君のいる風景8
2013/11/25 08:11

……相変わらず、なんて無作法な食事の仕方だと思う。
食い破られた腕から、激痛が土方の身体を這った。
思わず乱暴にシンパチの髪をわし掴む。
引き剥がそうと力を加えようとした瞬間。チリ、と小さな音を立てて、シンパチの身体から静電気のような、何かが迸った。
バチン。続けて大きな破裂音を立て、そのエネルギーが土方の手を拒絶する。
僅かに逆立った暗黒色の髪の隙間から見えたシンパチの赤い目が「邪魔をするな」と土方を見上げた。
ぞわりと背筋に悪寒が走り、身の毛がよだつ。
額に良ろしくない脂汗が滲む。
自分に害を加える得体の知れない存在への、本能的な恐怖が土方から身動きを奪った。
肉に鋭利な岩が食い込むような感覚。シンパチの喉が嚥下を繰り返す度、生き血ごと、己の生命を喰われている。
自覚すると、さらに恐怖で痺れ始めた脳が、痛みを忘れ始める。
土方は息を殺し、為す術なくシンパチの「食事」が終わる時を待つことしか出来なかった。

……永遠、とすら感じたようなその瞬間は、時間に換算すれば一分にも満たない僅かな時間だった。
補色動物が被食者に喰われる瞬間は、きっとこんな風にスローに流れる世界の中で、自分の運命を呪うのではないだろうかと、土方は思う。
シンパチの口腔が、土方の腕から離れていく。
唾液と鮮血が、唇から覗くシンパチの白く尖った歯牙と舌先を濡らし照り光っている。
シンパチは土方から体を離し、口元に残った血を親指で拭い、舐め取った。
……この世の者ではない、その動作の一つ一つが、恐ろしいと感じた。
視線を下げて見れば、腕に残った傷口は既に再生を始め、瘡蓋さえ残らないだろうと土方にも解った。
土方は戦慄く唇で、「何が目的だ」と絞り出そうとする。
しかし、上手く咽が鳴らなかった。
悪寒を繰り返す身体を、残ったプライドで奮い立てる。
表情を消したシンパチの、鮮血で灯されたような眼差しが、土方を捉え続けている。
ざあざあと、風を切るような音を立て、シンパチと土方を囲む空気が不穏にざわめき始める。
シンパチの細い髪の束が空気に揺れる。
土方は息を飲んだ。
次の瞬間にきっと来るだろう「何か」に、身を震わせながら、拳を強く握り締め、身構えた。

シンパチの、細い指が持ち上がる。
それは土方に向かって、手を翳しているようにも見えた。


「……?」


土方は眉を潜めながら、僅かに身を引いた。
シンパチの不可解な行動に不審感が募る。

シンパチの翳された手が、形を変えた。
シンパチの人差しが、土方を指した。

……正確には、少し違う気がした。
その指の先は、土方の肩口から僅かに斜め後方へと、逸らされているような気がしたのだ。

その、指の先を土方は追う。
言い知れぬ予感が、土方の鼓動を跳ね上がらせた。

追った、視線の先に在ったもの。


土方は、瞳を見開いた。
呼吸を忘れ、思考を捨てた。

ただ土方の魂が、その存在を求め、身体を動かし、手を伸ばさせた。



*


決して、不吉な気配はなかった。
ただ、シンパチが気が付いていたのは二人分の活きた生活と、そこで生きる一人分の生命と。
……そして。
その生命を傍らで見詰めていた、一つの眼差しだ。
半月の眠りでほんの僅かに蓄えた力すら使い果たしてしまったシンパチには、それは本当に微かに感じ取ることしか出来なかったが。
逆を言えば余程強く、想い入れがあったのではないかと思った。力の及ばないシンパチにさえ、感じ取れたくらいに。

……恐らくもうずっと土方を見守っていたのであろう、あの不安げな眼差しの正体は。

……やっぱり。
そうだったんですね。

シンパチの指先に促されるままに振り返った土方の視線の先に居るのは。
あの写真の中で、土方の隣で、白百合のように可憐に微笑んでいた、美しい花嫁。
こちらは純白で着飾ってはいないものの、その嫋やかな美しさは写真の中と何一つ変わらない。

紛れもなく、土方の花嫁だった、その女性(ひと)だった。

その人は、土方と目が合うと、驚いたように瞳を見開いて唇に手を当てた。
どうやら突然の事態に驚きを隠せないのは、向こう側も同じらしい。
その仕草がとても微笑ましく見えて、シンパチは思わず目を細めてしまう。

土方の身体が、彼女の方へとゆらりと浮遊するように前進する。
土方が両手を伸ばした。その両手の下に、受け止めるように彼女の白い手が重なった。
土方の肩が、腕が、指先が、震えた。
その白く細い手を握ろうと指を折る。
土方の手は、何も掴まなかった。

彼女は、少し困ったように、微笑んだ。
一度視線を下ろし、そして、シンパチの方に目を向けた。
軽やかに、前に踏み出した。
動かなくなってしまった土方の身体をすり抜け、シンパチの前へと躍り出る。

彼女はシンパチに、花が綻んだように、微笑みかけてくれた。女性らしく手を前で組み、上品に会釈をしてみせた。
少しばかり目を丸くしたが、その笑顔に釣られて、シンパチも笑ってしまう。


『……何か言葉を、交わさなくても良いのですか?』


今の貴女には、それが出来るのに。

シンパチは、視線に乗せてそう告げた。
彼女は少しの間を置いて、首を横に振った。
「寂しい」と、その綺麗な瞳は言っているのに。


『どうして?』


シンパチは問う。
『……だって』彼女は応える。


『だって言葉を交わしたら、次は抱き締めたくなっちゃうでしょう?』


彼女は人差し指を唇に立て、少女のようにいたずらで、愛らしい笑みを返した。

シンパチは、もう何も返さなかった。
返す必要も、ないと思ったのだ。
『本当に、ありがとう』彼女の澄んだ瞳が揺れた。


『どうか、これからも、彼のことを、宜しくお願いします』

深く、頭を下げた。
その拍子に瞳から溢れた涙が、乾いた地面に跡を残すことはない。
頭を上げ、目尻に残った涙を拭うと、彼女は最後にもう一度だけシンパチに微笑みかけ、もう言い残すことは何もないと、背中を向けた。

彼女の視線の先には、力を失いただ呆然と立ち竦む土方が居る。


「さようなら、十四郎さん」


彼女の本物の柔らかい声が、立ち竦む土方の名前を呼んだ。
その声に、意識を取り戻したように土方は振り返る。

―――彼女はきっと、最後まで笑っていただろう。

土方が振り向き、一度だけ、その名前を叫ぶように呼び上げる。
彼女の身体は前触れなく消滅し、その魂も、シンパチが感じ取ることさえ出来なくなった。


沈黙が、残された二人を包んだ。
シンパチは、じっと土方の姿を見詰めた。
土方は、自分の震え上がる両手を見下ろしている。
一滴、二滴と手のひらに滴が落ちた。
土方の肩が小さく揺れ、その濡れた手のひらで顔を覆った。


「……何なんだよ……何なんだよ、お前は……」


土方が、弱々しく吐き出すのと同時に、シンパチは徐に腕を上げ、手を空に翳した。
その手のひらを、まるで何かを手招きするような仕草でゆらゆらと揺り動かした。

……雨雲が、シンパチを中心に集められていく。
ぽつり、ぽつりと降り注ぐ水滴が地面を濡らしていく。
突然の異変に気が付いた土方が、顔を上げ空を仰いだ。


「……な、」


顔を濡らす雨は、直ぐにどしゃ降りになった。
シンパチは何事もなかったように手を下ろし、土方に告げる。


「……男は意地と見栄で立ってる生き物なんだって、そういえば昔、僕の知り合いがそんなことを言ってました」


「今回は報酬も頂きましたし……これは、サービスです」シンパチは漆黒の瞳を細め、そして微笑んだ。


土方は、唇を噛み締め顔を歪めた。
「……ふざけんじゃねぇ」小さく吐き捨てて、シンパチに背中を向ける。

……この雨は、この人間の涙か。
シンパチはそう思った。

肩を震わせ啜り泣くその声も、生温い雨音が全てを洗っていくようで。


優しい、音だと感じた。





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