#3.それは青春の思い出≠セった。@




 私は予知の術式を持っている。
 予知といっても、いつでも見れるわけじゃない。眠りに就くことが条件である。
 強制的に眠りに就くことが出来れば、浅い眠りのまま予知夢を見て、相手の攻撃を先読みし、攻撃することも出来る。周りから見れば、私は眠りながら戦っているようだが、私はちゃんとどのくらい先の予知かを計算して、攻撃をしている。
 その未来を変えれば、新たな未来が生まれる。それも夢の中で考えなければいけない。この術式は奇妙であまり前例がない為、独学と経験を積むしかない。起きればほとんど忘れている為、詳細を人に教える事はほとんどなく、そこは他人と変わらない夢だ。誰かに相談出来るものでもない。
 厄介なのが、私は未来だけではなく、夜に眠っている時など、時々無意識で他人の過去も夢で見ることがある。それは家族や友人、近しい人のものであると分かった時、人と関わるのが恐ろしくなった。他人の過去も本音も、見たくないものまで見えてしまうから。ほとんど忘れているとはいえ、しこりの残る悪夢と変わりない。ただその夢を見て不快に思うことがほとんどだ。
 それは呪いも同じ。見たくもなかった呪いが見え、更には何かしらの術式も与えられる。祖父が呪術師だったこともあり、私はなりたくもない呪術師になるしかなかった。呪術のいろはを教えてくれた大好きな祖父が呪術師として死んだのだから、当たり前だ。
 人を守って死んだ、誇りに思うべきだ。と家族は言うが、私はそうは思えなかった。あんなに強かった祖父が、惨たらしく死んだというのに。人を守ったとはいえ、死んだことを誇りとするなんて。まるで私にも人を守って死ねと、自由な未来も何もかも奪われたような気がする。だから術式の練習もやめて、弱い自分を演じた。それでも呪術師になるべきだと、祖父のようになるべきだと、死に急げと言われているような気がして、余計に家族が嫌いになった。
 家族の望む死に方はしたくない。だから呪術師ではなく、私は補助監督志望ということで呪術高専へ入学した。
 その選択がいけなかったのか、同期の五条 悟は私の隠していた術式を六眼で見透かして、こう言った。

「オマエ、そこそこ強いでしょ。何で補助監督志望なの?」

 弱いから。という言葉が通用しない質問をされると、正直困ってしまう。

「……眠らなきゃいけないし、あまり、使い熟せていないから。強くはなれないと思う」
「ふーん」

 意味ありげなその相槌に、私はあまりその眼で見られたくはないな、と感じた。術式も、私の心も、何もかも見透かされているような、そんな気がしてならない。


***


「オマエの術式、面白そうだし、試してくれない?」
「……ごめん。あまり、体術の経験はない」
「いや、組み手じゃなくて、術式。何か予知しろってこと。今はそれしか出来ないんだろ?」

 懐かれた、と言うべきなのだろうか。人と関わるのが嫌で距離を置いているというのに、彼は平然と言葉を選ぶことなく、私に構うのだ。
 五条くんは私の目の前まで椅子を引っ張って来て座ると、家入さんと夏油くんは面白そう、と同様のことをして、私の周りを囲んだ。
 そう言われても困る。昔から祖父に術式は遊びに使う物じゃない、と言われてきた。

「出来ないよ……」
「何で?」
「遊びに使う物じゃないから」
「堅物すぎ、つまんねぇ」

 彼はいい子ちゃんかよ、と綺麗な顔を歪ませた。それに夏油くんは確かに真面目だな、と態とらしく肩を竦める。

「私達とのコミュニケーションの一環だと思えばいい、互いを知ることも必要だよ」
「正直、予知夢を見るって言われても、ピンとこないしね」

 彼らと知り合って数日が経ったが、確かに私は一度も術式を使ったことがない。五条くんの無下限呪術や夏油くんの呪霊操術、家入さんの他人を治療出来る反転術式も見た。私は何もせず、見ていただけ。

「弱っちぃの自覚してて、術式の練習もせずに、一丁前に遊びに使うのは良くないとか言ってんじゃねーよ」

 とても厳しい言い方をする。でも正直、私はどうでもいいとすら思っている。だって呪術師になんてなりたくないから。

「私は補助監督志望だから、そんなに強さを求めなくてもいいかなって……」
「はぁ?まず補助監督志望ってのが意味分かんねぇ、何で強くなれんのに諦めてんの?使わないと意味ないでしょ」
「そんな厳しい言い方しなくたっていいだろう、彼女にも事情がある」

 夏油くんがフォローしてくれるが、五条くんの機嫌を損ねてしまった。何も面白いことなんてないのに。私が強くても弱くても、五条くんには関係ないことなのに。それでも空気が悪くなったことを察して、私は拳を五条くんの目の前に出す。

「ジャンケン、よく先読みして怒られた」
「……無敗記録、塗り替えてやるよ」

 調子が戻ったようで、彼は拳を作ると、私はその場で目を瞑り、強制的に眠りに就いた。
 眠りに就くと、彼らは本当に眠った、と私の顔を覗き込んでいた。目で見えなくとも、夢で見えている。
 夏油くんは、本当にこのままジャンケンしてもいいの?と訊ねてくる。私は眠っている時に身体を動かすことが出来ても、喋ることは難しい。まるで寝惚けたように声を発してしまうから。それでもいいよ、と答えると、五条くんとのジャンケンが始まる。勝つ事だけを考え、どんどんと夢の中でジャンケンしていく。五条くんだけではなく、夏油くんや家入さんとも。
 五条くんはまるで子供のように親指、人差し指、中指を立てて、グーチョキパー、どれでも勝ち!と言った為、私は同じ手を出す。それを先読みしていたことに彼らは驚いていた。
 もうそろそろいいだろう、と目を覚ます。私は夢の中では活発に脳を動かし、実際に手を動かしている為、眠っているという感覚はほとんどないのだが、身体はそうでもないらしく、寝起きと同じ、若干の眠気と怠さを伴う。

「あ、起きた」
「おはよう。眠りながら活動出来るとは思わなかったよ」
「はーい、ジャンケンホイ!俺の勝ち!」

 五条くんはずっとパーを出し続けていた私にチョキを出して、勝ちと言い張った。それに家入さんはクソガキ、と呟いた。

「終わり。本当に眠くなってきた……」
「本当に眠ってる時は予知夢を見ないの?」
「たまに夢を見るけど、それは予知夢なのか、ただの夢なのか、区別がつかない。身体を動かすのは、故意に予知した数秒後の出来事だけにしてる。じゃないと、呪霊が目の前にいると勘違いして、現実では人を殴ってた……みたいなことが起こるかもしれないから」
「現実の俺らは見えてねーんだ」
「見えてないよ。予知夢を見て、現実で何が起こってるのか、予測して行動してる」
「その行動で変わった未来も見えてんの?」
「うん、予知夢は頻繁に変わる。あまり仕組みは分かってないから、そんなに質問はしないでほしい」

 私も自分の力に追いつくように動いて、慣れているだけだから。どうなっているか、なんて訊かれても困る。それに、今だって喋りすぎたと後悔している。家族が非術師ばかりだった為、呪術について話せる人間が祖父しかいなかった。だから少し仲間意識を持って、喋りすぎたのかも。

「そこそこ理解あんのに、何でそんな弱いわけ?」
 ほら、こうして嫌な所を突かれることは分かっていたのに。
「……予知出来たとしても、身体が追いつかなければ意味がない。本人にその未来を変える意識や力がないと出来ない」
「ふーん……」

 また意味深な相槌だ。彼が何を思っているのか、私には分からない。

「五条はこの子を強くしたいわけ?」
「別に。でも弱いよりか強い方がいいでしょ。今後使えるかもしれないし、俺、弱い奴は嫌いだし」
「それじゃあまるで、好きになりたいから言ってるように聞こえるね」
「あ?違うし。単純に強い事を隠すのが意味分かんねぇってだけ」
「なら、君の謙遜かな?」
「……そうじゃないよ。本当に、弱いから」

 もう、私の話題はいいから。そう思っていると、教室の扉が開く。担任の夜蛾先生が入って来た。

「オマエ達、自習中だろう。何してる」
「自習」
「仲間とのコミュニケーションも必要でしょう?彼女とはちゃんと話せていなかったので」

 そういえば自習中だったことを忘れていたが、それにしても夏油くんはよく口が回る。夜蛾先生は納得したのか、私を見てふと笑う。

「馴染めたか?」
「……多分、それなりには」

 今まで私が関わろうとしなければ、誰も私に関わろうとしなかった。だから簡単に人と距離を置くことが出来ていたが、今回は向こうからやって来る。特に五条 悟は、六眼で私を見透かして、私の地雷を踏んで来る。
 もしかしたら私は、すごく厄介な人と出会ってしまったのではないだろうか。


***


 私は順調に補助監督志望の生徒として、彼らの任務に同行したり、座学中心の学生生活を送っていた。家入さんも呪術師志望ではなく、医師志望である為、座学が中心であり、私だけじゃないと少し安心する。
 五条くんは相変わらず、私に術式を見せろと騒ぎ立てるが、その度にスルーして取り合うことはなかった。その為か、私が勝ち続ける無意味なジャンケン大会から半年経った今では、彼はほとんど何も言わなくなっていた。

「ねぇ、これで合ってると思う?」

 家入さんがノートを私の方へ寄せると、私はそれを確認し、間違えている箇所を見つけ、そこを指す。

「間違えてるよ、この問題はこっち。一問目と同じ公式を使う」
「あ、そっか」

 彼女はそれを訂正して書き進めると、出来たわ、ありがとう、と礼を言った。

「座学は得意?」
「そこそこは……従兄が家庭教師やってて。教え方も上手だし、呪術高専がどれくらい教えてくれるのか分からないから、と高校の分まである程度教えてくれたよ」
「へぇ、家族とは仲良いの?」
「……いや、呪霊が見える従兄だけ。呪術師だった祖父とも仲が良くて、昔から一緒に遊ぶことも多かったから」

 家を出て、従兄となかなか会えなくなってしまったのは辛いが、彼はまた今度、東京へ遊びに来ると言っていたから、楽しみだ。そんなことを思いながら、家入さんと共に勉強に勤しんだ。
 そこに五条くんと夏油くんが任務から帰って来る。帰って来て早々、五条くんは椅子を引き摺っては、私の目の前に座る。

「あー、疲れた」
「……何で私の前に座るの?」
「オマエ、虐められてただろ」
「は……?」

 唐突な言葉に、思わず間抜けな声が出た。私は人を避けて生きてきたけど、誰かから嫌がらせを受けたことはない。

「いや、虐められたことはないけど……」
「マジ?そんな顔してんのに」
「失礼だろ、悟」
「傑も言ってたじゃん、虐められてたんじゃないかって」

 それを言うなよ、と眉を顰める夏油くんに、私は思っていたんだな、と考えながらペンから手を放す。

「とにかく、私は虐められてないよ」

 寧ろ今、人生で一番の嫌がらせを受けているような気がする。

「だってオマエ、根暗じゃん」
「おいクズ、口が悪いぞ」
「硝子も口が悪いじゃん」

 人のこと言えないって、と彼は口を尖らせる。五条くんは私に何を言わせたいのか、分からない。

「根暗だから、無理に関わらなくていいよ」
「つまんねーもんな」

 そう思っているなら、関わらなくていいのに。私は息を吐くと、五条くんはそれが気に入らなかったのか、私の頬を摘む。突然触れられて驚き、私は思わずその手を強めに払う。

「ご、ごめん……」

 あぁ、触れられた。もしかしたら、五条くんの夢を見るかもしれない。触れることが他人の過去を見ることに繋がるわけではないが、私は彼を無駄に意識してしまっている。五条くんは払われた手をジッと見ており、家入さんはふと息を吐く。

「女の子に簡単に触れるなよ。しかも頬を抓るなんて」
「今のは悟が悪いね」
「何だよ、コイツが堅物なだけだろ?」

 何故触れられたくないのか、理由を言えないまま、私はその場で黙り込んだ。私はやっぱり、五条くんの考えが分からない。

 もうすぐ二年生になろうかというまだ肌寒い季節に、従兄が東京へ遊びに来ることになった。正月に帰省したが、従兄はいなかったから、それなりに楽しみにしていた。術式は持たないが、呪いが見え、窓をしている。彼は私を理解してくれる兄のような存在だ。
 待ち合わせをして、久々に会った従兄の姿に、思わず笑顔になった。

「久しぶり」
「久しぶりだね、どう?呪術高専は」
「うーん……クセの強い人ばかりで、少し、困ることもあるかな」
「はは、そういう人の方が仲良く出来るような気もするけどな」

 そもそも彼らと深く関わる気はないと言えば、彼は心配するだろうか。私はそんなことを考えながらも、落ち着くこの短い時間を楽しんだ。呪術関連の話は一切ない。彼の趣味の話や、大学での話を聞いたりしていた。
 帰りは駅まで見送りをして、彼の背が見えなくなると、ふと息を吐いた。平穏な時が終わり、少し寂しさが残る。すると、ドンと左肩に衝撃が走り、誰かにぶつかられたと分かり、顔を上げる。そこには五条くんがいた。

「ご、五条くん?」
「誰?さっきの」
「従兄」
「ふーん……」

 何故ここにいるのか気になった。言葉を発しようとすると、彼は私の疑問に答えるように話す。

「俺、さっき任務から帰って来たんだよ。飯行こう。てか、もう食った?」
「いや……」
「じゃあ行こう」

 半ば強引に夕食に誘われ、タクシーを拾って向かう。どこに行くんだろうか、と窓の外を見ていると、従兄のことについて訊ねられる。

「オマエ、家ではあんな感じなの?ニコニコして」
「……自覚はないけど、多分、従兄にだけかな」
「何で?」
「何でって……唯一の理解者だから」
「従兄に恋でもしちゃってるわけ?」
「そんなわけない。ただ、一緒にいると自分を忘れられるから」

 自由に生きられる非術師のような気分になれるから。それが一時の幸せ。彼は五条家に生まれて、そういう考えは持たないんだろうか。

「自分を忘れる、か」

 少し含みのある言い方をした彼に、私は興味を持った。五条くんにもそういう考えが過ることがあるのかもしれない。

「……五条くんもない?普段の自分を忘れられる時、解放された気分にならない?」
「そういう意味では、今がそうかも」
「今?」
「割と楽しいし。こうやって普通に、他人と自由に過ごせんの」

 御三家に生まれた宿命、生まれ持っての才能。その存在だけで呪術界を大きく揺るがすような彼は、呪術界との関係を完全に断ち切ることは出来ないのだろう。
 私にとって、自分を忘れられると感じるのは、呪術から離れた時だけ。でも彼は呪術ではなく、彼を取り巻く環境を良く思っていないのだろう。それは自分を忘れるというよりかは、多くの期待の目や責務を忘れ、普通の呪術師になる方が大きいのだと分かる。今が忘れられる時だと考える彼は、どれだけ寂しい環境で生きてきたんだろうか、と少し心苦しく感じた。
 私の内心を知らない五条くんは、何かに気づいたように、ふと顔を上げて私を見る。

「オマエ、呪術師になりたくねーの?」
「……うん」
「何で?」
「死ねって言われてるようなものだから」
「強くなれば死ぬ可能性も低くなるだろ」
「祖父も強かった。それでも死んだ」

 別に、死ぬのは怖くない。呪術とは何か、呪いとは何かを何一つ知らない家族が、呪術師として人を守り、死んだことを誇りだと言ってほしくないだけ。それは歪んだ考え方だ。家族の言葉を思い出して、私は思わず溜息を吐く。

「面倒なこと考えてるってことだけは分かるな」
「つまらないから、聞かなくていいよ」
「何だそれ」
「私は面倒くさいから」

 それから五条くんは話さなくなった。面倒になったのだろう。でもそれでいいと思う、深く関わったところで、いいことなんてないと思うから。
 暫くタクシーは走り続け、辿り着いた先は老舗高級寿司店。私は回転寿司にしか行ったことがない為、少し緊張する。

「五条くん、いつもこんな店に?」
「たまに」
「そうなんだ……私、そんなお金持ってないよ」
「うわ、可哀想、奢ってやってもいいよ」
「どうも……」

 最初からそのつもりだというような態度。ありがたいが気が引ける。そんなにこの店の寿司は美味しいんだろうか。
 私達は店に入る。人がおらず、店主と対面するようなカウンター席を見て、端の席に座ると、彼はすぐ隣に着き、注文をし始める。私はよく分からないが、お品書きにあるおまかせにした。

「……好きなもんある?」
「強いていうなら、マグロかな」
「寿司じゃなくて、他にないの?」

 それは食べ物なのか、それ以外のことなのか。でも、私の好きな物といえば、と思いついた物を口にする。

「花が、好きかな」
「ふーん……匂うのもそれ?」

 そう言って五条くんは私にそっと顔を寄せた。パーソナルスペースに侵入してきた彼を思わず避けるが、彼は気にしない様子で私を見ていた。距離の近い彼に唖然としながらも、私は五条くんを避けるように身体を傾けながら答える。

「多分、香水……」
「あー……何の匂い?これ」
「ライラックかな……ベースに入ってるから。私、これが好きで」

 そこに寿司がやって来ると、私はいただきます、と手を合わせて食べ始める。当たり前だが、回転寿司より高級な味。美味しい。今日は充実した一日だったな、と思い返しながら寿司に夢中になっていれば、隣の五条くんは茶を啜りながら、続きを話す。

「何で花が好きなの?」
「見た目も綺麗だし、香りが良い。花言葉もあるでしょ?明るいものから暗いものまで、花の一つ一つに言葉があるのもいいなって」
「花言葉……全然知らない」
「私もそんな詳しくないよ」
「あー……でも薔薇とかよくプレゼントするよな。愛してる、みたいな意味だっけ」
「そうだね」

 彼は私と友人になりたいのだろうか。私といたって、何も面白いことはないのに。やはり術式が強いから、という理由なのか。そう考えながら、最後に一番好きなマグロを食べた。それを見ていた五条くんも最後の一口を食べて話す。

「俺も好きなの最後に残す派」
「……一緒だね」

 五条くんは思ったよりお喋りなんだな、と感じた。でも何か無理をしているような、そんな気もする。
 私の返事が気に入らなかったのか、彼は眉を顰めて不満を露わにした。何を求められているのか、分からない。
 五条くんがお会計をすると、一食分じゃないような金額が聞こえてきて、申し訳ない、と彼に再び礼を言って出て行った。

「……駅近いし、電車で帰る?」
「うん、いいよ」

 タクシー代も出してくれたし、そろそろ気が引ける。
 私達は歩いて駅の方へ向かう。五条くんは脚が長いだけあって歩幅が広いな、と足元を見ていると、徐々に彼の歩幅が狭くなり、私の歩幅に合わせているのが分かった。

「地面見て楽しい?」
「楽しくはないけど……」
「じゃあ、上見て歩けよ」
「……五条くんは、私といて楽しいの?」

 素直な疑問をぶつけてみた。すると彼はこちらを見ていたが、スッと前に向き直ると、口をツンと尖らせた。

「楽しくない。無愛想だし、考えてることよく分かんねーし」
「えぇ……こっちの台詞」
「は?オマエみたいにボーッとしてないし、言いたいこと言ってるだろ」
「じゃあ、何で楽しくないと分かってるのに誘うの?」
「……一人よりマシだろ。それに何かムカついた」
「やっぱり意味分からない。私だったら避けるよ」

 そう私達は互いに何を考えているのか分からない、と言い合いながら電車に乗る。久しぶりに電車に乗り、五条くんは空いている席に座る。
 光に当たるとキラキラと輝く白髪や、同様に宝石のように透き通り、輝く青い瞳を持つ彼。周りには私のような凡庸な人間しかいない。そんな空間にいる彼が私には異質に見えた。
 隣に座れば、彼は長い脚を伸ばしながら、つまらなさそうにしていた。プラプラと爪先を揺らしているのを見ながら、私は五条くんと初めて会った時のことを思い出した。
 五条くんには目を惹く容姿や術式だけじゃない、何か他とは違う、私にとっては大きな意味を持つ存在だと思った。私の術式を見透かした六眼ではなく、彼自身の言葉がそう思わせた。何故、補助監督志望なのか。それは私に呪術師になれと言っているわけではない、ただの純粋な疑問だった。でもそれを問う人間はいなかった。大抵は察してくれ、黙ってくれている。弱いから、死にたくないから、何か理由があるのだろうと。私の当たり前の日常を崩してくる五条 悟は他とは違う特別な存在なのだと感じる。

「オマエは俺といて楽しくない?」

 ふと、彼の言葉に我に帰った。いつの間にか彼の揺れていた爪先はピタリと止まっている。

「楽しいとは思ったことはない」
「従兄とは何が楽しかった?」
「……何だろう。ずっと従兄の話を聞いてた。バイトでの出来事、大学の話とか、趣味の話とか」
「黙って聞いてんでしょ、それ。つまんねぇ」
「それがいいんだよ、私には」

 私にはない世界の話、それを聞くのが好きだ。でもよく考えれば、今日の五条くんはあまり呪術の話をしない。質問は多いけど、嫌な気はしない。親しくなろうとは思わなかったけど、私のことを知ろうとしてくれているのは、少し嬉しい。

「でも今日は、楽しかったかも。ありがとう」
「……そう」

 彼はジッと私の顔を見つめてき、何だかよく分からない視線に落ち着かないな、と顔を逸らすと、彼は態とらしく深い溜息を吐いた。

「ダメかぁ」
「何が?」
「何でもなーい」

 私達はそれ以上話すことなく高専へと帰った。でも、何も話さない時間も悪くないと思った。彼はいつも騒がしいから。


***


「誕生日おめでとう」

 早朝、私が教室に向かうと、そこには夏油くんがいて。自身の席に着いていた彼は、開口一番、そう言った。

「へぁ?」

 今日は自分の誕生日だったということを忘れていたのはもちろん、まさか夏油くんが知っていて、お祝いの言葉をくれるなど思ってもおらず、間抜けな声が出た。驚く私に、夏油くんも目を丸くした後、口を開けて笑った。

「あはは!そんな表情も出来たんだね、君」

 さぞかし間抜けな顔をしていたことだろう。思わず自分の口元に触れると、彼は席に着いた私の方へ身体を向ける。

「誰からも祝われなかった?」
「まぁ……そもそも今日だって忘れてたし、夏油くんが知ってるとは思わなかった」
「私も最近知ったよ。でも私が一番か、意外だね。悟がメールでもしてるかと、」
「傑!!携帯がエラー起こしてた!」

 突然、教室の扉が勢いよく開いたと思えば、五条くんが声を張り上げて入って来る。しかし私と目が合うと、スッと握っていた携帯をポケットにしまった。

「朝から騒がしいね、五条くん」
「あー……なるほど。タイミングが悪いね。エラー起こすなんて」

 ニヤニヤと笑う夏油くんは同情しているようには見えない。五条くんはズカズカと私の前へやって来ると、ジッと私を見下ろした。

「誕生日だろ?……おめでとう」
「家族以外から祝われるなんて、久々かも。ありがとう」

 そう言っていると、そこに家入さんもやって来ると、私を見るなり、誕生日おめでとーと話し、席に座る。

「今日、ケーキ買ってあげる」
「ありがとう……でもそんな、いいのに」
「私達からもプレゼントがあるから」

 そんなプレゼントを貰うような仲なのか、と疑問に思いつつも、用意してくれたのだから、受け取りたいとは思っていた。

「じゃ、終わったらコイツの部屋集合な」

 勝手にパーティー会場として私の部屋が選ばれたが、まぁいいか。
 授業も終えて、家入さんがケーキを買いに行った。私は部屋の掃除でもしておくか、と片付けていた。暫くすると、玄関からノック音が聞こえ、開いてるよ、と言えば、箱を抱えた夏油くんが部屋に入って来た。

「やぁ、少し早く来てしまったね」
「いいでしょ、あとは硝子待ちだし」

 その後ろには五条くんがおり、ズカズカと私達の間を縫って部屋に入って来た。

「部屋、何もねーじゃん」
「そんなに必要な物はないから」

 部屋には最低限必要なベッドやテーブル、座椅子、棚くらいしかない。他人から見れば殺風景な部屋だろう。
 早速、座椅子で寛ぎ始めた五条くんに、夏油くんはテーブルに恐らくプレゼントであろう花柄の用紙で梱包された箱を置くと、寛ぐ五条くんを見る。

「悟、プレゼント持って来なかったの?」
「あー、明日でいいかなって」
「何でだ。誕生日プレゼントなのに、今日渡さないでどうする。忘れたってことはないんだろう?」

 何を渡すか知っているのだろう。夏油くんは持って来なよ、と肩を竦めると、彼は渋々部屋から出て行った。

「何を今更躊躇うことがあるんだ」
「さぁ……夏油くんは何をくれるの?」
「悟が持って来たら、開けていいよ」

 五条くんのプレゼントと何か関係のある物なのだろうか。そう考えていると、そこに家入さんがケーキを持ってやって来る。

「ケーキお待たせ」
「ありがとう。そういえば、フォークは一本しかないの」
「大丈夫、プラスチックのフォーク貰って来た。お皿はないの?」
「小さいの一枚しか……自炊、しないから」
「そのまま皆で突いたらいい」

 家入さんはスススと箱からケーキをスライドさせて小さめのホールケーキを取り出す。そのシンプルなショートケーキの上には、私の名前と共に『お誕生日おめでとう』の文字がチョコペンで書かれていた。
 私の家では誕生日にケーキを食べる習慣はなく、ただ祝いの言葉といつもより豪華な食事が出て来る。それに文句があった訳ではない。それで十分なのだが、ドラマや映画で見るようなプレゼントやケーキが羨ましかった。それが今目の前にあるのが、とても嬉しくて。
 そうしていると、ガチャリと扉が開き、五条くんが戻って来た。手にはオレンジの花が植えられた白い陶器の植木鉢。夏油くんと家入さんは彼を見上げ、目をパチクリさせている。

「え、悟……それがプレゼント?」
「花をプレゼントするって……鉢植え?」
「何が悪いんだよ」
「あっ、ははは!」

 急に家入さんが笑い出したかと思えば、それに釣られるように夏油くんも笑い始める。何がそんなに面白いのか、と私と五条くんは彼らを交互に見ると、夏油くんは一頻り笑い終えた後、私に自分が準備したプレゼントを差し出した。

「ごめん、花をプレゼントするなんて聞いたら、花束だと思うだろう?だからこれ、買っちゃった」

 私は包装を解き、開けてみると、そこにはガラスの花瓶が入っていた。

「あー、ウケる。五条は絶対、花束プレゼントしても、その後のこと考えてなさそうだって夏油と話してたんだよ」
「だからセットで、と思ったんだけど、まさか鉢植えでくるとは……」
「確かに、花のプレゼントは花束のイメージがあるね」

 何故、鉢植えにしたのか。特別な意味でもあるんだろうか。それとも自分の好きな花?そもそも何の花だろう、と見ても分からなかった為、訊ねようとすると、彼は眉間に皺を寄せながら、私にそれを押しつけてきた。

「うっせぇ!その花しかなかったんだよ!傑が当たり前みたいに花瓶プレゼントするとか言うから、明日買い直そうと思ったのに……」
「鉢植えでもいいよ、ありがとう」

 でも何で、と呆気に取られていると、夏油くんはくつくつと笑いながら話す。

「ごめんね、花瓶に挿す花は別に買おう」
「いいよ、気持ちだけで。私も、久々に花屋に行って、選んで来るよ」

 高専に来てから、花を愛でる余裕がなかったし。そう考えながら、私は五条くんを見上げる。

「それで、これは何の花?」
「ミムラスってやつ」
「初めて見たかも」

 知らない花だった。そもそも、こういった鉢植えの花には疎い。夏油くんや家入さんの考えるような一輪挿しにする切り花しか今まで見て来なかったかもしれない。

「聞いたことないな。こっちを見つける方が難しかっただろう」
「自分で苗買って植えたんでしょ?五条が園芸ってウケる」
「ダルいし、もうやらねぇ」
「ちゃんと育てるよ。ありがとう」

 花が好きだと言ったから、花を贈ってくれたんだろう。でもどうしてミムラス?もっと手軽な物があったはずなのに。きっと、彼なりの理由があるんだろうけど。

「それよりケーキ食べたい」
「ロウソク立てて」
「ライターあるから、火点けるよ」
「何で持ってんだよ」

 彼らがケーキを囲む中、私は花瓶を棚の上に、植木鉢を窓際に置いた。そしてそっと空いている夏油くんと家入さんの間に座れば、夏油くんは五本刺さっているロウソクに火を灯す。

「誕生日おめでとうー」
「おめでとう」
「はい、吹き消して」

 五条くんがフォークを取りながら急かす。私はフーッと火を吹き消すと、皆がおめでとー!と一斉に声を上げる。それがとても嬉しくて。

「ありがとう、嬉しい」

 何度目か分からないが、礼を言った。まだ出会って一年だが、今になって彼らと過ごすこの時間はとても特別なものに思えた。

「ケーキ食べよう、ケーキ」
「私、三口くらいでいいや」
「私もそんなに量はいらないかな」
「じゃあ俺が半分食べる」

 騒がしくケーキを切って食べ始める彼らに、私はこれが求めていた日常なのではないか、というほど輝いて見えた。
 その後、皆がそれぞれの個室へ帰り、騒がしかった部屋がしんと静まり返ったのが、少し寂しくも思えた。あれだけ関わりたくないと思っていたのに、彼らが普通の高校生に思えて、私もその一員なのだと思えた。
 こんな幸せ、私には相応しくないかもしれないのに。


***


 店が埋もれてしまうのではないか、というほど、その花屋は色とりどりの草花で溢れかえっていた。種類が豊富なことで有名な花屋を選んだから、当たり前といえば当たり前か。でも、これでは彼女へのプレゼントを選ぶ方が難しいだろう。

「いらっしゃいませ、お手伝いしましょうか?」

 俺が辺りを見回していると、目があった女性店員が声を掛けてきた。こういう時は詳しい人間に頼るのがいい。

「あー、はい。プレゼント用に。どれがいいか、正直分かんなくて」
「お相手は彼女さんですか?」
「いや、友人に。花が好きって言ってて、誕生日だから……どんなのが喜ぶと思います?」

 ただ、笑顔が見たかった。表情筋が死んでるんじゃないか、というくらい表情の乏しい彼女は、俺と話している時も、何をするにも自分は不幸だというような顔をする。それ以外の表情が出来ないのか、と思っていた矢先、従兄だというあの男に見せた笑顔が、目蓋の裏に焼きついて離れない。どれだけ彼女のことを知ろうが、美味い物を食べさせようが、共感しようが、あの笑顔を俺に向けることはなかった。だから彼女が喜びそうな物が欲しかった。好きな物なら笑顔になれるんじゃないかと思って。

「そうですね……その方をイメージした物だとか、伝えたいこととか、意味の篭った物なら嬉しいと思いますけどね。お花に詳しいなら尚更」
「花言葉?それもあんま詳しくないんだけど……」
「花言葉か……私も全て知っているわけではないんですけどね。友情に因んだものだとか……好きな人なら、愛に因んだものだとか。そういうのがいいかもしれないですね」
「ライラックは、無理か……いい匂いだったけど」
「ライラックは花木ですからね。でも花言葉はいいですね。友情≠ニか思い出≠チて意味がありますから。どうしてもというなら香水がいいかも」
「香水で知ったから、同じのになるし、つまんねーし……笑った顔が見たい時って、どういうのがいい?」
「人を笑顔にする、という意味ではよく向日葵とかが挙げられますけど……直接的な言葉だと、どうでしょうね。調べてみますね」

 店員はカウンターにあったノートパソコンを立ち上げる。花言葉はよく訊かれるのだろう、すぐに『花言葉一覧』と書かれたページを開き、検索し始める。

「笑顔、と直接的なものが入ってるのって、意外と少ない……あっ、ミムラスがそのまま笑顔を見せて≠チて花言葉がありますね」

 正に俺の望んでいた言葉だと思った。別に彼女に対して愛だの友情だの、感じたことはない。もう一度笑顔が見たい、ただそれだけ。

「どんな花?」
「一年草ですね。植木鉢で育てるような物で、切り花ではないです」

 そう言って画面をこちらに向け、画像を見せてくれるが、確かにそれはガーデニング用の花、俺がイメージしているプレゼントする花ではない。しかし、それでも良かった。意外性があるし、見慣れた物より喜ぶかもしれない。

「これ、この店にあります?」
「ありますよー花苗はあちらに」

 仕切られたガラス戸の向こう側に園芸用の花や植木鉢、肥料などが置かれていた。肥料が結構臭うな、と思いながらもついて行くと、ミムラスは同じ花でも種類が豊富だった。何となく目について、明るい色のオレンジを手に取る。

「オレンジ、いいですよね。見て明るくなれる色で」
「じゃあ、これで」
「植木鉢はどうしますか、土も」
「あー……土とか分かんないから、任せていいですか?」
「じゃあ、オススメ持ってきますね。植木鉢はあちらにあるので、選んでおいてください」

 そう言って店員が指した方には、色とりどりの植木鉢があった。俺はそこに向かえば、どれが合うんだ、と小さめの陶器の植木鉢を手に取る。黒がいいのか、白がいいのか、それとも色がついていた方がいいのか。手に持っている苗と見比べながら、白い物を選んだ。
 たかが同期の女の為に、何をこんなに悩む必要があるんだ。彼女がどれだけ花に詳しいか知らないが、とにかく俺がこれがいいと思ったんだ。だから、違った表情を俺に向けてくれたなら。

「ふふ、恋してますね」

 土の入った袋を持って帰って来た店員がそう言った。俺は態とらしく眉を顰めて見せる。

「無表情な奴の違った顔が見てみたいと思うことって、恋なの?」
「えっ、そうなのかと思ってた……その人の色んな姿を見たい、ましてや笑顔なんて、好意のある人にしか思わないと思うんですけどね」

 恋なんてしたことがない。前に俺に好意がある女と適当に付き合ったことはあるけど、特別好きだったわけじゃない。愛だの恋だの、理解出来ない。だからといって、友人として親しくなりたいというわけでもない。

「見ててムカつく時とかあるし、違うと思うけど」
「青春って感じでいいですね!因みに、ライラックは色によって花言葉が違うんですけど、紫のライラックの花言葉は初恋∞愛の芽生え≠ナすよ」
「……お姉さん、ちょっと余計なお世話」
「はは、ごめんなさい!何だか初々しくて……この土、量も少なくて、丁度いいと思いますよ」
「どうも」

 俺は用も済んだし、と会計をした。店員が微笑ましいというように俺を見ていて、居心地が悪くなり、早々に店を出た。その時、ふと彼女の香りを思い出し、心が騒ついた。あぁ、ムカつく。

 目を覚ますと、倦怠感が私を襲った。これは他人の過去を夢で見てしまった時に起こるものだと、何度も経験している私はすぐに理解した。
 夢では五条くんが花屋にいて、店員であろう女性と話していた。しかし、細かい会話の内容は覚えていない。それでも何だか嬉しかったような。身体は怠いが、気分は良い。
 ぼんやりと夢の内容を思い出そうとしていると、携帯が震えた。見ると家入さんから『遅刻するなんて珍しいね』とメールが来ていた。時計を見ると、授業が始まる十分前だ。一気に身体が冷えたのを感じ、慌てて身支度を済ませる。寝過ぎてしまった、と部屋を飛び出し、寮を抜け、校舎へ向かう。すると、遅刻だというのに廊下を呑気に歩く五条くんの背中を見つけた。

「五条くん、おはよう。遅刻だよ」
「知ってる。何でオマエはここにいんの?」
「寝過ごした」
「珍し。いーじゃん、そんなに急がなくても。何時間も遅れてるわけじゃないし」

 五条くんは何度も数分の遅刻をする。現に今もそうだ。五分の遅刻をしている。急がなければいけないのに、その言葉に乗せられ、彼のゆったりとした歩幅に合わせて、私も隣を歩く。

「たまにはいいか」
「やっぱ珍しい、何かあったの?」
「いい夢を見たような、そんな気がするの」

 そう言って気分良く彼を見上げれば、驚いた表情をして、五条くんはそのまま立ち止まった。それに私も立ち止まれば、何故か彼はその場でしゃがみ込み、ガシガシと頭を掻く。

「あぁぁ、何だよ、クソ!」
「え、どうしたの?」
「……夢、何見たの」

 彼はそのまま俯きながら私に尋ねる。恐らくは五条くんの過去を見た。だけど、そんなことは誰にも言えない。

「意識せず見た夢はほとんど憶えてないけど、五条くんはいたよ」
「……あ、そう」
「どうしたの?」

 私の問いに深く溜息を吐いた彼に、私は具合でも悪いんじゃないか、と少し近づく。珍しく自身より低い位置にある、細く、ふわりと靡く白髪に触れた。何故か触れたくなったんだ。彼が弱っているように見えたからだろうか。自分でも理解出来なかったこの気持ちは、きっとただの気まぐれだろうと片付ける。

「具合でも悪い?」
「……その香水、いつもつけてんの?」
「うん、ライラックの香りには心を落ち着かせる効果があるんだよ。気に入ってるの」
「俺は落ち着かねーわ」
「あぁ……五条くんには合わなかったかな、気に入らなかったら、やめるよ」
「別にいい……」

 五条くんは頭上にあった私の手を掴みながら立ち上がる。久々に触れられたが、不思議と嫌な気はしなかった。友人になったからだろうか。

「やっぱムカつくわ、オマエ」
「どの辺が?髪、触られるの嫌だった?」
「全部ムカつく」
「五条くんの考えてること、やっぱりよく分からないな……関わらなければいいのに。もう教室はそこだよ、行こう」

 そう掴まれた手を引き、教室の方へと歩くと、彼は手を放してついて来る。それに私は思い出したように話す。

「貰ったミムラスの時期、そろそろ終わりそう。少し枯れ始めてる」
「ふーん……」
「興味なさそう」
「もう見たいもの見られたし、別にどーでもいい。オマエが笑ったなら、それで」
「え、笑ってた?」
「無意識かよ」

 いつ笑ったかな、と口元に触れて歩いていると、教室に辿り着き、扉を開く。当たり前だが、そこには既に夜蛾先生、家入さん、夏油くんがおり、私達に視線を向けた。

「遅刻だぞ、オマエ達」
「すみません……寝過ごしました」
「俺も寝過ごしたー」
「悟はダラダラしてただけだろう?」
「夜更かしでもしたの?」
「いや、夢を見ただけ……いつもならすぐ起きるんだけど」
「俺の夢見たって」

 何故か五条くんは誇らしげに話すと、三人は揃って私を見た。意味ありげなその視線に、私は過去視はバレてないよな、と少し不安になりながらも、席に着きながら頷く。

「全然憶えてないけど……五条くんと女の人が話している夢を見た」
「あ?それの何がいい夢なんだよ」
「知らないよ。いい夢を見たな、とただ起きた時に思っただけだから」

 明らかに不機嫌な表情になった五条くんと、ケラケラと笑う夏油くんと家入さん。私は何も変なことはないでしょ、と考えていると、夜蛾先生は溜息を吐いた。

「元気が有り余っているオマエ達に任務だ」

 そう言って五条くんや夏油くんだけではなく、私にまで視線を向けられ、もしかして、と口を挟む。

「また私も任務に同行するんですか?」
「いや、単独任務だ。人手不足でな、オマエは補助監督志望とはいえ、階級にすると準一級相当の実力がある。悪いが頼む」

 ただでさえ任務に同行して、術式を使っているというのに、また使わなければならないのか、と思わず溜息を吐く。五条くんと夏油くん、他の呪術師の任務に同行していくうちに、高専側にも私の実力が知られてしまっていた。
 夜蛾先生から任務の内容を聞いて、私達はそれぞれ解散した。私はまだ若い男性の補助監督と共にその任務へと向かいながら、詳細をぼんやりと確認する。簡単そうな任務だけれど、正直、あまり自信がない。一人での任務は初めてだ。
 もし、私の手に負えなかったら?
 ふと死んだ祖父を思い出し、それを振り払うように私は頭を振った。きっと家族は私が死んだら、それを誇りだと言うのだろう。何に殺されたのかも知らずに。私の亡骸を見ることなく。

「緊張してますか?」

 窓の外を眺めていると、補助監督の彼は、チラリとバックミラーで私を確認しながら話し掛けて来た。

「まぁ、はい……一人は初めてなんで」
「僕もついてるんで、大丈夫ですよ」
「でも、祓うのは一人ですから」

 目的地であるその空き家に辿り着くと、そこから呪霊の気配を感じた。長年放置されていたのだろう、何の植物かは知らないけれど、蔦が家を丸ごと覆っている。しかし、まるでそこに誘うように扉にだけ蔦が絡まっておらず、私は補助監督に行ってきます、という挨拶代わりに視線を向けた後、その扉の前に立つと、眠りに就いた。
 扉を開いても問題はなさそうだ。中に入ると、外よりもより濃い呪いの気配が感じられた。予知夢の中の私も、自身も中を捜索していく。するとミシッと天井が軋むような音がして、私は二階へと向かう。階段を上がって行き、最後の段を踏んだ瞬間、くすくすと笑うような女性の声がした。追って行くと、そこには女性ではなく、まるで昆虫のような形をした呪霊がいた。気持ち悪い、と私はすぐに祓おうと向かっていく。いつも通り、予知夢を見ながら合わせて攻撃をしていく。眠っていようが手にはその感触や痛みもあり、確実に打撃を与えることが出来ていた。先刻の考えは杞憂だったか、と私は呆気なく呪霊を祓った。祖父に叩き込まれた体術は役に立つ。
 目覚めようと、私は身体の力を抜こうとした時、視界の端に花を見た。それは五条くんから貰ったミムラスの花。同じ白い植木鉢に、鮮やかな緑の葉、そして鮮やかなオレンジの花弁。こんな場所にあるはずがない、そう思いながらも夢から覚めた。しかし、再び花があった場所を見るが、そこには何もなかった。古い畳と壁、部屋の角はカビが生えて黒く染まっていた。

「……気の所為か」

 そう思うことにした。
 寝起きの怠い身体を引き伸ばすように両手を天井に突き上げ、伸びをする。人の気配もなければ、もう呪霊の気配もない。血痕などの痕跡あれば、とも思ったが何一つなく、そのカビと埃臭い家を出た。待っていた補助監督は私を見るなり笑顔を向けて来る。

「お疲れ様です。無事、祓えましたね」
「はい……でも人の痕跡はありませんでした」
「ここで殺されたわけではないのかもしれませんね。遺体は見つからないかと思われます」
「……虚しい仕事、呪術師って」
「今後の被害が出ないと考えれば、良いことだと僕は思いますけどね」

 こういうことも深く考えないようにしよう。いずれは補助監督になって、戦うことから遠ざかって、人の身体を保ったまま死ぬ。それか呪術とは関係ない死に方を。それは私なりの家族に対する細やかな抵抗だった。








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