#6日目.好きにならなければ、





「ごめんね」

 朝起きて、高専へ向かおうと家にあった手土産を準備したりと支度する。そんな中でも傑はずっと私の機嫌を取ろうとしていた。しかし、私は傑の声に言葉を返さず、硝子の元へ向かう。
 医務室に入ると、硝子は昨夜眠れたのか、疲れた顔はしているが、二十四日に見かけた時よりかはマシに思えた。

「お疲れ様、硝子。良かったらこれ。この間、出張土産で買った缶詰めなんだけど、」
「ありがとう、昨日からやっと落ち着いてな。酒のつまみにさせてもらうよ」

 私はいつも座っている丸椅子に腰掛けると、傑は硝子をジッと見つめていた。

「申し訳ないね、硝子の手を煩わせて」
「それで?夏油とはよろしくやってるのか?」
「……その言い方は、あまり良くない」
「五条から何となく聞いてる。幻覚症状があるって」
「それが、幻覚か分からなくなってきた。誰にも、悟にすら見えてない。でも昨日、傑が術師の首を絞めようとした。そうしたら本当に、締まったの」
「幽霊になってまで、誰かを殺そうとでも?」

 私がちらりと、医務室の報告書を盗み見ている傑に目を向けると、彼は硝子の問いに答える。

「別に殺そうとしてないよ。ただあの男から離れてほしかっただけさ」
「……ただ、気に入らなかっただけだって」
「ふん、おかしなやつだな。未だに独占欲なんてあるのか?」
「さぁ……」
「幻覚であれば、それは君が望んでいることだろうけど、そうじゃないんだろう?」
「多分、」

 あまり自信もない、と息を吐くと傑は他人事のように、医務室を見て回っていた。それに硝子はそれじゃあ、と話す。

「君が知らないことを訊けばいい。私と夏油だけが知っていて、君が知らないことだ」

 そんなことあるのか?と首を傾げると、傑は側にあったベッドに腰掛けては、思い出しながら話す。

「一年の夏だったかな。君と付き合う前、硝子に君の欲しい物を探ってきてほしいと言って、断られたことがあるかな。あと……最後に会った時に、ライターでタバコに火をつけてあげた」
「……吸ってたの?」
「少しね」
「何だって?」

 私は傑が言葉にしたことをそのまま伝えると、彼女はまだ朝だというのに、テーブルにあったウィスキーのボトルを開けて、グラスに注いだ。

「本当……厄介だな」
「あったんだね、そんなことが……」
「まぁ、本当にいることは確かだな」

 硝子は私の視線を追って傑を見るが、彼は見えておらず、ただその場所を見ている。本当にいるという硝子の言葉を聞いて、私は戸惑う。
 ならばどうしたらいい。解呪の仕方は?呪いとはまた違う存在なら、乙骨くんと同じ方法は取れないし、里香ちゃんと傑は違う。

「夏油がここにいるという前提で話をするが、これ以上、この子を苦しめるな。捨てて呪詛師になって、恋人だったから暫く監視がついた。なのに今更死んで、幽霊になってまでこの子の傍にいようだなんて思うな」

 傑がここにいると信じて、彼にそう言っている。硝子は少し苛ついた様子で、グラスに注いだ酒に口を付ける。私は何も言えなかった。いや、言う必要がないと思った。全部、全部硝子が言ってくれたから。私は苦しいんだ。傑といるのが苦しい。

「……私は、君に幸せになってほしいと思って、離れたんだ。君と会って、説得されたとしても、私は変わらなかった。結局私は死んでしまったし、君を不幸にすることしか出来なかったから。そこは後悔していないよ。でも、今回のことはどうしようもない」
「……何だって?」
「好きにならなければよかったと思わせるようなことを言ってきたよ」
「祓えるなら祓いな」
「酷いなぁ、彼女にそんなこと出来るはずないだろう?」

 それもそうだ。私は深い溜息を吐くと、硝子は私に酒の入ったグラスを差し出してくるが、私は首を横に振る。そういった気分でもなければ、これから仕事がある。

「ありがとう、硝子。少し落ち着いた。どうすればいいか、少し考えてみる……」
「……何かあったら言って」
「うん、また来るよ」

 私は医務室から出ると、当たり前のように傑もついて来る。廊下を歩いている間、私達の間には私の足音だけが響いていた。しかし、別の足音が聞こえ、顔を上げると、そこには夜蛾学長がいた。

「お、脳筋学長」
「……夜蛾学長、」
「大丈夫か?」
「何とか……」

 緊張感のない傑を無視しながら、夜蛾学長に言葉を返す。確かに私達は百鬼夜行で傑に出し抜かれたかもしれないが、初めから乙骨くんを狙ってるだなんて思いもしない。傑の術式も、ハッキリしていたわけではなかったんだから。

「後悔はあるだろう。俺もそうだ。だが、ずっと俯いていても仕方がない。今回に限ったことではない。また、」
「分かってます、何となく気づいてます。私の様子がおかしいから、皆が私を疑ってる。でも、私は何も知らなかったんです」
「あぁ、俺は理解してるつもりだ」
「……失礼します」

 私は夜蛾学長と別れ、事務室へと入る。誰もいないその部屋に入ると、彼は迷わずテーブルに堂々と座る。

「私と繋がっていたんじゃないかと疑われてるって話かな?」
「……言葉にしないだけで、そう思ってる人も沢山いる」
「昨日の男もそうか。疑われてると分かってたのに、誘いに乗ったの?」
「いや、あのレストランで傑の名前を出された時に分かった」

 学生時代にも同じ経験があった。信用を得るまでに時間がかかったことを思い出し、憂鬱になる。パソコンに向かって息を吐き、手が止まる。背もたれに身体を預けながら、ぼんやりと壁を見つめた。すると彼はねぇ、と声を掛けてくる。

「君は、私が消えたら満足するかい?」
「……よく、分からない」
「何故?」
「私に、そんなこと言わせないでよ」

 狡い人だ。とても狡くて、身勝手だ。そう思っていると、彼は私に手を伸ばしてきた。
 何度目だろう。いつも触れられないのに、諦めが悪い。でもどこか期待している。
 やはり彼の手は私の頬をすり抜けていく。まるで恋人を愛おしむかのような表情が、心臓を握り潰されたように締め付けられ、苦しくなった。

「私が堂々とその言葉を口に出来る相手だったら良かったのに」
「……ごめんね」

 また何度目か分からない彼の謝罪の言葉を聞くと、じわりと目頭が熱くなった。何もかも遅すぎる彼を愛してしまった私は、どうしたら満たされるのだろう。
 ずっと、ずっと、答えが出ない。






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