後日談 幸福な終焉へ向けて。@
私はほとんど初めから傑を思い出していたが、傑は私と顔合わせをしても思い出せなかった。しかし、私がつけていたライラックの香りで彼は前世の記憶を取り戻した。
記憶のない、祓ったれ本舗の夏油 傑とは過ごせない。そう思った私はずっと彼を拒んでいたが、前世の記憶がある傑とならば幸せになれるのではないか、そう思い直し、私達は生まれ変わって再び恋人になった。
前世でも私達は同等の存在とは思えなかったが、今よりはマシだ。傑は今や前世の記憶を取り戻している五条 悟と二人で祓ったれ本舗というコンビで芸人をやっていて、売れに売れている人気芸人。そのネタが面白いのは勿論、ルックスが良ければ、傑は特に愛想が良く、ファンサービスも丁寧だ。だからか、所謂ガチ恋≠オている女性も多いようで。私達の交際が表沙汰になれば、それはそれは私へのヘイトが集まるだろうし、女性ファンも減るのではないか、と言われている。だから、とても肩身が狭い。だから傑とはなるべく外出をせず、私が彼に会いに行くことが多くなっていた。
「ごめんね、ずっと傍にいたいけど、これからのことを考えると、芸人も続けたくて……」
「はは、呪詛師よりかマシだよ。時々、人目につかない場所で会おう」
それは今までと変わらない、そう思っていたが、傑は違っているようで。前世の記憶を取り戻してから、いや、取り戻す前からずっと私に会いたがっていた。そんなに寂しいのだろうか。そう思うと傑が少し可愛らしく思える。
「マネージャーは潔高なんでしょ?彼にストレス溜めさせないようにね」
「分かってるよ……ただ、前世では君とずっと一緒にいたからね。今、少し寂しいんだ」
そう言って彼は私を抱きしめる。甘えてきた傑に、やっぱり可愛い人だなぁ、と思いながら、背中をトントンと優しく叩いた。
「愛してるよ、私はずっと待ってるから」
「君を幸せにするには、まだ金がいる……余生を過ごす為の家を建てて、そこでずっと君と暮らしたい。毎日、おかえりと言って出迎えてほしい」
「お金お金って、もう少し、芸人であることを楽しんだら?悟と昔を懐かしんでさ。少なくとも悟は楽しんでる」
「そうだね、楽しいことは楽しいよ。だからもっと仕事がしたいとも思う。君と過ごす時間が減ってしまうが……」
「私は我慢出来るよ?テレビで傑のこと見てるから」
「あぁ、君に見守られてると思いながら、頑張るよ」
「……ねぇ、傑は私のどこを好きになった?」
彼の体温を感じながら、唐突にそう訊きたくなったのだ。キッカケがあるんじゃないか、と思っていたが、彼はうーん、と唸るだけだった。
「覚えてない?」
「そうじゃない。でも、いつの間にか君に惹かれていたんだ。それで、君が欲しくなった」
彼は優しく囁いて、私に顔を上げさせると、頬に唇を落とした。何だか擽ったい。
「不満?」
「いや……私も、同じかも」
「ふふ、私に誑された?」
「そうだね。でも好きじゃないって、思い込もうとしてた。誰にでも優しくして、でも時々意地悪で、一緒にいると楽しくて。きっと傑は誰にでもそうで、私が特別なわけではないと思ってた」
「ただ私は、君の前でカッコつけたかっただけなんだけどね」
「はは、知ってる。今なら分かる」
下ろした彼の髪を撫でると、傑は堪えきれなさそうにキスをし、ソファに私を押し倒した。
「この世界でなら、今の私なら、君を幸せに出来るよ」
「前世も、あれはあれで幸せだった」
「閉じ込められて、縛られるのが幸せだった?」
「どんな状況でも、好きな人といれた。幸せだったよ」
「君は私を喜ばせるのが上手いね」
大きな手が私の頬を包み込み、再びキスをした。今度は脳を溶かすような、熱く深いキスだ。やっと離れたかと思うと、彼の熱い視線とぶつかった。私は彼の首に腕を回して抱きしめる。傑はそんな私の身体を持ち上げては、そのままベッドへ連れ込んだ。何も言わずとも分かる。前世での出来事を思い出しながら、私のその幸せに浸っていた。
***
傑が前世を思い出してから、数ヶ月が経った頃、私は傑、悟と共に飲みに行くことになった。隠れて会う以上、こんな機会もあまりないのだろうな、と待ち合わせしている店へと入る。
私が一番最初に入店した為、個室へ案内された。すぐ彼らに席の場所を教える為、メッセージを送る。暫くするとそこへ悟がやって来たことに驚いた。いつも遅刻する悟が珍しい。
「よっ、今すげー失礼なこと考えたろ」
「何も?」
「許される範囲で遅刻すんの、俺は」
「だから何も言ってない……傑は?」
「傑は完全に遅刻。今日は俺ら、別々の収録があってさ、傑の現場もちょーっと遠いわけ。だから遅れてんだと思う」
悟は何食べようかな、とメニューを開き、気になった物を注文していく。久々に会ったというのにマイペースだな。まぁ連絡は取り合っているし、私はテレビで見ているから、久々のような気はしないが。
「芸人、楽しい?」
「まぁね。傑もそれなりに楽しんでんじゃない?でも、ずーっと手料理が食べたいだの、可愛いだの、惚気るようになった。ねちっこいねちっこい」
傑がまだ私にカッコつけたいと思っているんだろう、とは理解していたが、悟と二人の時はあの澄ました顔が緩んでいるんだろうか。少し見てみたい気もする。
「言っとくけど、オマエが思ってるより綺麗なもんじゃねぇから。おっぱいの下に黒子が出来てるとか、寝てる時に頬を突くと、無意識に笑ってるとか……」
「……聞くんじゃなかった」
「だろ?」
どっちも自分じゃ気づかなかったこと。傑は私より私のことを知っているような気がするけど、絶対私には言わないことだな、と感じた。
そんな話をしながら届いた料理を食べていると、私達三人のメッセージグループに通知が来る。すぐに傑だと分かり、私達はメッセージを開くと、そこには『撮影が押してしまって、今からそちらに向かう』とあった。
「確かこの店、二、三時までだったよな。来れてもここにいれんのは三十分くらいだ」
「えー……じゃあ、店変える?」
「そうだな……別の個室あるとこもなぁ、もう宅飲みでいんじゃね?」
「確かに。私もいつも傑の家行ってるし」
「ピザでも食おうぜ」
そう悟はメッセージを送った。私もそれを見ながら、悟が注文した物を食べる。
「食べたら出ようか」
「何で来た?タクシー?」
「普通に車で。今日、私は飲まないつもりで来たから」
「じゃあ乗せて。俺、タクシーで来たから」
そうして私達は会計をして、まずはコンビニへ向かおうと車に乗り込む。悟は助手席に座った。
「んじゃ、運転よろしくー」
「はいはい」
そうして私達は世間話をしながら、車を走らせた。近くのコンビニで悟はスイーツばかり買っており、私はお酒を飲みたいが、どうしようかな、と悩んでいた。
「傑のとこ泊まればよくね?俺らはバラバラにマンション入ればいーっしょ。俺は今から歩いて帰る」
「じゃあそうしようか。夜道、気をつけてね」
「誰に言ってんだよ」
悟にお酒やらつまみやらを奢ってもらい、荷物は私が車で持って行くことにした。その場で一旦は悟と別れ、私は車で悟と傑の住むマンションへ向かう。それにしても、同じマンションに住むとは……やはり仲が良い。
暫くマンションの駐車場で待っていると、悟から『もう入って来ていいよ』と部屋番号を教えてもらい、ロックされているマンションの玄関先を開けてもらうと、悟の部屋へと向かった。悟は出迎えてくれると、中へ入って行く。
「お邪魔しまーす……」
「ピザ、注文したわ。食うでしょ?」
「あ、うん」
意外と部屋は綺麗にしてるんだなぁ、なんて思いながら、私は買い物袋をテーブルに置き、洗面所で手を洗う。
「傑は時間掛かりそう?」
「かもね。俺と二人は嫌?」
「嫌じゃないよ?ただ、傑が嫉妬するだろうなぁ、と」
彼はそういう人、と思っていると、インターホンが鳴る。ピザにしては早い、と思っていると、悟は玄関に向かい、扉を開いた。
「オマエ、早くね?」
「そうかな」
「そんな早いなら店行けたんじゃねーの」
そんな会話が聞こえ、傑がもう帰って来たのだと分かった。玄関先からリビングにやって来た二人。傑は私を見るなり、にこりと笑って、手に持っていた紙袋を差し出してきた。
「遅くなってごめんね。差し入れを貰ったから、食べようか」
「何?これ」
「チーズケーキだよ。美味しいんだって」
「チーズケーキとか……どうせ共演者の女から貰ったんだろ」
そう言いながらも興味深々に箱を開けている悟に、傑はそうだよ、と肯定しながら座る。
「断るのも失礼だしね。ありがく受け取ってるよ」
「でも、傑ってチーズケーキ好きだっけ」
「ケーキの中では好きかな。私の好みは君が一番知ってるだろう?」
傑は隣に置いていた私の手を握りながら、ニコニコと笑う。それに反して、悟は綺麗に整った顔を歪ませる。まるで変顔だ。
「オエー!やめろよ、目の前でイチャイチャすんの」
「いいだろう、別に。悟に迷惑は掛けてない」
「高専の時はそんなんじゃなかっただろ」
「それはそうだよ。私達はずっと一緒に暮らしていたんだから。結婚までした」
「結婚ねぇ」
「今回は籍を入れようね」
握った私の左手薬指に唇を落とす。悟はむず痒い、と唸りながら傑が持って帰ってきたチーズケーキを食べていた。でもまぁ、悟の言いたいことは少し分かる気がする。いつもと違う友人を見るのは、私でもむず痒い気持ちにはなる。
「二人がやってたスーツのCMはむず痒くなったから、何となく分かる」
「あー、あれ」
「すごいカッコ良かったから、笑ったよね」
「カッコいいのに何が面白いんだよ」
「いや、そんなイメージないから」
「カッコいい俺がカッコいいことして何が悪いんだよ」
だって、最強の呪術師と最悪の呪詛師が芸人をして、カッコつけてスーツのCMしてるんだもん。それは絵になるが、前世も今も知る私からすれば、それは平和で、何より面白いと感じてしまう。
「悪いことではないよ。いつも見ない二人がただ面白いってだけ」
私が酒を飲みながらそう話せば、彼らはふと笑った。きっと私だけじゃない、この世界で過ごす時間はきっと、彼らにとっても幸せだと感じることなんだろう。お酒を飲みながらそんなことを話していれば、私は少し物足りなさを感じた。
「硝子は、元気かな。建人、雄、夜蛾先生、美々子と菜々子に、他の家族も」
「七海は新橋で見かけたけどな」
「えっ!」
「普通にスーツ着て歩いてたし、サラリーマンか何かだろ。前世でも一回、呪術師辞めて働いてたくらいだし」
「そっか……」
「呪いが生まれない世界だ、きっと平和的に暮らしてるさ。私達が良い例だ」
「また会えたらいいんだけど……」
「そうだね。でも私達のように割り切れる人間ばかりではないかもしれない」
「それもそうだね……」
そうだろうと思って、悟は傑の記憶を取り戻させないようにいたのかもしれない。だったら、静かに平和な世界で暮らすのが良いのかも。
「それに、思い出したとしてもオマエみたいに俺らに会いに来る奴なんていないでしょ」
「ま、まぁ、そうかもね」
私は傑が覚えていてくれたなら、と思って会いに行ったが、皆は確信もないまま会いに行くのはどうだろうと悩むだろうな。特に悟と傑だし。硝子はいないが、高専時代を思い出しながら、私達は楽しく飲んだ。他愛のない話がただただ心地良かった。
少し酔ってしまった私は傑の部屋へと泊まることになり、悟と別れると、彼の部屋へ上がった。
「お風呂、入るよね」
「シャワーで十分だよ。酔ってるし」
「そうだね、ふふ、一緒に入る?」
「今日はそんな気分じゃないから、パス」
傑は残念、と言いながら私にバスタオルと、泊まる時用に置いている私のパジャマを差し出して来た。礼を言いながらそれを受け取り、シャワーを浴びた。
それからはまるで我が家のように、ベッドへ倒れ込む。傑の香りに包まれるのは心地が良い。交代で傑がシャワーを浴びている間、ずっと布団に包まっており、ずっとうとうとしていた。傑が上がって来ても、私の眠気が覚めることはなく、何か話している傑に唸るような返事しか出来なかった。
「ふ、おやすみ」
まるであの日々の延長線のように、私達は眠った。
翌日、目が覚めると、傑は私の胸にピッタリと顔を埋めて眠っていた。逃すまいと背中に回された腕の力は強く、眠っているとは思えない。
「傑、おはよう。起きて」
「ん……もう少し」
「甘えんぼ」
「好きだろう?」
自覚してやっているのだからあざとい。でもかなり眠ってしまったし、トイレにも行きたい。私はギュッと彼の首に腕を回して絞めると、傑は痛い痛い、と呟きながら、ギブアップと私の背を叩く。やっと離れた彼は不満そうに私の裾を引っ張っている。
「朝ご飯作るから、傑は寝てていいよ」
「いや、起きるよ」
私達はベッドから出ると、洗面所に並んで歯を磨く。まだ眠そうな傑は髪が鬱陶しそうで、私は洗面所に置いてある髪ゴムを取ると、上に手を伸ばしながら軽く結んでやる。普段、休みの日はのんびりと過ごしているんだろうな、と思いながら口を濯いでキッチンへ向かう。数回来ただけだが、傑が私の手料理が食べたいと、調理器具を一通り揃えた。昔、自炊をしていたのは美々子と菜々子の為だったりしたのだろうか。
「んん……」
眠そうに唸りながら背後から抱きついてくる傑に、動きづらいな、と思いながらもスルーして朝食を作る。昨日は結構飲んでいたから、その影響で余計に甘えんぼになってるのかも。
「君と悟は仲が良いね」
「えっ」
唐突なその言葉にただただ驚いた。今言うことかとも思ったが、昨日、二人でいたことに対しての嫉妬心もあるのだろう。
「普通に友達でしょ?そんなことで嫉妬してたら、身がもたないよ」
「……やっぱり、閉じ込めたいかも」
「怖い怖い」
「昔から思っていたけど、君は嫉妬しないんだね」
「傑が誰かと結婚して幸せな生活を送っていたなら、嫉妬したんじゃないかな。そこにいたのは、私だったかも……とか。初めに、傑の熱愛報道見た時に思ったかな」
「その時だけ?」
「うん。だって今の傑は、私のことを一途に思ってくれてるから。他の人と間違いなんてないと思ってるよ」
「それじゃあまるで、私が君を信頼してないみたいだね」
「そうだよ?傑は私を信頼してよ。私には傑だけだよ」
それが嬉しかったのか、彼はふふふ、と笑いながら私の肩に顔を埋める。あれだけ長い時を過ごしたのに、まだ嫉妬するんだなぁ、と私は感じたが、傑のように嫉妬するのが普通なのだろう。昔、傑に片想いしていた頃は、嫉妬というより、落ち込むことの方が大きかったような気がする。あと、傑がモテすぎて、誰か一人に嫉妬するということもなかった。
「はいはい、朝食出来たから、持って行くよ」
私はトーストを皿に乗せ、ダイニングテーブルに持っていく。傑がやっと私から離れて、向かいの席に着き、一緒に食べ始める。彼は頬杖をつきながら、幸せそうに笑って私を見た。
「私も、君だけなんだ」
「……うん」
何だか照れ臭くなった。私から言った言葉だったが、言われるとこうも恥ずかしいのか。彼の愛は重くて、嫉妬深くて、言葉にしなければと常々思っていた。でもその言葉は、前世から考えて十年ほど続く関係とは思えないほど、甘ったるいもので。
「何か……私達、バカップルだね?」
「そうかな?」
「……悟の気持ちがよーく分かった」
流石にこんなやり取りを彼の前ではしないが、悟が呆れる気持ちも分かる。たった今、自覚して恥ずかしくなった。
そんな私達の平和で甘ったるいやりとりで傑に安心を与えたのも束の間、数日後、週刊誌と共にネット記事で悟の熱愛報道が出た。
ざっくりとした内容は『五条 悟、一般人女性と自宅でお泊まりデート。何度もマンションを出入りしていたとみられる女性で、時間差でマンションに入って行った』というもの。コンビニからついて来ていたようで、悟とコンビニに入って行く様子や、買った物を車に詰める写真があり、顔にモザイクがかかっているとはいえ、状況的にも絶対に私だと分かる。これは、悟が傑に殺される。
たまたまゴシップ好きの同僚が『また五条くんに熱愛報道出てる!』とネット記事に反応して、休憩中の私達に話したのがキッカケでそれを知った。そもそも同僚達にこれが私だとバレたら洒落にならない。
「大丈夫?顔色悪いけど」
「もしかして、五条くんのファンだった?」
「そうじゃないんだけど……昨日飲んだからかなぁ」
笑って誤魔化していると、スマホの画面がパッと着信画面に変わり、同時に震える。悟からの着信だと分かり、私は同僚に軽く挨拶をして出て行き、電話を取りながら、トイレに向かう。
『弁護して』
「……言いたいことは分かる。でも、どうしようもなくない?」
『そーだけどさぁ、傑、すっげぇ落ち込んでる。あと、ぶつぶつと結婚するとか言ってるけど』
「あはは……傑に代わってくれる?」
『傑ー、ほら話せよ。仕事出来ねぇじゃん』
悟に面倒を見られている傑も珍しいような気がする。すると傑に電話が代わり、元気がないのか、拗ねているのか、声に覇気がない。
『何で私じゃなくて悟なんだ……』
「運が悪かったんだよ」
『早く公表したい、君は私の物だと世間に知らしめて、閉じ込めてしまいたい……』
『怖ぇよ』
背後で悟が傑の言葉に突っ込むが、私からしたらいつものことだな、と思ってしまう。
「世間にどう思われていようが、いいじゃない。事実は本人が知ってるんだから、問題ないと私は思うけど。浮気してるわけじゃないって傑も分かってるでしょ?」
『分かってるよ、悪いのはこれを撮って、記事にした猿共だ……』
「何かしちゃダメだよ」
『分かってるよ』
するとトイレに人が入って来、私はまずい、と話を終わらせる。
「じゃあ、もう切るね。仕事、頑張って」
『君も』
名残惜しそうな彼の声を最後に電話を切ると、トイレから出て、傑は独占欲が強いな、と思いながら同僚達の元へ戻る。すると、私に気づいた一人が私を見て声を上げる。
「もしかして彼氏?」
「うん、何というか……独占欲が強くて」
「へぇー、付き合ったのって最近?」
「うーん……どうなんだろう」
今世では知り合って間もないけど、前世を考えると長い付き合いがある。どう返事していいものか、と思いながら答える。
「知り合って長いけど、一時期会ってなくて……再会して付き合った、みたいな感じかな」
「いいなぁ、でも束縛激しいのはちょっと」
「行動制限されるの嫌じゃない?」
「生活に支障があるのは困るけど……今は気にならないかなぁ、怒るわけでもないし」
「拗ねるとか?」
「そうだね、拗ねたり落ち込む」
「毎回はやだなぁ」
それが祓ったれ本舗の夏油 傑だと分かった瞬間、皆はどう思うのだろうか。絶対言いたくないし、バレたくはないが……そんなことを思いながら、同僚と休憩時間を過ごした。
その日の夜。傑から会いたいとメッセージが送られて来たが、残業で家に行くのは難しいし、また撮られるのは嫌だから、暫くはやめておこう、と返信をする。それ以降、傑から返信がなく、逆に怖いな、と思いながらも、スーパーで買い物をして帰宅した。
アパートの自室がある階に辿り着き、ふと廊下を見ると、自室の前に髪を下ろし、マスクと眼鏡を掛けた傑の姿があり、私は一瞬、頭が真っ白になった。廊下から辺りを見渡し、人がいないことを確認すると、黙って部屋の鍵を開けて、傑を部屋へ押し込んだ。
「言ってくれればいいのに……!」
「撮られるのを怖がって、嫌がるかと思って。どうしても会いたかったんだ」
「だからって、家の前で待ってるなんて……!」
肌寒くなってきた季節。もう空気も冷たくなっている夜に外で待っていたなんて。彼の手を握ると、やはり冷えていて、何か温かい飲み物を、と部屋に上がろうとした時、彼は私の手を引いて、抱きしめた。
「す、」
「すまない、困らせると分かっていたが、どうしても君に会いたくて」
「私も会いたかったけど、」
「君しか、いないんだ」
これは、とても根深い依存。私だって、傑しかいない。なのに何故、彼はこれほどまで不安に駆られてしまうのだろうか。
「……傑、怒ってないよ。困ってもない。でも、身体が冷えてる。風邪を引いてしまう。連絡さえくれれば、もう少し早く帰れるようにしたのに」
「優しいね、君は」
「夕飯食べた?」
「まだ」
「じゃあ、今から作るから食べよう。その前に珈琲を淹れるから」
「ありがとう」
前世で彼はプロポーズの時でさえ、初めに私を突っぱねるようなことを言っていたが、今世は真逆だ。傑の不安を取り除くには結婚しかないのかなぁ、などと思いながら、彼に珈琲を淹れたのだった。
***
私が前世を思い出した時、彼女はこう言った。
『私の最期は幸せだったよ。傑の隣で死ねたんだ』
この言葉を聞いた時、私は何て酷い男なんだ、と思った。私が死んだ後、すぐに彼女も死んだ。きっと、私達の処理は悟がしたんだろうが、それでも私はあの百鬼夜行で思ったことがある。
私は純愛などという綺麗な言葉を口には出来ないと。私の愛は貪欲で、私しか頼れないと思わせたり、家族となって、見捨てさせないように縛りつけた。その結果、彼女は私に依存した。私が彼女を手放したくないという一心で、意図的に行ったのだ。それを、純愛と呼べるのか?そこまで縛っておきながら、私は彼女への愛や幸せよりも大義を選び、そして死んだ。彼女を道連れにして。
「夏油さん、今日はよろしくお願いします」
そんなことを考えていると、楽屋に乙骨がやって来た。彼に恨みなどはないが、今は余計に彼が羨ましい。私も彼女は悟の恋人ではなく、私の恋人であると公表したいものだ。
「よろしく、乙骨君。すまないね、私達が挨拶に出向くつもりだったんだけど、」
「いえ、そんな……この間、夏油さんにはお世話になったので、持って来たんですよ。オススメのジャスミンのリードディフューザーなんですけど……あ、五条さんにはお菓子の詰め合わせを」
「あぁ!占いの時に言ってたやつか、わざわざありがとう。良かったらこれ、持って行ってくれ。甘い物が苦手じゃないといいんだけど」
差し入れに、彼女がオススメだと言ったギモーヴを持って行こうと思っていた。それを渡すと、紙袋を覗いて、にこりと笑う。
「お洒落な入れ物ですね!里香ちゃんが好きかも……」
「君の彼女?」
「はい。ずっと、付き合ってるんです」
彼は嬉しそうに左手の薬指にある指輪を撫でる。それはそれは幸せそうに。これが純愛。私にはない、綺麗な愛情。
「羨ましいよ」
「えっ」
「私は君みたいに恋人を愛せないから」
「僕みたいにっていうのは分からないですけど、この間の占い、夏油さんは真剣に聞いていたじゃないですか。誰かを想うことに、あまり大差はないと思いますけど。少なくとも、僕は夏油さんにとって、その人は大事なんだろうなって……」
「……私に恋人がいるってことは、内緒にしておいてね」
「あ、はい!分かりました」
彼は五条さんが不在ですけど、失礼します、と帰って行く。彼が出て行った後、ふと息を吐き、ぼんやりと差し入れの中身を見ていた。
「早く、結婚したいな……」
そう思っているのは、自分だけかもしれない。私は彼女が逆の立場なら、例え彼女が記憶を失っていたとしても、前世のように引き留めて、愛していた。でも彼女は違う。前世の記憶がない私から身を引いた。もう愛なんてないみたいに。もし、彼女を閉じ込めて、自分だけが幸せだと感じるようなことがあれば、彼女が不幸だと感じたなら、どこかへ消えてしまうのではないか、そう考えずにはいられない。自由を手に入れた彼女は、もう私を必要としないのではないか。私には、君しかいないのに。
「傑ー!さっき、憂太とすれ違ったんだけどさー……って、何でこの世の終わりみたいな顔してんの?」
「私が振られたら、この世の終わりだと思っていてくれ」
「呪詛師の部分、出てきてんじゃん。ウケる。憂太に何か言われた?」
「私は早く彼女と結婚したい……世間に公表して、逃げられないように囲いたい……そうすれば、」
「あー、はいはい。何回も聞いたわ、それ。とにかくオマエは、アイツと一緒にいなきゃ落ち着かないんだろ。だったら、結婚して家建てて、マンション買って、とかじゃなくて、まずは傑の家で同棲すればよくね?」
「それもそうか……」
「公表は避けつつ、一緒に暮らせる。いーじゃん。籍を入れるか入れないかの差」
「そうする、そうしよう。いっそバレてもいい……」
「人気なんてどーでもいいじゃん。俺達は芸人、アイドルじゃないんだし。俺は漫才出来りゃいいよ」
すると悟は、バレた時のネタがあんだけどさぁ!と明るく話し始め、彼はいつから私のメンタルケアを始めたんだ、と思いながら、その話に乗った。
***
「え、同棲?」
事の次第を彼女に話すと、驚いたように、目を丸くした。彼女のことだから、すぐに承諾してくれると思っていた為、彼女の反応にこちらも驚いた。
「嫌だった?」
「嫌じゃないよ。ただ、結婚じゃなくて同棲から始めるんだなぁと思って」
「結婚は少し先になるし、事務所的にも公表しない方針でいきたいらしい。でもずっと一緒にいたいんだ。君が家にいて、おかえりと言って、食事を出してくれる。唯一、君といる時間だけが、前世で幸せだったんだ。今も、」
「わ、分かった分かった」
必死すぎただろうか。手を握り、訴えかけると、彼女は頬を紅潮させ、私から目を逸らした。その反応から、少なくとも良く思ってくれていると感じて、嬉しくなる。
「引っ越しはいつがいい?手続きはいるよね、荷物はどれを持っていく?あの部屋、悟が借りたいと言い出して、私も同じマンションにしたんだけど、私には広すぎてね、持て余していて」
「確かに、殺風景だもんね。荷物、まとめておくよ。いらない家具は処分しておくし……」
彼女はどうしようかな、と考えており、私は今か今かと待ち侘びていた。
それから一ヶ月後、家具や家電はいらない、と自身の荷物だけ持って来た。引っ越し業者に頼んで、バレるのを避けたんだろうな、と思いながら、荷解きの手伝いをした。その中に気になる物があった。それは彼女のアルバムで、家族写真が目立っていた。
「君の家族、初めて見たよ」
「ん?あぁ、そうだね。これが私の家族……前世と違うんだけどね。大切な両親だよ」
昔、彼女から自身の両親の話を聞いたことはなかった。私も話をすることはなかった為、互いに黙っていたのだろう。しかし、彼女の両親は存命であっただろうし、彼女が眠ってしまったことも、呪詛師になったことも、死んでしまったことも、全て知っていたかもしれない。私が全て奪ってしまった。
「傑の家族は、同じ人?」
「違う人だよ。最初は芸人になることを反対されてたんだけどね、売れてからはもう手の平返しさ」
「はは、テレビで見ない日はないもんね」
「ずっと続けばいいけどね」
私はそう話しながらアルバムを捲っていくと、学生時代の写真などが多く出てきた。その中に、男と二人で写っているのが目についた。
「この人は?」
「あー……元カレ」
「へぇ、」
「もう連絡も取ってないからね?写真も残ってたか……確認してなかった」
当たり前だ。私と出会っていないし、最初から前世の記憶があったわけでもない。当たり前だが、最初から私だけのものではない。
「気に入らないのがあれば捨てて」
顔に嫉妬が出ていただろうか。普通はここまで束縛が激しいと、誰でも嫌な顔をするだろう。けれど彼女は優しく笑って、アルバムを私に預けた。
「……私のは捨てられないね」
「はは、雑誌もネットにまで広がってるからね。私はそんなに独占欲があるわけじゃないからいいよ」
「それはそれで寂しいな、嫉妬してほしい」
「努力する」
でも、こんなに溺愛していたら、彼女は浮気の心配なんてすることはないんだろう。それはそれで喜ばしいことだ。
「でもこれからはずっと君は私のものだからね」
「はいはい。早く終わらせて、ご飯食べよう?」
これから私達の生活が始まるかと思うと、私はますます彼女を幸せにしなければ、という気持ちにさせられた。あとは、いつプロポーズするかだな、と既に購入してある指輪を渡すタイミングを考えていた。
***
同棲を始めてからの傑は、毎日機嫌良く帰って来たり、出迎えてくれたりする。美々子と菜々子はいないものの、前世の幸せだと感じた時期を思い出させるような傑との時間は幸せだった。しかし、一つだけ困ったことがある。
「私、**の記者なんですけど、少しお時間いただいてよろしいですか?」
「すみません……」
マンション近くで張っている記者に声を掛けられることが多くなっている。ネットでは相手が悟だと言われているが、傑は同棲を始めたからか、余裕があるようで気にしていないようだ。でも私の顔は割れてるし、出入りしている時にでも聞きたいのだろう。傑は良くても、私はいつもいつものことでストレスになるから嫌になる。
「はぁ……」
「おかえり。どうしたの?」
傑より早めに帰宅する予定だったのに、部屋から声が聞こえたことに驚いた。
「ただいま……いや、雑誌記者が家の前にいて」
「あぁ、また声を掛けられた?ごめんね」
「傑が謝ることじゃないよ。ただ、面倒だなって」
「……そうだね。ねぇ、今日は私が料理をしたんだ。よかったら食べてくれないか」
「め、珍しい……!嬉しい、食べるよ!」
確かに良い匂いがする、と部屋へ上がると、ダイニングテーブルに餃子が置かれていた。
「昔、一緒に作ったからね」
「そっか、そうだったね……」
「スープも今、温めてる」
「ありがとう、着替えてくるね」
記者は面倒くさいけど、家に帰れば、カッコいい彼氏がいてくれるもんなぁ、私は恵まれてる。今世は皆が傑に憧れてる。いや、前世でも傑はモテていたけど。そんなことを思いながら、着替えて出ていくと、傑が食事を準備し終えたところだった。
「餃子、いいね、いただきます!」
「いただきます」
早速食べ始める。すごく美味しい。私のレシピだけど、傑が作ったというだけでこうも違うものか、なんて付き合いたてのカップルのような思考に少し恥ずかしくなった。
「美味しいよ、傑」
「良かった。ふふ、私は少しお酒でも飲もうかな」
「いいんじゃない?明日は休みでしょ?」
「あぁ、君もね。いる?」
「私はいいや。あ、後で悟にアップルパイのお裾分けを持って行かなきゃ……」
「冷蔵庫のはそれか」
「ふふ、何か高専時代の学生寮を思い出すね」
「全くだ。君が来るまで……いや、最近も時々来るが、突然、部屋にやって来ては映画観たり、ネタ合わせしたり、騒がしいよ」
「いいことだね」
「あぁ……本当に」
懐かしむように笑う彼に、私は心から笑えているんだなぁと感じた。まるで青春しているような、そんな気分になった。すると、傑はそうだった、と思い出したように隣の椅子に置いていた旅館のパンフレットを差し出して来た。
「明日、出発だよ」
「えっ」
「この間行った旅館が良くてね、君と行きたいと思ってたんだ」
「い、いきなり…….」
「ふふ、昔を思い出すだろう?今回は曰く付きの旅館じゃないから安心して」
「それなら、準備しなきゃ」
「よろしく頼むよ」
「もー、自分のは自分でやって?」
「分かったよ」
内心、とても嬉しかった。二人でどこも行けないのは少し寂しかったから。今世でも私達が会えるのは家の中だけなのかと思っていた。
その日は早めに寝ることにした。ほんのり酔っている傑は、先にベッドに入っている私の隣に倒れるように寝る。
「お酒くさい」
「君も飲めばよかったのに」
「私は翌日に響くから」
そう話していると、彼は大きな手で私の頬を包んだ。私が目を開けると、甘えるようにキスをしてくる。
「ん、ダメだよ、傑。明日は早いんだから」
「君を感じさせて」
そう言って私を抱きしめた傑はすぐに寝息を立て始めた。動きづらいなぁ、と思いながら、私は目を瞑り、眠った。
翌日は早めに起きると、傑が全て用意してくれたルートで旅館へと向かう。その道中、私達はずっと手を繋いでいた。変装はしているが、もう隠すことはないのだろうか。私は辺りを見回して怯えていたが、彼は強く私の手を握り、安心させてくれた。
「緊張してしまって……」
「大丈夫だよ。バレたっていいさ。そんなに固まってちゃ、不自然だ」
「そうだね」
私は深呼吸をして、心を落ち着かせた。すると、駅のホームで、聞き覚えのある声が響く。
「やったー!東京!」
「菜々子、騒ぎすぎ」
「美々子も来たかったでしょ?」
私達はハッとして、そちらを見ると、成長した美々子と菜々子がそこにいた。彼女達の姿に思わず目頭が熱くなった。
「ね、まずは何探す?」
「初めてのバイト代は父さんとお母さんの為に使うって決めたでしょ?あまり、無駄遣いしないようにしないと」
「そうだったね、えーと、父さんはネクタイで、母さんにはバッグ!東京ならお洒落なのが売ってるはず!」
私は思わず声を掛けようとした。しかし、傑は私の手を引いて止める。
「もう、彼女達に私達は必要ないみたいだ。寂しいけど……やめておこう」
「……そう、だね」
会話の内容から察するに、良い家庭の下で育ったのだろう。前世とは違う、彼女達は自由だ。きっと苦しかったであろう前世を思い出す方が酷だ。
「……元気でね」
名残惜しかったが、彼女達の背に別れを告げて、新幹線へ乗り込んだ。
そうして、傑がいなければ泊まることはなかっただろう、というくらい高級な老舗旅館に辿り着くと、私達は外に出ることなく、ゆったりと寛いだ。温泉に浸かり、普段の疲れが一気に吹き飛んだ。
「あー!幸せー!」
特別な時間、この解放感に少しテンションが上がってしまったのか、無性に甘えたい気分になった。座椅子に座ってスマホを弄っている傑の膝に跨って座る。そんな私の行動に驚いたのか、傑は目を丸くしたが、すぐ笑顔になる。
「ふふ、珍しいね。君が甘えてくるなんて」
「今日は、特別でしょ?」
「特別じゃなくても、甘えていいんだよ?」
そっと私の腰を撫で、引き寄せると、キスをしてくれた。それは激しさを増し、唇だけじゃなく、首筋に強く吸い付き、そこに痕を残す。
「浴衣姿だと目立つね」
「もう……」
「ねぇ、ここの中庭がすごく綺麗なんだ、見に行かないか?」
「行きたい、けど大丈夫?」
「大丈夫だよ。今日は特別だからね」
私は立ち上がり下駄を履くと、傑は私に羽織を持って来てくれ、肩に掛けてくれる。そうして私は傑に連れられ、中庭へ向かう。そこには証明に照らされた日本庭園があり、風情のあるその景色に感動した。
「すごく綺麗……」
「だろう?少し歩こう」
人は少なからずいたが、私達に気づくほどでもなく、程よく暗いその場所では外ではあるが、気持ちが楽だった。暫く歩いていると、途中に休憩所があり、傑はそこに座るよう私を促す。大人しくそこに座ると、彼は私の前に跪いた。この光景は見たことがある。まさか、と私は彼を見つめる。それに応えるように、彼は私の手を取る。
「また私と共に生きてくれるかい?」
それが何を意味するか、すぐに理解出来た。ただ嬉しくて、彼の優しい笑みに、言葉が詰まった。
「……もちろん。今度はきっと、前世よりも、もっと幸福な終焉を迎えれると思うから」
「あぁ、必ず幸せにする。もう窮屈な思いなんてさせない。愛してる」
傑はどこからか取り出した指輪を私の左薬指に嵌める。今回は私の分だけで、その婚約指輪にはダイヤモンドが輝いている。嬉しくて、嬉しくて、じわりと視界が揺らぐ。
「私も、愛してる」
泣いているのが恥ずかしく思え、誤魔化そうとするが、声が震えてしまった。それに気づいた傑はふと笑って私を抱きしめた。
私達は暫く、その景色を眺めながら過ごす。美々子と菜々子はまた、今世で結ばれたと知れば、喜んでくれるだろうか。そんなことを思いながら、ただ今は、この幸せを感じていたい、と私は彼に寄り掛かった。
***
「ふふん、見て!」
コンビニ帰り、マンションのエントランスでバッタリと悟に会い、私は自慢げに婚約指輪を見せる。それにもうウンザリだ、というように彼は眉を顰めた。
「何回目だよ……」
「分かんないけど、まだ自慢したい」
「それが結婚指輪に変わっても同じことすんだろ?やめろ」
「だって、ちゃんと自慢出来るの悟くらいしかいないんだもん」
「でも、これからはもっと自慢出来るようになるぞ。次の番組の生放送で傑の結婚発表すんの。しかも今度、入籍すんでしょ?そのタイミングで苗字が夏油に変わったら、会社の奴に相手を言ったも同然だろ」
隠すことがなくなるというのは良いことだろうが、根掘り葉掘り聞かれるんだろうなぁと思うと、相当疲れるだろうな。その中には二人のファンもいるだろうし。
私達はエレベーターに乗って上がっていく。
「あ、俺の連絡先とか訊かれても断っとけよ。絶対面倒だし」
「分かってるよ。というか、苗字は変えないよ、旧姓のままで仕事しようかと思ってるし」
「マジ?それ、傑に言った?」
「言ってないけど……」
「相談した方がいいって、これからは夏油って名乗ってくれるんだよー!とかヘラヘラしてたし」
「う……っ」
それは可愛らしい願いというか、何というか。確かに独占欲の強い彼からすれば、名乗ってほしいと思うのは当たり前か。
「じゃあ、新姓にします……」
「チョロすぎんだろ」
「だって、また拗ねられても困るし……色々準備しておかなきゃ。じゃあね」
「ん」
悟と別れると、私は夜に食べるコンビニスイーツも買えたし、と部屋に戻ったのだった。
数日後、私達は互いの両親に挨拶をしに向かう。傑は緊張する様子もなく、両親に丁寧に挨拶をしていた。私はそこで初めて、婚約したことも告げた。そして相手が夏油 傑だということも。両親はただただ驚いていて、でも嬉しそうに泣いていた。前世での両親も、喜ばせてあげたかった。と少し思ってしまった。
「娘さんは、必ず幸せにします」
その決意も篭った言葉に、私は必ず彼と幸せになろうと、感じた。その後、私は傑の両親と会い、緊張しながらも、それなりに挨拶をした。
「私は傑さんと、幸せになりたいです。互いに支え合って生きたいんです」
私の言葉に、良かったね、と幸せそうに笑った傑の両親に、傑は子供っぽい笑顔を見せた。それが何よりも印象的だった。
そうしてその日、私達は入籍した。
役所の担当の人は動揺していたが、おめでとうございます、と笑顔を向けてくれた。傑は幸せそうに笑って、これで、夫婦だね、と繋いだ私の手にキスを落とすと、私は恥ずかしいでしょ、と手を引っ張って避けた。
そんなことが丸一日で行われ、帰宅した頃にはクタクタで、そのままソファに倒れてしまった。
「うぅ……疲れた」
「お疲れ様。君は明日、休みだろう?私は生放送がある。結婚発表するから、しっかり見てて」
「ん、分かった」
今日は余り物のカレーでいいか、と温めて食べると、二人でゆっくり夜を過ごした。
翌日。
私は彼が出演する番組を緊張しながら観ていた。いつも通りに番組は進行していき、最後に時間を取ってもらい、祓ったれ本舗からのお知らせ、という軽い形で彼らは話し始める。
『えー、以前から話題になっている悟との熱愛が報道された一般女性というのは誤りでありまして』
『そうそう。ちゃーんとハッキリと分かったことだけ記事にしてほしいよなぁ』
『その一般人女性は、私の恋人であり、同棲している女性で、私事でございますが、昨日、入籍をして結婚しました』
それに出演者達は驚きの声を上げながらも、拍手をする。それに悟はケラケラと笑う。
『その報道が出た時、ウケたわー傑が落ち込みすぎて』
『え、それって、同じマンションだから起きたってことですか?』
司会者が困惑したように傑に尋ねると、彼は頷く。
『そうなんですよ。三人で飲み会に行こうとなったんですけど、私が遅れてしまって。仕方なくコンビニでお酒を買って、宅飲みをしよう、彼女が家に……というのが真実でして』
『オマエ、落ち込んで、泣きながら彼女に電話してたよな』
『泣いてないし、電話をしたのは悟だろう?』
『それはいつくらいからのお付き合いですか?』
『交際を始めて一年くらいですかね。でももっと昔から親交はあった為、早めの結婚を選びました』
本当は独占欲から、など言えるはずもない。彼は穏やかに時々嘘を交えながらも答えていった。時折、それを隣で楽しそうにツッコミを入れる悟も悟で、その場は笑いに包まれていた。
『もっと訊いてみたいですが、それは裏で!本日はここまでです、ありがとうございました』
番組は終了し、私はネットを覗いてみると、反響がすごかった。中には傑のガチ恋ファンらしき女性の絶望の声があり、どこか優越感のある自分を許してほしい、とスマホの電源を落とした。
私がシチューを作っている中、ご機嫌な様子で帰宅した傑。
「ただいまー」
「おかえり、傑」
キッチンに立つ私を見るなり、彼はジャケットを脱いで、ギュッと私に抱きついた。
「今日も私の奥さんが可愛くて幸せだよ」
「もう、調子いいんだから……」
「ネットですっごく話題になってるよ。SNSもすごい」
「怖くてあまり見れてない」
「怖い?」
「何か、優越感を感じちゃうから。悪い女だよね」
優越感を感じつつ、罪悪感もある。悪いことをしているわけでもないのに、と思っていると、彼はそれが嬉しいようで。
「私が君の旦那さんだよ、自慢していい」
「ふふ、分かったよ。ほら、手を洗って。先にお風呂も」
傑は軽やかな足取りで風呂場に向かったが、私にとっては、明日が本番だ。
そしてその日はやって来た。会社で私は結婚の報告をしなければならない。
「あの、部長」
「おぉ、丁度良かった!新人社員、以前は証券会社に勤めていた七海 建人くんだ。面倒見てやってくれ」
「「あっ」」
互いに声が重なった。七海 建人、高専時代の後輩だ。随分と成長したようにも思える彼だが、一目で分かった。彼があっ、と言ったのは、私と面識がある、つまり、前世を思い出したからだ。
「前世を信じる?」
「……今回ばかりは、あの先輩達には巻き込まれたくないですね」
「建人……!久しぶり!」
部長の前だということも忘れて、私は思わず笑顔で彼の手を取り、ブンブンと振った。それに部長は驚いたように私達を見る。
「何だ、知り合いか」
「はい、昔に少し」
「会えて嬉しいよ」
そう言っていると、彼は再会を喜ぶ前に、とふと息を吐く。
「何か用件があったのでは?」
「あ、そうでした」
私は少し緊張も解れ、意を決して部長に話す。
「私、先日、入籍しまして……」
「おぉ、おめでとう!」
「それで、その……こちらでまだ働きたいと思っていますし、新姓に変えたくて……」
「そうかそうか、まだ慣れないだろうが、社員証の変更、手続きはしておこう。判子やら名刺やら、それは自分で用意してくれ」
「はい、それは勿論。えぇと、名前は、こちらです……」
そう持ってきた身分証を見せると、建人は予想がついているようだったが、部長はその名前を見て困惑していた。
「夏油……あ、あの、テレビによく出ている?」
「はい……」
「そ、そうか!おめでとう!知らなかったよ!」
「だ、誰にも教えてないので……これからバレますけど」
「いやぁ、驚いた!ちゃんと手続きしておくよ」
「はい、よろしくお願いします」
私と建人はそこから出て行くと、彼は昔と変わらず、落ち着いた声で話す。
「昨日、夏油さんが結婚したと聞いて、相手は絶対、貴女だと思いましたよ」
「はは、知ってる人なら皆、そう思うだろうね。雄はいないの?」
「彼はディレクターをしています。五条さんや夏油さんと一緒に仕事がしたいと話していましたよ。記憶はありませんがね」
「へぇ、でも元気にしてるんだ、良かった」
「そうですね……」
全てが繋がっているような、あの頃の青春が戻って来ているような、そんな気がする。
「記憶はいつ戻った?」
「つい最近ですよ。証券会社で働いていたんですが、なかなかのブラック企業でして。労働はクソだな、と感じつつ、転職しました」
「それでここかぁ、割とホワイトでいい所だよ。ほとんど定時で帰れる」
「それを聞いて安心しました。まぁ、定時で帰れるのは、当たり前にしてほしいですが」
「そうだね。でも良かった良かった、これからよろしく、後輩!」
そう手を差し出すと、彼は握ってくれ、これからはもっと楽しい日々が送れるのだと期待した。
昼休みになり、私はいつも仲良くしている同僚に言わなければ、と新しく作り直した名刺を差し出す。
「ずっと黙ってたけど……結婚して、苗字変わるの」
「げ、とう……」
「えっ、え、ちょ、ちょっと待って!えぇ!?」
「夏油 傑!?」
「はい……」
「何かのドッキリじゃないよね!?」
「しょ、証拠を!証拠!」
パニックになっている彼女達に、私は何かあったかな、とプロポーズされた時に泊まった旅館で、記念撮影として鏡の前で浴衣姿を二人で撮った写真がスマホに残っており、彼女達はそれを見て、唖然とする。
「ガチだ……」
「全国の夏油ガチ恋勢の敵がここにいる……」
「そ、それはちょっと怖い」
「別にファンじゃないけど羨ましいー!旦那カッコ良すぎるでしょ!」
「五条と友達なんだよね!?紹介して!」
「それは本人から止められてる……ごめん」
「くぅぅ、羨ましい!サインだけ!サインだけ貰ってきて!」
そんな調子で、同僚達からは質問責めに遭い、たった一日で会社中にその話は広がったのだった。
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