君のいる風景3
2013/11/06 04:01

柔らかい衝撃が土方を襲った。
頭の中では疑問符が飛んでいるが、たらふく酒の染み込んだ意識は疎らだった。
目蓋も身体も重くて動かない。頭の先から爪先まで、鉛玉でも仕込まれたようだ。
こんな風に泥酔するまで飲み潰れたのは久しぶりだった。
特にシンパチが家に住み着き始めてからというもの、酒は一日一本までなどと規制を敷かれ、煙草は一日の本数をこと細かに記録され。
何より、吸血鬼という人智を越えた存在であるシンパチに、自分の知らないところで何を仕出かされるか分かったものではない以上、一秒でも早く帰路に着かなければという脅迫観念に駆られ。
……実に健康的で、土方の精神面においては最高に不健康な生活を強いられてきた。
そんな土方が何故、今日に限りこのような有り様で家路に着いたのだろうか。
答えは至ってシンプルだ。―――どうしても、飲まずにはいられなかった。それだけの事情である。

……人の気配がする。
土方は目蓋を抉じ開けた。
暗闇に慣れない瞳孔がゆっくりと左右に振れる。
ぼんやりと闇に浮かび上がる人影を映した。
背中。静かに立ち尽くす背中がある。
暗闇に慣れ始めたレンズ代わりの瞳が、その人影の様子を脳裏に転写し焼き付ける。
僅かに顔を伏せ、手元の『それ』を食い入るように見詰めている。


「……ァ……」


土方の意識は、再びアルコールにより切り離された。



*


半月の間、シンパチが一度も足を踏み入れなかった部屋。
土方の寝室である。
「この部屋は、掃除も何も必要ないから」そう、最初に告げられてから、何となく、踏み込むのが憚られた。
シンパチは少し首を傾げたが、……まあ、良い歳をした大人の男なら、きっと色々在るのだろう。そう思った。
例えば、そう、あまり他人には見られたくないものとか。
……他人には見せられない性癖(もの)とか?
もしかしたら、この朴念仁にもそういうものが一つや二つ、在るのかもしれない。
御歳五百も近いシンパチは、そんな思春期的な余計な勘繰りで好き勝手に納得し、土方の言葉に素直に頷いた。
「……お前、何か今俺に対して物凄く失礼なこと考えたろ」眉を潜めて問う土方から、シンパチは静かに視線を逸らした。



「……まあ、でも今回は、自業自得ってヤツですよねえ?」


シンパチは、未知の領域に胸を高鳴らせ、ドアノブを捻った。


「お邪魔します……」


ドアノブを引き、真っ暗な部屋へと足を踏み入れる。
ごつ、と何かが引っ掛かった。シンパチのもう片方の手に、再び襟足を捕まれ引きずられた土方の頭だった。
シンパチは、やれやれ、と土方の身体を抱き起こして担ぎ上げると、そのままベッドの脇まで歩き、そして放った。
赤子の手を捻るが如く、容易い作業である。
一向に目を覚まさない土方に、ふう、とシンパチは一息吐き、改めて部屋の中を見渡した。
吸血鬼であるシンパチの眼には、暗闇など何の妨げにもならない。
寧ろ光が苦手な種族にとって、この暗さはお誂え向きである。
……それにしても。シンパチは首を捻る。
なんだろう、この部屋は。
なんだろう、この部屋中を埋める、言い様のない違和感は。
例えば土方を転がしたこのベッド。一人で眠るには随分と大きいように思う。
……それほどに寝相でも悪いのだろうか。シンパチはくるりと体を翻すと、真っ先に目に付いたそれに歩み寄った。
引き出し付きの、これは、……鏡台か。
閉じられていた三面鏡を開いてみると、キィ、と少し錆びかけた音がした。
鏡を覗き込むが、おかしなところは何もなかった。
……おかしくはない。この鏡自体に、おかしなところは何もない。呪われているとか、不吉の気配とか、そういう魔的なものも一切感じない。

―――ただ、そこに存在していることが。どうしようもなく、不自然だった。

シンパチはもう一度、部屋を見渡した。
この部屋には、一人分ではない、生活の気配を感じる。
勿論それはシンパチのものではない。
もっと、ずっと以前から染み付いた、知らない人間の、―――

……三面鏡の隣。そこに置かれた背の低い箪笥の上にある、伏せられた写真立てがシンパチの目を引いた。
惹かれるままに、手を伸ばした。


「……」


それはシンパチの眼を、意識を、五感を奪った。

写真立ての中で微笑むのは、純白に着飾った、美しい花嫁だった。
シンパチは知っている。眠っていたときに蓄えた知識によれば。
これは、この国では結婚式、と呼ばれる行事(それ)だ。
沢山の人間が花嫁と花婿を取り囲み、様々な顔をして、笑っている。
そして。美しい花嫁の隣で、こちらも白いタキシードに身を包み、ぎこちなく笑顔を作っている花婿。
それは紛れもなく―――土方だった。
笑うことに慣れない人間が、精一杯に作り上げた笑顔。
幸福が満ち満ちている。そう感じた。……でも。

……突如。背中から、腕が伸びる。
シンパチは目を見開き、振り向いた。
酔い潰れていた筈の土方が、いつの間にかシンパチにのすぐ背後に迫っていた。


「ッ……!?」


土方はシンパチの手から写真立てを奪おうとして、空振りする。……それが、限界だったようだ。
土方は足元から崩れ落ち、シンパチもそれに巻き込まれ、体勢を崩す。

一瞬見えた、土方の薄く開いた虚ろな目は、シンパチを見てはいなかった。


「うッ……!」


シンパチは箪笥に背中を打ち付けながら尻餅を付いた。
土方は、シンパチの身体に覆い被さったまま、薄い寝息を立て始めた。
突然の出来事に数秒間呆然としたが、シンパチは直ぐに我に返り、手に掴んだままだった写真立てを見た。


「……あ、」


衝撃で、写真立ての硝子にひびが入っていた。
シンパチは、日々の眠りによりほんの僅かに蓄えた魔力でその傷をなぞり、修復した。
……何故だか、そうしなければいけないと思ったのだ。

シンパチは写真立てを片手に再び土方を担ぎ上げ、広いベッドに転がした。
死んだように眠る土方を見、そしてまた写真立てに目をやる。


―――笑っているのに。
瞳だけは今にも泣き出してしまいそうだ。シンパチはそう思った。

物音の消えた部屋で、写真の中の土方が、シンパチの眼を奪って止まなかった。




⇒4



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