛ける。
「硝子ちゃん、この間はありがとう。オススメしてくれた参考書、すごく良かった!」
「ん?あぁ、アレね。先輩に教えてもらったやつなんだよ。私の専門ではなかったけど、良かった」
俺をそっちのけで穏やかに話す二人。硝子の友達であろうその女は、呪いと同時に妖によるマーキングをされている。彼氏が束縛の強い妖なんだろうか。現代では、人間と妖が婚姻関係にあることは当たり前にある光景だ。人間側がそれを理解しているかは別だが。
「なぁ、彼氏いる?」
「……え?」
自分に言われたと気づいた彼女は顔を上げて俺を見る。薄化粧なのに結構可愛いと思っていれば、硝子はテーブルの下で俺の足を踏みつける。
「痛って」
「えぇと……いませんけど」
俺は彼女の腕を掴んで、そのマーキングと呪いを解く。硝子とは上手く付き合ってるのが不思議なくらい強い、人避けの呪いだ。
何故触れられているのかと不思議そうにしている彼女に、俺は探りを入れる。
「じゃあ、男友達とかいる?」
「いない、です。友達はそれほど多くはなくて」
「ふーん……」
「あの、五条 悟くんですよね」
「そうだけど、どっかで会った?」
「いえ、初対面です。有名だから知ってて……」
「コイツのことは放っておきな」
硝子は彼女の腕を掴んでいる手にチョップして叩き落とした。それに彼女は少し戸惑っていたが、再び会釈をして去って行った。そんな彼女の背を目で追っていると、硝子は再び足を蹴ってくる。
「あの子はいい友達だから、手を出すなよ」
「……なぁ、どうやって知り合った?」
「入学式の時にたまたま。学部が違うから、頻繁に会うような子じゃない。メッセージでやり取りする方が多い」
「なるほどなぁ」
「分かったら手を出すなよ」
「はいはい、二回も言わなくていいって」
別にもう会うことはないだろうし。そう思いながらも、改めてあの人避け呪いについて考えてしまう。友達が多くないというのも、あの強い呪いが原因なのかもしれない。ただ電波を介しては効果がないから、硝子とは上手くいってるんだろう。
翌日の昼、学食に向かうと、また同じ呪いを受けている彼女が食堂の隅に一人でいた。束縛するようなマーキングもセットだ。相手の気が知れないな、と俺は日替わり定食を持って彼女の所へ行く。
「どーも。いつも一人?」
「こ、こんにちは!私はいつも一人ですよ」
「へぇ……あ、気を張らなくていいよ。普通に話して」
「そう?ありがとう……私、存在感がないみたいで、友達がいないんだ。硝子ちゃん以外に初めて声掛けられたよ」
そう彼女は嬉しそうに笑う。そういえば名前を聞いてなかったな、と訊ねると、彼女は快く自己紹介してくれた。
「壱紀 涼華、同じ二年だよ。よろしくね」
こういう大人しめのタイプの子は、俺のことを警戒したり、避けることも多いイメージがある。しかし彼女は元々、人懐っこい性格なんだろう。なのに人避けされてるのは、少し不憫に思える。
スッと彼女の前で手を振ると、纏わりつくような呪いは消えた。呪った相手は彼女に執着している。だって昨日の今日だ。それにこれは呪詛師がやるような呪いではなく、束縛するかのような人避け呪いと、強い追跡術……つまりマーキングだ。タチの悪い妖のストーカーでもいるんだろう。
「何か周りで変なことない?」
「変なこと?」
「人から避けられ始めた時期とか」
「……昔からこうなの。私は変わり者だし、仕方ないかも」
「人と違うことを変わり者だって言ったら、俺も相当変わってるけど」
「人から好かれている変わり者と、人から好かれない変わり者がいるんだよ」
彼女の言い分だと、俺は前者で、自分は後者だと言いたいんだろうが、上辺だけの好意は嬉しくもない。
「……ごめん、良くないこと言っちゃった?」
「いや、そんなことねーけど。オマエは変なのに好かれて、人生損してるってだけ」
「どういう意味?」
「オマエはきっと、人から好かれる変わり者になれるってこと」
「なるほど?」
そう首を傾げる彼女を見て、俺は何故か気持ちが軽くなった。食事を終えた彼女は腕時計を見ては寂しそうに眉を下げると、じゃあね、と言って去って行く。彼女には、妖に魅入られる何かがあるのだろうか。
それからも人避けの呪いを掛けられている彼女を見かけるようになった。どこでどうマーキングされるのか、不思議でならない。あぁいう呪いを見ると目が疲れるし、気を取られる。だから、見かける度に声を掛けては解いてやっていた。
「あ、五条くん、こんにちは」
「なぁ、やっぱストーカー被害に遭ったりしてない?」
「え、してないよ?私を狙う人なんているかな」
「そう?可愛いから狙われると思うんだけど」
「へ?そ、そうかな……そんなこと、ないと思うんだけど」
彼女は照れ臭そうにへらりと笑った。それに胸がキュッと締まる。その初めての感覚に少し戸惑うが、彼女は俺の様子を気にしていなさそうに言葉を続ける。
「心配してくれてありがとう。前から思ってたけど、五条くんって結構優しいんだ。少し怖い話を聞いていたから、身構えちゃってた」
「怖い話?」
「その、女の子を取っ替え引っ換えしてるとか、悪い人達と連んでるとか」
「女はまぁ、来る者拒まずって感じだけど、最近は断ってる。それに俺、下戸だし。タバコも嫌い」
「ふふ、そうなんだ。結構意外……やっぱり見た目や噂で判断するの、良くないね。私もされたくないことなのに」
何で俺、言い訳みたいなことしてんの?というか、まただ。控えめに笑った彼女を見ていると、胸辺りが騒つく。笑った顔とか、話し方とか、素直に俺を理解してくれるとことか。彼女の細かい仕草が目についた。
「あのさ、」
「ん?」
「今度、一緒に出掛けない?」
「お出掛け?どこに?」
「あー……どこでもいい」
「何だ、どこか行きたいわけじゃないんだね」
変なの、と笑う彼女にむず痒くなる。女と行く場所のほとんどは家やホテル、もしくは近場のファミレスか。そういえば、デートらしいデートをしたことがない。何か俺って、マジでヤり目的とか多くない?それとも俺が興味なさすぎただけ?
自分の女運のなさに少し落ち込んでいると、彼女は首を傾げ、俺の顔を覗き込んでくる。
「五条くん?」
「出掛けたいってだけで、行きたい所なんてないから、オマエの好きな所でいいよ」
「……じゃあ、五条くんは何が好き?」
「あー……甘い物とか。勉強する時とか、頭回す為に食べてたら、結構好きになった」
「そうなんだ!私も甘い物好き。近くにパンケーキ専門店が出来たみたいで……良かったら、そこに行かない?一人で行くにはハードルが高くて」
初めて行くお洒落な店って緊張する、と困ったように笑う彼女に、やっぱり今まで相手にして来た奴らとは違う。
アイツらを幼稚だと感じることが多かった。平気で講義はサボるし、勉学を優先して付き合いが悪くなったら見限られる。何しに大学通ってんだよって話。俺の見た目だけを見てチヤホヤする人間は勝手に幻想抱いて、違ったら罵倒して消える。もしかしたら、彼女もそうかもしれない。期待をしすぎるのも良くない。
「私、明日はほぼ丸一日、大学にいて。明後日ならいけるんだけど……」
「じゃあ、明後日で」
「あっ、連絡先、教えておかなきゃね」
そう言ってメッセージアプリで連絡先を交換すると、彼女は次の講義出なきゃ、と去って行った。
彼女のメッセージアイコンはベッドで黒猫が丸くなって眠っている写真であり、何となく猫が好きなのかと思いながら、電源を落とした。
***
「おはよう、五条くん!」
デート当日、待ち合わせ場所には多くの人がいたが、すぐに彼女が分かった。俺の目に映る彼女はいつも呪われているから、よく目立つ。今日もまた呪いをつけてやって来た。笑顔でこちらに大きく手を振った彼女に、そんな大袈裟に振らなくても、と思いながら近づいていくと、少し驚いたように目を丸くした。何故驚くのかと思いながら目の前にやって来ると、挨拶をしながら、呪いをさっさと祓う。よく見ると彼女の右手のひらに擦り傷があり、それはまだ新しい傷だと分かった。
「怪我したの?」
「さっき男の人とぶつかって、転んじゃって……お尻、汚れてないかな?」
そう俺に背を向け、スカートの裾を払う彼女を見て、大丈夫と返事すると、彼女はホッとしていた。それより手のひらの傷は見ていて痛々しい。何とかしたい。
「服より手の傷をどうにかした方が良くない?」
「大した傷じゃないよ!一応、駅のトイレで傷は洗ったから。よくあることなんだ」
「よく怪我すんの?」
「存在感がないって、前に言ったの覚えてる?本当に昔からで、ぶつかったり、目の前に来てやっと存在に気づかれるってことが多くて。虐められてるのかなと思っていたけど、周りは悪気がないみたい。変だよね」
これは祓い屋が祓うべき妖だ。他人から無視されて、怪我をしているのに、それは自分がおかしいからだと納得して生きてきた。そんなの嫌だろ。俺だって、つまらない家業が嫌で、自由に生きようと家から出て来たってのに。彼女はただの人間だ。どうすることも出来ず、ただ孤独に過ごしている。
「……腹立ってきたわ」
「え?」
「怪我させた奴、腹が立つ」
「優しいね、五条くんは。でも大丈夫!早くパンケーキ食べに行こう」
そう彼女は目的のパンケーキ専門店に向かって歩き出す。しかし俺はどうしても彼女の手が気になってしまう。ふと、小さなドラッグストアが目に入り、俺は彼女の腕を掴むと、そこに引き摺って行く。
「え、どうしたの?」
「軟膏くらい買お」
「い、いいのに……」
俺は擦り傷に効く軟膏と大きめの絆創膏を買う。せめてお金は払わせてという彼女に、俺はいらない、と言いながら外で開封する。申し訳なさそうに傷口に軟膏を塗る彼女に、俺はふと息を吐く。
「そんな顔するより、お礼言ってくれた方が俺は嬉しいんだけど」
「あ、ありがとう!ごめんね、こういうの、何だか慣れてなくて……」
今まで、他人なんてどうでもいいと感じていた。人間も妖も、俺にとっては、触れるだけで死ぬ程度の弱いだけの存在、俺に媚び諂うだけの存在だ。彼女の呪いも目が疲れるからという理由で祓ってきたけれど、彼女には庇護欲を掻き立てられる。弱いけれど、それだけじゃない。特別な何かがある。
「……パンケーキ行こ。早く食べたくなってきた」
「そうだね、行こう」
彼女はもう着くから、と道案内するように俺の隣を歩いて行く。辿り着くと、店には多くの女子が列を作っていて、彼女はこんなにいるなんて、と戸惑っていた。
「やっぱりSNSで話題になったからかな。ごめんね、並ばせてしまうけど……」
「並ぶもんじゃないの?こういうのって。ラーメンに一時間以上並んだことあるし」
「そ、そうなんだ」
彼女はじゃあ並ぼう、と最後尾に行くと、俺も彼女の隣に立つ。ずっと行きたかったんだろうか、店を見てから、落ち着かないようで、そわそわしている。
「硝子とは出掛けないの?」
「うーん……自分からは誘わないかな。五条くんは友達とよく何処に行くの?」
「特別な所には行ってない。飯行ったり、家に行ったり、そんな感じ」
「そっか。五条くんは一人暮らし?」
「高校で上京して来た」
「私も一緒、どこの高校?」
話す内容は他愛もないこと。俺の事を知ろうとしてくれているのか、質問ばかりしてきて、俺はただ素直に答えていく。一つ答える度に彼女がまた一つ知れたと言わんばかりに笑顔を見せる。それが何か、嬉しい。
「二名様、あちらの席へどうぞ」
店員に声を掛けられ、やっと話が途切れる。それに彼女は喋りすぎた、と少し恥ずかしそうに席に着く。
「ごめんね、喋りすぎたかも……」
「いーよ、別に。嫌な話でもないし」
「つい、楽しくて」
彼女と会って、まだ全てを知るには短い時間だが、その言葉が本音であると実感出来る。
「……俺も楽しい」
そう呟くと彼女は嬉しそうに目を輝かせた後、照れ臭かったのか、俺から顔を隠すように店のメニューを見ていた。
あぁ、どうしよう。好きかもしれない。
恋愛ってもっと友達になって、お互いをよく知って、それから恋をして、恋人になっていくようなものなのかと勝手に想像していた。でも彼女はこの短期間で、今まで感じたことのない気持ちを俺に感じさせてくれる。これが恋じゃなかったら、何なんだ。
「五条くん、何食べる?」
「あー……これ。生クリームたっぷりなのがいいな」
「甘党だね。私はフルーツたっぷりのパンケーキにするよ」
俺達はそれぞれ注文して一息吐くと、彼女は話し過ぎたことを反省しているのか、大人しく膝に手を置いて黙っている。だったら俺が話を聞く番だな、と思いついたことを訊ねる。
「普段、何してんの?」
「インドア派だから、家で過ごすことが多いかな。料理とかお菓子作りが好きで、よく作る。あとはドラマも観るかな」
「お菓子は面倒だな、時間吸われる」
「確かにね、だからお菓子は週一くらいな。でも料理は毎日。最近はお昼サボって学食だけど」
「じゃあ、普段は弁当か」
「そうだよ。意外と第二校舎の三階にある休憩所には人がいなくて、そこで食べてる」
「あんま行かないな。学部違うし」
「だよね。五条くんのこと、噂には聞いていたけど、硝子ちゃんと会った時に初めて見たし」
「……会い辛いのに、最近会うよな」
あれだけ目立っていたら見逃さない。あの日から少しずつ見かけるようになっていたのは、生活に変化があったからか。それに彼女はうーん、と悩みながら唸り、一口水を飲む。
「私、少しでも人と交流したいと思って、サークルを見学していたんだけど……」
「だから彷徨いてたの?」
「うん。でも、なかなか上手くいかなくて」
「途中から入るの、ハードル高いでしょ」
「入学の時も見学でお料理サークル行ったら、馴染めなくて……今も無理かな」
そう彼女は息を吐き、落ち込んだ。それも人避けの影響だろう。そう考えていると、注文したパンケーキが運ばれて来る。それを一目見た瞬間、彼女の表情がパッと明るくなった。
「見た目で分かる、ふわふわさ……!真似出来るかな」
パンケーキで喜んでいるのもあるが、話を逸らしたようにも思える。暗い話題は好きじゃないんだろうが、全ては妖の呪いが原因だから、何とか見つけ出して祓うしかない。
彼女はパンケーキをスマホで撮っており、あとで硝子に自慢すると楽しそうに笑った。俺はナイフで切ったパンケーキを真ん中にそびえ立つ生クリームの山に付けて食べる。ふわふわしていたパンケーキは口の中で生クリームと一緒にしゅわっと溶けた。なかなか美味い。
美味しい美味しいと言いながら、俺達はパンケーキをペロリと平らげる。俺が会計をすると、彼女は頭をペコペコ下げながら礼を言った。ここまで申し訳なさそうに、そして嬉しそうにする女は見たことがない。
特に次の目的地について話していなかった為、俺達は何も言わずに駅に向かって歩いていると、彼女は隣にいる俺を見上げる。
「駅で解散する?」
そんな彼女の言葉に一瞬、思考が停止する。まさかパンケーキだけ食って解散のつもりだったのか、と俺が立ち止まると、彼女は首を傾げる。
この後のことを何も考えてなかったのかよ。だからって目的の店に行っただけで解散とか、淡白すぎない?俺はまだ一緒にいたいのに。
「……まだ、一緒にいたいんだけど」
「えっ」
俺の決死の言葉に、彼女は驚いたように目を丸くしたかと思うと、視線を落とす。ダメだったかもしれないと断られる覚悟をしていたが、彼女は「そ、それって……」と声を震わせる。
「ホテル、とか?」
「俺を何だと思ってんだよ。ヤリチンじゃねぇんだぞ」
俺は俯く彼女の頬を軽く抓って伸ばすと、ごめんなさい!と彼女は謝る。人は見た目や噂で判断しちゃいけないと言ってたくせに、噂を信じてるじゃねぇかと思いつつも、自分のこれまでの行為が浅はかだった為、自業自得だと息を吐き、抓っていた頬をそっと撫でた。
「大事にするって決めてる」
「へ……?」
つい言葉に出てしまうが、彼女の満更でもなさそうな反応に甘えて、気持ちに素直になる。
「俺と付き合って。大事にするから」
「わ、たし……」
戸惑う彼女に、俺はこんな道端で言うことじゃなかったかもしれないと気づく。すぐに彼女の頬から手を離すと、彼女は俺の手を握る。じわりと汗が滲んでいるのが分かる。
「私、初めてで……ずっと存在感がなくて、人に見つけてもらえなくて。でも、初めて五条くんが私を見つけてくれて。今日も私が手を振る前から、私を見てくれていた。それが、とても嬉しくて、すごく楽しくて……」
俺の手を握る力が強くなる。少し俯きながらも耳まで真っ赤にして話す彼女が、どうしようもなく愛おしく感じた。
「好き、です」
「お、俺も好き…………あ、俺、クソみたいな奴らとは縁切るし!前の女匂わすこともしないし、ちゃんと好きって言うし、毎日連絡するし、好きな物買ってあげるし、あと、」
「そ、そんな無理しなくていいよ?今の五条くんのままでいいから、ありがとう」
軽くパニックになった俺は、今まで振られた理由を次々と口にしていく。はにかんだ彼女を見て、自分がしてきたことを告白してどうすんだと冷静になり、手を繋ぎ直す。
「……今日は、もう少し一緒いよ」
「うん」
俺は彼女の手を引いて行く。でもどこに行こう、と歩いている間に駅に辿り着いてしまった。
「五条くん、どこに行くの?」
「……行きたいとこある?」
「どこでも楽しいから、五条くんの好きな所に」
そう言われても困る、と少し考える。デートといえば手近な所だと映画館、雰囲気がある所は水族館か?と俺は映画は時間が決まっている為、水族館にしようと決め、頷く。
「水族館とか、どう?」
「行きたい……!」
「じゃ、行こ」
俺達は改札を潜り、電車に乗って行く。席が空いていた為、彼女と隣り合って座る。すると「水族館か……」と静かに呟いた彼女の声からは嬉しさが滲みに出ていた。
まさか、今日付き合うことになるとは思わなかった。こうなったらますます彼女の呪いを、ストーカーの妖を何とかしなければ、と考える。
「……そういや、一人暮らしなんだよな?」
「うん。スグルもいるけどね」
「スグル……?」
弟かと一瞬思ったが、一人暮らしって言っていたし家族ではない?と考えていると、彼女はスマホを取り出し、写真フォルダからスグルを見せてきた。そこには一枚の黒猫の写真があった。
「可愛いでしょ、スグルって言うの」
「アイコンにしてたやつか」
「そうそう。昔から一緒で、私の家族」
そう優しい笑みを浮かべて、これとか可愛いの、とスグルの写真を見せてくるが、俺はすぐに理解した。コイツが妖、彼女をマーキングしている奴の正体だ。
化け猫や猫又が人や家に憑く事例は多く存在する。しかし毎日毎日、あれだけ強いマーキングをするようなことはない。大体、あぁいうマーキングをするのは、恋人やストーカーなど、人間に擬態して生きている妖。嫉妬や執着でやる奴も多いが、ペットが主人である人間に対して、人避けの呪いを掛けるのは珍しい。同族に対しては度々見かけるが、人間の女に対して他の人間を寄せ付けないのは、この猫には動物的知性ではなく人間的知性や欲があることになる。
「五条くん?どうしたの?」
「あー……その猫、見てみたい。会わせてくれない?」
「えっ、」
「家まで送るから。家の中までは嫌って言うなら、家の前に抱いて連れて来たっていい」
「そんなに猫好きだったの?」
「まぁ……そんなとこ」
「いいよ、スグルも喜ぶかも」
今まで家族だと思っていた猫が実は妖だったら、彼女はどう思うのだろう。悲しむのかな。でも、彼女の人生をめちゃくちゃにしているんだ、祓われたって仕方がない。ちゃんと事情を説明すれば分かってくれる。
俺達は最寄り駅に辿り着くと、手を繋いで水族館へ向かった。ここの水族館へは彼女も初めて来たようで、一人じゃ入りづらいからと笑っていた。
「綺麗だね。五条くんの目と同じ色してる」
「……そう」
「あ、ここはクラゲがいるよ。すごい……」
そう、幻想的に展示されているクラゲエリアで彼女は優しく微笑みながら、ゆらゆらと揺れているクラゲを見つめている。俺がその横顔を見つめていると、彼女はふとこちらを見る。
「五条くん、」
「なぁ、俺のことは悟って呼んで」
「……悟くん、クラゲは嫌い?」
「刺されたことあるから、嫌い」
「はは、私も刺されたことある。でも、見た目が可愛いから嫌いになれないな」
名前で呼んでほしくて試しに言ってみたら、素直に呼んでくれた。俺が名前を呼ぶと、彼女は少し恥ずかしそうに再び視線をクラゲからこちらに向ける。
「何?」
「……いい名前だと思って」
「本当?嬉しい。悟くんもいい名前」
他の人間には感じたことはない、不思議な感覚。他の女達と何が違うのかと考えてみたが、あまり分からない。第一印象は確かに可愛い顔つきだと思う程度だったが、気を掛けてから、どんどんと良い所しか見えなくて、好きだと自覚した瞬間、急にどんな仕草でも可愛く思えてくる。
「次、行こう?」
そう辿々しく俺の手を取ると、ゆっくりとその手を引いて次の場所へ移動する。彼女は純粋に水族館を楽しんでいて、魚の名前や解説を読んでは、水槽で泳ぐ魚を見ている。展示されている魚の解説を読むのは大事だけど、想像してた水族館デートと違う。何かもっと雰囲気があるもんだと思っていた。でも、真面目に魚と睨めっこしてる一生懸命さが可愛いからいいけど。
そうして歩いて行くと、ドーム状のペンギン水槽があり、彼女はそれに目を輝かせながら、俺の手をギュッと握った。
「飛んでるみたいで可愛い……」
「変な感じ。ビルの間を飛んでるみたいで」
都心の水族館。ビルの間を飛ぶように泳ぐペンギンがチラリとこちらを見ては、目の前をウロウロとしている。俺の力の影響か、あらゆる物事に敏感な動物に反応される。ペンギンにまで注目されるとは思わなかったけど。
「す、すごい。悟くんは好かれるね」
「あまりいいもんでもないよ」
しかしこの力がなければ、彼女とこうしていられなかったんだと考えると、なければ良かったとは思わない。そもそも、力のない自分の人生が考えられないというのもあるけれど。
水族館デートを終え、グッズショップへと向かうと、彼女は早速きょろきょろと辺りを見回していた。
「何か買う?」
「本当はぬいぐるみとか欲しいんだけど、スグルが戯れたり、引っ掻いたりするから買えなくて……」
「ふーん……じゃあマグカップは?これとかいいじゃん」
見つけたマグカップは泳ぐペンギンが描かれていて、色もシンプルで普段使いに良い。そう思って見本品を手に取ると、彼女は即決したのか、箱に入ったマグカップを取る。
「初デートの記念に買うよ」
「じゃあ俺も。お揃いにする」
「……!じゃあ私が二つ買う。今日のお礼」
「でも、」
「買わせて、お願い」
手にマグカップを既に二つ持っており、小動物かというくらいキラキラとした眼差しで俺を見てくる。これでは奢ることが悪いことみたいに思える。
「じゃあ買って」
「うん!大事に使うから」
そう彼女はレジへ向かい、袋を分けてもらっていた。一方的に何かをされることが好きではない人間なのかと考えながら、ペンギンのぬいぐるみを突く。
感情がないと言えば大袈裟かもしれないが、俺はそれほど感情の起伏が激しいわけではない。人と話す時には少し取り繕うこともあるが、基本は平坦だ。やろうと思えば何でも出来てしまうから、特に趣味があるわけでもない。いずれは家業を継ぐから、この生活を続けられるわけじゃない。だから何をしても、何を見ても、家業に直結する物でなければ、興味を惹かれないのかもしれない。
楽しいと感じる瞬間はあっという間だった。家を出れば、力以外の部分を見てもらえる。俺自身を好きになってもらえると思っていたのに、満たされない。次に見られるのは容姿で、何となく声を掛けられた連中といて、楽しかったこともあるけど、うんざりすることも多い。
誘われた飲み会で唯一、タダ酒の為に来た硝子とは気が合った。多分、俺に興味がなかったから新鮮だったのかも。もっと気が合う硝子みたいな友達が、いっぱい出来ると思ってたのに。
「悟くん、ぬいぐるみ欲しいの?」
考え事をしていると、隣から彼女が顔を覗いてきた。俺を好いてくれてるのに、いつかは離れなければならない。だから今だけでも楽しむべきなのかもしれない。
「何でもない。家まで送るから、行こう」
荷物を受け取り、手を繋いで家まで向かう。妖を祓うのは簡単だ。でも、彼女を人質にして襲い掛かって来たとしたら、簡単にはいかない。傷一つつけずに守らなければならないと考えていた。
彼女の自宅はマンションの三階にあり、もう既にその部屋から妖の気配が立ち込めていた。かなり強い気配に少しばかり緊張していると、彼女は玄関の扉を開く。
「ただいま、スグル」
彼女の声に応えるようにミャア、と声を上げ、とてとてと黒猫が居間から玄関に歩いてくる。彼女はそれを抱き抱えようとするが、それは俺を見て後退りする。
黒猫に見えるそれは、猫ではなかった。というのも、俺の予想では猫として生活しているのだから、化け猫やら猫又なのだと思っていた。しかし目の前にいるコイツは、相当力を溜め込んでいる妖狐だ。ずっと種族違いの猫に化けていられる理由も分かる。
「あれ、怖がってる?」
「……コイツは猫じゃない」
俺はそれに手を向け、本来の姿に戻す為の術を掛けると、それは苦しみ始める。骨や筋肉の形を変え、メリメリと音を立てて身体が膨れ上がっていく。それは居間まで逃げようとするが、俺はそれを追って進むと、徐々に巨大な黒狐へと変貌していく。唸り、苦しむそれを見て、彼女は慌てて俺の手を掴む。
「やめて!スグルが苦しんでる……!!」
「はぁ!?コイツは妖、いや物の怪だぞ!見ろ、猫じゃない!」
「知ってる、そんなのもう知ってる……!!」
彼女の言葉に俺は動揺する。知ってて飼っているのかと手を下ろすと、家具を押しのけ、部屋いっぱいに大きくなっていた奴の身体は縮み、人の姿へと変わる。袈裟を着た黒髪の男は荒く息を吐き、鋭い眼光で俺を睨みつけた。
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