後日談 ずっとずっと、愛してる





 目が覚めると、いつも先に起きている悟くんがまだ隣で眠っていることに気づく。昨日は幸せだと言って泣いていたからな。あの後、濡れタオルで目を冷やしたけれど、腫れていないだろうか。
 私に背を向けて眠っている彼の肩に触れると、その身体が異様に熱いことに気づく。もしかして、と肩を押して仰向けに寝かせると、白い肌が真っ赤になっていた。目を開けた彼はぼんやりとしていて、風邪を引いているのだと確信した。

「おはよ……」
「悟くん、すごく熱い。昨日、寒い中外にいたからだよ」
「ん……?」

 理解出来ていなさそうな彼に、私はどうしよう、と軽くパニックになってしまう。悟くんが風邪を引くことなんてあるんだ。いや、人間だからあるだろうけど、彼が病気になるイメージがない。喉風邪や鼻風邪すら、学生時代はなかったのに。
 私は起き上がり、冷静になる。とりあえず氷袋を用意して、熱を測って、伊地知くんや夏油くんに連絡して、と考えていると腕を掴まれる。見ると、悟くんは私の手を引き、ベッドに戻そうとしてくる。

「もうちょっと寝よ……」
「悟くんは寝ていて」
「一緒に、いて」

 昨日の今日だ。傍にいてあげたい気持ちになり、彼が再び眠るまで隣にいようとベッドに戻ると、彼は私の頭を撫でて、抱き寄せる。何かしてあげたいのに、と思いながら、私はまずマネージャーである伊地知くんにメッセージを送る。

『おはよう、伊地知くん。悟くんが風邪を引いてしまったみたいで、かなり熱がありそう。仕事を休ませたいんだけど……』
『おはようございます。あの五条さんが……!分かりました、念の為、病院へ連れて行ってあげてください。今日の予定はこちらで何とかします』
『ありがとう、夏油くんにも連絡しておくね』

 すぐに返信が来て良かった。伊地知くんも優秀だし、何とかしてくれる。私は次に夏油くんへ『悟くんが風邪を引いてしまったから、今日の仕事はお休みするね』と送る。すぐに返信があるわけでもなかった為、彼の背を撫でてやると、少し汗ばんでいる。
 寝息が聞こえ始めた為、少し離れても大丈夫か、と彼の腕の中から抜け出すと、キッチンで袋に氷を詰めた物をタオルで巻き、棚から暫く使っていなかった体温計を取り出して、寝室で眠っている悟くんの元へ持って行く。
 そっと彼の額に氷袋を置くと、そっと脇に体温計を挟み、暫く待っていると夏油くんから『悟が珍しいね。何か必要な物ある?』と返信があった。後で買いに行くから大丈夫だと思うけど、と返信しようとするが、悟くんは私の腹に抱きついて来ては、私の名を呼んで邪魔される。その前に体温計の音がした為、それを取って見てみると、三十九度もある。氷袋が額から落ちており、私はそれを彼の頭に置きながら体温計を見せる。

「悟くん、病院行こう。三十九度も熱あるよ」
「うん……」
「コンビニで何か買って来るけど、」
「俺も、行く」
「熱あるのにダメ」
「……離れたくない」

 熱がある時は人恋しくなるが、悟くんもそうなのだろう。甘えてくる彼の髪を撫でながら、夏油くんに頼むしかないかな、と思っていると、インターホンが鳴る。私はそれに反応して立ち上がろうとするが、放してくれない。

「悟くん。きっと夏油くんだから、出ないと」

 私の言葉に悟くんは起き上がり、私の手を握ってベッドを出る。片時も離れたくないのだろう。玄関へ向かい覗き窓を覗くと、夏油くんが退屈そうにスマホを弄っていて、待たせてしまったな、と扉を開くと、彼は私と悟くんを見てはにこりと笑う。

「やぁ、悟のことだから、渋ってると思った」
「す、ぐる……」
「ゼリー飲料が冷蔵庫にあったから持って来たよ。栄養補給も出来るし、いいだろう。あと、スポドリね」
「わざわざありがとう、伊地知くんにも連絡しておいたから」
「そうかい、今日は私一人で何とかするよ」

 同じマンションだと何かと都合が良いな、と袋に入れられたドリンク類を受け取る。すると悟くんは私にもたれ掛かって来たかと思えば、傑くんに向かって手を伸ばす。何だろうと見ていると、その手は虚式を放つ時のように親指を曲げた中指に引っ掛け、構えていた。

「は……っ、は、」
「悟くん……何して、」
「混乱しているね。熱の影響かい?記憶が混濁しているんだろう。分かるよ」
「俺は、ぼ、く……」
「悟くん、落ち着いて……もう、呪いはないんだよ」

 その手を取って下ろさせると、彼は少し落ち着いたのか、息を吐く。それに夏油くんは腕を組み、悟くんの様子を見て眉尻を下げる。

「前世でも今世でも、悟が風邪を引いた所なんて初めて見たよ。こんな弱ってる所もね」
「後で病院に行ってくるよ。夏油くんの言った通り、記憶が混濁しているようだし、心配」
「そうだね。私はこれから仕事だけど、買い出しは大丈夫そうかい?」
「うん。お粥とかおうどんとかフルーツとか、昨日買い物に行ったから残ってるの。ただ、スポーツドリンクはないから、ありがたいよ」
「そう、良かった。また何かあれば声を掛けてくれ。お大事に、悟」

 夏油くんは腕で止めていた扉を閉めると、私は鍵を掛け、辛そうに壁にもたれ掛かる悟くんを腰を持ち、リビングへ連れて行く。

「ソファに座って。夏油くん、スポーツドリンク冷やしてたみたいだから、飲んでみて」

 私は辛そうに俯く彼にスポーツドリンクを持たせると、彼はポツリポツリと話し始める。

「ぼく、頑張った」
「ん?」
「オマエのいない、世界で、生きたんだ、精一杯……」
「……そうだね」
「ずっと、会いたかった……」

 私は彼の膝に跨り、抱きしめてやる。すると彼は力なくもたれ掛かってき、私の首筋に顔を埋めてきた。きっと何があったか教えてはくれない。だけど、私を想ってくれる時は幾度かあったのだろう。

「ごめんね、傍にいてあげられなくて」
「……愛してる」
「私も。悟くんのことを、心の底から愛してるよ」

 彼の髪を撫でると、スゥ、スゥ、と寝息が聞こえ始め、寝てしまったな、と私はそっと彼をソファに寝かせると、離れる。
 大事な書類などをまとめている棚を調べると、悟くんの保険証が出て来たものの、診察券などは見つからなかった。とりあえず、私のかかりつけ医に診てもらおう。時間も時間だし、私はある程度の身支度を済ませ、悟くんを起こす。

「悟くん、起きれる?」
「ん……」

 彼はゆっくり身体を起こすと、私は悟くんにマスクをつけ、スポーツドリンクと氷袋を持って、ゆっくり歩いて行く。車に乗せ、後部座席でグッタリしている彼を心配しながら、病院へ連れて行く。
 受付の看護師は顔馴染みで、私の苗字が変わり、結婚しているのは知っている。でも相手が悟くんだとは知らない為、驚いていた。診てもらうと、やはり風邪らしく、風邪薬を出してもらって、一先ず安心する。
 帰りに冷えピタがいるかも、とコンビニに寄りたい気持ちになり、悟くんに声を掛ける。

「悟くん、すぐ戻るからコンビニ行っていい?」

 彼は眠っていて、今のうちに、と車を止めて、冷えピタやプリンなどを買って、車に戻り、帰宅した。帰って来ると、彼はぼんやりしていて、私は魂が抜けたみたい、と思いながらも声を掛ける。

「ご飯、食べれる?」
「……食欲、ない」
「じゃあ、夏油くんがくれたゼリーだけでも胃に入れよう」
「……ん、」

 ゼリーの蓋を開け、悟くんにそれを渡すと、ゆっくりと飲み始め、隣に座っている私にもたれ掛かってくる。

「……ずっと、悟くんを支えたいって思ってたの。役に立とうと必死で。私は悟くんに必要のないことばかりしていて、空回ってた。ただ傍にいれば良かったと後悔してる」
「……ずっと、いて」
「うん、これからは一緒。私、悟くんがいないと、ダメになる。悟くんの為に生きてるから」
「やめて、それ」
「ん?」
「オマエは本当、何でもするから」
「悟くんを傷つけることは、もうしないよ」
「うん……」

 前世で私が眠ってしまったこと、今世で倒れてしまったこともそうだった。悟くんの為と言いながら、私は彼を不安にさせることばかりして来た。彼は幸せだと言って涙してくれたけれど、そこには大きな不安も混じっているんだ。悟くんは嫌がるかもしれないけれど、私はその不安を取り除く為なら、何でもする。

「ゼリー飲み終わったら、薬飲んで寝よう?」
「ん」

 彼はゼリーを飲み干すと、私は薬を取り、コップに水を入れて用意すると、彼は素直にそれを飲む。その前にトイレに行きたいと言う為、連れて行ってやり、出て来た彼をベッドに寝かせる。まるで介護だな、と思いながら隣に寝ると、悟くんはそっと私を抱き寄せた。私は彼の背を撫でながら、一緒に眠りに就いた。
 ゴソゴソと隣で彼が動いていることに気づき、目を覚ます。頭上に悟くんがおり、覆い被さってきているのが分かった。

「悟くん?」

 彼は私の首筋に顔を埋め、背中に腕を回してくる。身体が重くのしかかってくる。

「重い……どうしたの?」
「セックスしたい」
「風邪引いてるのに……我慢しよう?」

 返事がなく、まさかこのまま寝た?と思いながら彼の背と髪を撫でると、首筋を舐められ、思わず身体が跳ねる。

「ダメだって、倒れるよ」
「もっと触って」
「……汗かいてるし、身体拭いてあげるよ」

 そう言うと、彼はやっと身体を起こすが、私の腹に跨ったまま、ぼんやりと据わった目で私を見つめている。

「タオル用意して来るから、待ってて」

 そう言うと大人しく私の上から退いて、枕に顔を埋める。私は寝室を出て、お風呂場の洗面器を取ると、そこに水とお湯を混ぜ、程良い温かさになったお湯をタオルを沈めると、寝室に持って行く。床にそれを置き、タオルを絞ると悟くんの身体を揺さぶる。

「服、脱いで」

 彼は再び起き上がり、黙って脱ぎ始めるが、下着まで脱いでいる。後で着替えを用意しなければ、と思いながら、まずは顔を拭いてやる。

「まだ辛い?」
「寝れない」
「じゃあ私も起きてるから」

 背中など身体を拭いていくと、彼は私に身体を預けてくる。しんどいからというより、甘えているんだろうな、と思っていると、彼は私の手を取る。

「ちんこも拭いて?」
「もう……性欲はあるんだね」

 仕方ない、と軽く拭いてやるが、悟くんはうーん、と唸るばかり。

「勃たない……」
「それは良かった。先生にも安静にって言われたでしょ?大人しく寝て」

 ベタつく所はないか訊ねると、首を横に振った為、服を出してやると、大人しく服を着て、ベッドにパタリと倒れた。私は洗面器や服などを片付けに向かい、夏油くんに貰った残りのスポーツドリンクを悟くんに持って行く。

「飲んで」
「……オマエ、ご飯食べないの?」
「……食べた方がいいね。悟くん、お粥食べる?」
「うん……」
「たまご粥がいいかな」
「たまごがいい」
「分かった。出来るまでベッドで寝てる?」
「座っとく」

 足取りは今朝よりマシになっていて、ソファに座ると、スポーツドリンクを飲みながら、ぼんやりとしていたが、私がたまご粥を作っていると、彼はソファでダラけながら私を見ていた。見られるのはもう慣れたけれど。
 私はたまご粥を作り、ダイニングテーブルに置くと、一緒に食べる。

「……初めて食べた」
「本当?」
「風邪の時に食べるもんでしょ。俺、ガキの時に風邪引いただけで、それ以降ないし」
「それって、今世?前世?」
「どっちも。ガキなのにプライド高くて、甘えらんなくて、ずっと一人で部屋にいた」
「……そっか」
「だから、一緒にいて」
「勿論。悟くんが満足するまで」

 それに彼は嬉しそうに口角を上げた。少し元気になって良かったと安心し、その日はベッドでゆっくりと過ごした。
 翌日、無事に復活した悟くんは風邪薬を飲みながらも仕事へ出掛けて行った。しかし数日後には私に風邪が移って発熱したのだが、彼に甘やかされたのは言うまでもない。


***


 帰宅した悟くんは、この世の終わりかというほど落ち込んでいた。おかえり、と声を掛けた私に、彼は飛び掛かるように抱きついてきた。

「俺、死んじゃうかも……」
「えっ、どうしたの?」
「健康診断に行けって言われてさ……見て、これ」

 彼はバッグから健康診断の結果が書かれた書類を出してき、私はそれを見ていく。至って健康そうだが、血糖値だけは平均より高い。しかしこの程度、少し気を遣えば良い話だろう。どちらかと言うと、風邪引いた時の方が死にそうだった。

「これくらいなら大丈夫だよ」
「医者にも言われたけどさぁ……分かんないって。今の俺は特に万能じゃないし」
「それなら食事管理する必要があるね。好きな物ばかり食べていたら、将来本当に身体を悪くするよ?間食は控えよう、甘い物ね」
「うっ、」

 つい癖になっているのだろう。彼は常に甘い物を口にしている。特にネタを考えたり、動画の編集をしている時なんかはそう。仕事での外食や差し入れで甘い物を貰うことが多いとはいえ、少しは管理してあげなければならない。

「悟くん。私が毎日、お昼のお弁当作ってあげようか?」
「マジ!?」
「でも間食は控えてね。おやつは一日三つまで。個包装された小さいのね。パッタリやめちゃうのも身体に良くないから」
「……分かった」

 随分としおらしい。大丈夫だと楽観的にいられない、そんな事情があるのだろう。
 今日はヘルシーな夕飯にして良かった、と夕飯の支度をした。


***


「祓ったれ本舗さん、今日はよろしくお願いします!以前、五条さんが好きだと言っていた仙台土産を、」
「うわ、マジ迷惑……」

 今は甘い物を控える時期だというのに、何も知らない共演者のタレントが挨拶に来ては、差し入れを持って来た。明らかに俺に気がある女で、大事な大事な俺の奥さんが、人に優しく!と言うもんだから、それなりに接してきたが、露骨に嫌がってしまった。それに傑は息を吐く。

「そんなこと言わない。好きな物だろう」
「甘い物我慢してんだよ」
「そんなの、彼女が知るはずないだろう。ごめんね、いただいておくよ」
「は、はい……では、失礼します」

 女は頭を下げて出て行き、俺は息を吐き、傑がテーブルに置いた菓子を目の届かない場所に置く。

「君の愛おしい愛おしい奥さんに何か言われたかい?」
「いや、健康診断で血糖値が高かった……」
「ふーん、食生活の見直しか」
「アイツ、毎日お弁当作ってくれんだって!もうロケ弁なんて食わねぇ」
「ロケ先で食べる時はどうするんだ」
「何食べるか言ったら、バランス調整してくれるってさ」
「本当、尽くす子だね」
「やんねぇからな」
「寝取りは得意分野なんだけどな」
「ハッ、アイツはオマエになんか靡かねぇよ」

 それだけの自信はある。俺は彼女に愛されている。しかしそれを実感しすぎて、ついこの間、自分でも泣いたことに驚いた。彼女がすぐに冷やしてくれたから、腫れることなく済んだけれど、彼女にどれだけの幸福を与えられてるかと思うと、彼女に返したい。

「……アイツが喜ぶこと、してやりたいな」
「新婚旅行はハワイに行ったんだっけ」
「そうそう。水着が恥ずかしいとか言っちゃってさぁ、可愛かったけど」

 スマホにある写真を見せると、傑はハワイか、いいね、と勝手にフォルダの写真を見ていく。ほとんどは彼女と傑と花、スイーツの写真しかないけど。

「それより飯!」

 彼女が作ってくれた弁当をテーブルに広げる。わざわざ料理教室に通ったり、レシピ本を買って考えているのは健気で可愛い。俺は愛妻弁当を、傑はロケ弁を食べ始めると、傑はうーん、と唸る。

「私も彼女に作ってもらおうかな。ほら、ご近所で差し入れも貰ってるしさ」
「はぁ?絶対言うなよ、そんなこと。アイツ甘いから作りそうだし。いいか、これは愛妻弁当なんだよ。俺だけのモンなの」
「分かった分かった」

 そんなことがありつつも仕事をし、いつもより帰りが早くなるな、と時計を見る。ふと、弁当のお礼にでも花を買って行こうと、彼女が以前住んでいた家の近くの花屋へ向かう。彼女は未だにその店で買っていたから。

「あら、有名人だね」
「どうも」

 この店にはあのミムラスを買った時以来、来ていなかった。反応的に、俺のことを知ったのだろう。

「奥さんにプレゼント?」
「はい。たまにはいいかなって」

 そう辺りを見回し、ふと勿忘草が目についた。花言葉は真実の愛∞私を忘れないで=Bふと前世での彼女を思い出し、それを花束にしてもらった。

「彼女、幸せそうね」
「他人からもそう見えるなら良かった」
「いつも旦那自慢してるよ?カッコよくて、優しくて、大事にしてくれるってね」
「あー……嬉しいですね、それは」

 ついニヤけてしまう。俺のいない所で、そんなことを言っていたなんて。彼女でも自慢することがあるんだな、と思っているうちに花束は出来ていた。それに、店主は思い出したように、そうだ、と声を上げる。

「メッセージカードを導入したんだけど、良かったら書いて行く?」

 レジに置かれたメッセージカードには贈る相手に気持ちを込めて≠ニ書かれており、俺は小っ恥ずかしいな、と思いながら、勧めてもらわなければ絶対書かないし、と折角だからいつもありがとう 愛してる≠ニ書いてみる。

「ふふ、テレビとは随分違うんだね」
「よく言われる」

 会計をして、店主に礼を言って店から出た。結婚してそろそろ一年経とうかという肌寒い季節、彼女が喜ぶ顔を想像しながら、タクシーを拾って帰った。
 自宅へ辿り着くと、ただいま!と声を上げる。すると、部屋の奥からおかえりと声が返って来たかと思うと、廊下に顔を出しては持っている花束に気づいて目を丸くしている。

「勿忘草、プレゼント」
「今日、何かあったっけ」
「なーんも。たまにはいいかと思って」
「……ありがとう、嬉しい」

 メッセージカードを手に取り、嬉しそうに頬を赤らめて笑う彼女が愛おしくて、そっと頬を撫でると、顔を上げた彼女にキスをする。

「もう二度と、俺を忘れないで」
「……傷ついたよね、ごめん」
「もう忘れなければいいよ」

 あぁ、愛おしい。お弁当美味しかった、と言うと、また良かったと笑顔を見せてくれた。俺はずっとこれを求めていた。彼女の笑顔が当たり前のように見れるこの生活を求めていた。

「晩御飯は?」
「サバの味噌煮」
「美味そう。和食も好きだからさ、いいね」

 そのまま食事を済ませる。本当は俺が作ってもいいんだけど、彼女が俺の為にと思うと、嬉しくなる。でもまた、作ってあげてもいい。嬉しそうにする彼女が好き。
 美味しかった、と言っている間に彼女は皿を洗い始める。俺も隣へ行き、手伝おうと思ったのだが、俺はふと思い出す。

「今更だけどさ、食洗機が付いてんのに、何で毎回手洗いしてんの?」
「何か、機械は信用出来ないっていうか。水切りの為に使ってる」
「えー勿体無い!信用しろよ、今日はポイポイ入れちゃってさ、二人で風呂入ろ」
「じゃあ……そうしよっか」

 彼女はある程度水道で汚れを落とすと、食洗機に皿を入れて行き、電源を入れる。さぁ入ろう、と俺は寝室から着替えを取り、俺が買ってあげたレースが可愛いエッチな下着も準備する。それに彼女はあっ、と思い出したように声を上げる。

「私、生理だから無理だ……」
「えぇ、マジ?残念……それってやっぱ、一人で入りたいよね?」
「見られたくないから、ごめんね?」
「いいよ。じゃあ俺が先に入る」
「うん、お願い」

 着替えを持って行き、風呂に入ると、今日の疲れが癒されていく。反転術式がない所為か、ただの運動不足か、身体の不調が目立つようになってきた。三十路一歩手前といえ、呪霊とは違って、他人に気を遣うこともあって疲れる。でも傑と漫才やらコントやらバラエティに出るのは楽しい。ジジイになってもやってたいとすら思うが、彼女と隠居したいという気持ちもある。海外に住むのもいいけどなぁ、どうしたもんか。そう考えていると逆上せそうだ、と風呂から上がり、リビングに向かうと、彼女はソファで横になっていた。

「生理、辛いの?」
「ん?そんなことないよ。ただダラっとしていただけ」
「……我慢してるだろ」
「……少し腰が痛くて、怠いなぁというくらいだよ。私もお風呂入って来るね」

 彼女はササっと風呂場へ向かい、僕はリビングで髪を乾かした。暫くすると彼女は風呂から上がって来ると、乾かして、と甘えてくる。それが可愛くて、彼女の髪を乾かしてやる。

「……明日休みなんだけど、しんどい?」
「そんなことないよ。買い物にでも行こう」
「じゃ、早めに寝ちゃおう」

 そろそろ寝ようとドライヤーを仕舞い、二人で歯を磨いて寝支度をしてはベッドに入ると、彼女の腹を撫でてやる。

「よく眠れそう」
「なら良かった。でも今夜はデザートがなくて口寂しいから、これで我慢」

 そうキスをしていると、彼女は気持ち良さそうに吐息を洩らす。やっぱり、何年経ってもこの愛おしさは変わらない。

「は……っ、も、寝よう?」
「ん、おやすみ」
「おやすみ」

 僕は彼女の腹を優しく撫でながら目を瞑る。あぁ、幸せだ。

 翌日、休日だということもあり、のんびりとベッドで過ごし、昼前にやっと起きると、自宅で昼食を取ってから彼女とショッピングへ出掛けることに。車でショッピングモールに入ると、何だか懐かしい気分になる。前世では行ったけれど、今世ではなかなか来ない。彼女は庶民派だ。

「悟くん、その……」
「ん?」

 何故か言いづらそうにしており、俺は何だ、と屈んで彼女に顔を寄せると、彼女は目を泳がせる。

「実は花瓶を、壊してしまって」
「花瓶?」
「昨日、悟くんがお風呂に入ってる時に、落としてしまって。慌てて片付けたんだけど、その、貰った勿忘草をコップで代用していて」

 そんなこと気にしてたのか、別にどうだっていいのに。そう思いながら、俺は彼女の手を握る。

「まだ、花瓶はプレゼントしたことなかったよな」
「えっ、買ってくれるの?」
「俺が選んでやるよ」
「うん、ありがとう」

 いつも買ってる所があるんだ、と観葉植物などが置いてある雑貨屋に向かう。ここが店か、と見ていると、雑貨屋の前にいた男二人が俺達にスマホを向けては写真を撮っており、彼女もそれに気づいては顔を逸らして、店に入ろうとする。しかし俺は彼女の手を放し、そいつらに声を掛けようとする。しかし彼女はそれを止めようとするが、ここは対応するしかない、と向かって行く。

「おい、それ盗撮だぞ」
「えっ」
「あ、すんません……」
「俺一人ならともかく、うちの奥さん、撮られるの嫌がるから、デート中とかは特にやめてほしいって、SNSでもテレビでも言ってんだけど?」
「さ、悟くん、大丈夫だから」

 彼女は慌てて俺の腕を引っ張り、騒ぎにならないようにしようとしているのか、止めてくるが、俺にだって考えはある。

「その写真、すぐ消してくんない?その代わり、俺だけなら撮っていい。ツーショットでもいいよ」
「マジっすか」
「でも二度とすんなよ。盗撮嫌いなんだよ」
「すんません!お願いします!」

 俺はちゃんと削除し、ゴミ箱の中も空にしたのを確認すると、男の一人のスマホを取って自撮りしてやると、それを返す。

「じゃあな」
「ありがとうございます!」
「あざっす!マジ緊張した」

 俺は行こっか、と再び彼女の手を取って店に入ると、彼女はギュッと握り返してきた。

「ちゃんと分かってるって。優しく、でしょ?オマエからも傑からも口酸っぱく言われて来てんだから」
「……そっか。なら良かった」

 彼女は安心したように息を吐き、花瓶見ようと売り場に俺を引っ張って行くと、俺の手を放しては花瓶を取って見ていく。俺はいつも買っているのに近い形の物を取り、底に付いている値札を見ると、かなり安かった。

「やっす!もっと高いのでいいよ?俺が払うって言ってんのに」
「こういうのは値段じゃないんだよ、悟くん」
「何その言い方、生意気」
「む……っ」

 どうせ気を遣ってんだろ、と俺は彼女の頬を鷲掴みにすると、俺の考えを察したのか、そうじゃなくて、と眉を顰める。

「気に入ってるの、ここのお店の花瓶」
「ふーん……こだわり?」
「こだわりっていうこだわりでもないんだけど……」
「俺の美的センスが言ってる。もっと合う花瓶があるってな」
「えぇ……」
「絶対、いつも置いてるリビングには陶器のが似合う。何かオマエがいつも置いてるのって、」

 彼女が手にしているガラスの花瓶は、前世で傑に貰っていた花瓶によく似ている。昔は良かったし、俺も大事にしていた。だけど今は気に入らない。

「傑に貰ったやつに似てる……」
「そうだね。これが身に染みちゃって……夢の中でもこれ使ってたから」
「……そうだっけ」
「うん。部屋にあった物が夢の中にも反映されてるから。でもやっぱり、悟くんの家だから、悟くんの家に似合う物にした方がいいね」
「俺達の家でしょ」
「そうだったね、私も五条だ」

 久々に胸がモヤモヤして、落ち着かなくなった。学生時代、彼女に片想いしていた時の感覚だ。もう結婚して暫く経つのに、いつまで経っても青臭さ抜けきれないのは、俺がいつまでもガキだからか。人生二度目だってのに。

「悟くんのオススメ、教えてよ。私達のリビングに飾る物だから、私達がいいって思う物にしよう。挿す花も考えながらね」
「俺、ガキっぽい」
「そこも好き」
「……あぁ、何か最近のオマエ、余裕あってムカつく」
「だって余裕あるし?余裕なくすことなんて、ないでしょ?」
「そうですけどー」

 今更誰かに見向きもしないのは分かってる。だけど、どうしても過保護になってしまう自分がいる。与えられたチャンスを逃さないように、彼女に無理をさせないように、離れていかないように。

「悟くん、花瓶売ってるお店、探そう?」
「ん」

 ショッピングモールから出ようとフードコートの前を通る。そこにクレープ店があるのを見つけて、つい目で追ってしまうと、彼女はそれに気づいて俺の腕を引く。

「ダメ」
「デートの特別な時くらい……」
「今日はダメ」
「はーい」

 仕方ない、早死にしたくないし。俺は彼女より長生きして看取ってやりたい。愛する人の死に様なんて、本当なら見たくないでしょ。虚しいから。彼女にそんな思いはさせない。
 ショッピングモールを出て車に戻ると、彼女は花瓶か、と検索し始める。

「フラワーベース専門店、結構あるね。気になるのある?」
「んー……イメージ的に、これじゃね?」
「よし、行こうか」

 彼女のスマホをナビ代わりにしてフラワーベース専門店へ車を走らせる。自分のスマホでその店調べていると、鉢植え、プランターなどもあるらしい。彼女はどれもプラスチックの安物しか買わないから、そこで全部揃えるか、と考えていた。
 軽く雑談をしながら店へ向かうと、そこには花瓶やプランター、花も一緒に売られている。

「選び放題だな。メーカーが統一されてないし、種類も豊富」
「一緒に選ぼう」

 俺達はこれにしよう、あれにしよう、と部屋やベランダに置いた時のことを想像しながら手に取っていく。その一時が俺には心地良くて、幸せだった。ただ家に帰るまでの少し先の未来。それでも未来を彼女と語ることは前世の俺達には出来なかった。

「昨日くれた勿忘草を飾るのが楽しみだね」

 そう笑う彼女が愛おしくて仕方ない。
 その後、軽い買い物をして帰宅し、夕飯は俺も手伝い、食事を共にした。花瓶に花を挿し、やっぱり似合うと話しながらも、いつもと変わらない休日を過ごす。俺が出演しているバラエティ番組が観たい、とリビングで夜を過ごしていたが、日付が変わるかという時間帯になると、彼女はスマホを見たり、そわそわと落ち着きがなくなっていた。

「私、夏油くんの所行ってくるよ。お裾分け、持って行く」
「俺も行こっかな」
「何で?」
「あ?何となく。それにもう深夜じゃん。マンション内とはいえ危ないでしょ」
「これでも元呪術師だよ」
「元、だろ?俺も行く」
「過保護だ」
「……傑と二人きりにさせるの、やだ」
「今更……」

 確かに今更だけど、何か今日は嫌だなぁと思う。花瓶の件もあったし、特に嫌なのは、今日が特別幸せだと感じたから。

「早く行かないと、」
「は?何で」
「夏油くん、寝ちゃうでしょ?」
「じゃあ明日でいいじゃん」
「……お願い、悟くん」

 いつもなら折れるのに、何で今日は頑ななんだ。気に入らない。彼女はいつだって俺の思い通りにしてくれる。立ち上がろうとする彼女の腕を引き、ソファに戻すと、行かないでほしいとキスをする。それに大人しくなった彼女の身体は素直だ。するとテーブルにあったスマホが震え、それが俺のだと分かると、唇を離して手を伸ばした。しかし彼女はそれを許さず、俺の手を掴んできた。

「ダメ、悟くん」
「は?」
「……いきなりだけど、おめでとう」
「何が?」

 理解出来ずに彼女の真っ直ぐな瞳を見つめていると、彼女はおかしそうに笑った。

「本当に忘れてるなんて……誕生日おめでとう、悟くん」

 その言葉を聞いて、今は日付が変わった瞬間の十二月七日、前世と同じ俺の誕生日だと気がついた。まさか、それの為に?と思っていると、彼女は俺の頬を両手で包み込み、指で優しく撫でてきた。

「結婚して最初の誕生日だから……一番にお祝いしたくて。何歳になった?」
「三十路……」
「もう三十歳なんだ。初めまして、三十歳の悟くん。これからもこんな私ですが、よろしくお願いします」

 彼女の言葉と優しい笑顔にじわりと胸が熱くなるのを感じた。
 好きだ、大好き。愛してる。どんな言葉でも足りない。
 次は胸だけではなく、目頭も熱くなる。歳を取って平和ボケすると、人は涙脆くなるのだろうか。俺が泣くなんてこと、この世に産まれた時くらいだろ。幸せすぎて泣けるとか、馬鹿げている。
 これからずっと泣くことになる、と初めて泣いた時に言われた彼女の言葉を思い出し、俺は息を吐き、彼女の肩に顔を埋める。

「何度言っても足りないくらい、オマエを愛してる。来世も、その次も、ずっとずっと、オマエだけが俺の恋人で、奥さんで、最愛の人」
「……うん。私もずっと、そうありたい」

 優しく髪を撫でられ、俺は再び幸せだと感じ、彼女を抱きしめる。するとインターホンが鳴り、折角この幸せな時間を噛み締めていたのに、と思っていると、彼女は慌てて俺から離れては玄関へ向かう。どうせ傑だろ、と思っていると、案の定傑がやって来たかと思うと、手には大きな向日葵の花束を持っていた。しかもその後ろには硝子までいる。白い箱を持って。

「ったく……どうせまた嫉妬でもして、彼女を離さなかったんだろう」
「待たされる身になれ」
「どうでもいいだろ。てか、それ……」
「部屋に置いていたらバレるから、夏油くんの部屋に置かせてもらってたの。それを日付が変わる直前に取りに行こうと思ってて、」
「……何だそれ。早く言ってよ」
「サプライズにならないだろう。ほら、君から渡しな」

 傑から花束を受け取った彼女は重い、とそれを持ちながら、俺の目の前にやって来る。

「悟くん、前に私に薔薇を九九九本用意したかったって言ってたよね。でも、私にはそんなこと出来ないから……季節外れの向日葵の花、九九本。意味は、悟くんなら知ってるよね」
「……知ってる」
「あれ、泣いてる?」
「うわ、マジ?鼻赤くない?」

 俺の声が少し震えたのを聞き逃さず、傍にいた傑と硝子が茶化してき、俺はグッと堪える。

「泣いてないし!」
「はいはい」
「ケーキ食べよう、ケーキ」

 俺は彼女から向日葵を受け取ると、花の香りに包まれた。そっと彼女にキスをすると、擽ったそうに笑う。

「花瓶、足りないね」
「こんなことなら、デカいの買っておけば良かったな」

 そっと花束をソファに立て掛けると、硝子は既にケーキを開けていた。白い箱にはエディブルフラワーをあしらえた白いケーキがあり、俺達のウェディングケーキを彷彿とさせる。

「またあの店から買ったの?」
「違うよ、私が作ったの」
「マジ?料理上手くなったな」

 売り物みたい。いや、売り物以上にいい。全部俺の為に、と俺はキッチンへ向かい、食器棚からフォークを四本取り出しては持って来ると、三人の目の前にやる。やることは分かっているのだろう、納得したように一本取っていく。

「悟くん、おめでとう……!」
「おめでとう」
「おめっとー」
「んじゃ、いただきます!」

 俺は真っ先にケーキにフォークを入れると、三人は笑った。ケーキを口に入れ、甘さを感じる前に感じた幸せは、今までにない、最高のプレゼントだった。

 ありがとう。ずっとずっと、愛してる。






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