#5.意味のある言葉





 彼女が深い眠りに就いた時、僕は彼女のことを、僕の為に命を張ることを厭わない人間で、とても身勝手だと思った。
 呪力の流れを見て、術式で目覚めることが出来ないと理解した僕は、彼女を自宅から連れ出し、高専で保護することにした。高専に戻った時には毎回、彼女に会いに行けるから。

「今日さ、夢にオマエが出てきたよ。オマエだけじゃなくて、硝子や傑も。何か、懐かしくなって、少し寂しくなった。本当、少しだけ」

 ちょっとした弱音。僕らしくないことを言えば、彼女が反応を見せてくれるかも、なんて甘い期待を寄せながら、まだ温かい手を取り、自分の頬に当ててみる。

「僕の為に生きるって、こういうことじゃないんだよ。ただ隣にいて、笑ってくれれば、それで良かったのに。本当、意味分かんねぇ……」

 彼女は最後、呪いの言葉を残して眠った。ずっと僕が彼女に感じていたその心を口にすることはなかった。ただ気恥ずかしかったから、言わなくても伝わっていると思って。でも彼女に口にされた時、僕は確実に呪われたのだ。
 ただ虚しい。僕は任務に行って来る、と声を掛けて出て行った。
 任務帰り、たまたま昔にミムラスの花を買った花屋の近くを通った。最近は買ってやれていなかったと思いながら花屋へ入ると、いらっしゃいませ、という声と共に、女性店員がこちらへやって来る。

「あ……っ!お兄さん、以前来てくれた方じゃないですか?」
「よく覚えてますね」

 ミムラスを買った時に接客してくれた女性だった。あれから来ていなかったな、と思っていると、彼女はやっぱりそうだ、と喜んでいた。

「あれから、恋の行方はどうなったかなぁって、気になってたんですよ!」
「……無事、それっぽい関係にはなりましたよ。笑顔も見れたし」
「じゃあ今日は、その彼女さんにですか?」
「そうですね。何かオススメあります?」

 今の季節だと、と彼女は探していき、そうだ、と持って来たのは、小ぶりの青い花。

「ブルースターなんてどうですか?花束に混ざっていたら特に素敵ですよ。花言葉も幸福な愛≠ナすし」
「……じゃあ、ブルースターだけの花束を作ってもらっていいですか?」
「えっ、でも混ぜた方が……」
「彼女、いつも一種類だけ育ててるんです。その花一つ一つを愛でたいそうで」

 彼女は誕生日に傑に贈られた花瓶に花を挿すようになっていた。その時は毎回一種類で、枯れたらまた違う花を買っては飾っていた。どういう基準で選んでいるのかは知らないが、彼女なりの拘りがあったのだろう。

「それなら、今からお作りしますね」
「どうも」

 花瓶は彼女の家から取って来よう。傑から貰ったのを大事にしてたし。そう考えながら、他の花を見て回る。僕は花に詳しくはないけれど、これから知っていけばいい。花に願いを込めて、贈り続けよう。例えそれが意味のない行為だったとしても、彼女が目覚めた時、僕がどれだけ愛しているかを伝えよう。

「お待たせしました。お兄さんの瞳の色にピッタリですね」
「ありがとう。彼女、喜んでくれると思います。また来ます」

 会計をして花屋を出ると、彼女の住んでいた部屋へ向かい、どんな花だったのかも分からないほど花瓶の中で枯れてしまっている花を抜いて捨てると、軽く洗う。部屋も掃除する必要があるな、と時間があった為、掃除をしてから高専へ帰った。
 彼女が眠るベッドしかない殺風景な部屋に、使っていない机を持って来ると、水を入れた花瓶をそこに置き、僕は花束の包装紙を取る前に、彼女に見せるように頭上にそれを持って行く。

「ブルースターだって。意味は知ってる?これ、オマエにあげる」

 包装紙を取り、花瓶に挿す。窓側の風上に置いているから、少しでも香りが届くといいんだけど。そう思いながら手を握っては、彼女の寝顔を見つめる。すると部屋の扉が開き、硝子が入って来る。

「花か」
「いいっしょ」
「……そうだな。この部屋は寂しすぎるから」

 硝子はベッドに座ると、そろそろ半年か、と息を吐く。硝子も無茶をしすぎている彼女のことを気に掛けていた。今回、深い眠りに就いた時も、彼女を理解しては仕方がない、と受け止めていた。

「彼女の家族は高専での保護を了承していたよ。ただ、今回はこの子のことを恥だと言っていたね」

「それでいいんじゃない?彼女は家族に嫌われたがってるから。今回の眠りが今後の僕の為になるかもしれないけど、家族には伝えない。どうせ理解出来ない世界だ」

 暫く彼女と共に過ごした僕らは別れを告げて、仕事へ戻った。
 こうやって、僕らの日々は過ぎていったのだ。



「カスミソウってさ、結婚式でよく使われるんだって」

 カスミソウの花束の包装紙やリボンを取ると、束の一つが彼女の傍に落ちる。顔に掛かってしまい、ごめんごめん、と謝りながらそれを手に取ろうとするが、彼女の髪に映えると思い、茎を折って彼女の髪に挿す。

「似合ってる」

 そっと頬に触れると、じわりと手に温もりが伝わってくる。もう、三年になるんだな。元々細かったが、それなりに鍛えていた彼女は、今はもう窶れたように痩せ細った姿をしている。
 前のように、一年で起きてくれるんじゃないか、次は二年、三年、と絶望的な状況だった。
 花瓶にカスミソウを挿すと、僕はふと息を吐き、ベッドに座る。

「……僕も歳取ったなぁ、オマエを前にしておセンチになってる。花屋に行く度に、オマエのことを訊かれるよ。僕もそれなりに気を遣えるいい男だからさ、毎回、喜んでますって答えるんだ。でね、その店員がカスミソウを結婚式のブーケにしたって写真見せてもらって……いつか僕も真似するって、言ったんだ。馬鹿みたいだよな」

 どこかで、オマエはもう一生目覚めないんじゃないかって思っている。けど、決して言葉にすることはない。それを口にしたら、本当に目覚めなくなりそうで。

「まだ僕は、オマエに好きの一言も言えてないってのに。我ながら奥手で、可愛げがあると思わない?これ、聞こえてたらちょっと恥ずいけど」

 どうか、聞こえないでいてほしい。無意味な夢に囚われ、眠り続けるなんて。最強の僕でも届かない。手に届きそうで届かないのが、一番厄介だ。
 傑は僕の前から姿を消してしまい、追わなければ、会うこともないだろう。会ったとしても、呪詛師だから殺さなければならない。でもオマエは違うから。家族の元へ帰したとしても、僕はきっと目覚めないオマエが恋しくなって会いに行く。つくづく女々しい。

「これって、依存かな?オマエは何をするわけでもない。ただここで眠ってるだけなのに、僕は何かを与えられて、奪われているような気分になる」

 僕は彼女の隣に寝転がる。こんなことも、起きている時にしたかった。でも少し、彼女に触れるのは緊張する。

「……オマエは見なくていいけど、僕はまた、オマエの夢が見たい」

 彼女と共にいても、多く会話をするわけではなかった。初めこそはただの興味で俺ばかり話し掛けていて、彼女はそれに答えるだけ。互いに不器用だったと思う。でも、俺達があの橋の下に落ち、生まれ変わってからは、言葉を交わさなくても、繋がっている気がして。傍にいるだけで満足して、僕の言葉に微笑む彼女が愛おしくて。

「会いたい……」

 もう一度だけでいいから、オマエを幸せにするチャンスが欲しい。もう二度とこんな無茶をして、僕の元を離れる気が起きないくらい、幸せで離れがたいと、そう思わせるから。
 だから僕にもう一度、チャンスを頂戴。
 そう願いながら僕は、硝子に叩き起こされるまで、その場で眠り続けた。



 彼女が眠り就いて五年。そろそろ花のレパートリーがなくなって来たな、と感じ、彼女の部屋に残されていた植木鉢を取りに来た。放置された部屋は僕が彼女の口座に入金して、家賃を払い続けている。しかし、暫くは部屋に来ていなかった。僕が鍵を持っているし、そもそも掃除をする余裕なんてない。一応、四年半前に花瓶を取りに来た際、食べ物やゴミは全て処分して、掃除もしたけれど。それ以降は手を付けておらず、ジメッとしていて、埃やカビっぽい臭いがし、部屋の隅には蜘蛛の巣が張っていた。

「こんなことなら、来ておけばよかったなぁ」

 綺麗に保っていれば、彼女が目覚めてここに戻って来た時、気分良く過ごせたはずなのに。そう思いながらカーテンや窓を開ける。風が部屋に入り込んでき、埃が舞った。最悪だ、とベランダに出ると、ふと、僕があげた白い鉢植えが倒れていることに気づく。枯れたミムラスと土がベランダの床に広がっていて、台風の日にでも倒れたのだろうと察しがついた。僕は今日、これを取りに来たんだった。そう、倒れた鉢植えを手に取ると、カラカラ、と音を立てて鉢植えが崩れ、僕の手には鉢植えの欠片だけが残る。

「……最悪」

 落とせば割れる、無理に扱えば割れる、手入れもせず、雨風に晒され、放置すれば割れる。割れ物、弱い物なんだから、当たり前だ。
 これは、僕と彼女の思い出だった。

「ほんっと……最悪」

 苛立ちが募る。後悔したって遅いのに。僕はいつだって、気づくのが遅いんだ。
 僕はその場で座り込み、ベランダから部屋を見る。二人掛けのソファに共に座り、眠りながら好きだと伝えられたことを思い出す。
 こんなことをしていると、馬鹿になりそうだ。ここはまた、時間がある時にでも片付けてしまおう。壊してしまった僕がやるべきなんだ。
 家を出て、何も持たずに花屋へ向かう。いつもの女性店員が挨拶をしてき、僕は笑顔を作る。

「こんちは、そろそろミムラス置いてます?」
「置いてますよ!まぁ、入荷数はかなり減ったんですけど……」
「あれ、そうなんですか?」
「そもそも花苗の売れ行きがあまり良くなくて……マリーゴールドやペチュニアなどはよく売れるんです。最近は部屋で楽しむ人が多いので、多肉植物やアイビーのような観葉植物も人気で」
「そっか……僕も花苗は久々で。色々と贈ってきたけど、またミムラスを買って行こうかと」
「素敵ですね。初めて贈った花ですから、きっと喜ばれますよ」
「だといいんですけどね。彼女、鈍感で」
「ふふ、また一緒にいらしてください」

 返事をすることなく、僕は昔と同じように、花苗が売っている仕切られたガラス戸の向こう側へ向かい、ミムラスを見つける。僕があげて以降、彼女はオレンジ色のミムラスばかりを育てている。だから今回もオレンジ色にした。植木鉢も新調しようと見てみると、昔と同じデザインの物はなく、似たような一つ植えることの出来る白い植木鉢と土を買う。

「そのまま持って帰りたいんで、ここで植えさせてもらっていいですか?」
「いいですよ、こちらどうぞ」

 そう奥に通され、軍手やスコップを用意してもらい、僕は鉢植えに植えていくと、懐かしさを覚えた。今度は大事にしようと、そう思える。崩れないよう、底のある袋に入れてもらう。

「また、近々いらっしゃいますか?」
「うーん……どうですかね。彼女の気分次第」
「実は私、子供の為にお休みを」

 そう言って彼女は腹を撫でる。そこで僕はやっと、彼女が妊娠していることに気づいた。エプロンをしていたからか、ぼんやりしていたからか、気にも留めなかった。

「おめでとうございます。気づかなかった……普段通りだったから」
「はは、大きなお腹にも慣れました。なので、いつも担当させていただいてると思うんですけど、姉が手伝いに来てくれるので、気軽に声を掛けてください」
「ありがとうございます、元気な子を産んでください」
「はい!ありがとうございます!」

 僕は店を出て行くと、子供か、とつい考えてしまう。先々のことを考えすぎかもしれないが、僕は子供のことは考えられない。まだ彼女と過ごす時間が足りない。でも、普通の人間のように、普通に家庭を持ったら、僕はちゃんとした親になれるのだろうか。いや、無理だな。
 そんなことを考えながら僕は高専へ帰って来ると、早速彼女が眠っている部屋へ向かう。

「やっほー今日は思い出深い物を持って来たよ。暫くお花なくてごめんね。忙しくてさ」

 僕はいつも通り話し掛けては、何も挿していない花瓶をズラし、ミムラスを植えた植木鉢を置く。

「大事にしてくれていた鉢植え、壊しちゃったんだ。枯れるまで、ミムラス育てよう」

 見舞いに鉢植えは縁起が悪いと言うけれど、関係ないよね。彼女なら喜んでくれる。そう、買って来たミネラルウォーターの蓋を開け、水をやると、ベッドに座る。

「いつもの店員、妊娠してたよ。僕らもいつかは!なーんて」

 そんな独り言を呟きながら、彼女と静かな時間を過ごした。そうしていると、次の任務が入った為、挨拶をして出て行った。
 それから暫くは彼女の部屋でミムラスに水をあげて大事に育てていくことにした。
 そんなある日のことだった。いつも通り、彼女の部屋へ向かうと、彼女に挨拶した後、鉢植えの土に触れる。湿っていない為、誰も水をあげていないのだろう。僕が出張でいない時は大体、硝子が水をあげてくれている。ふと、また蕾が花開いており、日が当たっている為、部屋でもちゃんと育っているな、と思いながら、傍に置いてあるコップに水を入れて来ようと、それを手にした時だった。

「た、す──」
「え?」

 弱々しく、か細い声が聞こえた。

「──すけ、て」

 心臓が激しく脈動する。その声は、彼女の口から確かに発せられていた。そして、彼女の呪力の流れが弱くなり、揺らいでいることに気づく。僕はすぐに伊地知へ電話を掛ける。

『は、はい!もしもし──』
「伊地知、僕は今から、彼女の中に入る。僕の身体は無防備になるかもしれない。海外出張ってことで、あとはよろしく」
『ど、どういう、』
「夜蛾学長と硝子にだけ連絡して。それじゃ」

 僕は電話を切ると、彼女の頬に触れ、唇を寄せる。

「僕に、チャンスをくれてるんだよな?……大丈夫。絶対、帰って来れるから」

 僕は意識を集中させ、彼女に口付けをした瞬間、意識を失った。

 大丈夫だよ。だって、オマエが助けを求めてくれたんだ。またチャンスをくれたんだ。僕に出来ないことはない。
 だって僕は──






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