君のいる風景7
2013/11/21 05:30

苦々しい顔をして、黙秘を続けていた土方が呟いた。


「……言ったろ。お前のせいじゃあ、ないんだって」


伏せられた瞳。交わらない視線。
シンパチは、その言葉に在る筈の土方の真意を知りたかった。

……何故。一瞬であそこまで土方の思惑を理解出来る観察能力を持ちながらシンパチは、ああもすんなりと、騙されたりしてしまったのだろうか。
―――理由(わけ)なんて。それはいつだって、どこまでもシンプルにそこに存在しているものなのである。
シンパチは、好きだと思ったのだ。この人間のことを。
好ましいと感じて、心を許した。
シンパチが、愛念という知性の欠片を持つ生き物だった。

ただ、それだけの事情だった。


「……お嫁さん、ですか」


シンパチは、躊躇いながらその台詞を口にした。
土方の、暴かれた傷口に触れる言葉。
瘡蓋を引っ掻いて、抉るような気持ち。
それでもシンパチは、納得して承知出来る何かが欲しかった。
これで、この瞬間をもってこの人間との生活が、本当に終わってしまうのならば。……それは寂しいことだが、仕方がないことなのだとシンパチは思う。
だから、せめて。
シンパチにも、何か理由が欲しいと思った。
「そうですか」とでも「バカヤロウ」とでも吐き捨てて、この人間のことを、きちんと自分の心から追い出せるような。


「お嫁さんとの生活のこと、思い出しちゃいます?」


シンパチの言葉に土方の肩震え、目が見開かれる。

―――そして。
土方の足が、シンパチへと駆けた。
胸元に伸びる腕。振り上げられた拳。
シンパチは身動ぎ一つせず、土方を見詰めていた。
土方の獣のような荒い呼吸が降りかかった。
血走った二つの瞳が、水面のようにたゆたう。
シンパチは、土方の振り上げられた拳が、自分に降り注ぐ時を呼吸を殺し、待った。


「……馬鹿に……馬鹿にしやがって……」


忌々しげに言う土方の拳が、震えていることに気が付いた。


「お前なんかに、分かってたまるか、お前なんかに、」


……泣いてしまいそうだなあ、と。シンパチは思った。
泣いて駄々を捏ねる子供のような表情(かお)をして。しかし土方の両の瞳からは、一滴の涙も溢れはしなかった。
シンパチは目蓋を閉じ、耳を澄ませた。
今のシンパチには、この人間の心を読む程度の力も在るわけではなかったが。
でも、そうしていると、聞こえるような気がしたのだ。
土方の内に、混濁してのたうち回る、小さな声。
悲しくて、寂しくて、……。

それはシンパチには少しだけ、理解し難い感情が混じっていた。


次に目蓋を開いた時、土方の拳は見上げた先にはなかった。
弱々しく胸元を掴む手だけが、未だ震えていた。
土方の長く垂れた前髪が、その表情をシンパチから隠していた。
土方の薄く開かれた唇が、か細く言葉を紡いでいく。


「……恥ずかしいとか、思ってんだろ。いつまでも、……あんな、」


……「あんな」とは、あの部屋、の事だろうか。
シンパチは、首を傾げた。


「……恥ずかしい……?」


シンパチには、その感情がよく分からない。
この人間はあの部屋で、亡くしてしまった者を尊んで、大切な記憶の中で、悲しみにくれて、寂しくなっていただけだ。……それが何故、「恥ずかしい」に繋がるのだろう。


「……いつまでも死者を尊ぶことを、人間は恥ずかしいと、感じるものなのですか?」


……人間の気持ちは、やっぱり僕には理解し切れないな。
シンパチは、純粋な心で思う。
シンパチのそんな無雑な問いに、土方は言葉を返さなかった。
ただ、呆然とした顔をシンパチに向けて、じっと見詰め返した。
胸元を僅かに掴んでいた土方の腕が、力を失い静かに項垂れた。

また、土方の瞳が小さな水溜まりのように揺れた。
……か弱い。そう感じた。
少し足を払ってやれば、あっという間にそこから、積み木のように崩れていってしまいそうだと。

土方は、また直ぐに目を逸らす。
それが、精一杯の自己防衛だとでも云うように。


「……だから、お前は嫌なんだ」


土方が、一歩後退る。


「お前が居ると俺は、」


シンパチの手が、無意識にそれを追った。


「一人で、居られた自分を、忘れちまう」


……それが、何よりも恐ろしいのだと。
土方の歪んだ瞳がそう告げた。


……一人、ですか。
シンパチは、徐に空を仰いだ。
厚い雲が空を覆い、あと一息もすれば、泣き出してしまいそうだ。
シンパチは土方に視線を戻す。
ざり、と足音を立て距離を詰めると、土方の肩が揺れた。
シンパチから逃げるように、更に後退ろうとする土方の腕を取る。


「……ッ、」


土方がシンパチの手を振り解こうと力を込める。
だが、そんな程度の力は、当然シンパチにとっては何の手応えにもならなかった。


「大人しくしてください」


「じゃないと、痛いですよ」シンパチは、掴んだ腕の袖を捲り上げた。
そこで土方は、シンパチがこれから何をしようとしているかを察したらしく。
シンパチを引き剥がそうと、自由な片腕に力を込めてきた。


「テメェ……ッ!」


その腕がシンパチに届く前に、シンパチの片手がそれを難なく捕らえる。

―――シンパチの赤く灯った眼が、土方を射抜く。


「……本当に……?」


「本当に、アナタは自分が、一人だったと……?」シンパチは囁き、土方が眉を潜める。

そして、


「いッ、てェ……!!」


晒された土方の腕に、シンパチの鋭く磨がれた牙が食い込んだ。
この肉を食い破る感覚も、鉄の味が喉を通る感覚も、久しぶりだ。

それは紛れもない、吸血鬼であるシンパチの、半月ぶりのまともな「食事」だった。



*


五百年も、生きているくせに。吸血鬼のくせに。
シンパチの純粋過ぎるその心が、土方は恐ろしかった。
それが「食事」という、欲求の為の見返り目当てだと分かっていても。
いつの間にか、シンパチのその献身に身を委ねて。
そうしていつか心まで、許してしまいそうで。
……そんな自分が、許せないと思った。
あの日、沖田に向けられたあの眼差しを、土方は忘れられなかった。
あれは、沖田に悪気があったわけではないのだ。
油断して、心を傾けかけてしまっていたのは紛れもなく、土方の方だったのだから。

どうか、嫌って欲しかった。
もう二度と、こんな人間の前になど現れたくないと。土方はシンパチに、思ってほしかった。
シンパチの優しさを利用して罠を仕掛けて。
自分自身に、呪いのように嘘を吐き続けても。

……土方は結局、今でもシンパチのことを疎ましく思うような感情を、ただの一つも持てやしなかったから。


「お嫁さんとの生活のこと、思い出しちゃいます?」


そう言ったシンパチもまた、土方にカマを掛けていたことを理解していた。
シンパチが僅かに伏せた瞳が「寂しい」と、分かりやすくそう告げていたから。
……だから。コレが最後のチャンスだと思った。
また、自分に嘘を重ねた。
この振り上げた拳を振り下ろせば。……全て、終わるのだと。

……そう、思ったのに。

拳は動かなかった。
土方の思い描いた通りに動いてはくれなかった。
情けなくて、泣きたくなった。
「馬鹿にしやがって」「お前なんかに」と。最早意味を持たない悪態を吐くことしか、土方には出来なかった。



「いつまでも死者を尊ぶことを、人間は恥ずかしいと、感じるものなのですか?」


首を傾げて無垢に問うシンパチに、土方は何も返せなかった。
吸血鬼の、―――シンパチの。純粋なだけではない、高徳な魂に、触れた気がした。
恥ずかしいと、感じた。
失ってしまった時間をいつまでも忘れられずに、褪せないように部屋に閉じ込めて、しがみついていた自分。
……それを、いつまでもうじうじと、女々しくて恥ずかしい奴だと。
ひた隠していた、そんな自分のことを。


「……だから、お前は嫌なんだ」


身体が、自然と後退った。


「お前が居ると俺は、」


何処へ行くんだと、伸ばされたシンパチの手を避けるように、もう一歩。


「一人で、居られた自分を、忘れちまう」


……受け入れてくれたり、しないでくれ。こんな、矛盾に塗れたどうしようもない奴のことを。

だから俺は、ずっとお前が、怖くて仕方なかったんだ。





⇒8



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