#1.トリップパニック





 初めに感じたのは、頭の中をグルグルと掻き乱されるような目眩。
 吐き気を催すような悪夢に魘されていたような気がする。そう思いながら私は目を覚ました。しかし、そこはベッドの上ではなかった。

「ど、こ……」

 そこはカビや埃臭い、ただ骨組みとコンクリートで固められた部屋で、私は床に突っ伏して倒れていた。自宅のベッドで寝ていたはず。それなのに何故。
 するとそこに二つの足音が聞こえ始め、私は立ち上がらなければ、と痛くて怠い身体を持ち上げる。

「お、目覚めてるね」
「ふーん……普通に人間だな」

 目の前に現れた二人には見覚えがあった。白髪に丸いサングラスをした男と、後ろで髪を括り、顔の左側に前髪を垂らした切れ目の男。

 五条 悟と夏油 傑だ。

 コスプレイヤーの方ですか、と口走りそうになったが、今自分がここにいる違和感が拭えない。現実味はないが、彼らは本物なのかと混乱して、その言葉を口にするのはやめた。そんな私の目の前にしゃがみ込んだ夏油 傑はぼんやりとしている私に手を振っている。

「大丈夫?」
「……ぅ」

 顔が良い。私は陰キャでコミュ障のどうしようもない人間だ。彼らに声を掛けられるなんて……いや、そもそも存在していること自体おかしなことなんだ。だって、

「なぁ、オマエは何者?どっから来た?」
「ぇ……」
「呪霊がゲロったと思ったら、オマエが出てきた。何で?」

 いや、私が知りたいです。何故そうなった。呪霊が私を吐き出してここへ連れて来たってこと?そんなのあり得ない、私はこの二人を漫画≠ナ知ってるんだから。

「わ、私、違うくて……これはきっと、夢だ」
「混乱してるんだね、大丈夫、落ち着いて。家はどこかな」
「え、と……」

 私は住所と名前を辿々しく伝える。すると、分かった、と夏油は携帯を取り出すと、補助監督だろうか、丁寧な口調で電話をしている。一方、私はその場で俯いていると、五条からの鋭い視線を感じた。いくら目を逸らして無視しようにも、彼は六眼で私を見つめ続ける。穴が開きそう。そんなに見ないでほしい……

「ふーん……それなりの呪術師ってとこ?」

 そんなはずない。私は非術師、猿だ。なのに彼の目に私は呪術師として映っている。私の身体に呪力が流れてるってこと?そんなこと、あるはずがない。距離も近い、彼の視線と圧力に冷や汗をかきながら目を逸らし続けた。

「なぁ、自覚あんだろ?」
「ない、です……」
「でも意味は分かってる。術式使える?アイツがゲロったのも、その影響か?」
「分からないです……」

 本当に、何が何だか分からない。何故自分がここにいるのかどうかすら分からないのだから。

「君、住所に何か間違いはないか?」
「え?」
「君が言っている住所はこの場所のことだ」
「え、ぇ?」

 私は窓の外を見る。ここはマンションの一室で、景色は私の部屋から見たものと変わりなかった。確実にここが私の部屋だということが今になって分かった。

「私、の……」
「去年、このマンションで大規模な火災があった。元々ここで蔓延っていた呪いの原因もあったからか、ほぼ全焼……建て直しが決まったんだけど、事故が相次いで取り止めになった。その火災と事故の原因がここにいた、君を吐き出した呪霊だよ」

 確かに、私の住んでいたこのマンションは二〇〇四年に火事があったとは聞いたことがある。後に建て直し、私はそのマンションの一室に入居した。だからって関係ないでしょ?そもそも住んでる世界が違うんだから。

「その火事で死んだ奴は?」
「二人。でも彼女じゃないことは確かだね。ここで亡くなったのはカップルだ。女性も二十代後半」
「なら、本人が一番分かってんじゃねーの?」
「私、二〇二〇年から、来て……」
「は?」

 やっぱり信じてもらえない。当たり前だ。違う世界の、違う時間から来たんだから。こんなこと、言わない方がいいのか?いやでも、一人じゃ抱えきれない。全部話してしまった方がいいんじゃないか?そう葛藤しながらも、私は正直に話すことにした。

「漫画で、二人を知っていて……私は、別の世界の人間で」
「はぁ?」

 顔が良く、高身長ということもあって、威圧感がある。もうヤンキーじゃん!目の前にいるとなると話が違う!圧がすごい!などと内心怯えながら身を縮めていると、夏油は眉間に親指を充てがい、うーん、と唸る。

「そんなことあり得るか?」
「さぁ。漫画の世界ってのは知らない。でも時間的なものはあり得るんじゃねーの?」
「なら、未来人か……」
「よく分かんねーけど、この部屋に住んでたってんなら、あの呪霊の所為だろうな」
「私達のことを知ってるっていうのは?」
「何だよそれって感じ」
「二人は、存在しなくて……私の世界は、呪術もない世界で」
「じゃあ、俺達は未来でどうなってんの?」

 ここで全てを話したら、未来が変わるかもしれない。もしかしたら、あんな酷い未来がない世界に。だったら──

「夏油、さんは呪詛師になって、二〇一七年に死、」

 その瞬間、世界が歪んだ。
 くらりと目眩がし、私はその場で倒れそうになったのを夏油は支えてくれる。

「ご、めんなさい……」

 私はそっと離れる。とても気分が悪い。何が起こった?そう戸惑っていると、五条は私をジッと見つめていた。

「……オマエ今、術式使っただろ」
「へ?」
「時間を遡った、そうだろ」
「ど、どういう、」
「彼女の術式が分かるのか?」
「あぁ、時間を遡ってる。急に呪力の流れが変わった。無理矢理使ったって感じだ。この調子なら、一日の限界は二、三回ってとこ」

 時間を遡った?今の目眩はそういうこと?どこにそんな力が?私はただ、真実を言おうとしただけ。それがいけなかったのか、未来は変えれないってこと?

「でもまぁ、信じていいかもな。コイツ、呪力操作が全く出来てない。術式が誤発したって感じだった。戸惑いっぷりもそう」
「流石は六眼」
「何かの縛り、そんなとこ」

 彼は一歩近づいてくると、ずいっと私の顔を覗き込む。息がかかるような距離、あまりに綺麗な顔立ちでパーソナルスペースに侵入してきた彼に、私はサササッと後退りして距離を取る。完全に目が合ってしまった……

「とりあえず、君は行く宛がないんだろう?だったら一度、呪術高専に行って調べてもらった方が良さそうだね」
「は、はい……」
「ちゃんと歩ける?」
「だ、大丈夫です……」

 私は彼らについて行き、そこを出る。街並みは変わっていない。なのに、私の住んでいたその場所と彼らの存在だけが異質だった。何が起こっているのか、未だに理解出来ていない。帰ってもいい暮らしは待っていないけど、とにかく早く帰りたい。
 外で待っていた車に乗り込む。夏油がまず後部座席に座り、次に私が乗るように促され、そして何故か五条も続けて乗り込んでくる。後部座席に三人がギュッと詰まっていて、何故、誰も助手席に座らないんだ、と肩身が狭くなりつつも、私は補助監督であろう運転手に頭を下げた。

「この子が例の?」
「はい。一度、高専に連れ帰ります」
「分かりました」

 車は走り出し、私は窓の外を見る。やはり世界が変わっても、街並みまではほとんど変わってない。

「なぁ、それで俺達の未来はどうなってんの?」
「……未来を変えそうなことを言ってしまうと、時間が、戻るみたいで……」
「そんなやばいこと言ったの、オマエ」
「言いました……」
「私達の身に何か大きなことが起きるということは分かったよ」
「決まってる道をただ進むってのはつまんねーな」

 出来れば止めたいとは思ってしまう。この時代から始まる大きな出来事を止める。それが出来たなら……いや、私なんかが出来るはずもない。そもそもそれが出来たら、時間が勝手に戻ったりなんかしないわけで。

「はぁ……」
「帰りたいよね」
「いや……はい……」

 私は彼らのことが好きだけど、関わりたいわけじゃない。何かこう……壁になりたい。それか、害のない浮遊霊みたいになって、ただ彼らの生活を見ていたいというか……ストーカーっぽい思考なのかもしれないけど、関わるよりかはマシだ。あぁ怖い、緊張する。右を向いても左を向いてもイケメンしかいないんだもの……怖い。そう思っている間、隣にいる夏油は私について電話で話をしていて、私は他人事のように真面目だなぁ、と考えていた。
 呪術高専に辿り着くと、私は感動した。漫画では見ていたが、実際目にすると違う。趣きのある建物が多い。こんな学校があると聞いたら入学したいと思うけど、呪術高専という言葉の響きだけで確かに宗教系の学校、少し手を出し難い。それに実際、術師でなければ入学出来ないだろうし。

「では、私について来てください。夜蛾 正道先生に担当してもらいます」
「はい……」
「じゃあね」

 夏油は軽く手を振ってくれ、私はぎこちない笑顔を返しながら、軽く手を振り返して、補助監督について行った。ホッと一安心したのも束の間、案内された部屋には彼らの担任である夜蛾 正道先生がおり、私は猫背気味だったが、背筋が伸びた。補助監督はその場から出て行き、会議室に彼と二人きりになってしまった。

「話は粗方聞いている。夜蛾 正道、アイツらの担任だ」
「壱紀 涼華です。よろしく、お願いします……」

 私は頭を下げ、自己紹介する。緊張で右手で左手の甲ををスリスリと擦っていて、若干赤くなっている。

「あぁ、よろしく。そこに掛けてくれ」
「は、はい……!」

 私は彼の前のソファに座ると、彼は落ち着きのない私を見て不審に思っているのだろう、眉間に皺を寄せながら、私に訊ねる。

「それで、アイツらに話したことに嘘偽りはないな?」
「な、ないです……あの、えっと、すみません。落ち着きがないのは、いつものことというか、緊張していて。ひ、人と話すのが苦手というか、その、」
「分かった。疑っているわけじゃない。ただ、君の処遇をどうするか、考えているだけだ。こちらで君のことを調べてみたが、該当する人間は存在しない。だから少し、君自身のことを詳しく聞かせてくれ」

 存在しないのは当然だろう。私はこの世界の人間じゃないんだから。でも、彼らからしたら、私が怪しい人間だと思うのも当然で。ちゃんと自分の言葉で話さなければ信用してもらえないし、帰れないかもしれない。

「何から、話せば?」
「君の年齢は?」
「十五歳、です」
「では、どこの出身だ。家族構成も」
「……出身は、東京です。××孤児院で育てられました。家族は院長と、そこで暮らす子供、というくらいで」
「では何故、あのマンションの一室に住んでいた?」
「東京都立**高等学校に通う為に、孤児院を出ました。近所のコンビニで、アルバイトを。まだ一ヶ月くらいですけど……」

 嘘偽りなく、ただ教師と進路について話していると思えば、何となく落ち着いて話すことが出来たと思う。ただ、私の視線は彼の胸辺りに向かっているのだが。

「……そうか。それを踏まえて、また調べてみよう。術式についてだが、時間を遡れると?」
「そう、みたいです……でも、分からなくて。私は、呪術や呪いのない世界にいて、呪術高専もありません。私は呪術師ではないはず。なのに目覚めたらここにいて、力が使えるようになっていて……」
「分かった。もし、君の家族が見つからない、元の世界に帰れないとなれば、呪術高専に入学、というのもいいかもしれん」
「えっ……」
「人手不足だ。帰る方法が見つかるまでの間でいい」
「は、はい……」

 私にはどうすることも出来ない。彼らに従うしかない。夜蛾先生は調べてくるから待っていてくれ、と出て行くと、私はその場で頭を抱えた。







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