#46.甘えたい
「久々に仕事が来た」
伏黒家での食事中、甚爾さんが唐突にそう話した。彼の仕事といえば、術師殺しのことだろう。まさか事後報告じゃないだろうな、と眉を顰めると、彼は私に箸を向ける。
「狙いはオマエ」
その言葉に、私は目を丸くした。恵はその意味が分かったのだろう、険しい顔をして甚爾さんを見ると、彼は恵にデコピンする。
「受けてたら言うかよ。馬鹿」
「でしょうね。それで、誰から?」
「いつもの仲介人だ。受けるか受けないか、それだけ聞かれた。報酬はかなり大金だ」
「受けなかったんですね」
「武器もなけりゃ、俺も鈍ってるし、坊に負けた。どんだけオマエが油断してるとはいえ、勝算がない」
「……他に、理由があるんじゃないんですか?」
そう言って隣にいる津美紀を撫でると、彼はふん、と鼻で笑う。
「オマエは俺を美化しすぎてるな」
「この間、パチンコ行って十万擦ってきた」
「ちょっと!」
「たまにはいいだろ。勝った時はいい飯食わせてんだから」
恵と津美紀は慣れてる、といった表情をすると、私は深い溜息を吐いた。でも、何かしらが動き始めているに違いない。警戒しなければ。
「情報は流してやったんだから、報酬くれてもいいよな?」
「涼華さん、出さなくていいですよ」
「おい、俺の仕事奪うな」
「仕事じゃねぇだろ」
恵も甚爾さんに反抗するようになったなぁ、と考えていると、津美紀はまぁまぁ、とそれを宥める。これが家族なんだろうなぁ、と思いながら、私は報酬は高級アイスね、と先程近くのスーパーで買って来たアイスを思い出しながら話した。
***
私はどれだけ人に迷惑をかければ気が済むのか。
理子から電話があった。珍しいし、嬉しい、と思いながら電話を受けると、聞こえてきたのは理子の声ではなく、男の声だった。
『壱紀 涼華だな。天内 理子とその黒井 美里を拘束した。一人で来い』
場所を伝えられ、電話は切られる。
今度は理子や美里さん。次は誰になる?美々子菜々子、恵や津美紀だろうか。そんなの、許されるはずがない。
指定された場所へと向かう。前よりかは少ない、五人の呪詛師。一体どこから集まってくるのか。不安そうな理子と美里が人質に取られており、ただ自分を責める。彼女達はこんなことに巻き込まれていいはずがない。直接殺しに来たらいいものを、何故巻き込むのか。
「涼華、ごめんなさい……」
理子の言葉に、胸が押し潰されそうになった。何故、彼女が謝るのか。謝るのは私の方だ。私が、全部私が……
「理子、美里さん。私がいいと言うまで、目を瞑っていて」
呪詛師と私の間にもう言葉はない。私は針を仕込んだ腕輪のロックを外して、自分の手首に針を刺しこむと、腕輪からたらりと血が流れ出る。理子と美里さんを拘束している男に向かってそれを飛ばし、その身体に触れた瞬間、破裂させた。それを皮切りに激しい戦いとなる。数が多い分、傷つくことも多い。今回は連携が取れていて、厄介だ。
遠距離からの攻撃に、私は蝶の形をした恐怖ちゃんをいくつも放つ。それは人に向かって飛び去っていき、彼らがそれに触れた瞬間、破裂する。
いくつかの破裂音や悲鳴が聞こえた。私は血液で理子達を囲み、守ると、離れて得意の近接攻撃をしていく。
呪いを込めて、確実に、殺す。
人質を取っても、何をしても私には勝てない、悟や傑を殺すことなんて出来ないと思い知らせる。もう何だっていい。どうでもいい。
逃げようとした呪詛師を捕らえて、首元を踏んで、男を見下ろす。
「誰に命令されたの?私の首か、悟の首に賞金がかかってるんでしょ?さっさと言って。いい情報をくれたら、殺さないでおいてあげる」
「ぐ、が……っ」
何かを話そうとする彼から足を退け、胸を踏んだ。彼は苦しそうにしながらも、話し始める。
「高専の……っ、人間だ!呪詛師は五条 悟を、呪術師も皆、オマエ達を殺したがってる……!オマエを殺せば、呪詛師にもメリットがある……」
「そっか、ありがとう。話してくれて……約束通り、生かしてあげる。腕の一本くらいは、いらないよね」
そう、私は男の左腕を踏み潰して折る。悲鳴を上げる男から私は離れる。彼は身体を引きずりながら逃げだし、私はそれを見逃した。
早くここから理子達を離さないと。そう私は手に付いた血を拭うと、術式を解除して、自分の血を全て消し去る。ジッと座り、何が起こっているかまだ理解出来ていなさそうな理子と美里さんの拘束を解くと、私はそっと手を引く。
「目を開けないで、そのまま歩いて」
「涼華、大丈夫なのか?」
「うん。でも、周りを見たら不快だと思うから、見ない方がいい」
血の臭いがするのだろう。彼女達は察したように、私に手を引かれながら歩いていく。見えない場所までやって来ると、私は血塗れの上着を脱いで、いいよ、と話すと、彼女達はやっと目を開く。
「ごめんね、二人共。巻き込んでしまって」
「すみません……私が弱いばかりに。油断していました……」
「黒井も涼華も悪くない!アイツらが悪い!」
「そうですね……涼華さん、ありがとうございました」
「狙いは私だった。怖い思いをさせてごめんね」
二人は心配そうに私の顔を見ている。無理に笑顔を作ってみるが、効果はないようだ。
「涼華、無理しちゃダメだよ」
「無理してないよ。ただ、自分の所為で他人が傷つくのが、嫌なだけ」
「それは皆、同じでしょ?私の所為で涼華が傷ついてる」
「……ありがとう、ごめんね。私はここに残らなきゃ。高専の人を呼んでるから、行こうか」
私は二人を連れて行き、そのまま別れた。
あぁ、やってしまった。これで呪い扱いされたらどうするんだ。初めの頃みたいに、呪符を貼られて、狭い場所に閉じ込められて、皆と会えなくなる。そんなことになったら、どうするつもりだったんだ。
暫くいくつもの死体の側で待っていると、そこにやって来たのは、建人と雄だった。
「……来てほしくなかったなぁ」
「大丈夫ですか?」
「これ、涼華さんが全部?」
「そうだよ。一人、逃したけど……」
やっと彼らの顔を見ると、不安そうな二人に、私は息を吐く。
「ここに二人を連れてきた人は性格が悪い……」
「夜蛾先生ですよ。もし、呪いになったとしても顔見知りの方がいいだろうと」
「暴走はしてないよ。ただ呪詛師を殺しただけ……皆、私が暴走しないか怯えてる。この呪詛師を雇ったのも、高専の人間らしい。どうせ、上層部の人間でしょ。悟か傑が死ぬかもしれないのに、何やってるんだか……」
私は乾いてこびり付いた血を擦って拭いながら、彼らに愚痴を言う。やはりまだ不安そうな彼らに、大丈夫、と私は笑ってみせる。
「そんな怖がらないで。傷つくよ」
「怖いんじゃなくて、涼華さんが呪い扱いされないか心配なんです」
「前回と違ってこれだけ殺しましたからね」
「処刑はないと思うよ。悟や傑の命を懸けてまで私を殺すことはない、と思いたいね」
「なら、安心ですね!」
「……でも、気持ちは違うでしょ」
「正直ね……仕方ない。私が招いたことだから」
暫くすると、そこに関係者がやって来て、それらを処理し始める。私は建人と雄と同じ車で高専へと向かい、報告書を提出した。その間もずっと建人と雄がいた。いや、心配なのは十分伝わるけど……
「私は本当に大丈夫だから……」
「で、でも辛そうですし……」
「……分かりました。何かあれば言ってください、よければ力になります」
「自分も!何でも言ってください!」
「はは、いい後輩持ったなぁ、ありがとう」
いつも通り、頭を撫でようとした。でも、手の甲にあった血の拭き残しを見て、先程のことがフラッシュバックし、行き場の失くした手をギュッと握ると、少し彼らの肩をトンと、叩く。
「じゃあね、シャワー浴びてくる」
軽く手を振って、その場から逃げるように、シャワー室へ向かった。いつもより自分が、穢らわしいものに思えた。
***
私{今日、どこにいる?}
傑{北海道。お土産いる?}
私{じゃあ、甘いやつ。今日は帰れないね}
傑{そうだね。どうしたの?}
私{会いたくなった}
傑{困ったな、こんな時に傍にいないなんて。帰ったら抱きしめさせて}
私{うん。ごめんね、いきなり}
私{今日、どこにいる?}
悟{静岡}
私{いつ帰るの?}
悟{僕に会いたくなったの?}
私{無理ならいいよ。傑も出張で帰れないらしいから}
悟{僕より先に傑に連絡したの?}
私{同時にしたよ。傑の方が返信早かった}
悟{あっそう。家にいて、帰るとこだから}
私{分かった、ありがとう}
メールでやり取りした後、私はぼんやりと窓の外を見る。賑やかな都会、辺り一面ビルばかり。しかし、家の中はしんと静まり返っている。テレビをつけても、その寂しさが紛れることはない。
ただ、会いたかった。人恋しかった。
人を殺すことよりも、大切な人が巻き込まれる方が怖かった。
あの後、理子や建人、雄、話を聞いた潔高から何度も連絡してもらったけど、この罪悪感のようなものは消えなかった。
甘えているのは分かってるけど、どうしても、悟や傑に会いたかった。私より強い人に、大好きな人に甘やかされて、いてもいいんだって思いたい。
電話が鳴った。見ると、そこには『夏油 傑』の文字。すぐに出ると、いつもの優しい声が聞こえて来た。
『涼華、傍にいてあげられなくてごめんね』
「いいよ。電話ありがとう……今、少し寂しかったから」
『何があったの?聞くよ』
今日あったことをゆっくりと話した。彼はそれを、優しい相槌をして、静かに聞いてくれる。
「……それで何か、寂しくなってしまって」
『そう……大変だったね。君のことだ、美々子と菜々子のことでも悩んでるだろう。でも、彼女達は強い子だよ。それに、これからはそうさせないように元凶を絶たないと』
「上層部も御三家も皆、死ねばいいと思ってるよ」
『なら、全部どうにかする?』
「……傑らしくない」
『そうかな。君の為なら何だってするよ』
「怖」
『ふふ、君がそうさせたんだから、責任を取ってもらわないと。君より、私の思想の方が危険かもね』
そうやって励ましてくれるその優しい声に救われる。隣にいてくれているような感覚だ。
「……大好きだよ、傑。ありがとう」
『…………』
「傑?」
『私もだよ。本当、傍にいないのが悔やまれる。どうせ悟が来るんだろう?』
「うん」
『はぁ……いつもだな。君が必要としている時にいたいよ』
「電話してくれただけで十分だよ」
『本当は触れたいんだけどね』
「帰って来てからね。どうせ暫くは任務ないと思う」
『そうか。なら、君の家に入り浸ることにしよう』
「はは、たまにはいいかもね」
元気が出た、と私はありがとう、と呟けば、彼はいいんだよ、と話す。
『またね。帰ったら覚悟しておいて』
「何の覚悟?」
『ふふ、おやすみ』
電話を切られた。傑が言うと何か怖いなぁ。でも元気出た、と私はやっと食欲を取り戻し、夕飯を作って食べた。
悟はいつ来るのか、と思いながらも、いつも通り過ごしていた。悟が来るなら、甘い物でも作っておこうかな、とマシュマロ入りのチョコクッキーを焼いた。夜にこの糖分は罪深い。しかし彼が来る気配もなく、こんな早くには帰って来れないよな、と私はソファに寝転がり、うとうとし始める。テレビの音も頭に入って来なくなって来た頃、ソファがギシっと音を立てる。ふと上を見ると、私に覆い被さっている悟がいた。
「オマエの会いたがってた大好きな恋人が来てやったぞ」
「……お疲れ様」
私はやっと会えた、と抱きしめると、彼は驚いたように身体を硬直させる。
「……何かあったの?」
「色々」
私は起き上がって、逆に悟をソファに押し倒して、彼の胸に飛び込んだ。彼は珍しく戸惑い、赤面している。
「何で照れるの?」
「照れてない」
「私からするのは変かな」
「寧ろ、してくれた方がいいんだけど……」
「今日は、甘えたい」
心なしか、鼓動が速くなった。悟もドキドキしてくれるんだ。身をもって感じ、そっと目を瞑ると、彼は私の髪を撫でる。
「何があったか、聞いちゃダメ?」
今日あったことを話した。でも、悟を狙ってのことだとは言わなかった。いつかバレることだとしても、私の口から言いたくはなかった。我が儘でごめんね。
「もう来ないだろ。オマエは強いし、二度も三度もやる馬鹿もいない」
「そうかな……」
「命が惜しいだろ、そいつらも……あ、これ食べていい?」
テーブルに置いているクッキーに気づき、私は起き上がってクッキーを取ると、彼の口元に運ぶ。
「美味い」
「よかった」
「……僕が殺してあげようか、そいつ」
「もう、どうでもいい。一時の感情だけで殺しちゃったら、皆に会えなくなる」
「そういう理由?」
「今更、殺していいとか悪いとか、どうでもいい。理子達が人質にされた時、許せなくて、前みたいに瀕死状態にすればよかったのに、殺してしまった。二度と皆と会えなくなるかもしれないのに。殺したことよりも、皆に会えなくなる方が、嫌われる方が怖い」
「……そう。じゃあ僕も殺さない。オマエの望んだ通りにしてあげる。オマエは僕に殺せって言われたら殺すんだろ?だったら、僕もオマエに殺せって言われたら殺してやるし、殺すなって言われたら殺さないよ。そうしたら、行き着く所は同じでしょ」
そう、私を背から抱きしめると、私の手をその大きな手で包み込む。
「……ありがとう。共犯だね」
我ながら、馬鹿みたいな愛の確かめ方だと思った。でもその言葉や体温や表情で、何もかも伝わってくる。それがどうしようもなく嬉しくて、切なくて、歪んでいる。
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