君のいる風景9
2013/11/28 07:25

「……ふっ……ぶ、ぇっくしッ」


全身を悪寒が巡る。
悪寒、というか。文字通り、どうしようもなく寒いのである。
ずぶ濡れの身体が早朝の冷ややかな空気に当てられて、芯から凍り付いてしまいそうだ。

……本当に、やることがめちゃくちゃ過ぎるぞ、お前。

土方はぶるりと身を震わせ、鼻を啜りながら視線を上げた。
土方の涙が止まる頃に、雨はまるでその役目をやり遂げた、とでも言うかように、緩やかに上がっていった。
今はもう、雲間から顔を出す朝焼けが、泣き腫らしてしまった目に染みる。

……眩しい。そう思った時、土方はハッとしてシンパチを振り返った。
突然振り向いた土方に、シンパチは少し目を丸くして首を傾げた。
「……何か?」シンパチが視線で問いかける。
シンパチのその何でもない様子に、土方は数度瞬きをすると、眉を潜め、そして投げかけた。


「……お前、大丈夫なのか……?」


怪訝そうに問う土方に、シンパチはますます首を傾ける角度を深める。


「大丈夫、とは?」


「ちょっとよく分からないですね?」そう、素直に顔に出す。


「……」


土方は、深く長い溜め息を漏らした。
顔を逸らし、水分を吸って重たくなった前髪を掻き上げながら、更に問いかける。


「……だからお前、……もう朝だぞ……?」


掻き上げた前髪をまた指で鋤き、垂らして顔を隠す。

土方の言葉に、シンパチは空を一瞥する。すると漸く合点がいったように「……ああ、」と、拳を一度ぽん、と打って土方に視線を戻した。


「確かに僕ら吸血鬼はこの世界の自然光にはあまり耐え性は在りませんけど。だからと言って別に光に当てられると何だか身体が弱体化したりとか、蒸発して消えるとか、そんなことは全くありませんので」


「その辺はどうぞご心配なく」声色変えず、さらりと答えるシンパチ。
……土方は、前髪を弄る指の動きを止め、その前髪の隙間からシンパチを見た。


「まあ、眩しいのはやっぱり苦手ですけどねぇ」


「その辺はほら、そこまでやわじゃないと言っても、吸血鬼ですから」……今までと変わらない様子で飄々と言ってのけるシンパチに、肩の力が根刮ぎ奪われていくような気がした。

……もう、馬鹿馬鹿しくてやっていられないなと、思う。
今まで人様が必死に造り上げてきた絶壁を捨て身一つでぶち壊した挙げ句、傷口を気が済むまで抉り散らかして。

それで尚、こうしてまだコイツは平気な顔をして、笑いかけてなんてくれやがる。


「……ふざけんじゃねぇ」


しかし、どうしたものか。
土方は、今どうしようもなく、悪くない気分だった。
空(から)に、なってしまったようだ。
これから、自分が一体どうしたら良いのかさえ、正直よく分からなくなってしまった。
そんな拭えない不安感が、ひどく心地良く感じる。
土方は、もう一度自分の手のひらを見下ろした。
確かめるように何度握り締めてみても、土方の手が何かを掴むことはなかった。


「……心配して損しちまった」


シンパチには決して届かぬようにと、ほんの小さく土方は囁いた。

土方は、先程のようにまた、シンパチに背中を向ける。

今はもう、静かに眠りたいと思った。

―――そうしてまた夢を見て。
夢の中で、あの一方通行の「さようなら」に、自分も手の一つでも、振り返してやれたら良いと。

そんな事を、考えたから。



*


あの衝動的とも言える行動は、果たして彼女への同情心からきたものだったのか。……それとも土方への、シンパチなりの愛情表現だったのだろうか。
今のシンパチには、その感情に対する回答を理解し得なかった。
が、今はまあ、それも良いか、と。シンパチは思う。
シンパチに向けられた、土方の泣き腫らした瞳。
今までで一番、良い顔をしているとシンパチは感じた。
急に怪訝そうな顔をして、「朝陽に当たっても大丈夫なのか」などと、くだらない質問を投げ掛けるものだから。

一言「ごめんなさい」と、伝えるタイミングは逃してしまったけれど。


「……心配して損しちまった」


土方のその小さな囁きを、シンパチの聴覚は、決して聞き逃してはいなかった。

また直ぐに背中を向けてしまった土方に、シンパチの鼓動が跳ね上がった。
……そうか。この人間は、自分のことを、心配してくれていたのか。
冷たい雨に濡れぼそった頬に、ほうと火が点ったような、そんな感覚を覚えた。


「……あー、くそっ。早く暖かくしねえと、風邪引いちまうなあ」


ガシガシと後頭部を掻きながら、土方が呟く。
シンパチはいつもより早鐘する鼓動を抑え付けながら、口を開く。


「吸血鬼は、風邪なんて引きませんよ」


シンパチが言うと「……ふん」と土方は鼻で笑う。
そして首を捻り、シンパチへとその顔を向けた。


「ばァか、誰がお前の心配なんかしたよ」


「俺が、だよ」瞳を細め口元を緩め。振り向いた土方の顔は、薄く微笑みを浮かべていた。

……ああ、そうか。
シンパチは、左胸に手を当てて、深く息を吸い込んだ。
やっと分かったことが、一つある。
あの時、写真の中の土方がシンパチの目を奪って止まなかったのは。
微笑んだその瞳が、泣いてしまいそうに見えたからじゃない。
―――シンパチはただその笑顔を、自分に向けられてみたいと。そう思ったのだ。
……その感情を何と呼ぶのか、やはり今のシンパチには、まだ理解出来なかったけれど。
しかし、きっとそれはいつかシンパチにとって、かけがえのない感情の一つになるのだと。

それだけは、確かに分かる気がする。


「……なるほど」


火照る頬を誤魔化すように視線を逸らしながら、シンパチは短く返した。




「……どうせ、他に行く宛てもなくて帰ってきた口なんだろうが」


背中を向けたまま、素っ気なく土方は言う。
シンパチの中に生まれた甘い感触は、そう長くは続かなかった。
二、三度呼吸を繰り返すうち、それはシンパチの中で僅かに燻って、そして直ぐに沈んでいった。

……的確に図星を突かれ、シンパチはむぐ、と唇を噛む。
シンパチが返す言葉を倦ねいて首を捻っていると、土方はふっと小さく息を吐き、徐に振り返った。


「……まあ、目の前で雨に降られて濡れ鼠になった奴を放っておくほど、俺も鬼じゃねえ」


「ま、お前の場合は、自業自得みたいなもんだけどな」土方は、シンパチを見る。


「そうだなあ。昨日の余りもんで良いなら……鍋くらい、食わせてやるよ」


そう軽く告げる無愛想な土方の視線は、シンパチから外されることはなかった。
……沈んだ甘い感覚が、また燻って熱を持つ。

いつか、この名称し難い感情の正体を、自分は知ることが出来るのだろうか。
……この人間の傍で、その感情を咲かすことが。
知りたいような、知るのが少し、怖いような。

とことん謎々で、複雑怪奇なこの気持ちを。

シンパチは笑う。
笑う以外の感情を、今は上手く出すことが出来なかったから。
暗闇慣れした目に、朝焼けが染みた。
「……帰るぞ」そう言って顔を逸らした土方は、ただ照れ隠しをしているのだけなのだと。
シンパチにはお見通しだった。




「あー、これから面倒くせえなあ……大家や他の連中にお前のこと何て誤魔化せば良いんだ……ああ、もう、それくらいお前の力で何とか出来ないのかよ」


「そりゃあ出来ますよ?出来ますけど、大量の情報操作には勿論それなりに貴方の協力が必要ですよ?」


「……だよなあ……はあ……」






【君のいる風景】


end……?



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