五話 幸せを願って。
波瀾万丈な人生だったと思う。
非術師の家系から生まれた私は、可もなく不可もない、二級呪術師だった。大きなキッカケは、夏油 傑だ。出会わなければ、なんて思わない。あの学生時代の大半は大切な青春として脳裏に刻まれている。ただ、あの人誑しに恋をされ、恋をしてしまったのがいけなかったのかもしれない。まぁ、その道を選んだことを未だに後悔はしていないのだが。
でも、そんな彼が原因で五年もの眠りに就いて、目覚めると記憶喪失になっていて。危険思想のある新たな家族と共に生活をしていった。最期は呪術高専に宣戦布告、百鬼夜行を行い、私と傑は死んだ。隣で同時期に一緒に死ねたのなら本望だと思うが、そんなのは呪術師だから考えることだ。すっかり平和になったこの世界では、そんな考えは常人の考えることではないと、そう感じる。
そんな波瀾万丈な人生は前世の話。今の私はただの会社員、そして傑は……
『今、人気沸騰中の祓ったれ本舗、夏油 傑さんと……』
ほとんどニュース、情報番組しか観なかった私が、たまたま目にしたのは、祓ったれ本舗 夏油 傑と人気女優との熱愛報道。休日にたまたまお昼の芸能ニュースを観ていると、私の憶えている彼の名前と容姿がそのまま出てきて驚いたが、まさか悟と傑でお笑い芸人をやっているなんて、と私は暫くケラケラと笑った。それから私はバラエティを観るようになり、ネットで彼らのことについて調べてみることにした。
五条 悟と夏油 傑の二人で結成されたコンビは学生時代からの親友同士であり、息の合った掛け合いは勿論、バラエティでも自由人な五条と、そのストッパーとなりつつも悪ノリをすることもある夏油、その二人の破天荒っぷりや、ルックスも評判である。そういった記事や、傑を夏油様と呼ぶファンも多い。というネット情報を見て、流石は前世が教祖なだけあるな、人誑しめ。と感じていた。
どれもこれも、傑は幸せそうに笑っており、私の胸はキュッと締めつけられる。本当に良かった、ただそれだけ。
熱愛報道も相手との交際を否定しているものの、実際は交際しているパターンも多い。彼が幸せなら、私はそれでいいのかも。と前世のことを思い出しながらも、この平和な世界で彼と幸せな人生を歩めるのは羨ましいと感じた。
彼は、私のことを憶えているのだろうか。憶えていないのであれば、キッパリと彼のことは諦めよう。
確認する為に、私は彼らの出るお笑いライブと、滅多にないという握手会にも参加しようとチケットを入手した。まるで認知されたいガチ恋ファンのような気持ちだ。しかし今更列に並んでいて、私はどうやって確認するか悩んだ。突然、憶えてる?などと訊いても、前世との繋がりは見つけられないだろう。憶えていても憶えていなくても、本当に認知されたいファンにしか思えないはず。名前を言っても同じだ。重要なのは、前世の記憶があるかどうか。
そんなことを考えているうちに、次は自分の番になった。久々に会う彼の姿を見て、私は前世で彼に恋をした時の気持ちが蘇る。それと同時に、私達の死に際も。
私の順番となって、目の前に来た時、彼は私に変わらない笑顔を見せた。キュッと心臓を鷲掴みにされ、泣きそうになる。
「今日はありがとう。楽しかったかい?」
「あ……はい。その、前世って信じますか?」
手を握られた時、彼の体温を感じた時、視界が揺らいだ。頭が真っ白になり、パニックになっての言葉だった。ダメだ、これでは頭のおかしい奴だ。
「何の根拠もないけど、信じるかな。ふふ、そんなことを訊いてきた子は初めてだ」
「……ごめんなさい。パニックになってしまって。これからも応援させていただきます。頑張ってください」
そっと両手で彼の手を握って、幸せを願った。もう迷いはなかった。憶えていないのなら、それで。やっと手を放して、奥へ進んでいった。もう会うことはないだろう。だけど、晴れやかな気持ちだった。これからは別の人生を歩んで、幸せになればいい。
奥に進むと、次は悟がいた。彼のファンサービスは何というか、適当だ。傑と違い、無愛想で、気怠そうに握手して帰している。それでもファンは喜んでいるのだから、何とも言えないが、会えるだけで価値があるのだろう。
私に順番が回ってくると、悟にそっと手を差し出す。最期を看取ってくれた大切な友人だ。素直に会えて嬉しいと思う。
「会えて嬉しいです、これからも……」
「傑は憶えてないよ」
傑が憶えていないんだから、悟も憶えているはずがない。そう思って、私はファンの一人としてやり過ごそうとした。しかし、彼の言葉に私は驚いて、呆気に取られながら彼の碧眼を見つめた。
「悟は、憶えてるの?」
「数年前に思い出した。ウケるでしょ、俺ら芸人やってんの」
「っ、はは!本当に!知った瞬間、笑い転げたよ」
「……裏の関係者入口で待ってろ」
「えっ」
「いーから」
そう言って、関係者の名札を受け取った。こんなことしてもいいのか、と戸惑いながらも、久々の友人との再会だ、話したい気持ちの方が大きく、それを受け取った。
会場から出て、私は裏の関係者出入口に向かう。他の関係者の視線が突き刺さる。目を逸らしていると、関係者の男が私を不審に思ったのか、声を掛けて来た。
「君、どこの担当?」
「えぇと……私、五条さんの知り合いで。これを持って待ってろと」
「は?」
「何か問題あります?」
タイミングよくそこへやって来た悟は、高圧的にその男を見下ろした。こういう所は変わっていない。彼は問題ないです、と引き攣った笑顔を見せ、そのまま去って行った。
「悟は相変わらずだね」
「どういう意味、それ」
「何でもないよ……傑に前世の話、したことある?」
「ないよ。憶えてない奴に前世の話をしたところで、何の意味もない」
私も同じことを考えていた。だからこそ、傑のことは諦めようと思っている。それに今も、立場が違いすぎて悟と話すことですら気が引ける。するとその出入口から、悟を探すように辺りを見回しながら傑が出て来る。
「悟、着替えもせずどこに……あれ?君、前世の子だよね」
「あ、えーと……」
「何?前世?」
「前世を信じるか、って訊いて来たんだよ」
「バカじゃねーの」
「軽くパニックになって……」
「悟の知り合いだったんだ」
「そ。オマエのファンだって」
「え!あ、そうです。悟の様子を見ようと思ってたら、夏油さんのファンになっちゃって……は、はは……」
私は悟の隣に行き、背中に思い切り親指を立ててやった。痛っ、と彼は背を反らすと、傑はその様子を見てにこりと笑う。
「嬉しいね。悟とはどこで?」
「えっとー……」
「従兄弟の友達。昔、実家に遊びに来てた」
「へぇ、悟がそんな興味を持つなんて」
「実家にいても暇だし、ヤれるかなと思ったら無理だった。そんだけ」
「なるほどね」
「扱い酷いな……」
セフレ候補だったという理由で納得する傑も傑だ。悟の性事情はどうなってるんだ。あまり知りたくもないけど……
「そうか、名前は?」
傑は知らないんだった。改めてそう感じさせられ、辿々しく名乗ると、彼はよろしくね、と笑顔を見せた。それに悟はそういえば、とスマホを取り出す。
「オマエ、連絡先変わったろ。教えろ」
「あー……」
これはこれから連絡を取るのに必要だから訊いているのだな、と私は流れ的に渡した方がいいな、と悟に教える。そうしていると、傑はジッと私を見つめていた。
「私達、どこかで会ったことは、ないよね」
「何?傑、ナンパしてんの?こんなのがタイプだっけ」
「一々、ムカつくなぁ」
他人のフリとはいえ、私達の関係を分かっていてそう言われるのは腹が立つ。私は悟の脇腹を殴ると、暴力反対!と彼は傑の背後に隠れ、嫌味ったらしく煽るように変顔をする。あんな別れ方をしたというのに、生まれ変わってウザさが増したのでは、と何か言い返してやろうとも考えていたが、傑を目の前にすると何も言えなくなる。
「ふふ、仲が良いね」
「……まぁ、そこそこ」
「はぁ?仲良しだろ」
「セフレ候補にしようとしてた人間と仲良くなったつもりはないけど」
「冗談だろ、分かれよ」
口喧嘩をしていると、傑は背後にいた悟の頭を掴み、下げさせる。
「ごめんね。悟は身体の大きな子供なんだ。女の子に言っていい冗談と悪い冗談の区別がついてない」
「デリカシーがないのは昔からなんで、気にしてないです」
納得していた傑も傑だと言ってやりたいが、ここは黙っておこう。
「恋のキューピットしてやっただろーが」
「あれを恋のキューピットって言うのがおかしい」
死に際のことや、その為諸々を言っているんだろうが、傑の前でそんな発言をするな、と私は内心、下げさせられている悟の頭頂部を見ながら思っていた。それにしても、抵抗する悟の頭をずっと押さえつけていられるのは、相変わらずの力だな、と苦笑する。やっと離れると、傑は私に笑顔を向けた。
「あぁ……私達は失礼するよ。ここで立ち話してると叱られてしまうからね」
「あ、すみませんでした。これ、返します」
関係者用の名札を返すと、彼はそれじゃあね、と去って行き、悟も軽く私に手を振って去って行った。見えなくなると、夢から醒めるように、ハッと我に帰り、関係者スタッフの視線から逃げるように帰宅した。
やっぱり傑は憶えていなくて、悟は最近思い出していて。私は彼らとの関係を断ち切る道を選んだのに、目の前にするととても懐かしくて、苦しくも幸せなあの青春が思い返された。それと同時に、また恋をしてしまいそうで。握った手の温かさと、冷たくなった手を同時に思い出してしまい、そっと左手の薬指を撫でた。
***
彼らをテレビで観ない日はない。バラエティなどでも見かけた日はずっと傑を目で追っていた。硝子や美々子と菜々子、他の皆はどうしてるだろうな、とあれをキッカケに徐々に前世の記憶が思い出されていく。これは良いことなのか、悪いことなのか。今の私達は幸せな生活を送れている。だから皆もきっと幸せだろうと、そう願いたい。
テレビを観ていると、テーブルに置いていたスマホが震え、画面がパッと明るくなった。誰からメッセージがきたのだろうか、とそれを取ると『夏油 傑』の文字があり、私は思わず素っ頓狂な声を出して驚いてしまった。すぐに開いてメッセージを確認すると『悟から連絡先を教えてもらったんだ。迷惑だったらごめんね』と可愛いスタンプ付きで送られてきた。私は『迷惑だなんてとんでもないです、嬉しいです!』と取り繕いながら返信すると、すぐに悟に『何で教えたの!?』と抗議のメッセージを送ると、すぐに返信がくる。
『傑から教えてくれって言ってきたんだよ。俺の所為じゃないし』
『はぐらかせば良かったじゃん!どう対処していいか分かんないんだけど!』
『何?オマエは傑と付き合いたくないの?折角、俺が恋のキューピットやってあげるって言ってんのに』
手でハートマークを作っているぶりっ子のようなスタンプを送ってきて、私は腹立つな、と思いながら『傑が幸せならそれでいいから』と返した。『面倒くせー!勝手にやってろ』というメッセージを最後に会話が途切れる。
次に傑からメッセージが来ていたのを確認する。『君さえよければ、今度食事にでも行かないか?』という内容。どうせ断らせる気なんてない。少なくとも、こちらが傑に多少なりとも気があると言ったようなもの。その上でのこのメッセージは、向こうもそのつもりなんだろうか。
「人誑しめ……そうやって女優さんを落としたんだろー!もう!」
私は枕に顔を埋め、ベッドの上でジタバタと足を動かしながら、それでも『是非、よろしくお願いします』と返した瞬間、その返事を待っていたかのように、日にちや時間を決める連絡がきた。
何故私を好きになったのか、前世でも聞けなかったし、今も積極的に会おうとしているのには何か理由があるんだろうか。ふと頭に過ったのは、セフレ。悟が私をセフレ候補として紹介して、それでも仲良くしてるから軽い女だと思われているんだろうか。肉体関係を求められたら即振ってやるんだから、と私はモヤモヤしながら、休みの日などを伝えていた。
当日。
私は傑の好みかどうかは別として、デートさながらにメイクもオシャレもした。呼び出された場所はフランス料理店だ。正直、庶民の私はフランス料理なんて食べたことがない。『気になるなら遅れて入って来ていい』と言われた為、十分ほど遅れてやって来た私は店員に、待ち合わせをしているのですが、と伝えると、すぐに傑だと分かったのか、個室へと案内された。その場所ではテレビでよく見るスーツでもなければ、前世でよく見たスウェットや袈裟でもない、フランス料理店に見合った正装の傑が待っており、私は軽く頭を下げてそこへ入る。
「こんばんは……」
「こんばんは、来てくれて嬉しいよ」
「こちらこそ、声を掛けていただいて嬉しいです、ありがとうございます……」
そっと席に座ると、彼は私を見てニコニコと笑顔を向けている。あぁ、既視感がある。まるで学生時代の傑だ。
「緊張してる?」
「はい……フランス料理に」
「ふふ、少し堅苦しかったかな」
「いえ、楽しみですよ。初めてなので」
そうしている間に料理が運ばれてくる。食欲を駆り立てられるような色鮮やかなオードブルに息を呑む。
「美味しそう……」
テーブルマナーは、フランス料理店と決まった時に少しネットで調べた程度。それに傑はあまり気にしないだろう、とあまり畏まらずに食べ始める。会う前は、見合うようなオシャレをして、と必死に考えていたのに、いざ変わらない彼の姿を目の前にすると、何故か緊張が解れていった。これも前世での日々が影響しているのか。
「悟とはどういう仲なんだい?」
「相方の友好関係を知りたいんですか?」
「それもあるかな。君がライブに来てくれた時から楽しそうにしていてね」
「きっと久しぶりだったから……時々、ムカつくこと言いますけど、良い友人ですよ」
「へぇ、悟とは長い付き合いだけど、君の話は聞いたこともないよ、本当。だからあの時は驚いた」
「深い事情があるんです」
簡単には説明出来ない。そこは何とか悟に誤魔化してもらおう。そう思いながらオードブルを完食する。美味しかった、普段はこんな高級食材は食べれないな。そう思いながら口元を拭いて満足していると、彼も丁寧に最後の一口を食べた。私はそれを見ながら、過去の傑も私が記憶を失くしていた時はこんな気持ちだったんだろうか、と思い返していた。しかし、傑は記憶を失くしても愛してくれたけど、私には前世の記憶が大きすぎて、上手くやっていける気がしない。
次にスープが運ばれてくると、私はそれも自分なりに飲んでいた。美味しい。
「私のファンという割には、私には緊張しないんだね」
「……私も貴方とはどこかで会ったような、そんな気がするからですかね」
「そう……不思議だね」
何か引っかかる所があるんだろうか。私達は沈黙したままスープを飲み干した。その後も次々とコース料理が運ばれてきてはそれを食した。どれもこれも美味しい、と私は満足していたが、食後の珈琲でやっと彼の口数が少ないように思えて、私から声を掛けた。
「何で私を誘ってくれたんですか?」
「可愛いなと思って」
「あぁ……ありがとうございます」
彼はいつもそうやって褒めてくれていた。最早懐かしい。今更、照れはなくなったが、嬉しいことには変わりない。
「もしよければ、今度は君の好きな店に行きたいな」
「私、基本的に外食しないので、あまりいい店は知りませんけど……」
「それって、手料理を作ってくれるって意味かな?」
飛躍した考え方だな、と苦笑しながらも、彼らに作った日々の食事を思い出す。それと同時に、やっぱり私は今の彼ではなく、記憶がある状態の傑が良いと感じた。彼の言葉ひとつひとつを前世の傑と比べてしまう。これでは互いに幸せになどなれない。傑が最期まで願ってくれていたのは、私の幸せだから。
「私、好きな人がいるんです」
「……」
「常に私の幸せを願ってくれる人でした。自分は幸せに出来ないと思いながらも、それでも自分を選んでほしいと言う我が儘な人でした。彼の代わりなんていない。過ごした思い出が、私を縛ってる。だから、夏油さんとはそういったお付き合いは出来ないです」
「……まだ告白もしていないのに、振られてしまったな」
「ごめんなさい、私、夏油さんといても幸せになれないと思います。あまりにも似ているから」
「好きな人に?」
「はい。気を引きたい相手にカッコつけちゃう所とか。人誑しな所とか。結婚したい芸人ランキング一位ですもんね?」
「そんなランキングで一位になっても、好きな人に振られちゃうんだ。意味ないね」
「はは、あのランキング見て、笑っちゃいましたけどね」
今、売れている人気芸人でも、前世が非術師を猿呼ばわりする呪詛師だとは思わないだろう。本人ですら分かってないというのに。憧れる芸人でも一位になっていたっけ。テレビで見た時は笑ったなぁ。
「……夏油さんも幸せになってください。貴方が心から笑っている姿を、テレビで観ています」
「ありがとう」
私はそろそろ、と時計を見ると、彼はスッとカップを少し上げる。
「私はまだここにいるよ。今日はありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
立ち上がり、彼に頭を下げて個室から出た。あんな振り方したわけだし、先に自分の分だけでも払って帰ろう、と店員に声を掛ける。しかし、先に支払いはされていると聞き、彼は手を回すのが早いな、と内心で苦笑した。店を出て『ご馳走様でした』とメッセージを送ってその日は帰った。
深夜になって、時間帯も考えない非常識な悟は『傑との飯、どうだった?』とメッセージを送ってきた為『楽しかったよ』とだけ返信して、あとは無視した。
***
『オマエ、傑に何てことしてくれてんだよ』
あれから一ヶ月ほど経ったある日の夜、悟から電話が掛かってきたかと思えば、第一声がそれだった。何かしたかといえば、何かしたが、それは一ヶ月ほど前のことだ。
「何って……私に好意がありそうだから振った」
『だから何で。もういいじゃん、好きなら』
「……今の傑は貴方の相方であって、私の知ってる傑じゃないんだもん。一緒にいて、私が苦しくなるだけ。傑だって嫌でしょ?前世に引っ張られてる私といるのは」
『分かんねぇ。俺は今の傑でも問題ないし、てか、思い出した方が色々ヤバいだろ』
「だから離れたの……」
思い出したら、彼は苦しくならないだろうか。いや、今の何もない世界じゃ、あんなに偏った思想にはならないか。そう考えていたが、ふと私は疑問に思ったことを口にする。
「何で今更?傑、何か言ってた?」
『今更、オマエに振られたのが響いてんだよ。明日は丸一日、休みだと思ったら、傑が酒を大量買いして、付き合えって……で、酔って小っ恥ずかしいことベラベラ喋り始めた。振られたってことも』
「例えば?」
『一々、アイツがオマエを褒めた言葉とか憶えてない。何かキショいんだよ、昔から。重いっていうかさー……』
「あー、ごめんね?」
私の知らない所で、変な惚気を聞かされてる悟に少し同情する。学生時代に何があったのか。懐かしく思っていると、でも、と彼は呟く。
『あれはあれで楽しかった』
「……そっか。悟にはいい人いないの?」
『いないよ、今も昔も。愛だの恋だの、呪いにしかなんない。オマエら見ててもそう思うよ』
「はは、そっか。悟らしいっちゃらしいのかも。誰にも縛られない感じが」
『オマエらは縛られすぎ。絶対、今の方が幸せになれんのに』
「これが最善だというなら、私は不幸のままでいいかな」
『最悪の呪詛師から、結婚したい芸人ナンバーワンだぞ』
「ははっ!分かってるよ、それでもいいの。傑にアドバイスしてあげてよ。親友で相方でしょ、今も昔も」
『面倒事ばっか押しつけやがって』
「ごめんね。今度、オススメの美味しいギモーヴ、送っておくから」
『許す』
「ふ、それじゃあね」
電話を切ると、私は深い溜息を吐いた。私にどうしろっていうんだ。あの時別れた傑の笑顔を思いだしながら、私はベッドに潜り込んだ。
何となくテレビを観ながら夕飯のグラタンを食べていた。街歩きをする散歩番組。傑と乙骨 憂太という若手俳優が揃って下町を歩いている。乙骨、どこかで聞いたような名前だ。そう思いながらも、可愛らしいな、と見ていた。それにしても、黒スーツの傑は下町が似合わない。
二人は食べ歩きながら、よく当たるという有名な占い師の元へ訪れた。私は占いには行ったことないな、なんて思いながら軽くそれを観ていると、占い師の女性は仕事運について尋ねた傑にこう返した。
『このまま行動しなければ、来年には仕事がなくなるかもしれないわね』
本人や乙骨くん、その映像を観ているタレントも驚きの声を上げる。仕事運は今年がピークなのか、と考えていると、彼女は言葉を続ける。
『足を引っ張っているのは、恋愛ね』
『はは、最近撮られたりしましたからね』
そう笑い飛ばす彼だが、それじゃないんだろうなぁ、と私の胸にはグサリと突き刺さっていた。
『その恋愛を続けるか、終わらせるかで今後の未来は変わってくるわ』
『どちらがいいんですかね?』
『キッパリと忘れられるなら、終わらせた方が仕事が安定するわ。ズルズルと引きずっていると、仕事は減っていくばかり。でも、その恋愛が上手くいけば、仕事も上手くいき、今よりもっと運勢が上がる』
『安定を取るか、賭けに出るかですね』
いやこれ、私の返答次第では?とあまり信用せずに、グラタンに息を吹きかけてある程度冷やしては食べる。今日も上出来だ。
『夏油さん、恋愛運も聞いておきましょう!』
隣で乙骨くんが進んでそれを聞こうとし、傑は『覚えはないけど、情報は多い方がいいよね』と笑って流されていた。
『恋愛……そうねぇ、前世が関わっているようね』
「ん!?」
私は思わず口にグラタンを含みながら声を上げてしまった。もしそれが私のことならば、この占い師、かなりすごい。本物だ。テレビでは私と同じく傑も驚いている。
『前世、か』
『私は前世占いはやってないから、内容は分からないけれど、そんなのが出てるわ。あとはそうね、相手の心を変えるんじゃなくて、自分を変えた方がいいわ。もっとアプローチの仕方を変えるとか』
『なるほど、参考になります』
『やっぱ身に覚えあるですね』
『ないよ、あの写真くらいだ』
『好きな香りを身につけるといいかもしれないわね』
『好きな香りか……』
『あ、ジャスミンオススメですよ。よく眠れるって聞いてから、寝室でアロマ焚いてます』
『それはいいね、実践してみよう。でも、身につけるとなると香水かな』
『香水とかつけますか?』
『大事な時にはね。別に好きと感じたことはなくて、オススメの物を貰ってつけているんです。女性だったら……上品なライラックの香りとか、いいかもしれませんね』
この占い師の占い結果と、前世の名残がある傑のコンボで私は冷や汗をかく。全て正しいからだ。昔、傑が買ってくれて以降愛用していたハンドクリームと似たような香りの物を見つけ、買ったばかりだった。さっきの情報を聞く辺り、諦めていなさそうなのが分かる。現に、彼は数日前に『もう一度会えない?』とメッセージを送ってきている。私は既読スルーして、放置したままだった。
テレビを消して、グラタンを完食すると、忘れよう、と冷凍庫を開けてアイスを食べようとしたが、何も残っていなかった。仕方ない、コンビニまで行こう、と食器を洗った後、何も考えずにライラックの香りのするハンドクリームを塗って、コンビニへ向かった。
自宅からコンビニまでは歩いて数分の距離。アイスや菓子、炭酸飲料とサラダも買っておこう、と考えながら歩いて行き、コンビニに入ると、サッとカゴを取り、考えていた物をカゴに入れて行く。あまり目移りしてしまうと、余計な物まで買いそうだ、と私はすぐに会計をして出て行く。
人気の少ない夜道、特にいつもと変わりない帰り道だった。しかし背後から名を呼ばれ、思わず振り返る。そこには髪を下ろし、マスクをした傑の姿があった。
「な、何で、ここに?」
「……すまない、もう一度会いたくて」
先程、テレビで自分を変える、行動すると言われていたが、早速ストーカー行為を始めた傑に、私は少し呆れていた。
「私のどこが、そんなにいいの?」
「言い出すとキリがないけれど、惹かれるんだ、君に」
「……」
「私なりに考えたよ。君が前世の話をした時、悟と仲が良かった理由、その私に似ているという好きな人のことも」
「頭が良いと、不便だね。気づかなくていいのに」
「いつか、思い出すよ。ずっと君が頭から離れないんだ」
彼は一歩踏み出し、私に近づいてくると、そっと手を握ってくる。でも、私はそれを避けるように払った。
「ごめんね、呪ってしまって。一緒にいても互いに辛くなるだけ。私が、会いに行かなければ良かった。ごめん」
「……」
彼は茫然としていて、心苦しいが、その隙に私は彼に背を向けて歩き出す。しかし、
「……また、愛の誓いを立ててくれないか?」
その言葉に私は振り返った。そんな言葉、彼の知識だけでは語れないはず。
「今度は必ず幸せにする。今度は君を置いて行ったりはしない。この世界でなら、それが出来る。だからまた、私に縛られてほしい」
その言葉は彼にしか言えないことだった。切ない、でも愛おしいという感情の篭った彼の表情や言葉に、キュウと胸が締め付けられ、私の視界は揺らいでいく。
「私の最期は幸せだったよ。傑の隣で死ねたんだ」
「そう……すまなかったね」
私は彼に駆け寄り、抱きしめると、ツゥと頬を涙が伝い、落ちていく。傑は私を強く抱きしめ返した後、そっと離れて、私にキスをした。何一つ変わらない彼がそこにいて、私は幸せに満ちていた。
「愛してるよ」
「私も……っ」
苦しかった日々は嘘のように消えて行き、私は再び幸せを手に入れた。
過去の罪は消えやしないが、私はもう不幸な終焉を望まない。そしてきっと、この世界の私達の終焉は幸福なものとなるだろう。幸せそうな彼の笑顔を見上げた時に私はそう確信していた。
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