#1.あの時助けてやった狐と狸です。
祖父母の家は自然が豊かな山奥にあり、休日にはよく両親と遊びに出掛けた。子供の頃は自然に囲まれるだけで楽しかった。山に入れば未知の世界、冒険し放題。虫取りをして、綺麗な石を見つけてはコレクションして、充実していた。でも一度、遭難しかけたこともある。行ってはいけないと言われていた山道へ行き、帰れなくなったのだ。
そんな時出会ったのが、黒い狐と白い狸。幼ながらにそれを綺麗だと感じた。二匹は私を祖父母の家まで案内してくれた。それからは祖父母の家に来る度、その二匹を見かけては遊んでいた記憶がある。しかし祖母から──
『狐と狸には気をつけなさい。化かされて食われる』
そう言われて少し怖くなった。その頃だろうか。父の転勤で引っ越し、祖父母の家が遠のいてしまい、山へ遊びに行く回数も減った。夏休み、年に一度行くかどうか。
初めは行きたいと駄々をこねていたが、オモチャやゲーム、パソコンや携帯電話を与えられるような時代になってからは、年齢的にも自然の遊びなどつまらないものになっていて。いつしか虫は苦手になり、山は虫に刺されるから嫌だとか、やることがないと思うようになっていった。パタリと行かなくなったのは、祖父母が亡くなってからだ。
大学二年生の夏。夏休みに入った私は祖父母が大事にしていたというアルバムがあるとのことで、管理をしている叔母から鍵を受け取り、車で一人、祖父母の家へと向かった。免許を取得したばかりの辿々しい運転で山道を行くのは少し緊張する。
朝出発し、やっとの思いで辿り着いたのは昼過ぎ。山には蝉の鳴き声が響き渡っていた。都会ではうるさいと感じる音も、山の中だから許されるようなものだと感じる。
久しぶりに入った祖父母の家は少し埃っぽいが、懐かしい香りがした。荷物を漁っていると、アルバムや作ったばかりのあみぐるみが置いてあった。黒い狐と白い狸のあみぐるみ、私はそれも手に取り、縁側に座ってアルバムを開く。捲っていく度に懐かしさが込み上げてきて、薄れかかっていた祖父母との思い出が蘇ってき、泣きそうになる。
すると、とてとてと目の前に現れたのは真っ黒な狐。続けてやって来たのは白い狸だった。大人しく私の前にちょこんと座った二匹に、私は驚きを隠せなかった。
「君達か……まだいたんだね」
こんな珍しい毛色の狐や狸は見たことがない。きっと、昔遊んだ子達だろう。しかし、狐と狸には気をつけろという祖母の言葉を思い出して、私はやはり帰ろうと思った。
私は人じゃないものを知ってるから。
いつだったか、人に違和感を持つようになり、次第には人に獣の耳や尻尾、時々翼の生えた人や、肌に鱗のような模様がある人もいた。私は普通じゃない、それか化かされているに違いない。きっとこの狐と狸も一緒だ。
アルバムやそのあみぐるみを取り、ポケットに入れた。一応、祖父母の家へ来たことを両親へ報告する為、家の写真を撮ろうとスマホを取り出すと、白い狸が大きくジャンプして私のスマホを奪う。
「あっ!」
二匹は逃げるようにそのまま山の中に入って行く。私はアルバムを置いてそれを追いかけた。最悪だ。個人情報も何もかも入っているのに。
木々を掻き分け、山の中を追いかけている最中、あの二匹は昔から並外れた知性を持っていたことを思い出した。迷った私を祖父母の家に案内したり、隠れんぼのような遊びもした。追いかけっこも。休憩しようと途中で眠ったら、寄り添って寝てくれた。思い出が次々と蘇ると同時に恐ろしくなる。あれらは私が見てきた異様な人間と同じ。
祖母から聞いた食われる≠ニいう言葉。ゾッとして、すぐに来た道を戻る。スマホはもういい。また新しく買って、PC内のデータで復活させれば良いだけのこと。今は子供の頃とは違う、来た道を戻れる。そう祖父母の家まで戻るとすぐに車に乗る。
「アルバム……」
本来の目的を忘れていた。急いで車を降りて縁側に置きっぱなしのアルバムを取り、家の戸締りをする。早めの帰宅となってしまうが、仕方がない。そう私は開けたままの運転席のドアに手を掛け、辺りを見回す。あの二匹はそのままどこかに行ってしまったのだろう。とりあえずは一安心だと車を走らせて山を下りていく。もう安全だというのに、何だかホラー映画を観た後の緊張感がある。見た目は可愛い獣だったが、まるで幽霊を見たような気分だ。
私は早めに山を下り、麓に住んでいる叔母に鍵を返しに向かった。
「あら?もう帰って来たの?」
「さっき、大学の友人から連絡があって……すぐに帰らなきゃいけなくて」
「そうなの?大変ねぇ」
「はは……じゃあ、また来ます」
私は軽く挨拶をして叔母と別れると、自宅へ帰った。昼だからと安心していたが、一人で山に行くんじゃなかった。幽霊系に限らず不気味な都市伝説系も怖い。私は音楽をつけようとしたが、スマホもない為、テレビで気を紛らわせ
ながら車を走らせた。
自宅へ帰って来たのは、それから二時間後のことだ。休憩もなくぶっ通しで走り続けた為、早めに帰ることが出来た。見慣れた自室にホッと胸を撫で下ろす。私は何だか疲れてしまい、ベッドの上に倒れるように寝た。スマホを見て落ち着こうと思ったが、あの二匹に取られてしまったことを思い出し、すぐに後悔した。今の時代、スマホがないと辛い。無意識に依存しているのだろう。
私はPCを起動させて白い狸と黒い狐について調べてみる。ふとポケットにそれらのあみぐるみを入れたことを思い出して、ポケットに手を入れるが、白い狸のあみぐるみがなくなっていた。どこかで落としてしまったのか。折角祖母が作ってくれた物なのにと考えながら、モニターの側に黒い狐のあみぐるみを置いていると、ピンポーンとインターホンの軽い音がした。荷物なんて頼んでただろうか。そう思いながらドアホンで確認すると、白髪の顔の整った美形の男がいた。誰だ、このイケメンは。なんて思いながら私は会話を試みる。
「はい……」
『あー……さっき、ぬいぐるみを落としましたよね?声を掛けたんですけど、急いで部屋入ってったから、渡しそびれて』
そう、彼の手には祖母の作った白い狸のあみぐるみがあり、祖父母の家ではなく、マンション前に落としていたのか、と私はホッとする。それにしても、私は声を掛けられても気づかないほど焦り、急いでいたのか。それを見られていたのは少し恥ずかしい。
「ありがとうございます。わざわざすみません……今、開けますね」
私は見た目はヤンキーだけど、優しそうな人でよかったと鍵を回し、扉を開く。彼は私を見るなり笑みを浮かべると、どうぞとあみぐるみを差し出してきた。私は戻って来てよかった、と安堵してそれを彼の手から受け取った。
「ありがとうございます。祖母が作ってくれた物なので、助かります」
「これも、落とされましたよね?」
そう、別の声が聞こえたと思い、顔を上げると、黒い長髪をハーフアップにした袈裟姿の男がそこにいた。彼の頭には狐のような耳があることに気づく。人間ではない。思わず頭が真っ白になり、隣の白髪の男も見ると、狸のような耳があった。そして狐の男の手には、狸に奪われた私のスマホがあった。
「っ……!」
私はスマホを奪い取り、勢いよくドアを閉めようとする。だが、狸の男は反射的にすぐ扉を掴み、閉めさせない。
「おいおいおい、何閉めようとしてんの?」
「は、放して!!」
油断していた。カメラに耳や尻尾は映っていなかったから。私の馬鹿!どんな相手であれ、せめてドアチェーンはしておくべきでしょ!そう後悔しても遅い。彼はドアをこじ開けた。ドアの前に体格の良い大男二人が玄関口を塞いでいる。私はパニックになって、彼らを押し退けて飛び出すわけでもなく、距離を取ろうと逃げ場のない部屋の奥へ逃げてしまった。そのくらい恐怖を感じていたのだ。本当に、狐と狸が化けてやって来た。
「あ、すっげぇ涼華の匂いがする」
「こら、靴は脱がないと」
「そっか」
そんな彼らの声が玄関からしてくる。怖い。動物の姿の方がまだマシだった。どうしてこの場所が分かった?どうやってついて来た?そんな疑問が尽きない。ベッドで震える私を長身の彼らは覗き込む。
「どうかした?」
「何ビビってんの?」
「誰、なの?何でこんな、」
「誰って……昔助けてやった狐と狸だろ」
「山で遊んだよね。というか、さっきも会っただろう?」
何を当たり前でしょ、というような顔をしているんだ。理解出来ない、そもそも彼らはどういう生き物なんだ。人間でも獣でもない。もしかして、妖怪?妖怪って人を食べるの?
「た、食べないで……」
まさか人生の中でこんな命乞いをすることがあるとは思わなかった。私の言葉に、彼らは互いに顔を見合わせると、狸の男は私に覆い被さり、私の顎を掴む。
「どうしよっかなぁ、傑はどっから食べる?」
「そうだなぁ、私は指かな。悟は?」
「俺はまず目玉から」
「ひっ」
狸の男は大きく口を開け、狐の男は私の手を取ると、自身の唇に充てがう。身体が震える。食べられて、死ぬ?そうギュッと目を瞑るが、痛みがなかった。暫く恐怖しながら堪えていたが、ケラケラとした笑い声がして、思わず目を開ける。
「ギャハハハ!俺達に食われると思ってんの、ウケるんだけど」
「く、くく……食べるならとっくの昔に食べてるさ。面白いね」
彼らは私から手を離し、まだ笑っている。何が起こったのか、揶揄っただけ?と状況が理解出来ず、呆気に取られてしまう。
「へ?」
「確かに人を食う妖もいるけどね。私達はそんなことはしないよ」
「寧ろ、人間に協力的だっての」
「あ、妖……?」
「マジ?そっから?」
「君は見える側の人間、妖が人に化けていたとしても、それを見抜く才能がある」
確かに見えるけれど、それは才能なのか。私には霊感のようなものがあるということだろうかと戸惑っていると、狐の男は笑顔で話を続ける。
「君のお婆さんも見える側の人間だ。もう既に妖の存在を君に伝えているのかと思っていたけど、違ったみたいだね」
「お、お婆ちゃんは、人を食べるって……」
「あの婆さん、どうしても俺達を近づけたくなかったみたいだな。妙な嘘吐きやがって」
「妖が人を喰らうというのは、まぁ嘘ではないから。私達がお婆さんに悪戯しすぎたのかもしれないね」
非現実的なことを話しているように思えるが、頭上で会話する彼らは至って真面目なのだろう。すると狸の男はでもさぁ、とポカンと口を開けている私を見る。
「俺達に恩があるってのに、そのまま行方眩ませるとか、ちょっと不義理だよなぁ」
「そうそう。遊んであげていたというのに、姿を見せなくなったね」
「そ、それは、行けなくなったからで……それに、お婆ちゃんにも注意されてたし……」
「だろうと思って、来てあげたんだよ」
狐の男の笑顔の威圧感が強い。上から目線でモノを語る彼らに、私は今更恩を返せと言われてもと困る。
「な、何をすればいいの?」
「オマエはなーんにもしなくていいよ。俺達がここに居座るだけだから」
「でも都会だからね。食べる物がないから、用意してくれると嬉しいな」
「い、衣食住を共にしろと!?」
彼らはそう簡単に言うが、私はそんなことは出来ないと首を横に振る。
「困る!そんな一時の恩で私の生活を潰されるのは嫌だ!」
「私達といる時は楽しかったろう?今だって変わらないさ」
「いや、関係ない……」
「ごちゃごちゃうるさいな。俺達、もう山から下りてきちゃったし、行く場所ないの。分かる?」
「ワカンナイ……」
とにかく、この大男二人と一緒に生活することになるのは避けたい。顔はいいけど、そもそも人間じゃないし、一時の恩で他人の人生を縛ろうというのだから、いい性格をしている。首を縦に振るまでここを動かないという意思すら感じる。
「俺達は人間を食わないって言ったけど、食えないこともないからな」
私の態度が悪かったのか、見透かされていたのか、狸の男は私の手を取ると、パクリと人差し指を口に入れ、甘噛みされた。その時、尖った八重歯が指に当たり、ゾクリとした。
「ご、ごめんなさいごめんなさい!」
「こら、悟。乱暴は良くない。でも涼華、ただ一緒にいるって、それだけのことだろう?最低限の人間のルールには従うさ。ここは君の家でもあるわけだし」
優しい言葉遣いではあるが、居座る気満々の言葉に私はこれは避けられないと感じた。警察を呼んだとしても、彼らの存在は異質で、対処してもらえないだろう。諦めたことを察したのか、二人は顔を見合わせて笑う。
「私は傑、化け狐だ」
「悟、化け狸。俺達、最強だからまた守ってあげる」
頼んでもいないが、押し付けがましいその二人、いや二匹……傑と悟は私の家に居座ることになってしまった。
ただ何も分からないまま、天国のお婆ちゃんに私が無事であるように守ってくれと祈るばかりだ。
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