#1.最強と私は友人だった。






 人生の半分くらいを無駄にしているような、そんな気がする。まだ二十代半ば、されど二十代半ば。何か選択を誤ったのではないかという気持ちでいる。
 別に不幸なわけじゃない、寧ろ幸せ。大学も花屋のバイトも順調、そこそこ気の合う友人もいる。趣味も充実していて、何不自由ないのに、一体何が私にそう思わせているのか。

 仕事帰りに買った呪術廻戦の最新巻、九巻をソファに寝転びながら読んだ。初めこそ友人の勧めで読み始めたが、なかなかに面白い。五条、夏油の過去編を読み終えると、次の話を読む前に過去編の余韻に浸りながら、ぼんやりと天井を見上げた。
 過去編を読み、五条 悟、夏油 傑、家入 硝子達が好きになる。でも何故か、これが現実に起こったかのように悲しくなって、ふと涙してしまった。ここまで感情移入することはないのに。心が苦しくなって、急に叫びたくなった。助けて、助けて、助けて、と。何故か助けを求めたくなる気持ちがあったが、実際に口にすることはない。
 少し漫画を読んで休憩するはずが、眠気が差し、苦しくなったこともあり、忘れようと目を瞑った。しかしその瞬間、ぞわりと背筋を撫でるような寒気がし、それと同時に花の香りもした。それはベランダで育てている、ミムラスの花の独特な香りだった。窓を開けっ放しにしていたかな?と目を開けた時、目の前にあったのはいつも見ている天井ではなく、人の顔。それが親でも、好きな人であっても、いるはずのない場所に誰かがいると認識した瞬間、人は恐怖する。私はその人物が誰かと認識する前に身体が反応し、その人間の頬を引っ叩いていた。

「った!!」

 そう男が痛みを訴えるような声がしたが、私の方は、声一つ出さなかった。人は本当に驚くと声も出ない。心臓が壊れてしまうのではというほど速くなった鼓動、全身を伝う冷や汗、身体は恐怖を感じていて、逃げなければ、と本能的に感じる。寝ていたソファから脱出し、とにかく逃げることを優先すべく、玄関へ向かおうとする。しかし彼に手を引かれ、私はパニックになる。

「ご、ごめんなさい!」

 引っ叩いてしまったことへの謝罪。そもそも最近ずっと、背後に人の気配を感じていた為に、ストーカーだろうとも思った。とにかく何かしてしまったのでは、という意味でつい出た言葉だった。しかし、返ってきた言葉はストーカーの恐ろしいものではなく、意外な言葉だった。

「僕だって。落ち着け」

 ハッと彼の声に顔を上げると、そこには部屋の明かりに照らされ、キラキラと輝き揺れる白髪に青い宝石のような碧眼を持つ男がいた。端正な顔立ちの彼の左頬は薄らと赤らんでいる。彼のその特徴を見て、すぐに脳が彼を五条 悟だと認識した。その瞬間、再び全身に汗が噴き出て、声を絞りだす。

「ご……五条 悟?」
「正解。久しぶり」

 やっと手を放してもらえたが、混乱で頭が真っ白になる。ここに彼が存在するということ自体もそうだが、久しぶり、という言葉もまた不可解だ。漫画のキャラクターに知り合いがいるはずもない。

「やっぱ妙な生得領域だな。オマエの術式は理解してるつもりだったけど……今、何してる最中?」

 ただ戸惑う。まるで私達が友人であるかように話す彼は、私が引っ叩いた衝撃で床に落としたサングラスを拾う。何も答えない私に彼は眉を顰めて、その六眼で私の瞳を覗き込んだ。

「おい。何ボーッとしてんの?こんな場所で過ごしすぎて、頭おかしくなった?」
「……は、初めまして、ですよね?」
「初めまして?」

 顔が綺麗すぎて無理。私はサササッと寝室の方へ戻り、距離を取ると、彼はジッと私を見つめ、うーん、と唸りながら何かを考えている。私も私で、何故こんな状況になっているのかを落ち着いて考える。まず思いついたのは、これは私の夢なのではないかということ。
 よし、寝よう。
 彼には不可解な行動に映って見えるかもしれないが、夢の中で眠ると、現実で目覚めることがあるらしい。黙ってベッドに入ると、彼は案の定、はぁ?と声を上げ、こちらに近づいてくる。

「マジで何なの、オマエ。相変わらず読めねーわ」
「さようなら、イマジナリー悟……」
「誰がイマジナリー悟だよ。存在してんだよ、起きろ」

 そう言って布団を引き剥がされる。夢なら早く醒めてほしい。現実で恥ずかしい夢を見てしまった後の虚無感を味わいたくはない。というか、イマジナリー悟も顔が良い。と、そんなことばかりが頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。

「どういう状況か、僕もまだ整理出来てないけど……とにかくここはオマエの生得領域の中、頭の中、夢だ。だから起きろ」
「今、夢から醒めようとしてたのに……」
「夢の中でまた寝ようとしただけでしょ」

 一体何なんだ、この変な夢は。よく分からない設定を持ち出されたこの夢は妙にリアルで、二度と目覚めないのではないか、という恐怖さえある。私は先程の彼の言葉を思い出し、落ち着いて整理しながら彼に訊ねる。

「生得領域なら、簡単に出れるんじゃないですか?」
「だから、オマエは特殊なの。出入り出来る扉がない。生得領域だけど、領域展開したくらいの力はある。生きて眠り続ける限り、この生得領域は永遠だ。全部オマエの頭の中、術式を解かないと出れない」
「じゃあどうやって入ったんです?」
「隙が出来たからオマエに触れた、それだけ。でも条件があるんだろ。何かしらの理由……僕に助けを求めたとかさ。とにかくオマエが僕を受け入れたってこと。入ることも出ることも難しい」
「何でわざわざ?」
「オマエを起こす為。迎えに来た」

 何が何だか分からない。彼が答える度に、次の疑問が浮かぶ。私にどうしろと言うんだ。これが夢だと言うが、夢だと自覚できない。すると彼は顎に手を置き、再び黙って考えた後、私をジッと見つめる。

「多分、起きれない理由はその記憶喪失だ。記憶を戻さないと僕は帰れない」
「それってまずいんじゃ……」
「夜蛾学長と伊地知、硝子には何とか誤魔化すように頼んでるよ。少しの間なら大丈夫。でも早く思い出して」
「……頑張ります」

 とにかく理解はしようと状況を整理する。私はあの世界の人間で、眠った状態。ここは夢の世界で、私はその記憶を失って生活してると……?
 まるで現実味がない話だ。そう感じていたが、ふと思い返してみれば、自分の過去が曖昧になっていることに気づく。もしかして、本当に?そう唖然としていると、彼は私の顔を覗き込む。

「ま、僕はここにいるからさ。思い出して、夢から醒めてよ」
「ここにって……」
「ここ、君の家でしょ?思い出すまで居候させてもらうよ」

 その言葉に衝撃を受けた。無理に決まっている。自身に違和感を抱き始めたのは事実だが、私の中で彼は漫画のキャラクターだ。ましてや男性と同じ空間で過ごすなんてこと、経験がない。動揺している私を他所に、彼は部屋を見回しながら、へぇ、と呟く。

「実際住んでた場所とほぼ同じだね。寮部屋じゃない。これ、無意識だよね?」
「わ、分からない……」

 戸惑いを隠せていない私に、彼は分かった分かった、とソファに腰掛ける。

「君と生活するにあたって、ルールを決めよう。それなら構わないでしょ?」
「……どんな、ルールですか?」

 彼の出す条件は恐ろしいんだろうな……何を要求されるか分からない。そう怯えながら彼の傍に立っていると、まず、と話し始める。

「僕はオマエを助けにきたんだからさ、ここに住むってのが絶対条件ね」
「はぁ……」
「期限がある。一週間だ。僕は海外出張ってことになってるからね。それ以上はここにいられない」
「いられないって、無理に出る方法を知ってるんですか?」
「そんなの簡単!君を殺せばいいだけの話さ」

 軽い口調で恐ろしいことを言われた。救おうとしている相手を殺そうとするは、矛盾しているのではないか?そう唖然としていると、彼は私を見透かして話す。

「オマエが生得領域で生活してる理由は何となく分かる。それなりの対価を払っただけ。でも記憶喪失なのは想定外だ。侵入すれば何とか出られると思ったけど、僕の術式はここでは効果ないから、無理にこじ開けることは出来ない。君が目覚めることが出来ないというのなら、現実だと思うほどリアルな夢の中で死を体験する。そうすれば君の脳は死を感知して、生得領域も消えるってわけ」
「夢の死が現実の死に繋がるってこと?」
「そういうこと」

 ビシッと人差し指を私に向ける彼に、私はどうも受け入れられずにいたが、彼はそのまま言葉を続ける。

「でもまぁ本来、ここは君だけの領域だ。僕という異物が入って来たことによって、記憶もそれなりに戻って来るはずさ。そうしたら、君はきっと無事に夢から醒めることが出来る。殺すのはあくまで最終手段。僕からの条件は以上だよ」
「半ば強制ですよね」
「これは決まったことだ、仕方ない。それとも、折角助けに来てやったのに、術式も何もかも奪われちゃって、何も持ってない僕を外に放り出すっていうの?酷くない?」

 そう言われると困る。それに私が関わっているのなら仕方がない。どうにかするしかない、のか?流されているような気がするが、私は納得して頷く。

「分かりました……いいですよ。でも、大学もバイトもあるので、あまり勝手な真似はしないでほしいです……」
「夢の中でまで働いてんの?休めばいいじゃん。どうせ一週間の命なんだし。堅物真面目ちゃんなとこは変わってないな」

 どうせ死ぬなら、楽しいことをしていたいと思う中で、どうして自分は死を受け入れているのだろう、とも思う。やはり彼がやって来てから、いや、やって来る少し前から自身の思考の変化が気になり始めていた。これも記憶を失っているからだろうか。

「じゃあ、休みます」
「いいね、そうこなくっちゃ。この世界はそれなりに君の思い通りになる」

 そんな都合の良い世界なのに、嫌なこともあった。私は夢の中でもリアリティを求める人間なんだろうか。それか違和感なく過ごす為に意識的に創り上げているのか。

「それよりさ、記憶がないくせに何で僕の名前を知ってるの?」
「漫画を、読んでいて……」
「漫画?」

 丁度、彼が座っているソファの足元に落ちている。私はそれを拾うと、何気なく彼に差し出したが、見せても良かったんだろうか。しかし彼は表情ひとつ変えることなく、その本に視線を落とす。

「へぇ……何も書いてない。真っ白な本にしか見えないな。君にしか見えない予知夢だね」
「予知夢?」
「ここには未来が書かれていたんじゃない?君は眠ることで予知夢を見ることが出来る、そんな術式だ。見る場面は様々で、数秒後の出来事だったり、遠い未来だったり……あぁ、過去視することもあると言ってたな」
「今、何歳ですか?」
「二十四歳」
「そうですか……じゃあ、予知してますね、私は」

 私のよく知る彼は恐らく二十代後半、過去視も予知夢も事実だとするなら、辻褄が合ってしまう。漫画にはない空白の数年間の彼がここにいることになる。

「気になるなぁ、ここには何が書いてあった?」
「……未来のこと、過去のこと」
「どんな?」
「最新巻には、夏油 傑が離反する話が。まぁ、その漫画の主人公は両面宿儺の器なんですけど」
「それは面白いことを聞いた!いつか現れるんだね」
「はい……」
「楽しみにしておくよ」

 無理に聞き出そうとはしなかった。それは彼の優しさか、何か企んでいるのか。どちらにしろ、私は死刑を宣告されているようなもの。虎杖くんはこんな気持ちなのか。いや、まだ私には望みがあるから大丈夫だろう。

「傑が離反した時、オマエは寝てた。その話を聞いた時は後悔してたな……だからじゃない?僕を生得領域に入れたのは」
「そう、なんですかね」
「思い出してる証拠だ。僕もオマエを殺したくはないからさ、早く思い出して」
「……善処します」

 そう簡単に思い出せるようなものか?と思いながらも、私は眠気には勝てず、欠伸をしてしまう。

「夢の中で眠くなるんだね」
「ずっとそうやって生活して来ましたよ……」
「眠るの、怖くない?」
「いえ、別に……寧ろ、寝て過ごしていたいですけど」
「添い寝してあげようか」
「い、いりません」

 彼の軽い調子にはこっちの調子が狂う。私にとって彼は推しと呼んで差し支えない人ではあるが、同じ空間にいるのは畏れ多くもある。

「寝る場所はどうしますか?」
「ソファで寝るよ。どうせそんなに長くは眠れないからね」
「そうですか……」

 何だか申し訳ないな、と私はベッドへ潜る。ソファからこちらを見る彼と目が合った為、気になったことを訊ねる。

「あの、私は貴方のことを何て呼んでいたんですか?」
「ちゃーんと名前で呼んでたよ、悟ってね」
「じゃあ、私もそう呼んだ方がいいですか?」
「よろしく。そう呼んで」
「わ、分かりました……じゃあ悟さんで」
「新鮮だな。じゃ、おやすみ……早く寝なよ、見守っててあげるからさ」
「見なくてもいいですよ、私なんかつまらない……」

 その言葉に、彼は少し沈黙すると、はは、と笑った。何故笑ったのか、と私は疑問に思っていたが、彼は何も言う気はない、と言うようにおやすみ、と優しく呟いた。そうして私は奇妙な出来事から逃げたくて、眠りに就いたのだった。

「今の君は確かにつまらないよ」

 彼はベランダにあるミムラスの花の存在に気づいた。ただ愛おしそうに、そして懐かしむように花を見つめる。

「援助の申し出≠ゥ」

 その言葉は彼女に聞こえることはなかった。 





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